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メディアラボに着任して最初に学んだ言葉のひとつに「antidisciplinary」(脱専門的)というものがある。新設の教員職の求人情報に、必要条件として記載されていたのだ。異なる専門の人々同士が連携することを「interdisciplinary」(学際的)と言うけれど、脱専門的なプロジェクトというのは、いくつかの専門分野の総和ではなく、真新しい何かを意味している。「脱専門性」という言葉自体、定義が難しい。僕自身は、従来の学界的な意味での専門分野の区分けに適合しない何か、もしくは誰か、すなわち独自の語句、フレームワークや手法をもつ研究分野、の意味に解釈している。研究者の多くは、論文審査(ピアレビュー)のある著名な専門誌への掲載回数でその実績をはかられる。論文審査は通常、ある人が属する専門分野の実力者たちが、その人の仕事をレビューして、重要かつ独創的であるかどうかを判断するというものだ。この構造ゆえ、研究者は型破りゆえにハイリスクなアプローチよりも、自分の専門分野での少数の専門家に認めてもらうことに注力しがちになる。この力学が、より狭い範囲の内容をより深く探求していくという、研究者のステレオタイプを助長している。超専門化により、異なる専門分野の人々が他分野の人々と連携することはおろか、コミュニケーションすらとりにくくなってしまっているのだ。僕にとっては脱専門的な研究とは、数学者 Stanislaw Ulam(スタニスワフ・ウラム)の有名なコメントに類似するものだ。彼は非線形物理学の研究を「ゾウ以外の動物の研究」のようなものだと称した。脱専門性とは、まさしくゾウ以外の動物に着目することを意味する。

メディアラボは「独創性、インパクトそして魔法」に注力している。ラボの学生および教員は、ユニークなことに取り組むべきである。別の誰かがやっていることに取り組むべきではない。別の誰かが同じことを始めた場合、ラボ側では中止すべきだ。我々の取り組みはそのすべてがインパクトを与えるものでなくてはならない。そしてそれは我々に情熱を沸き起こすものであるべきで、漸進的な発想にとどまるべきではないのだ。ここでの「魔法」とは、インスピレーションの元になるプロジェクトに取り組むべしということだ。「Lifelong Kindergarten」グループでは、研究者がしばしば「創造的な学びの4つのP」として「Projects」(プロジェクト)、「Peers」(仲間)、「Passion」(情熱)そして「Play」(遊び)を挙げる。遊びは創造的な学びには非常に重要なのだ。報酬とプレッシャーで人を「produce」(生産)するように仕向けることが可能だと示している研究は多々あれども、創造的な学びそして思考には遊びによって生じる「余地」が必要なのだ。プレッシャーや報酬はしばしばその余地を減じさせてしまうため、結果的に創造的な思考をつぶしてしまいかねない。

メディアラボで求めている種類の研究者とは、既存の専門分野の中間に位置しているか、あるいはそれらを超越しているため、どの専門分野にも当てはまらない人材なのだ。僕はしばしば、自分のやりたいことを他のいずれかのラボか学部でできるなら、そっちでやるべきだとコメントする。やりたいことをできそうな場所がメディアラボしかない、という人だけがうちに来るべきだと。メディアラボは脱専門的なはみ出し者の巣窟に他ならない。

我々が生み出した「余地」について考える時、僕は「すべての科学」を表す巨大な1枚の紙をイメージする。各専門分野はこの紙の上の小さな黒い点であり、点と点の間にある広大な白紙部分が脱専門的な余地に当たる。この白い余地でのびのびやりたい人は大勢いるものの、そこに対する出資は非常に限られており、黒い点のどれかに専門的な足がかりがないと、在職権のあるポストに就くのはさらに困難となってしまっている。

我々が様々な分野や視点の協力を必要とする、より困難な問題に取り組んでいくにつれて、専門分野同士の乖離によるマイナスがますます大きくなっていっている印象だ。複雑怪奇なシステムである人体は、尋常じゃないほど集学的な分野となってきた。我々は本来、「唯一の科学」と呼べるものに従事すべきなのだが、現状では異なる専門分野がモザイク様に散在しており、口にする言語や顕微鏡の設定があまりにも異なるため、同一の問題に取り組んでいてもそのことにお互い気づかないことすらあるのだ。

Hugh Herr(ヒュー・ハー)、Ed Boyden(エド・ボイデン)、Joe Jacobson(ジョー・ジェイコブソン)、Bob Langer(ボブ・ランガー)率いるメディアラボのCenter for Extreme Bionics(先鋭的生体工学のための研究センター)では、機械工学から合成生物学、神経科学に至るまでのあらゆる知見を用いて、多種多様な身体障害を打ち消すという挑戦を続けている。これらの専門分野は多種多様すぎて、従来の学部や研究室の枠組みでは決して協働できないだろう。
メディアラボの共同創設者である Nicholas Negroponte(ニコラス・ネグロポンテ)はかつて、アカデミア在職者は「publish or perish」(論文発表無き者は滅ぶ)だという格言をもじり、メディアラボの在職者の規範は「demo or die」(実証無き者は無価値)だとの金言を打ち立てた。僕はこれをさらにもじり、「deploy or die」(実装無き者に明日は無い)をモットーとしたい。メディアラボの全教員および学生は、自分たちの仕事が究極的に世の中に対してどのような形で実証されるのかを考え続けてほしいし、それを自らの手でなしえるなら、さらに素晴らしいことだ。

連携して大がかりなプロジェクトに取り組むというこの考え方により、分野の垣根を越えて研究者たちが繋がっていき、多数の分断された専門分野ではなく、一つの科学へと融合していくのではなかろうか。専門分野はまだ必要であり続けるだろう。しかし、このような高次の取り組みに注力するとともに、学界や研究費のあり方を改革することで専門分野間の広大な白紙部分、脱専門という大いなる余地で活躍する人たちの数を増やしていくべき頃合いだと、僕は考えている。
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追記:メディアラボの教員の1人から、各専門分野は小さな点というよりも幅が広めの帯状になっており、引用件数の多い論文の多くは、斬新な「脱専門」的余地に位置するものだ、との指摘をいただいた

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