# 透明性への耐性を備えた組織を設計する

- Author: Joichi Ito
- Date: 2011-09-09T19:48:52Z
- DOI: https://doi.org/10.31859/20110909.1948

透明性とプライバシーの役割について興味深い話し合いをする機会が過去に何回かあり、これについて思うところがある。我々のこの世界というのは、権力者は秘匿性を持つが、一般の市民には透明性を強いる、そんな世界だと思う。そしてこの傾向は、今のテクノロジーによって拍車がかかっているように思う。僕はしかし、本来はその逆であるべきだと考える。公人や権力を持つ組織は透明性を強いられ、一般市民にはプライバシーが確保され、報復や迫害を恐れることなく発言する権利があるべきだと思う。これは民主主義やオープンな社会に必要不可欠であり、我々はそのことを推進して実現できるように努力すべきなのだ。

権力を持つ組織を透明にしようとする過程で、我々はいくつかの難しい問題に直面する。ほとんどの組織は、それが善の組織であっても、透明性に対して脆弱であるからだ。なぜなら、そもそも透明であるように設計されていないからだ。

まるで、ソフトウェアが書かれた後に「オープンソース化する」ことになったプロジェクトのようなものだ。コードがごちゃごちゃで、ほとんど不可能という場合が多い。ソフトウェアをオープンにする場合には、外の人間にも理解でき、恥ずかしくないような書きかたをするのが普通だ。例えば変数に卑猥なことばを使ったり、コード内のコメントのところで恋愛関係の不満をぶちまけたりする開発者も何人か知っている。彼らはコードが突然オープンになったら、職や伴侶を失うことになりかねない。

強い力を持つ組織のほとんどでは、手っ取り早く、面倒な工程が省かれたり、「目的が手段を正当化する」的な手法が選択されたりする。閉じられた扉の向こうで、白日の下に晒されるとまず許されるはずのない多くのことが、慣習として行われている。これらの慣行は多くの場合、きわめて悪質というほどのものではないが、何らかの形で恥ずかしいものであったり道徳的に問題があったりするものだ。

情報を隠すことがどんどん難しくなり、市民による逆監視が例外ではなく典型となっていく、その大きな潮流の始まりがウィキリークスなのではないかと思う。

この潮流は力の大きい組織に大きな痛みを与え、その大きな流れの中で転覆し、壊滅する組織もあるだろう。しかし、透明性への耐性を備えるようにはじめから設計すれば、そのような組織の構築は可能だと思う。オープンソースのソフトウェアの書き方を修得するよりは難しいだろうけど、我々はより良い、より強い、より効果的で公平な社会を実現するだろうと僕は信じている。





