# 第3シーズン第100回目のポッドキャスト配信：一子相伝とは「教えない」ことだった：秘伝書も釉薬の調合も残さない、樂家450年のアルゴリズム｜伊藤穰一 × 樂直入

- Date: 2026-08-25T02:00:00Z


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## 今回のPodcastの理解度をより深めるための13のキーワード



### [樂直入](https://www.raku-yaki.or.jp/kichizaemon/profile.html)

1949年生まれの陶芸家。1981年に十五代樂吉左衞門を襲名し、2019年に長男へ代を譲って「直入」と改名されました。東京藝大の彫刻科出身でイタリア留学の経験もあり、フランス芸術文化勲章シュヴァリエも受章されています。

### 釉薬（ゆうやく）

陶磁器の表面を覆うガラス質の膜のこと。原料の配合を「調合」と呼び、窯元にとっては最重要の企業秘密にあたります。それを樂家では一切書き残さない....なんとも思い切った話ですね。

### お庭焼

大名が自分の屋敷や庭に窯を築き、職人を招いて焼かせた焼き物のこと。紀州徳川家の[偕楽園焼](https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/56525)や水戸徳川家の後楽園焼が知られています。この時に外へ渡った調合が、まれに古書店に出るのだとか。

### 赤樂・黒樂

樂茶碗の二大様式。赤樂は赤土に透明釉をかけ800℃前後で焼き、[黒樂](https://www.museum.city.nagoya.jp/exhibition/owari_joyubi_news/kuroraku/index.html)は加茂川石の鉄釉を重ねて1000℃前後で焼き、溶けた頃合いを見て窯から引き出して急冷します。この一瞬の判断が黒を生むそうです。

### [京焼](https://ja.wikipedia.org/wiki/京焼)

京都で焼かれる陶磁器の総称。ろくろを引く人、絵付けをする人と工程ごとに分業するのが一般的で、分業を一切しない樂焼とはちょうど正反対。番組ではこの対比が話題にのぼります。

### [織部茶碗](https://www.gotoh-museum.or.jp/2020/10/06/02-013/)

武将茶人・古田織部の好みを反映した茶碗。わざと歪ませた沓形（くつがた）が特徴で、造形の面白さで見せるタイプです。何も足さない樂茶碗とは対照的な存在として登場します。

### [長次郎](https://fujita-museum.or.jp/topics/2021/04/23/1439/)

樂家初代（〜1589年）。千利休の創意のもとで樂茶碗を生み出した人物です。装飾を削ぎ落とした造形はここから始まりました。父は阿米也（あめや）という渡来系の工人だったと伝わります。


### 手びねり（手捏ね）

ろくろを使わず、手とヘラだけで形をつくる成形法。樂茶碗はすべてこの方法です。作り手の身体が直接残るからか、使う人が「手を握っている」ような感覚になるという話、とても腑に落ちました。

### [一子相伝](https://www.momak.go.jp/Japanese/exhibitionArchive/2016/417.html)

技や秘伝を子のひとりだけに伝え、他には漏らさないこと。樂家ではその中身が「教えないこと」だというのが今回の核心です。2016年には、まさにこれをテーマにした展覧会も開かれました。

### [六歳の六月六日](https://www.komajo.ac.jp/uni/window/japanese/ja_column_20120614.html)

芸事の稽古を始める日とされる慣習。世阿弥『風姿花伝』の「数え七歳から初稽古」が元で、江戸の歌舞伎で「六」の語呂が重なって定着したそうです。番組では能の家の例として出てきます。

### [樂家住宅](https://online.bunka.go.jp/heritages/detail/119237)

京都御所の西、上京区油小路にある樂家の建物。主屋も窯場も国の登録有形文化財（2007年登録）です。外観は町家風ながら、内部は数寄屋普請の凝ったつくり。今回の収録は、この敷地内で行われました。



### [嘉永七年](https://ja.wikipedia.org/wiki/嘉永)

西暦1854年のこと。前年の嘉永六年（1853年）にペリーが浦賀へ来航し、この年に日米和親条約が結ばれました。樂家では、この年の墨書がある粘土板を今も現役で使っているそうです。すごい。









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