対話の記録
AI以後の数学、論文、アーカイブ
AIエージェントが数学の執筆、査読、出版をどう変えているか。ある数学者と伊藤穰一の対話。
研究大学に所属するある数学者は、AIエージェントを使って、80ページの論文を週に1本ほどのペースで書いている。いま彼の仕事を制約しているのは、論文をどこに出せるかである。プレプリントサーバーは人間のボランティアが投稿を審査しており、AIを多用したと見える論文を受け付けなくなっている。学術誌は掲載までに1年かかる。
彼は新しいアーカイブを提案している。投稿に時刻の記録と著者の認証が付くサーバーで、AIのチェッカーが確かめるのは一点だけ、その論文が正しいかどうかである。伊藤は最初、こうしたアーカイブには著名な数学者による審査委員会が後ろに立つ必要があると主張した。しかし通話の終わりには、数学者が正しいと認めた。AIによる査読は人間の査読に取って代わる。まずは、AIが計算によって正しさを評価できる多くの分野からである。読者も他のAIである以上、重要なのはそのAIが論文を見つけられることだけである。
この記録は、2026年9月下旬の40分間の通話をまとめたものである。数学者の名前は伏せ、本人を特定できる細部は省くか一般化した。
現在の仕事の進め方
彼の研究はもともと計算を中心としており、研究生活を通じて自分でプログラムを書いてきた。これまで仕事を遅らせていたのは、図を作り、周辺の作業を担う人手が足りないことだけだったという。その制約はなくなった。
- 執筆。 主にClaudeを使っている。エージェントは彼のコンピュータ上で昼も夜も動き、大学の計算クラスターも使う。同僚から1年にわたって、自分のコンピュータでClaudeを動かすよう勧められており、この夏に始めた。
- 分担。 論文ごと、また論文の節ごとに別のエージェントが作業する。さらに別のエージェントが各節を一本の論文にまとめる。エージェントは、指示されなくても互いの仕事の誤りを指摘し始めている。
- 査読。 草稿ができるとGPTに送って査読させる。査読結果が返ってくると、100ほどのエージェントが一日かけてそれに沿って論文を作り直し、夕方に二回目の査読に出す。
- ペース。 この繰り返しを1、2週間続けると、論文には当初想定していなかった結果が入っている。80ページの論文を週に1本ほど書いている。
- 出発点。 プロジェクトは、自分が書いたプログラムの一つをエージェントに渡すところから始めることが多い。最初の課題はコードを理解し最適化することで、数学はその後に来る。
- 問いの立て方。 漠然とした問いは、質の低い答えになることが多い。「ここが自分には分からない。何か理論はあるか」と尋ねると、エージェントは長時間作業して貧弱な答えを返す。うまくいくのはアンザッツ(解の形をあらかじめ与える方法)である。ほぼ完成したプロジェクトをエージェントに渡し、特定の形で答えを求め、エージェントにそれを検証させる。これはしばしば美しい答えを生む。伊藤の注記:これはそれ自体、興味深いプロンプトの技法であり、テレンス・タオがヤコビアン予想の反例について公開した対話にも同じ手法が一貫して使われている。
- 検証。 彼の研究の多くは、シミュレーションではなく厳密な計算で決着がつく。そのためエージェントはクラスターを使って計算による検証を組み立てる。査読役のAIは、計算の証明書がそろうまで論文を通さない。エージェントが証明書の作成に何日もかけ、ようやく査読役が受理することもある。
彼はこれを、自分の分野と他の分野のすべてを知っている50人がいるようなものだと表現し、これまで一緒に働いた最も優れた人を上回るとも述べた。
自分の分野は計算が中心なので、特に条件がよいと彼は考えている。数学には、まだ計算に乗らない問いを抱える領域もある。それもいずれAIが解くと彼は見ている。
分野をまたぐ文献探索
文献担当のエージェントが、各論文で引用すべき文献を集める。アイデアが一つ決まると、約50のエージェントが文献を読み、関連する論文を260本ほど返してくる。その大半は、彼が聞いたこともない分野のものである。彼自身はもう論文を読んでいない。もともと読むのは好きではなかったという。
彼の説明はこうである。数学の結果は、他の分野がそれに付けた名前をあらかじめ知っていなければ、検索では見つからない。エージェントは、結果そのものを照合できる。
例として彼が挙げたのは、自分の結果の一つが、より広い種類の問題に一般化できるかを尋ねたときのことである。多数のサブエージェントが約1時間作業したあと、答えは「できる」だった。一般化はすでに導かれており、彼の専門ではない分野の1960年代の論文を引用する必要がある、という注記が付いていた。
彼はこの点を強調している。分野をまたいで探索し、非常に古い論文や理論を探すことである。他の分野で数十年前に得られた結果は、エージェントが目の前の問題と照合してくれれば、それまで手の届きにくかった理解の領域を丸ごと開く。彼の分野では、その結果があることも、それが何と呼ばれているかも、誰も知らなかったからである。
数学はすべてAIのものになるのか
伊藤は、シリコンバレーの人々から聞いた、AIがこの12月から3月の間に再帰的に自己改善するようになるという予測(RSI報告書で検証している主張)について尋ね、数学がすべてAI主導になりうるかを聞いた。
数学者は、その可能性は非常に高く、数学に限った話でもないと考えている。
現在のエージェントは彼の指示どおりに動き、論文を一本ずつ彼と一緒に書いている。数か月のうちに、誰かが彼のこれまでの論文をすべてモデルに渡して次の1万本を書くよう求め、1週間後にそれを受け取れるようになる、と彼は予想している。そうなれば、彼が新しいアイデアを持ち込んでも、答えはいつも同じになる。それはすでに存在し、発表されている、という答えである。
現在の状況があとどれだけ続くのか、彼には分からない。アイデアのある人はいま取り組むべきだ、というのが彼の助言だった。
彼の言う事態の公開された実例は、2026年7月に現れた。7月19日、レヴェント・アルポゲが、1939年以来未解決だったヤコビアン予想に対する3変数の多項式の反例を公開し、それをClaude Fable 5の成果だとした。どの数式処理システムでも検証できる。ヤコビアンは定数−2で、異なる2点が同じ点に写る。理解はその後、人間の仕事として、AIを計算機にして進んだ。7月21日のタオによる解説、7月23日のスパイヤーによる幾何学的な説明、7月31日のガオによる一般化(3次元以上のすべての次元へ)である。
制約は出版にある
彼の成果の量は、いまや論文の出し先によって決まっている。
- 学術誌の査読には約1年かかるので、まずプレプリントサーバーに投稿する。
- プレプリントサーバーには投稿が殺到しており、論文の受け付けを止め始めている。ボランティアが投稿を審査し、AIを多用した形跡のあるものを却下する。
- 単著の論文はより厳しく選別される。一人が毎週80ページの論文を投稿することは、審査する側にはありえないことに見える。共著者がいると受理される割合が上がる。
- 彼はある学術誌の査読を、論文についてGPTと議論しながら行った。5分ほどで、30項目の改善案を含む12ページの査読報告ができた。改善案は著者のためにすでに導出まで済んでいた。その後で細則を読むと、その学術誌は査読者に対し、論文についてAIと議論しないよう求めていた。
彼は、今後1か月のうちにAIが生成した論文が約500万本出てくると予想している。多くは従来の研究より優れ、一部は無意味なものになる。それを見分けるのに人間の査読者は要らない、と彼は考えている。彼の経験では、人間の査読報告は引用漏れの指摘を超えることがほとんどない。AIはすべての計算を確認し、改善し、次の段階まで導く。
提案:正しさを確かめるチェッカーを備えたサーバー
彼が求めているのは新しいアーカイブであり、それは学術誌ではなくサーバーであるべきだと明言した。
- 投稿には時刻の記録と認証が付く。
- 人間による関門は置かない。
- AIのチェッカーが確かめるのは一点、論文が正しいかどうかである。複雑な論文で約1時間、自明な論文なら1分から5分と彼は見積もっている。
- Google Scholarなどの学術検索に収録される必要がある。それがなければ、このアーカイブは彼の問題を解決しない。
彼は、2万6,000誌あると自ら数えた学術誌が1年以内になくなると予測している。同じ結果に1年で1万回挑戦できるのに、1年待ち、料金を払って出版する人はいなくなる、という理由である。
彼はこのアーカイブを、論文の置き場所より大きなものとしても見ている。AIが生成する図書館である。ある分野について知りたい数学者は自分のAIに尋ね、AIはその図書館をもとに答える。
伊藤の反論と、たどり着いた結論
伊藤の最初の反応は、このような仕組みには人が後ろに立つ必要がある、というものだった。著名な数学者による審査委員会を置くべきだと主張し、その理由として、大学がその名前、建物、基金によって教授の主張に社会的な重みを与えていることを挙げた。AIが査読するアーカイブにも、それに当たるもの、つまり裁判所や議会、分野の外の読者に対して結果を説明できる権威ある人々が要る、という考えである。AIの査読が機能するのは人がそれを設計した場合だ、とも述べた。伊藤自身のエージェントシステムでは、トークンの約90%が敵対的レビューに使われており、草稿を書いたのとは別のモデルが何時間も攻撃したあとの結果は人間の査読より優れている。それは査読がそのように設計されているからである。
数学者は、このほとんどに同意しなかった。検証は自動で、AIによるものでなければならず、その後ろに立つ権威も別のAIでよい、という立場である。彼はこれを、二つのチェスプログラムの対局にたとえた。誰も見ている必要はない。彼の分野には絶対的な真理があるので、結果は意見の問題ではなく、仕組みが「機能していない」ということは起こりえない。
通話の途中で、二つの点が伊藤の考えを変えた。この種の数学と、計算によって正しさを評価できる多くの分野では、論文が正しいかどうかをAIが確かめられ、その証明書は誰でも再実行できる。著名な名前を並べた委員会は、検証に何も加えない。AIによる査読が人間の査読に最初に取って代わるのは、こうした分野である。そして、このアーカイブの読者は他のAIである。論文に必要なのは、AIの文献担当エージェントが探す場所に収録され、見つけてもらえることである。伊藤は、自分の委員会案は評判が検証の代わりをしていた時代から持ち越した古い考えであり、数学者が正しかったと結論した。
分野の外の人、裁判所や議会に結果をどう届けるかについては、よく考える必要があると数学者は述べた。この点は結論が出ていない。
誰がAIを使っているのか
彼の周囲の数学者や学生は、このような仕事の仕方をしておらず、彼の話についてこられないという。エージェントの使い方を知る人が身近にこれほど少ないことに、彼は驚いていた。ごく近いうちにすべての数学者がAIを使うようになると彼は見ている。出遅れているのは、紙と鉛筆で仕事をし、コンピュータはメールにしか使ってこなかった分野である。
伊藤の見方では、二人には共通する条件が二つある。ソフトウェアを書けること、そして時間があることである。
数学者は、米国の世論がAIに否定的になったことに気づいていなかった。
大学についての伊藤の見方は次のとおりである。
- 米国と欧州の大学は、AIに対しておおむね否定的である。特に教育では、学生の学びを減らすと考えられている。日本とブータンは、今のところより肯定的である。
- 伊藤の見積もりでは、学生の10〜20%はAIを使ってより多く学び、残りはAIを使って学ぶ量を減らしている。米国の大学は、前者の学生を妨げている。伊藤なら前者を後押しし、後者については動機づけに取り組む。両者の違いは技術ではなく動機にあると見ているからである。
- 米国の産業界ははるかに先行しているが、世論はAIとデータセンターに否定的になった。これは他の国々が追いつくための時間になると伊藤は考えている。
通話のあと
通話後の数日間に彼から届いたメッセージから。
- 二人が話している間に、彼の論文がもう一本完成した。120ページ、単著である。
- 当面の問題は、Google Scholarが見つけて収録してくれる場所に現在のプレプリントをどう置くかである。出せる場所がなくなりつつある。翌日には、英国王立協会の学術誌もAIの利用に制限的だと分かった。これは予想外だったという。
- 彼にはこれまでに数百本の論文があり、その多くは主要な学術誌に載っている。既存の仕組みについての彼の見方は、外からのものではない。彼の見立てでは、科学出版の新しいモデルの機は熟しており、研究はいま移行期にあり、出版と発見という概念は劇的に変わる。人々はまだそれを理解していない。学術誌がAIの利用に抵抗するのは、電卓や印刷機に抵抗するようなものだと彼はたとえた。
伊藤は、自分のチームの一つとこのアーカイブの構想に取り組み始めている。
残された問い
伊藤は、このようなサーバーに何が必要かを調べている。DOIを発行するためのCrossrefへの加盟、出版メタデータ、そして運用の場所である。
- この方法でDOIを発行した論文を、Google Scholarは収録するのか。
- 誰も保証していないAI検証済みアーカイブの結果は、分野の外の人、裁判所や議会にどう届くのか。
- それまでの間、このように書かれた論文を受け入れる既存のアーカイブはどこか。
この記録の大部分は、通話をもとにAIが生成した。Joi Itoの指示のもとで作成。