2011年9月 Archives

IBMのTHINKフォーラムへの参加準備をしながらリーダーシップについていくつか考えたことをここに書いてみる。

インターネットは、アイディアと情報の生産・流通にかかるコストを急速にほぼゼロにまで押し下げた。その結果、アイディアの爆発的な急増と低コストの連携がもたらされ、多くの革新が生み出されることとなった。しかし一方で、今よりも時の流れが緩やかで単純な時代に合うようにできている多くの組織や我々人間が作り出したシステムから見ると、世界を困難で危険な場所とする複雑性と速度、増幅のスペースをもまたもたらすこととなった。

変化が激しく複雑なシステムを設計、予測、管理する場合、そのためのコストが、実施のコストを上回ってしまうというのは、その設計や管理の対象が何であれよくあることだ。実際、結果を予測してリスクを管理するよりも、まずはやってみて、試行錯誤しながら改善を施すほうが容易であることも多い。過去の偉大なアイディアや大失敗の多くは予測不能なものであった。後になってはじめてそうだとわかっただけの話しである。(誤解のないように付け加えると、あらかじめ知識を得ておくことや計画を立てることは有用であり、ときに必要でもある。ただそれだけでは十分ではないということだ。)

このような世界でのリーダーシップは、幅広いスキルを修得する能力と、勇気、柔軟性、迅速性、価値観、確固たるビジョンと計画性といった強固なシステムを育むのに必要な人間的な特性が鍵となる。すでに古く、誤りがあるかもしれない詳細な道路地図よりも、高性能なコンパスをもつことのほうが重要なのである。

こうした分権型リーダーシップは、戦いの世界(バーチャルであれリアルであれ)から宗教の世界まで、様々な場で進化、台頭してきている。またインターネットが、ほとんどすべての組織においてこの種のリーダーシップの重要性を引き上げている。

大企業の管理職は、社員に忠実にハードワークを続けさせるための昇進や長期雇用といった約束手形をもはや持っていない。企業の中核である研究開発や計画部門の組織はそのスタッフや提携先に対して、詳細な世界地図をもはや示すことができない。革新は組織の最も意外なところで起こっており、あるいは組織の外で起きていることもある。

今日のリーダーシップは、周りの者が自分とビジョンを共有し、セレンディピティを信じ、リスクを冒す勇気をもち、失敗に押しつぶされるのではなくそこから学べるように、彼らに権限をもたせることに他ならない。多様性を尊重し、組織間では多孔体のように情報が透過しなければならない。知的財産やソフトウェアコードなどの資産が、積極的で敏捷なアクションの妨げになるようなことがあってはならない。組織は、それらの資産が革新や進歩を遅らせる障害とならないように、それらへの執着を排除する意志と能力を持っていなければならない。

この新しい世界におけるリーダーは、管理や全知がかなわずそうしたことへの追求が不毛で非生産的な環境にあって、勇敢で、ビジョンを持ち、泰然としていられなければならない。

透明性とプライバシーの役割について興味深い話し合いをする機会が過去に何回かあり、これについて思うところがある。我々のこの世界というのは、権力者は秘匿性を持つが、一般の市民には透明性を強いる、そんな世界だと思う。そしてこの傾向は、今のテクノロジーによって拍車がかかっているように思う。僕はしかし、本来はその逆であるべきだと考える。公人や権力を持つ組織は透明性を強いられ、一般市民にはプライバシーが確保され、報復や迫害を恐れることなく発言する権利があるべきだと思う。これは民主主義やオープンな社会に必要不可欠であり、我々はそのことを推進して実現できるように努力すべきなのだ。

権力を持つ組織を透明にしようとする過程で、我々はいくつかの難しい問題に直面する。ほとんどの組織は、それが善の組織であっても、透明性に対して脆弱であるからだ。なぜなら、そもそも透明であるように設計されていないからだ。

まるで、ソフトウェアが書かれた後に「オープンソース化する」ことになったプロジェクトのようなものだ。コードがごちゃごちゃで、ほとんど不可能という場合が多い。ソフトウェアをオープンにする場合には、外の人間にも理解でき、恥ずかしくないような書きかたをするのが普通だ。例えば変数に卑猥なことばを使ったり、コード内のコメントのところで恋愛関係の不満をぶちまけたりする開発者も何人か知っている。彼らはコードが突然オープンになったら、職や伴侶を失うことになりかねない。

強い力を持つ組織のほとんどでは、手っ取り早く、面倒な工程が省かれたり、「目的が手段を正当化する」的な手法が選択されたりする。閉じられた扉の向こうで、白日の下に晒されるとまず許されるはずのない多くのことが、慣習として行われている。これらの慣行は多くの場合、きわめて悪質というほどのものではないが、何らかの形で恥ずかしいものであったり道徳的に問題があったりするものだ。

情報を隠すことがどんどん難しくなり、市民による逆監視が例外ではなく典型となっていく、その大きな潮流の始まりがウィキリークスなのではないかと思う。

この潮流は力の大きい組織に大きな痛みを与え、その大きな流れの中で転覆し、壊滅する組織もあるだろう。しかし、透明性への耐性を備えるようにはじめから設計すれば、そのような組織の構築は可能だと思う。オープンソースのソフトウェアの書き方を修得するよりは難しいだろうけど、我々はより良い、より強い、より効果的で公平な社会を実現するだろうと僕は信じている。

Safecast.orgでは、我々が測定、収集している放射線量のデータについて、データ利用者による帰属先の明示を法的に求めるクリエイティブ・コモンズの著作権者表示(Attribution)ライセンスではなく、CC0のパブリックドメイン・デディケーションを用いることを私からチームに奨励した。理由は、著作権者表示が必要な場合には利用者にとって困難であったり障害であったりする、データ分析やサービスの一環としての利用の柔軟性を確保したかったからである。

著作権表示が必要だと、多くの大規模データ集約プロジェクトは破綻してしまう。例えば、仮にセンサーを携帯するすべての人の著作権表示が必要で、メガトレンドを見つけるための膨大な分析作業で、過去のすべてのセンサーデータが用いられ、その中に我々のデータが含まれるとしたら、データを提供したすべての人について著作権表示を行うことは不可能だろう。データを自由に使用してそのデータを別のデータと組み合わせるソフトウェアを開発するには、データがオープンであることは不可欠だ。

とはいえ、SafecastのデータをCC0パブリックドメイン・デディケーション下で提供したからといって、誰かがSafecastからのデータを丸ごと持っていって、見た目を張り替えて自前のものとして提示することが倫理的に正しくなるわけではない。この主張を正確に理解するには、倫理的に正しいということ、規範的に正しいということ、そして法的に正しいということの違いを理解する必要がある。

誰かが別の誰かの業績を自分のものとして提示するのが盗作だ。多くの場合、これは違法というわけではなく、非倫理的なだけだ。例えば僕が誰かの発想を盗んで自分の学術論文に使ったり、Safecastのデータを持ってって自分で全部やったみたいに見せかけたりすれば、それは盗作であって、著作権の侵害にはならないであろう。非倫理的ではあるものの、必ずしも違法ではない。

一方で、ミッキーマウスの画像をプレゼンテーションで使用したら、それは著作権侵害であり、違法だと主張できるだろう。しかしおそらくほとんどの人は倫理的には問題ないと言うだろう。

適法性と倫理性との違いを明確にするのはとても大事なことだ。我々の社会や行動の大部分は、社会的な規範と倫理によって牽引され、導かれている。適法だからといって倫理的とは限らない。

同様に、自分のデータをパブリックドメインにデディケートしたからといって、そのデータの使用者に対してデータの出典元をウェブサイトに記述するように要請する倫理的な権利がなくなるわけではない。それはちょうど、自分のアイディアを誰かが学術論文内で使う場合に、その旨の言及を要請するのと同じ話しだ。

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By: 朝日新聞編集委員 根本清樹

《 伊藤穣一さんインタビュー 》

 Q。まず「創発」という言葉をわかりやすく説明して下さい。
 
「例えばアリは一匹一匹に高い知性はありませんが、群れとしてはとても複雑な共同作業をします。巣をつくり、ごみ捨て場や、死んだ仲間の墓地もつくる。個々の単純な動きが相互に作用し、いわばボトムアップで思いがけない高度な秩序が生まれていく。そういう現象を創発と呼びます。例えば大都市でも、トップダウンの都市計画より住民の相互作用から生み出された街並みの方がうまくいく。これも創発です」

 Q。そういう現象が政治にも生じてくるだろうということですか。

 「はい。例えば米国に『討論型世論調査』という面白い試みがあります。無作為抽出したごく普通の人々を一カ所に集め、税制とか年金とか、ややこしい問題を数日間議論してもらう。すると一人一人のレベルを超えた深い意見が出るようになり、全体としての判断もより適切な方向に変化していく。これも創発的な相互作用でしょう」
 「そういうプロセスが、インターネットの普及でいよいよ発生しやすくなってきました。人々はネットを通じ必要な情報を独自に集め、思考を深め、お互いの間で質の高い議論を交わしている。人々はだんだん賢くなってきている」
 「従来の代表民主主義は、国民が代理人としての政治家を選挙し、彼らに政策決定を委ねていますが、人々が自分で判断し、発信できるようになれば、政治家に何かを決めてもらう必要もなくなるんじゃないか。草の根から、現場から、直接民主主義に近い政治的な秩序が生まれてくるようになるんじゃないか。それが創発民主主義の夢です」
 
Q。いまの代表民主主義には欠陥があるという診断ですね。

 「代表民主主義では意思決定の権限が政府に集中しています。しかし、現代の世界は国際関係にしても経済にしても、ものすごく複雑化し、変化も激しくなっている。政治家たちがそれを全部きちんと理解して、常に正しい判断を下すことができるとはとても思えません」
 「今回の原発事故のように、世の中で起こる重大な出来事というのは、既成の理屈だとかモデルでは想定も説明もできないことが多いのです。そういう想定外の事態に適切に、機敏に対応することは、いまの中央集中的な政治にはできません。複雑化する世界の中で唯一生き残れる方法は、意思決定の権限を分散していくことです。現場主義です」
 「企業を見ていても、イノベーションとか新しいものはほとんど現場とか端っこから来る。問題を解決する知恵や情報やアイデアは思わぬところにある。それをうまく集めて、かたちにしていけば、政治家にはできないような結果を出せる。ネットとかソーシャルメディアは、その過程をサポートする強力な道具です」

Q。そうなると政治家はもういらなくなってしまう。
 
「政治家は指導者というより、進行役とか世話役、管理人といった役割になっていくのではないか。そういう存在は必要でしょう」
 
Q。構想を提唱されたのは8年前ですが、その後、現実のものになってきていますか。

 「8年前は主にブログを念頭に置いて考えていました。ブログは人々の間の議論を深める点でとても役に立つ。ただ議論だけでは世の中は変わらない。やはりみんなが実際に動く必要がある。人間と人間がつながって共に行動を起こさなければならない。そういう面で、その後に登場したフェイスブックやツイッターが今回中東各地ですごく大きな役割を果たしたことは重要です。私はいまドバイに住んでいますが、中東で起きていることは、創発民主主義の重要な実験台になっていると思う」
 「ソーシャルメディアが若者たちに与えたのは勇気です。革命なんか無理だよねと思っていた彼らが『僕らにもできるじゃん』と伝えあった。本当にウイルスのように勇気が伝わって行動を引き起こした」
 「創発民主主義はまだまだこれからだと思います。ただ、注意すべきなのは、短期的な変化の影響はみんないつも大きく見積もり過ぎるのに、中長期的変化については小さく見積もり過ぎるということです。僕らの世代では無理かも知れませんが、今の若い子たちの時代にはそういう方向に行くんじゃないか」

 Q。日本では2年前に歴史的な政権交代が起きましたが、民主党政権は迷走を続け、もう3人目の首相です。世界を飛び回りながら、日本の政治をどう見ていますか。

 「2009年の民主党の勝利は、それはそれですごく重要な出来事だったとは思います。でもやっぱり......日本の政治はあまりに不透明で、それはいまも変わっていない」
 「僕も日本をよくしたいと思って、日本の政治家や官僚と交流し、意見交換してきましたが、彼らは不透明な貸し借りや利害関係に絡め取られ、弱みやしがらみの中で生きている。だから思い切ってバットが振れない。何か筋を通そうとしても、99%は政治のための政治に頭を使わざるをえない。権力を手にするためのゲームのためのゲームです」
 「仮に勝って権力にたどり着いても、たぶんものごとを1㌢進めるくらいの元気しかもう残っていなくて、それで倒れていく。第1次世界大戦の時の塹壕戦みたいなもので、ものすごいエネルギーの浪費であり、膨大な犠牲者を出す。こういう政治のやり方では、民主党だろうが何党だろうが、日本を変えるのは基本的に不可能に近いんじゃないか」
 
Q。そういう不透明さをなんとかなくしていくことはできますか。
 
「いまの日本を見ると、高齢化、人口減少が進み、経済的な破綻に向かって走っているように見える。そういうぎりぎりの状況に追い込まれれば、貸し借りとかしがらみとか言ってられなくなって、政治も変わるんじゃないか。破綻して欲しいとは思いませんが、そういうイメージはある。あるいは、国民がそれこそやむにやまれず立ち上がるような事態が発生する。今回の震災と原発危機で、少し立ち上がりつつありますが。『アラブの春』は突然起きた。日本でも何かが突然起きて、政治が変わる可能性もある」

Q。創発民主主義が代表表民主主義に全面的にとって代わるとは考えにくい。二つをどう接続していくのかが課題ではないでしょうか。
 
「米国では、いろいろな政策についてネットで意見をまとめていくNPOがあります。私がかかわる分野では、プライバシー保護とか著作権の問題などについてネットで議論し、政治家に直接働きかける。草の根が米国政治に与えるインパクトは大きい」
 「日本では草の根と権威ある人たちとのコミュニケーションがあまりない。例えば原発についても、本当の専門家はあまり公の場で意見を言わないし、一般の国民の間の運動の中にはそういうエキスパートがあまりいない。政治に対してもう少し草の根の意見が影響を与える仕組みをつくらなければ」

Q。原発について国民投票をしよう、そのための制度をつくろうという声が市民から出ています。

 「とてもいいことだと思う。原発はあまりに大きな産業なので、政治家たちもどこかで利害関係でつながっているから、判断を委ねてしまうのは危うい。国民が自分で理解して、自分で決める権利を行使すべきです。先ほど触れた『討論型世論調査』の組み合わせてみるといいと思う。これは原発のような高度に専門的なテーマにすごく向いています。3日間くらい缶詰めにして徹底的に議論するんです」

 Q。民主主義をバージョンアップするためのアイデアは、ほかにもいろいろありそうですね。

 「ええ。例えば、自分の投票権を政策課題ごとに仲間とか知り合いに渡していくという手法が考えられています。環境問題だったらあの人が詳しい、エネルギー問題だったらこの人が信用できる、という具合に投票権を委ねていく。委ねられた人はさらに高度なエキスパートに票を渡す。議論を通じ、優れた意見を言う人に次第に票が集まり、最後は一番たくさん集めた人の意見が勝つ。こうした実験を、日本でもやってみればいい。テーマを絞ったり、地域限定にして、『民主主義特区』をつくってみてはどうでしょう」

See Also: 創発民主制 - GLOCOM Review 8:3 (75-2) - 2003 Center for Global Communications (PDF)

朝日新聞 - 伊藤穣一さんに聞く- 創発する民主主義とは