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Wed, Dec 31 19:00 UTC

この投稿で僕は、技術の歴史における、現在と別の重要時期/ターニングポイントとの強い類似性を掘り下げてみたいと思っている。このような比較で常なのが、相違点が、類似点同様に示唆を含んでいるということだ。どこまでメタファーを適用していくのがよいのかまだわからないが、我々はBitcoin の未来について、インターネットの歴史から多くを学ぶことができるかもしれない。Bitcoin に関する投稿は今回が初めてだし、主張を通すことよりも皆さんに反応や新しい発想をいただくことに主眼を置いている。フィードバックや、僕が読むべき内容へのリンクなどをいただけると非常にありがたい。

僕は根っからのインターネットパーソンであり、本格的なビジネスライフを始めたのがインターネットの黎明期であって、成人後の人生のほとんどをインターネットのレイヤーや要素を組み上げる仕事に関わってきた。日本発の商用インターネットサービスプロバイダの立ち上げを支援したり、ツイッターに投資して日本での展開を助けたり。僕は Open Source Initiative、Internet Corporation for Names and Numbers(ICANN)、Mozilla Foundation、Public Knowledge、Electronic Privacy Information Center(EPIC)の理事にも名を連ねたし、クリエイティブ・コモンズの CEO も務めた。ネット時代の初期で体験したことゆえに、僕の視点が偏っていて、新しいものが何でもインターネットのように見えてしまっている可能性はある。

それを踏まえて、僕はインターネットと Bitcoin は様々な点で似ていると思うし、Bitcoin とその将来を考える際にはインターネットまわりで得られた教訓が指針になりうる側面が多々あると思っている。そして同時に、重要な相違点もいくつかある。

Bitcoinがインターネットに類似する点は、分散型で効率的で、オープンプロトコルに基づいた運搬インフラである点だ。それ以前に使われていた回路や専用線とは違ってデータパケットを動的ネットワーク上で転送するのがインターネットだとすれば、Bitcoin のプロトコルであるブロックチェーンは、相互信頼が成立していない相手同士が分散型かつ効率的な手法で信頼関係を構築することを可能にしている。取引台帳が「集中型」になっている、と言っていいかもしれないが、台帳そのものは機械的な分散型コンセンサスによって形作られている。

インターネットにはルートの部分が存在する。すなわち、インターネットプロトコルを使っているからといって、いわゆるインターネットの一部になっているとは限らない。本家インターネットの一部たりうるには、ICANNとそのコンセンサスプロセスによって管理されている命名と数字のプロトコルおよびルートサーバーに合わせることに同意しなければならない。インターネットプロトコルを使って独自のネットワークを作ってもいいし、命名や数字に独自のルールを適用することも可能だが、それだとただのネットワークであり、インターネットとは呼べないのだ。

同様に、ブロックチェーンプロトコルを使って Bitcoin の対抗馬(alt.coin)を作ることもできる。これによりイノベーションを起こしたり、Bitcoin の技術的利点の多くを活用することが可能だが、Bitcoin との技術的互換性は失われ、Bitcoin のネットワーク効果や信頼性の恩恵は受けられなくなる。

また、インターネットの黎明期同様に、各レベルで複数の発想が競合している。AOL はダイヤルアップネットワークを作り上げ、Eメールの普及に大きく貢献した。やがてコアビジネスだったダイヤルアップネットワークを放棄したが、インターネットサービスとして生き残った。今でも AOL のEメールアカウントを使っている人は多い。

暗号通貨の世界では、Bitcoin の起源的ブロックに連繋していないコインが存在する。根本に同じ技術を使った alt.coin のことだ。alt.coin はものによって少しだけ異なるプロトコルを使っているものもあれば、根本的に違うものもある。

コインの層の上層には、ウォレット、取引所、サービスプロバイダなど、様々な垂直統合度合いのサービスが登場している。どの暗号通貨が淘汰を生き残るかに依存しないものもあれば、特定の通貨に密接に繋がっているものもある。VoIP(ボイスオーバーアイピー)が同じネットワークを斬新な方法で使ったのと同様に、価値の単位をやりとりするためのインフラを元に、根本的に異なる用途でネットワークを活用する技術やサービスも登場しつつある。

インターネット時代の初めの頃は、オンラインサービスの大半はダイヤルアップと x.25 を組み合わせたものだった。x.25 は競合関係にあるパケットスイッチングプロトコルで、国連の下部組織である標準化団体 ITU(国際電気通信連合)の前身であるCCITT(国際電信電話諮問委員会)が開発したものだ。The Source や CompuServe を含む多数のサービスが、インターネット経由でのサービス提供を始める前は x.25 を使っていた。

インターネットの最初のキラーアプリはEメールだったと僕は認識している。初期のオンラインサービスのほとんどでは、同じサービスを使っている者同士でしかEメールを送り合えなかった。それが、これらサービスにインターネットを通じたEメールが実装された途端に誰にでもEメールを送れるようになったのだ。これはかなりすごいことであり、Eメールが今でもインターネット上で使える最重要クラスのアプリケーションである点がそれを物語っている。

インターネットが普及するにつれ、TCP/IPスタックがさらに開発され、投入された。誰でも無料でダウンロードして手元のコンピュータにインストールすることでインターネットに接続できるフリーのソフトウェアだ。これにより、手元のコンピュータ上で実行するアプリにインターネットを通じて他のコンピュータ上で実行中のプログラムと対話させることが可能になった。これによりマシンツーマシンネットワークが誕生し、端末ウィンドウにテキストを入力するだけの時代は終わった。FTP(ファイル転送プロトコル)、そして後に登場する Gopher(ウェブが登場する以前に人気を博した、テキストベースのブラウジング/ダウンロードサービス)により、音楽や画像をダウンロードしてコンテンツの世界的なネットワークを作り上げることが可能になった。やがてこのオープンアーキテクチャに基づいたお伺い不要のイノベーションにより、ワールドワイドウェブ、Napster、Amazon、eBay、Google、Skype が誕生した。

20年前、広告会社、メディア企業そして銀行への講演で、インターネットがどれだけ重要になり、劇的な変化をもたらしていくかを説明したことがあった。当時すでに地球の衛生写真や、コーヒーポットを映すウェブカメラ映像がインターネット上にあったものの、当時はEメールと Usenet News しかなく Amazon、eBay および Google がまだ発明されていなかったため、ほとんどの人はインターネットが商業およびメディアをいかに根幹から変えることになるかを想像できてなかった。これら大企業には、自分たちがインターネットについて何かしら学ぶ必要がある、ないし、インターネットが自分たちの商売に影響するだろう、と考える人はいなかったのだ。講演での反応はぽかんとした顔やいびきがほとんどだった。

Emailがインターネット黎明期のキラーアプリであったのと同様に、僕は Bitcoin がブロックチェーンにとっての最初のキラーアプリだと考えている。eBay、Amazon および Google に相当するものが発明されつつあるのだ。ブロックチェーンは銀行業、法律そして会計業にとって、メディア、商業および広告業にとってのインターネットに相当する変化をもたらす気がしている。ブロックチェーンはコストを削減し、ビジネスの様々なレイヤーでの中抜き効果をもたらし、摩擦要素を軽減することだろう。そしてご存知のように、ある者の摩擦は他の者の実入りになるのだ。

僕が ICANN の理事だった頃に我々が注力したもののひとつは、インターネットの分化を防止することだった。ICANN の方針に異を唱えたり、インターネットに対する米国の影響力を強すぎると懸念する組織は多数存在した。我々の仕事は万人の声に耳を傾け、包括的かつコンセンサスに基づいたプロセスを作り出すことで、そのプロセスに合わせるためのエネルギーとコストよりもネットワーク効果の利点を大きく感じてもらうことだった。概ね奏功したと言っていいだろう。インターネットを設計して運用していた創始者、主要な専門家、技術規格団体などのほとんどが ICANN に連繋してくれていたことが後押しとなった。制度を決める側と専門家側との折衝が、相応の苦労はあれども、また素晴らしいものとも言えずとも、他のどの選択肢よりもマシなものとして認識されていたのだ。

考えるべき命題の1つに、Bitcoin には ICANN に相当する何かが必要なのかというのがある。Bitcoin と ブロックチェーンは、それぞれEメールと TCP/IP に相当するのか?

事情が違うのではないか、と思わせる要素の1つは、ICANN の根本的な意義が、ドメイン名によって生じた名前空間の問題が起こす集中化への対処だった点だ。ドメイン名は我々がインターネットの仕組みを考える際の必須要素であり、競合を解決するための標準化団体が必要になる。Bitcoin にはマイニングプールおよびコア開発という形では集中化が起きてはいるものの、プロトコルそのものが根本的に、機能するには分散化が必須であるように設計されているため、集中化問題に対する解決策はDNS(ドメイン名システム)とは似ても似つかないものになるだろう。インターネットにもある程度の分散化が必要だという議論も成り立つが、今のところ ICANN との関係は破たんせずに続いている。

ICANNがもたらすもう1つの重要な効能は、コア技術への変更を話し合う方法だ。技術者、ユーザー、企業および政府といった、各方面のステークホルダーの間での制度にまつわる対話をまとめる役割も担っている。主たるステークホルダーは、ICANN の元手となるビジネスを運営し、各 ISP と共にインフラの大部分を提供する、登録機関およびデータベースの担い手だった。

Bitcoin の場合は「マイナー」、すなわちBitcoin の核にある暗号論的に安全なブロックチェーンを生み出してネットワークを安全たらしめる演算を担当し、見返りとしてネットワークそのものから Bitcoin の形で報酬を受け取る個人や企業が、その役割を担っている。開発者たちが Bitcoin に適用したいと考える技術的な変更は、マイナーらが採用しない限りは普及しない。そして開発者とマイナーとでは動機が異なるのだ。マイナーには、インターネットでいう登録機関およびレジストリに類似した点がいくつかあるかもしれないが、消費者側を向いておらず、世論がどう思っていようが関係ない、という点が根本的に異なっている。

ICANN の場合と同様に、ユーザーは大事であり、Bitcoin のネットワーク効果による価値の鍵となる存在ではあるものの、マイナーがいなければエンジンそのものが動かない。マイナーは登録機関およびレジストリに比べて特定が難しく、また、変動する Bitcoin の価値、マイニングの難化傾向、そして取引費用がマーケット主導であることがマイナーの動機の変化にどう影響するかも不明瞭だ。マイナーたちがユーザーインターフェースとガバナンス機能をもつコミュニティを形成する可能性はあるものの、現状ではそのほとんどが様々な理由で水面下に隠れた独立した存在となっており、それらの理由が変わる見込みは今のところない。とは言ったものの、Bitcoin 関連の企業で株式を公開している最初の数社にはマイナー企業が1社含まれてもいる。

コア開発者もインターネットの時とは性質が異なる。インターネットの創始者たちは若干ヒッピーのノリがあったかもしれないが、多くが政府の資金援助を受けており、政府にそこそこ好意的と言えた。当時は米商務省と取引するのが有効な判断に思えたのだ。

Bitcoin のコア開発者たちはサイファーパンクである。彼らは政府や世界の銀行システムを信用しておらず、規制や何者かによる干渉に対し常に不可侵でいられる分散型で自律的なシステムを構築しようとしているからこそ開発に従事しているのだ。Bitcoin の設計には、規制側の都合を無視した側面が少なからずある。マイナー陣は Bitcoin の形で報酬を受け取るため、Bitcoin の価値を高める動機付けがあり、そのためスケーリングやネットワーク効果には関心があるものの、自分たちのハードウェアや設備への投資が利潤に結びつく前に消え失せさえしなければ、淘汰を生き抜くのが Bitcoin であれ、alt.coin のどれかであれ、同じことだと思っているんじゃないか。

規制側は明らかにネットワークのルールに口を出す動機があるものの、コア開発者が彼らに耳を貸す必要があるのかどうかは不透明だ。とはいえ、規制側が何らかの形で金を出してくれない限り、適切なスケーリングを果たしたり、インターネットのようにメインストリームにインパクトを与えたりできる可能性は低い。

インターネットの黎明期とよく似ていると思えるのが、我々がインターネットのEメールを目にしつつもウェブをまだ発明できていなかった頃と同様に、今はまだ crypto-equity やスマートコントラクトといったコンセプト(これ以外にも多数ある)の潜在的な有用性を想像しかけている段階にとどまっている点だ。

僕が思うに、過度の規制により Bitcoin ないしブロックチェーンがその可能性をまっとうできず、この副次的な経済システムの一機能にとどまる可能性がある。匿名化システムの Tor がプライバシーを必要とする人々には圧倒的に有意義であるのに対し、一般の人々にはまだ本格利用されていない状況に通じるものがある。

インターネットの成功を助けたのは、規制がなかった事、そしてイノベーションというものが原則として包括的でどこにもお伺いを立てる必要がないその性質にあると言えよう。これにはフリーおよびオープンソースのソフトウェア、そしてベンチャー投資コミュニティが大きな役割を果たしていた。僕がここで提示したい命題は、Bitcoin をとりまく状況はインターネットの時とはまるで違うのだろうか、という問いだ。Bitcoin にまつわる議論はコンテンツではなく金に関するものだし、イノベーションが格段に早いペースで起きている(Bitcoin へのベンチャー投資はインターネット黎明期の投資よりもハイペースになっている)し、一般向けメディアでの言及も増えつつあるし、各国政府が Bitcoin に強い関心を示しているわけだし。米下院議員の Steve Stockman が提唱した、Bitcoin に対する規制に5年間のモラトリアム期間を設けることなどは良案に思える。このことがいったいどうなっていくのかまったく見えないわけで、規制ではなく対話を重視したアプローチが肝要だろう。

僕はまた、レイヤーの切り分けと、他レイヤーは他レイヤーでなるようになるものとして、レイヤー単位でイノベーションを起こすことが有効に思える。言いかたを変えると、可能な限りレイヤーを切り分けた形で、個々の暗号通貨に依存しない取引所やウォレット、色つきのコイン、副次チェーンや他のイノベーションに関連した実験を進めることで、アーキテクチャそのものが結果的にどうなろうとも、得られた知見や生み出されたシステムが生き残りやすくなると考えている。

現段階は僕らがイーサネットやトークン・リングについて議論していた頃によく似た状況に思える。一般ユーザーにしてみれば、相互互換さえ確保できていれば結果的にどちらが採用になっても別にどうでもいいわけだ。しかし今回事情が違うのは、影響を受ける先が多くあり、動きが非常に早いため、失敗した場合のその様相とコストが我々がインターネットを編み出そうとしていた時よりはるかに手痛いものになる可能性があることで、これらの動きに注目している人の数も格段に多いことだ。

Edge恒例の質問は、今年は「思考する機械についてどう思うか?」だった。

僕の答えは以下のとおりだ:

「考えることについて考えるには必ず、何かについて考えることを考えることになる」 ― シーモア・パパート

思考する機械について僕がどう思うか、という問いの答えは、その機械が考えることになる対象による。僕自身は明らかに、AIおよび機械学習が社会に大きく貢献すると信じている一派に属している。人間が苦手としていることを、機械がはるかに上手にこなすことがわかってくるだろうと期待している。大量のデータ、速度、正確さ、信頼性、従順さ、演算、分散ネットワークおよび並行処理などがからむ事項だ。

ここにはパラドックスがある。我々はどんどん人間に近い挙動をする機械を開発しつつあると同時に、子供たちにコンピューターのように思考し、ロボットのように行動するよう促す教育システムを作り上げてきた。そして我々の社会が現時点でのニーズに合わせたスピードでスケーリングや成長を果たすには、信頼でき、従順で、勤勉で、物理的な筐体をもち、演算能力をもつユニットが必要だと判明した。なので我々は何年もかけて、いいかげんで感情的で気まぐれで言うことを聞かない人間たちを、肉でできたロボットに変換していったわけだ。幸い、機械的・デジタル的存在であるロボットやコンピューターが、早晩、それらを模すように教育された人々に対する需要を軽減したり、場合によっては払拭する一助となるだろう。

それでもまだ我々は、完全とは言わないまでもロボットなどが人間にほぼ近い性質を示す世界、すなわち「不気味の谷」に、ロボットデザインの発展が我々を近づけるほどに想起される、恐怖や嫌悪感を乗り越える必要がある。これはコンピューターアニメーション、ゾンビそして義手について言えることだが、不気味の谷へは両方向から近づくことができる。スマホの音声認識システムが聞き取りやすいように声色を変えたことがある人なら、我々人間の側からも不気味の谷に少しずつ踏み込んでいくことができることを理解しているだろう。

我々がこのような嫌悪感を覚える理由についてはいくつもの仮説があるものの、僕には、人間が自分たちを特別な存在だと思っていること、すなわち一種の実存的エゴが一因に思える。これにはもしかすると一神教関連のルーツがあるかもしれない。西洋の工場で作業員らがロボットを大型ハンマーで叩いていた頃、日本の作業員たちは工場で同じようなロボットに帽子をかぶせ、名前をつけていた。2003年4月7日には日本のロボットキャラクターである「アトム」が埼玉県新座市の住民として登録された。

これらのエピソードが何かを示唆しているのだとしたら、それは、精霊信仰に基づけば、我々人間が万物の霊長ではないかもしれないことにそこまで抵抗を感じずにすむのかもしれない、ということだろう。自然を、万物、すなわち人間や木や石や川や家などすべてが何らかの形で命をもちそれぞれが魂を宿している、複合的なシステムなのだとみなせば、神が我々のような姿をしていたり、我々のように考えていたり、我々のことを特別扱いしてくれたりしなかったとしても、べつだん問題にはならないのかもしれない。

なので、人類がこの自問自答を始めたこの時期に生きていることの最大の利点の1つは、人間の意識の役割についてより大きな疑問を持てることかもしれない。人間は巨大で複雑なシステムの一部に過ぎず、それは我々の理解を超えて難解なものなのだ。魂を宿した木、石、川や家と同様に、コンピューター上で動作しているアルゴリズムも、この複雑なエコシステムの別の一端に過ぎないのかもしれない。

我々人類は進化によってエゴを獲得し、自己というものが存在する気になってはいるが、これは概ね自己欺瞞であり、個体としてのヒトが進化動態の枠組みの中で有用な働きができるようにするためのものだ。その中から生じる道徳観も自己欺瞞の一種なのかもしれない。我々はもしかすると、究極的にはすべてが無意味なシミュレーションの中に生きているかもしれないのだ。そうは言っても我々の倫理観や良識が無意味とは限らない。僕に言わせれば、我々は自分たちが特別だと言い張らずとも、複雑で相互に繋がったシステムの一部である責任感を発揮できるんじゃないだろうか。機械がこれらのシステムの中で重要な役割を担うようになればなるほど、その台頭によって人間たちの間に自分たちがはたして特別なのかという議論が満ちていくであろう。それはよいことかもしれない。

もしかすると、我々が思考する機械についてどう思うかという命題は、別にどうでもいいことかもしれない。機械らは「思考」するだろうし、システムはそれに適用していくだろう。複雑なシステムの常で、結果は概ね予測不能なのだ。現状は現状のとおりで、今後はなるようになるわけだ。我々が今後に関してする予想のほとんどはおそらく絶望的なほど間違っていて、気候変動の例にあるように、何かが起きているという認識と、それに対して何か対処をするということはしばしば、ほとんど無関係なのだ。

以上は非常にネガティブで敗北主義的な見解に聞こえるかもしれないが、僕は実はかなり楽観的で、これらのシステムは非常に順応力と耐久性が高く、何が起きたとしても美しさや喜び、楽しさは存続するだろうと思っている。そこに人間たちの役割があると願いたいし、あるんじゃないかと思っている。

どうやら我々人間は、素晴らしいロボットを作り出す力はそこまではないが、機械に実装するには複雑すぎて不可能かつリソースの無駄になるであろう、気まぐれで創造的な事をしでかすにはとても向いているようだ。理想的には教育システムが、我々を機械のまがい物に仕立てようとするのではなく、人間ならではの強みをより全面に押し出した形に進化してくれるといいのだが。人間は(と言っても必ずしも我々の現在の形での意識や、それにまつわる直論的な哲学のこととは限らないのだが)ごちゃごちゃしたものや入り組んだものを、芸術や文化、意味に昇華させるのがけっこう得意なのだ。人間と機械がそれぞれ最も得意とすることに注力していくことで、相補的な素晴らしい関係性を築いていけるはずだ。人間が半導体ベースの類縁たちの効率性を活用する一方で、彼らは我々のごちゃごちゃした、いいかげんで、感情的で創造的な肉体や頭脳を活用してくれる、そんな関係が。

我々が向かう先を混沌だと考える向きも多いようだが、高まりつつあるのは混沌の度合いではなく複雑性なのだ。インターネットが体外のあらゆる要素を広大で制御不能に思えるシステムへと繋げつつあるのと同時に、我々は自らの生命の内奥を掘り下げれば掘り下げるほど、無限の複雑性を発見しつつある。頭脳がすべてを統制している気になってはいるものの、体内の微生物叢は我々の衝動や欲求や言動に影響を与えて自らの生殖と進化を支援させているわけで、人間と、人間が作り出した機械のどちらが本当に主導権を握っているのかは、いつまで経ってもはっきりしないかもしれない。しかし我々はもしかすると、周囲の他の生物たち、物、そして機械とより謙虚な姿勢でつき合えばいいところを、自分たちが特別であると信じ込むことで、より大きな被害を招いてきたのかもしれない。

3年前にMITメディアラボのディレクターに着任した時、僕の主たる「前職」はスタートアップ起業への投資と助言だった。僕は主にインターネット関連のソフトウェア系・サービス系の会社(Twitter、Flickr、Kickstarter など)に投資をしていた。メディアラボおよびMITに所属することになったのは、僕にとってはちょっとした方針変更だった。世界に影響を与えるという観点では、アカデミアは根本的に別のモデルであり、商業化するのがそこまで容易ではない基礎的な科学や技術に焦点を当てたものだからだ。

メディアラボ着任後にそこの事業に注力できるように、僕はスタートアップ起業への投資をやめる決意をした。(正式にラボでの仕事を始める前に、メディアラボ同窓系の会社である LittlebitsFormLabs に投資していた。)メディアラボとMITについて学ぶことに没頭する中で、各種の科学や技術がこの世に出てきた流れについて学び、考え続けた。とりわけ、人の健康に多大な影響を及ぼす生物医学研究が、多額の先行投資を必要としており、他分野とは大きく異なる様相を呈している点に好奇心をそそられた。僕は生物医学研究についてほとんど知らなかったが、強い興味をおぼえたのだ。

MITに着任する以前から Bob Langer(ボブ・ランガー) の話は耳にしていた。生物医学研究の商業化への貢献、および、バイオエンジニアリング(生体工学)分野の躍進の一助となったことで有名な人物だ。特許を1050件持っていて、何十人もの研究者のグループが傘下にいる。Bob はMITに11人いる、Institute Professor(インスティテュート・プロフェッサー)と呼ばれる、卓越した業績を認められ、各学部長ではなく総長直属となっている教授職の1人だ。

去年6月、Bob の元教え子で、彼のラボ発のスタートアップを経営していた David L. Lucchino(デビッド・L・ルッチーノ)が Bob Langer および友人数名を含むメンツでレッド・ソックスの試合(僕自身は初観戦)に呼んでくれた。隣に座った僕に、Bob が自分の分野について、およびMITでの物事の進め方について教えようと提案してくれた。以後、Bob は僕にとってまさしく師匠と呼べる存在になったし、今ではメディアラボとも提携してくれている。メディアラボを拠点とし、MIT全域におよぶイニシアチブである、Center for Extreme Bionics(先鋭的生体工学のための研究センター)との連携下で、人間の身体障害を取り除くことに焦点を当てた多種多様な技術に取り組んでもらっている。

最近になり、Bob から関連のあるプロジェクトとして、彼がPureTech という会社で協働創設者および上級パートナーとして取り組んでいる仕事について聞かされた。PureTech は主に医療および生物医学分野にて、科学と工学を使って革新的な製品や会社を生み出すことに注力しており、研究者に足場を提供するとともに、技術および会社の初期段階に資金援助しているのだ。

同社では上級パートナー、研究者そして起業家からなるチームが、様々な開発段階にある計11のプロジェクトに取り組んでおり、会社の舵取りは創設者兼CEOである Daphne Zohar(ダフネ・ゾハール)が担っている。表面上はインキュベーターに見えるものの、実際はいくつもの点で新しいモデルと呼べる。PureTech 社内で実際にトランスレーショナル・リサーチ(基礎研究から応用分野におよぶ研究)が行なわれており、PureTech のチームは創設者としても、研究所の運営や実験の実施などの面においても、積極的に活動しているのだ。

Bob の話では、ソフトウェア/インターネット関連の要素がからむ PureTech 系の会社が増えつつあるため、取締役会に同エリアの専門家をもっと入れたいと考えているとのことだった。これは僕視点では理想的なチャンスに思えた。一線級の皆さんに混じって医療、生体工学そして生体医学技術に関する対話に参加しつつ、僕に経験のあるビジネスの一分野のノウハウを提供できそうだと考えた。

医療は万人に関係のあるものだ。我々の誰もが多かれ少なかれ患者兼消費者であり、患者は今後ますます、医療に関する意思決定の中心となっていくだろう。そしてウェアラブルデバイスの台頭により、リアルタイムで我々の生理状態を測定できる技術が普及することになるだろう。技術と臨床の距離が縮まるにつれ、デジタル技術もますます医療の主流に入り込んできて、「electronic medicine」 (電子医療)と呼ばれつつある、驚異的な成長余地を秘めた真新しい分野を形成していくだろう。インターネット系/技術系の会社が判断材料として活用している大量のデータは医療にも活用可能で、リアルタイムでの疾病モニタリングや、ターゲットを絞った新たな患者との連携などが可能になっていくだろう。

先日僕も同社の取締役に就任し、連携先の2社に注力している。1社は Akili という会社で、認知力ゲームを通じた認知力の問題の診断と治療を探求しており、もう1社は学際的なデジタルヘルスプロジェクトを、現在はまだステルス状態で進めているところだ。

医療と生体工学は急成長中の刺激的な分野だと思うし、これらの分野の優秀な研究室がケンドール・スクエア/ケンブリッジエリアにたくさんあるため、立地的な優位性もあると考えている。PureTech が新しい形で人の健康に好影響を与える効果的な筋道をつける一助となればと思うし、僕自身も学び続けながらそれに貢献することを望んでいる。

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メディアラボに着任して最初に学んだ言葉のひとつに「antidisciplinary」(脱専門的)というものがある。新設の教員職の求人情報に、必要条件として記載されていたのだ。異なる専門の人々同士が連携することを「interdisciplinary」(学際的)と言うけれど、脱専門的なプロジェクトというのは、いくつかの専門分野の総和ではなく、真新しい何かを意味している。「脱専門性」という言葉自体、定義が難しい。僕自身は、従来の学界的な意味での専門分野の区分けに適合しない何か、もしくは誰か、すなわち独自の語句、フレームワークや手法をもつ研究分野、の意味に解釈している。研究者の多くは、論文審査(ピアレビュー)のある著名な専門誌への掲載回数でその実績をはかられる。論文審査は通常、ある人が属する専門分野の実力者たちが、その人の仕事をレビューして、重要かつ独創的であるかどうかを判断するというものだ。この構造ゆえ、研究者は型破りゆえにハイリスクなアプローチよりも、自分の専門分野での少数の専門家に認めてもらうことに注力しがちになる。この力学が、より狭い範囲の内容をより深く探求していくという、研究者のステレオタイプを助長している。超専門化により、異なる専門分野の人々が他分野の人々と連携することはおろか、コミュニケーションすらとりにくくなってしまっているのだ。僕にとっては脱専門的な研究とは、数学者 Stanislaw Ulam(スタニスワフ・ウラム)の有名なコメントに類似するものだ。彼は非線形物理学の研究を「ゾウ以外の動物の研究」のようなものだと称した。脱専門性とは、まさしくゾウ以外の動物に着目することを意味する。

メディアラボは「独創性、インパクトそして魔法」に注力している。ラボの学生および教員は、ユニークなことに取り組むべきである。別の誰かがやっていることに取り組むべきではない。別の誰かが同じことを始めた場合、ラボ側では中止すべきだ。我々の取り組みはそのすべてがインパクトを与えるものでなくてはならない。そしてそれは我々に情熱を沸き起こすものであるべきで、漸進的な発想にとどまるべきではないのだ。ここでの「魔法」とは、インスピレーションの元になるプロジェクトに取り組むべしということだ。「Lifelong Kindergarten」グループでは、研究者がしばしば「創造的な学びの4つのP」として「Projects」(プロジェクト)、「Peers」(仲間)、「Passion」(情熱)そして「Play」(遊び)を挙げる。遊びは創造的な学びには非常に重要なのだ。報酬とプレッシャーで人を「produce」(生産)するように仕向けることが可能だと示している研究は多々あれども、創造的な学びそして思考には遊びによって生じる「余地」が必要なのだ。プレッシャーや報酬はしばしばその余地を減じさせてしまうため、結果的に創造的な思考をつぶしてしまいかねない。

メディアラボで求めている種類の研究者とは、既存の専門分野の中間に位置しているか、あるいはそれらを超越しているため、どの専門分野にも当てはまらない人材なのだ。僕はしばしば、自分のやりたいことを他のいずれかのラボか学部でできるなら、そっちでやるべきだとコメントする。やりたいことをできそうな場所がメディアラボしかない、という人だけがうちに来るべきだと。メディアラボは脱専門的なはみ出し者の巣窟に他ならない。

我々が生み出した「余地」について考える時、僕は「すべての科学」を表す巨大な1枚の紙をイメージする。各専門分野はこの紙の上の小さな黒い点であり、点と点の間にある広大な白紙部分が脱専門的な余地に当たる。この白い余地でのびのびやりたい人は大勢いるものの、そこに対する出資は非常に限られており、黒い点のどれかに専門的な足がかりがないと、在職権のあるポストに就くのはさらに困難となってしまっている。

我々が様々な分野や視点の協力を必要とする、より困難な問題に取り組んでいくにつれて、専門分野同士の乖離によるマイナスがますます大きくなっていっている印象だ。複雑怪奇なシステムである人体は、尋常じゃないほど集学的な分野となってきた。我々は本来、「唯一の科学」と呼べるものに従事すべきなのだが、現状では異なる専門分野がモザイク様に散在しており、口にする言語や顕微鏡の設定があまりにも異なるため、同一の問題に取り組んでいてもそのことにお互い気づかないことすらあるのだ。

Hugh Herr(ヒュー・ハー)、Ed Boyden(エド・ボイデン)、Joe Jacobson(ジョー・ジェイコブソン)、Bob Langer(ボブ・ランガー)率いるメディアラボのCenter for Extreme Bionics(先鋭的生体工学のための研究センター)では、機械工学から合成生物学、神経科学に至るまでのあらゆる知見を用いて、多種多様な身体障害を打ち消すという挑戦を続けている。これらの専門分野は多種多様すぎて、従来の学部や研究室の枠組みでは決して協働できないだろう。
メディアラボの共同創設者である Nicholas Negroponte(ニコラス・ネグロポンテ)はかつて、アカデミア在職者は「publish or perish」(論文発表無き者は滅ぶ)だという格言をもじり、メディアラボの在職者の規範は「demo or die」(実証無き者は無価値)だとの金言を打ち立てた。僕はこれをさらにもじり、「deploy or die」(実装無き者に明日は無い)をモットーとしたい。メディアラボの全教員および学生は、自分たちの仕事が究極的に世の中に対してどのような形で実証されるのかを考え続けてほしいし、それを自らの手でなしえるなら、さらに素晴らしいことだ。

連携して大がかりなプロジェクトに取り組むというこの考え方により、分野の垣根を越えて研究者たちが繋がっていき、多数の分断された専門分野ではなく、一つの科学へと融合していくのではなかろうか。専門分野はまだ必要であり続けるだろう。しかし、このような高次の取り組みに注力するとともに、学界や研究費のあり方を改革することで専門分野間の広大な白紙部分、脱専門という大いなる余地で活躍する人たちの数を増やしていくべき頃合いだと、僕は考えている。
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追記:メディアラボの教員の1人から、各専門分野は小さな点というよりも幅が広めの帯状になっており、引用件数の多い論文の多くは、斬新な「脱専門」的余地に位置するものだ、との指摘をいただいた


自分の24歳の誕生日はとても明確に記憶している。1990年で、映画「インディアン・ランナー」の共同制作責任者の仕事を終えたところだった。東京の六本木にあるナイトクラブを、シカゴの「The Smart Bar」のチームと共に経営していた。マドンナが「ヴォーグ」をリリースしたばかりで、シカゴのハウスミュージックがアシッドハウスに進化し、レイブシーンが盛り上がっていた。世界も僕の人生も、楽しくて騒がしい時期だった。

僕が最初にTimothy Leary(ティモシー・リアリー)に出会ったのは共通の友達である、当時 Kyoto Journal の編集長を務めていた David Kubiak(デビッド・クビアック)を通じてだった。レイブシーンにより1960年代的テーマがいくつもリバイバルしていたため、ティムに会えるのを非常に楽しみにしていた記憶がある。僕は意識と精神について書いた本をいくつか読んで自分の進むべき道を見出そうとしていて、そこにはティモシーがしばしば、中心的役割を担う人物として登場していた。直近では Robert Anton Wilson(ロバート・アントン・ウィルソン)著の「コスミック・トリガー」という本を読んでいた。その本では著者が最初に読み手に対し、その本に書かれているすべてがウソであると伝え、その後、かつてないほど素晴らしく精緻な陰謀論を語り紡いでいたのだった。その本で Wilson はjoi「23」が魔法の数字であり、ティモシー・リアリーが宇宙人たちから「通信」を受けたのだと説明していた。僕は何を信じていいのか、そもそも何かを信じるべきなのかを判断しきれずにいたものの、当時、世界は秘密であふれていると確信していて、自分もそれらを知りたいと思っていた。

ティムと共に、当時六本木の中心にある交差点に立っていたのを覚えている。夜、街に繰り出す時には誰もが待ち合わせていた由緒正しき喫茶店の店名から、「アマンド」と呼ばれていたあの交差点だった。新進のサイバーパンクシーン、その日本での展開についてそこで立ち話をしていて、僕はティモシーに、自分が24歳になったばかりで、歳が魔法の数字のはずの「23」であるうちに何か神秘的なことが起こるとばかり期待していたことを話した。そして彼に、コスミック・トリガーに書かれた『スターシード通信』についても尋ねた。ティモシーが笑いながら、あれは丸々ジョークなんだと教えてくれた様子を明確に覚えている。あの本に書かれたすべての内容、および彼らが話題にすることの大半はひとつの壮大な冗談であり、まったくもって信じていいものではないのだと。その一瞬で、僕が信徒であった宗派の導師だったはずのティモシーにより、道から転げ落ちてしまったのだ。

ティモシーはその後、別のジョークも聞かせてくれた。

「ヒッピーの一団が人生の意味を求めてインドに行った。何年も何年も山々を登り、答えを知っている導師を探し求め、ようやく人生の意味を知っているとされる導師を探し当てた。彼らが『人生の意味とは?』と彼に尋ねると、導師は『濡れた鳥は、夜は飛ばない』と答えた。ヒッピーたちが『飛ばないのか?』と尋ねると、導師が『飛ぶのか?』と聞き返した。」

これは僕がこれまでの人生で学んできた精神面の教訓のうち、最も重要なものだ。その日の晩、ティモシーにジェットコースターのごとく東京のナイトライフシーンを見せてまわり、彼が後に「ニューブリード」と呼ぶことになる日本の若者たちを紹介した。技術と文化に精通し、ドロップアウトするんじゃなくて自分たちが主流になりたがる、新たな若者文化のことだ。ティムは自分のスローガン「スイッチを入れ、波長を合わせ、消し時を見極めろ」をいじって「スイッチを入れ、波長を合わせ、自分の波を流せ」に変え、僕をゴッドサンとして迎え入れた。ゴッドサンの役割はゴッドファーザーに学びをもたらすことだと説明された。僕らは一緒に本を書き始め、そのテーマを軸に公開イベントをいくつか開催した。

ティモシーは常に「権力に疑問をもち、自分で考えろ」と言ってまわっていた。覚えているのは、彼と僕とで講演をしたイベント後に、若者の一団がティムのところに来て、「で、僕らはいったいどうすれば!?」と尋ねたのに対し、彼が「自分で考えろ!」と怒鳴ったことだ。ティムと一緒にいる中でわかっていったのは、人々は導師役を欲しており、自分が導師ではないのだと説明しようとすればするほど、自分が実際は導師で、この世の秘密を教えてくれうるのだと、より多くの人が確信することだった。人々は「答え」と呼べるものを求め、何らかの目標に到達したいと欲しているのだった。しかし、答えも目標も、そもそも存在しないのだ。「勝ち」なんてものはないのだ。

ティモシー・リアリーによって自分本来の「悟りへの道」を踏み外させられた後、現在に至るまで、僕は好奇心と懐疑心の両方を伴ったスタンスで、様々なスピリチュアル系や気づき系の探求、追究をやってきた。今思えば、ティモシーは精神的な道というものの存在を実は信じていたんじゃないかという気がするけど、僕があの時たどっていた道そのもの、そしてその道についての僕のナイーブな認識は、さらなる探求心をもって一から出直せるように、あの時点で完全に粉砕されてよかったのだろうと思う。

僕は導師的存在の吸引力や、自分自身が導師的なものと誤解されるようなことをかなり頑張って避けてきた。これまでに大勢の方に師事し、様々な瞑想やマインドフルネス(気づき)の方法論を試してきたが、まだ自分では初心者だと思っている。僕はここまでの旅路にはとても満足しているし、人生1年1年、毎年より多くの幸せを享受し、より面白く感じている。自分の人生の鍵となる時点で軌道修正をしてくれたティモシーにお礼を言いたい。

去年、Eメールでのやりとりで、タフツ大学に短期間だけいた時からの古い友達、Pierre Omidyar(ピエール・オミダイア)が、Tenzin Priyadarshi(テンジン・プリヤダルシ)を訪ねたらどうかと書いてきた。Tenzin は MIT の Dalai Lama Center の責任者で、会って話して一緒に講座をやってみようと決まった。最良の学びは教えることで得られるという格言にあるように、僕は講座で教える側にまわることでマインドフルネスについてもっと学び、実践面の修練もできるだろうと、二つ返事で話に乗った。

テンジンと相談して、講座名は「Principles of Awareness」(意識性の大原則)に決めた。

意識とは何か。自己意識は最初から備わった状態なのか、それとも練磨によって成されるものなのか。アウトプットや心地よさの改善に寄与しうるのか。技術は意識を高めたり、あるいはその足を引っ張ったりする要因になるのか。我々が意識をもちうるこの能力に、倫理的な枠組みはあるのか。自己意識は幸せに繋がるのか。我々の講座は体験学習的な学習環境で実施し、学生/参加者が意識にまつわる様々な理論や方法論を掘り下げることができるようにする。学生には公開で記録を残すことを義務づけて、方法論や評価などを記録してもらい、講義中に定期的に成果や観察内容をプレゼンしてもらう。最終的なプロジェクト内容は、「アウトプット」や「心地よさ」に注目した、意識にまつわるツール、方法論、インターフェースなどの評価となる。

クラスミーティング(オンラインおよびオフライン)では実践、レクチャー、そして招聘講師や専門家とのディスカッションなどを行う。講義の一部は一般にも公開する。実践は瞑想からハッキングまで幅広い内容となる。

先週水曜日に実施した第1回目の講義は実に興味深いものだった。学生の顔ぶれは多彩で、瞑想が初めてという学生も何人かいる一方で定期的に祈りを捧げる(瞑想の一種)習慣をもつ者もいた。マインドフルネスの様々な形での実践経験をもつ面々もいた。意識に関する話し合いにおいて、テンジンと私で瞑想についてたくさん話した。学生の1人が僕に、「で、その頻繁におっしゃっている『あちら』とは何のことですか」と質問してきた。僕は、自分が瞑想時に行く、あの真なる自然と繋がる「場所」を「あちら」と呼んでしまっていたことに気づいた。瞑想の技術やスタイルによって、至福の場となりうる「あちら」を。「あちら」は「悟りの境地」でもありうる。テンジンがすぐにフォローを入れ、「あちら」にたどり着くことに注目してしまうと全員が「あちら」に行きたがってしまい、趣旨とずれてしまうことを説明した。

まったくもって同感だ。気の動きと瞑想を統合した中国発の氣功について、僕が耳にした最も有用なコメントは、目的意識をもつべきではない、ということだ。氣功には「勝ち」などないのだ。目的はよりよい状態になっていくことではなく(やっていくうちになることはなるのだが)、実践そのものが目的なのだ。僕に言わせれば、瞑想そのものも同様だ。自分とか他人相手に「勝つ」ことが目的ではないのだ。このブログ投稿を書く行為自体も、自慢げに思えたり、「何でも知ってるぞ」感が伴ってしまう気がしていているが、実践の要点はそこではないのだ。どんな形での実践もやればやるほど上手くなっていくし、成長を嬉しく感じるのは悪いことではないものの、マインドフルネスと瞑想のそもそもの目的は自分が「今」にいることで、目的意識や利己主義にかられたり、未来や過去に気をとられることではないのだ。

人が自分の瞑想の実践について自慢するのを聞くとどうかと思うし、これまで僕は瞑想やマインドフルネスの話題は、自分たちの体験を話し合う際に少人数の方々としかしていなかった。しかし、意識に関する講座を担当し、学生たちに体験を残らず共有しろ、その公開ログを書け、などと求めている今では、僕自身もそうすべきだと感じた次第だ。

今後数週に渡って、僕の実験や観察の一部についてさらなる投稿ができればと思っている。

Synbiota(シンバイオータ)について初めて耳にしたのは今年のSXSWi で彼らが Accelerator Award を受賞した時のことだった。発表によると Synbiota は世界中の科学者、研究者、大学などを繋げ、遺伝子工学を用いて複雑な問題を解決するバーチャル連携サイトとのことだ。彼らはその週のうちに世界初の大規模オープンオンライン科学(Massive Open Online Science、MOOS)イベントの実施を発表した。「#ScienceHack」と銘打たれたそのイベントは、世界中の何百という研究者たち(よくわからない僕らみたいなのも含む!)が新型の「ウェットウェア」キットを使い、本来なら高額すぎて作れない部類の医薬品を数分の一のコストで作り出す、というものだった。

ひと月後、以下のメールが届いた。

From: Connor Dickie
To: Joi Ito
Cc: Kim de Mora
Date: Apr 17, 2014, at 11:12
Subject: ML alumni wins SXSW prize for SynBio startup & Invitation to #ScienceHack
From: Connor Dickie
To: Joi Ito
Cc: Kim de Mora
Date: Apr 17, 2014, at 11:12
Subject: ML alumni wins SXSW prize for SynBio startup & Invitation to #ScienceHack
(件名:メディアラボ卒業生が合成生物学でSXSWを受賞 /#ScienceHack へのご招待)

合成生物学およびプラットホーム「Synbiota」を使って実効のある医薬品を数分の一のコストで作成する分散型科学の試み「#ScienceHack」ご参加のお誘いです。#ScienceHack は先日、O'Reilly Radar から最も意欲的な分散型科学プロジェクトと評されました。生命工学に興味をお持ちかと存じますので、この機会にご参加いただければと思い、ご案内いたします。

ご参加いただくのは簡単です。我々のウェットウェア・キットのひとつである「Violacein Factory」(ヴィオラセイン・ファクトリー)を私から郵送します。また、同キットの使用に関心がありウェットラボ系の技術もお持ちのiGEM HQ の Kim de Mora 氏に紹介します(本メールをCCしてあります)。in silico(コンピューターシミュレーション)での設計、および実際のDNA断片の作成を合わせて、所要時間は1時間半ほどでした。培養などは Kim 氏が対応します。約5日後に彼のラボを再訪すれば結果をご覧いただけるはずです。

Violacein Factory キットを先日、地元であるカナダで作成し、その後ニューヨーク市での Genspace でも作ったのですが、誰もがそこから多くを学び、ヴィオラセイン生成生命体の最適化という我々の目標に向け、有意義な進展が得られました。

私はカナダからの商工系の派遣団の一員として27日から30日までボストン/ケンブリッジにいますので、もしご興味があれば、直接会って本件についてお話しできればと思っています。

よろしくお願いいたします。

Connor Dickie
http://alumni.media.mit.edu/~connord/


iGEM (International Genetically Engineered Machine)のことは知っていた。iGEM はMIT からのスピンアウトで、ロボットコンテストがロボットに興味のある子供たちを集めてハックさせたり学んだり競争させたりするのと同様に、高校生と大学生が一堂に会し、DNA をハックする機会となったものだった。iGEMは今や Jamboree イベントで2000人を超える学生を集めているが、すごいのは、最先端の合成生物学を大衆に普及させていることだ。

ヴィオラセインは自然に存在する紫色の化合物で、アマゾンなどの熱帯地方の土壌中でみつかる Chromobacterium violaceum というバクテリアによって作られる。ヴィオラセインは、そのバクテリアが捕食しようとしてくるアメーバ性生物に対する自然防御機構として生成されるもので、抗寄生虫性が見込まれており、がんの治療薬としても可能性があるようだ。問題は、野生由来のものを獲得することが困難であるため、グラム当たり35万6000ドルもの費用がかかる点だ。

合成生物学を(僕が一番好きな学習方法である)直接的実践で学べる好機とくれば、見逃すわけにいかず、やらせてほしいと即答でこの話を受けた。そしてまずは組み換えDNAをいじるのに必須の安全講習を受講した。「研究者のためのバイオセーフティー総論」完了。「血液媒介病原体(研究者向け)」完了。肝炎関連情報フォーム、記入完了。衛生化学総論(ウェブ)および有害廃棄物の取り扱い(ウェブ)、完了!

その後、実際の手技を行うべき場所探しを始めたんだけども、そちらはけっこう大変だった。Synbiota から提供されるキットおよび作業行程は基本的に安全で非毒性ではあるものの、組み換えDNAおよびバクテリアを使った作業にはMITのちゃんとしたウェットラボが必要なのだった。そしてそのウェットラボは数が限られており、メディアラボの所長によるバイオあそびよりも大事な取り組みに使われているのだった。

チームの面々と話し合って必要なものを散々検討した結果、僕の自宅のキッチンを使うのが最も迷惑がかからないと決めたのだった。

7月27日。Synbiota チームと iGEM の Kim、そしてメディアラボその他からの多様な顔ぶれの研究者らが、Violacein Factory を使った #Sciencehack のために僕の家に集まってきた。まずは自分たちが何をしようとしているのかについての具体的なブリーフィングから始めた。

我々の目的は合成生物学を用いてヴィオラセインを合成する手法の最効率化におけるイノベーションで、この取り組みには他にも何百ものチームが参加している。

科学者たちの手によって、ありふれたアミノ酸の一つであるトリプトファンが Chromobacterium violaceum の代謝経路によりヴィオラセインに変換されることが判明している。この経路には5つの酵素と、それらの生成のための様々な遺伝子配列が関与している。これらの、いわば遺伝情報の「部品」と呼べるものは、DNA分子内の異なる位置に配列されうるため、組み合わせによって特性や長所・短所が異なってくる。最適な配列と組み合わせは現時点ではまだ特定されていない。

合成生物学用のキットを開発している Genomikon との共同設計で作られた #ScienceHack Violacein Factory Kit には、様々な遺伝的「部品」が一通り入った小瓶群と、それらを合成してプラスミドを作り出すのに必要な材料が含まれていた。Synbiota による説明は以下の通りだ。

本キットには、以下のものを除き、必要なものがすべて含まれています。
・ ice buckets and ice
・ 42 C water bath with epi tube floaty blanket
・ 37 C incubator
・ピペット、ニトリル手袋、ペトリ皿、PCRチューブ、白衣(生命工学が本格体験できます。でもテキトーなトレンチコートでも大丈夫!)
・氷バケツと氷
・42℃の水浴槽とエピチューブ用の浮遊ブランケット
・37℃の培養器
上記の物はいずれも、自宅にあるかインターネットで調達できるか、地元の大学のラボショップ、もしくは友人の科学者のストックを探せば手に入るでしょう。

iGEM のKim がiGEMラボから一式を持ってきてくれて、すべての器具について安全な使用のためのプロトコルのキッチンを実演指導してくれた。

Synbiota はこのような素晴らしい #ScienceHack プロジェクトを練り上げただけではなく、研究ノートをオンラインで公開して共有するための一連のオンラインツールを開発しているし(僕が買っておいたオシャレな紙製ノートはいらないようだ!)、とてもよさげなグラフィカル・インターフェースを通じた DNA 設計が可能だし、コミュニティとして合成生物学に取り組めるようにするためのあれこれ揃ったツール群を研究者に提供している。あらゆる要素が非常に練られたデザインとなっており、効果的に機能した。

まずは Synbiota のウェブサイトでアカウントを作成し、自分たちの研究ノートにログインした。Justin がヴィオラセインの代謝経路について説明し、オンラインの遺伝子エディタ「GENtle3」(参考動画)を使ってオンラインで遺伝子配列を設計する方法を教えてくれた。

「GENtle3」ではキットの一環として提供されている遺伝的な部品を、どのパーツ同士を繋げられるかのルールの範囲内でさえあれば、好きなように遺伝子配列内へとドラッグ&ドロップできた。僕が設計した配列は Anc-ABEDDDC-Cap だった。A、B、C、D、E はそれぞれヴィオラセインの代謝経路を構成する各酵素に対応している。(Sciencehack プロジェクト内でシーケンス(配列)タブを表示させれば、これを含む、設計された配列を確認できる。)

配列の最初には必ず「Anchor--Origin-X'」断片を入れる必要があった。電磁ビーズに繋がっているのがその部品だからだ。実はこれこそが、一連の素晴らしい手技をキッチンでも可能にした、鍵となる革新の一つなのだ。

キット内にはミクロン未満の電磁ビーズがあり、そこにアンカーパーツ(DNA鎖)が繋がっていた。これがどういうことかというと、小型ながら強力な外部磁石を容器であるエピチューブの外面に当てることで操作中の遺伝物質を残らずエピチューブの側面に寄せて、対象物を容器にしっかりと固定した状態でピペットなどを使って容器に液体を加えたり抽出したりできるのだ。

配列が設計できたら、次は実際の合成だ。手技としてはビーズをエピチューブに入れ、洗浄用の試薬を加え、洗浄用試薬を除去し、設計の次の部分に対応したカラーコードになっているチューブから遺伝子の部品を加え、ビーズ上にあるDNA鎖にその新たな部品を繋げるためにDNA用のノリとでもいうべき T4 DNAリガーゼを足し、余剰の物質を除去し、再び洗浄し、以下、ビーズに予定どおりの順番で部品を追加し終わるまでその流れを繰り返していった。理論上は、これで各ビーズに我々が設計したDNA配列(プラスミド)に対応した長いDNA鎖がそれぞれ繋がっているはず。

最後のステップでバッファを使ってDNA鎖からビーズをとりはずせば、残された小さな一滴の遺伝物質は、生きたバクテリアに導入することでトリプトファンからヴィオラセインを生成するのに必要な酵素が一式、合成可能になるわけだ。

次のステップは「転換」と呼ばれるもので、作ったプラスミドをバクテリア(我々の場合は E. coli)に導入する行程だ。 このトランスフェクション段階が容易に進む「優秀な」 E. coli 株も、よう、iGEM が生み出したものだった。転換を引き起こすために我々が使った行程はE. coli ともども遺伝物質を食塩水に加えて急速加熱し、遺伝物質を E. coli に吸収させる、ヒートショック法と呼ばれるものだった。ふと見ると、過熱用の器具に「MIT 備品管理室」のステッカステッカーが貼ってあった。ちょっとしたパンクロック精神の現れだね。ヒートショック後、養分やミネラルを含む液状物を加えて E. coli を「リブート」した。すなわち、目覚めさせて、導入したばかりのDNAコードを実行してもらえるよう、培養可能な状態にしたのだ。

その後、E. coli を抗生剤であるクロラムフェニコールと共にゼリーのようなエサ(培地)がのったペトリ皿に塗布した。配列の設計時に巧妙にもクロラムフェニコール耐性を高める遺伝的パーツを含めていたため、クロラムフェニコールによってペトリ皿上の他のバクテリアが一掃してくれるという仕組みだ。

こうしてペトリ皿を iGEM に送り返し、培養してもらった。結果はカンペキでこそなかったものの、ヴィオラセイン、および、代謝経路に関連した他の分子が生成されたようだった(他の誰かのでは違う色ができていたりした)。僕のペトリ皿の画像を見ると黒っぽいジグザグの塗布跡があるけれど、これは僕が設計して作り出したDNAが実行された結果、何十億というバクテリアが代謝他体を生成しているからだ。この時点ではまだヴィオラセインを作り出せたかどうかは確証がなく、さらなる確認と実験を要するものの、複雑な代謝経路の作成を初めて試みたにしては、正直悪くない。さらにすごいのが、僕が設計したいDNAは12,000塩基対というかなり長めのものなんだけど、#ScienceHack の次のステップはこれが丸々僕の設計どおりに合成されたかどうかを確認できる点んあおだ。我々は他のチームと設計、プロトコルおよび行程を共有した。次のステップで他のチームの仕事を見て改善可能な点がないか検討し、もう一度やってみるというわけだ。

2日半の作業で、我々は10年前だったらノーベル賞ものだった仕事をキッチンでやってのけた。遺伝子配列を設計し、それを実際に合成し、バクテリアに導入したうえでそのバクテリアをリブートしてみせたのだ。

また、従来の研究所の方式のようにひとつのチームが作業をして論文を発表し、他のチームが後からその仕事を再現しようと試みる形とは異なり、我々は作業中に仕事内容を共有しつつ、イテレーション、イノベーションそしてディスカッションを交えて進め、併存するラボからなるひとつの大所帯なチームとして取り組むことができたのだ。

何百もあるチームのどれかがヴィオラセインの合成、抽出そして精製の効率的な方法を発見できる可能性は高そうに思えるし、非常に稀少な化合物を作り出せる自作ビール製造装置のようなものを、誰でもヴィオラセイン製造工場が作れるような指示内容とともに研究者の皆さんに提供できる状態を、そう遠くないうちに達成できる見込みなのだ。

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注釈:上記の体験後、感銘を受けた僕は iGEM に寄付をし、Synbiota に投資することに決めた。


去年、メディアラボの学生グループが、僕の旧友でありハードウェアまわりの師である bunnie と中国の深川(しんせん)を訪問した。bunnie は、主に Xbox のハッキングやオープンソースのネットワーク化家電ハードウェアである「chumby」、多数の人々をハードウェア、ファームウェア、ソフトウェアの設計面で支援してきたことで、おそらくは最もその名を知られている。僕らにとって深川の窓口役である彼は、僕が知る誰よりも、中国の納入業者や工場のエコシステムを理解している。

彼のおかげでうちの学生たちは、我々の誰もが利益を享受しつつも、ほとんど目にしたり存在を認識したりすることすらないエコシステムを目の当たりにして、体験することができた。先週までは、学生たちの話やレポートを通じて間接的にはチェックできていたけれど、ようやく僕自身も bunnie と実際に深川を見てまわることができた。

bunnie は、大勢では入れない場所に行くのだしフットワークが軽いほうがよいのでグループをごく少人数に抑えるべきだと主張した。非常に幸運なことに、僕の旧友である LinkedIn 創設者の Reid Hoffman(リード・ホフマン)と、MIT総長の Marty Schmidt(マーティン・シュミット)も興味を示し、都合も合ったため、奇妙な顔ぶれのミニツアー団ができあがった。

ツアーの最初の目的地は、 AQS というカリフォルニア州フリーモントでも事業を展開している製造業者が運営する小規模の工場だった。同社は、主な事業として、回路基板にチップをとりつける作業をしている。工場内は表面実装(Surface-Mount Technology、SMT)用の機材であふれていた。コンピューター制御の空圧装置によってチップやその他の部品を拾い上げて回路基板上に配置するというものだ。何列にも及ぶSMT機器に加え、大勢の作業員がラインのセットアップ、機材のプログラミング、成果物のX線検査、コンピューターと目視による検査など、工程のなかで手作業のほうが経済的か、技術的に合理的な作業に従事していた。AQS は、メディアラボの学生である Jie Qi がデザインした回路ステッカーを作っている工場でもある。AQS の素晴らしいところは、bunnie の支援の下で、設立したばかりの企業や、中国国内で提携できる企業を見つけるのがこれまでは非常に困難だったであろうプロジェクトと密な連携をとり始めていることだ。そういったプロジェクトにとっては、起業家やうちの創造性豊かな学生との仕事にはつきものの、少量で、高リスクで、型破りなのが普通の注文がネックになっていたのだ。

技術の面以上に印象的だったのは、工場長の John や、プロジェクトマネージャー、エンジニアなど、bunnie が紹介してくれた人々だった。見るからに勤勉で経験豊富で、頼りがいがあり、bunnie や僕らの友人たちと仕事をするのを楽しんでいる様子だった。彼らはこれまでに製造されたことのなかったものを生み出すため、様々な新しいプロセスを設計、試行できるだけの技術と意志を持ちあわせていた。彼らの職人ぶりとエネルギーを見ていて、戦後の日本で製造業を築き上げた起業家やエンジニアたちもこんな感じの人たちだったんじゃないだろうかと連想させられた。

AQSを含め、訪問した小規模工場のすべてにおいて、作業員たちは工場をとりまく寮で生活し、食事と暮らしを共にしていた。生活費は全面的に工場から支援されるので、給料は丸々貯蓄か可処分所得かになっていた。また、工場長をも含む役員の全員が、作業員たちと共に暮らしていた。優良な工場を選んで訪問したからだろうとは思うけれど、誰もが満足げで、オープンなスタンスで、人間関係が非常に密な印象を受けた。

AQSの後で、プリント基板そのものを作製している King Credie を訪問した。プリント基板の製造工程は非常に洗練されたプロセスだ。そのプロセスでは、基板に層を足しつつ、それと同時に、はんだや金や、様々な化学薬品などの素材を使ってエッチングや印刷を行い、多数のステップと複雑な制御系を伴うものだ。その工場では非常に先進的なハイブリッド型プリント基板を扱っていて、セラミックの層や柔軟性の高い層などが含まれていた。世界のどこであっても、とても難しく特徴的であろうそれらのプロセスが、工場との密接な連携により我々でも接触可能になっているのだった。

我々は射出成形工場も訪問した。bunnie には前から、比較的複雑な射出成形を要するプロジェクトを手伝ってもらっている。携帯電話からベビーカーの座席部分まで、プラスチック部品の大半は射出成形工程で作られている。工程の一環として、プラスチックが射出される先、巨大な鋼鉄の型である「ツール」の製作が必要になる。ここで難しいのは、鏡面仕上げにしたい場合は型も鏡面仕上げにしなければならない点だ。製造時に誤差を1000分の1インチに抑えたい場合、鋼鉄の型も同等の精度で削る必要がある。また、プラスチックが型に開いた複数の穴から型の内部に流れ込む仕組みを理解し、内部に均等にいき渡り、曲がったり割れたりせず、冷えるようにしなければならない。

訪問した工場には精密機械工房と十分な技術力をもったエンジニアがいたため、我々が求める射出成形用のツールを設計して加工できる条件は揃っていたものの、我々の初回生産分のボリュームは、彼らにビジネスとして訴求するには少なすぎた。先方は何百万単位の発注を望むが、我々のニーズは千個単位だったのだ。

そこで、興味深い展開になった。そこの工場長が、精密な型の加工を中国で行ったうえでそのツールを米国内の工房に送って生産工程を動かしたらどうか、と提案してきたのだ。我々がクリーンルームでの工程を要件として挙げていたため、生産工程を米国内で動かすほうが安くあがるものの、彼の中国の工房がもっているようなツール製造の専門技術と対応力は米国の工房にはなく、仮にあったとしても、そのような付加価値サービスを考えると、中国の彼の工房のコストとは比較にならないだろう。

この逆転劇は、射出成形の技術、需要、ノウハウが深川に移っていることを示唆している。たとえ製造能力そのものは米国にもあったとしても、知識のエコシステムの重要な部分が、現在では深川でしか得られなくなっているのだ。

その後、bunnie に市場に連れていってもらった。半日そこで過ごしたが、建物や売店や市場からなる巨大なネットワークのほんの一部しか見られなかった。市場ではいくつかの大きな街区に5~10階建ての建物が立ち並び、それぞれの階に売店が所せましと並んでいた。建物ごとに専門分野があり、それは一つの分野であったり、あるいはLED から携帯電話のハッキングや修理までといった複数の分野であったりもした。ありがちな感想ではあるけど、秋葉原のどんな姿よりも「ブレードランナー」的に思えた。おそらくその大きな一因は、売り手の多くが工場を主たる商売相手にしているため、小売ではなく卸売を重視しており、ボリュームが大きく、種々のインターフェースが荒削りなことだと思う。

我々が市場で最初に訪れた一角で見た人々は、壊れたり捨てられたりした携帯電話を部品に分解してサルベージしていた。機能性がまだ残っていると判断された部品は取り外され、大きなビニール袋に詰められて売りに出されていた。これ以外にも、部品の出どころとしては、工場のラインでははじかれた部品を修理したり、部品の1つだけが検査に引っかかったプリント基板のシートがあったりだ。iPhone のホームボタン、wifi 用チップセット、サムスンのスクリーン、Nokia のマザーボード。何から何まであった。Bunnie がチップの入った袋を指し示した。米国だったら末端で5万ドルするものが500ドルで売られているそうだ。このチップは単体ではなくポンド単位で売られていた。では、誰がチップをポンド単位で買うのか? 我々が新品として買うあらゆる携帯電話を作っている小規模工場が、しばしば部品不足に陥り、市場に走っていってその部品を袋単位で購入し、ラインを止めずにすますのだそうだ。ATTから新品と思って購入した携帯電話も、どこかに深川でリサイクルされた部品が使われているというのは、きわめてありそうな話しだと思う。

これらの部品は、電話を修理する人も使う。修理は、スクリーンの交換といった単純なものから、全面的な再構築まである。スクラップパーツから組み上げた電話の完成品すら買える。「ケータイを失くしたので、修理してもらえないか?」ってとこだ。

電話がこのように「リサイクル」される市場以外にも、ラップトップ、テレビなど、あらゆるものについて同様の市場を目の当たりにした。

次に、少し系統の異なる市場に向かった。中に入るときに bunnie が小声で「ここにあるものは何もかも偽造品だ」と教えてくれた。「SVMSMUG」印の電話を始め、我々がふだん目にするあらゆる種類の電話に似たものがあった。しかし、最も興味をひかれたのは他では見られない外見のものだった。キーチェーン型、ラジカセ型、小型自動車、キラキラしたのから点滅するものまで、電話として思いつくあらゆるものが、驚異的な品揃えで並んでいた。その多くは「山寨」(さんさい)と呼ばれる偽造品業者がデザインしたもので、彼らは当初は既存の電話のパクリ品を作っていたものの、製造業のエコシステムとの近似性ゆえ、様々な新しいアイディアを生み出すアジャイルなイノヴェーション工房と化しているのだ。彼らは工場にも手が届く位置にいて、さらに重要であったのは、そこらの店で有名ブランドの電話製造業者の設計図を買えるため、その技(と秘密)にも手が届いたことだった。設計図と工場のエンジニアが最先端のことを教えてくれるため、それを自分たちの骨のあるデザインに応用し、より実験的でイカれたものを作っていけたわけだ。実はデュアルSIMカードフォンのように、その「偽造品業者」たちの手で発明された新技術も多数存在するのだ。

もう一つ驚かされたのは、コストだ。bunnie の話に出てくる、それらの電話の頭脳となっている非常に安価なチップセットがあって、それは中国以外では手に入らないのだが、どうやら約2ドルしかしないチップで、クワッドバンドGSM、Bluetooth、SMSなどに対応しているそうなのだ。フルフィーチャー電話で最も安価なものの小売価格は9ドル。そう、なんと9ドルだそうだ。これは米国で設計できるシロモノではない。これは製造用の機材を隅々まで知り尽くし、ハイエンド携帯電話の最先端技術を知っている、爪の下に工業用グリスが詰まったエンジニアにしか設計できなかっただろう。

知的財産はおおむね無視されているようで、仕事の秘訣や営業秘密は、家族、友人、信頼できる同業者からなる複雑なネットワークの中で限定的に共有されているようだ。これはオープンソースに近い雰囲気がするものの、別物だ。海賊版業者が知的所有権の居座り行為へと移行するのは今に始まったことではない。米国も、その歴史のごく初期に、独自の印刷業を発達させるまではあからさまに書物の著作権を侵害していた。日本の企業は、自分たちが時代をリードするようになるまでは米国の自動車メーカーをコピーしていた。深川もちょうど、国やエコシステムがフォロワーからリーダーへと変わる重要な転換点にあるように思える。

クアッドコプターの一機種、 Phantom Aerial UAV ドローンを作っている DJI 社を訪ねた時、そこには時代の先を走る会社の姿があった。同社は年間成長率が5倍以上というスタートアップで、消費者市場向けに設計された中では歴史上最も人気のあるドローンの1機種を手がけている。中国では特許取得数トップ10に入っている。各工場の技術の恩恵も受けつつも、知的財産の点ではクリーン(かつ積極的)であることの重要性も強く意識してきた会社だ。DJI は、シリコンバレーのスタートアップを、我々が訪問してきた工場の職人魂と仕事術とマッシュアップしたような印象だった。

我々はまた、非常にハイエンドで最大手クラスの、何百万台という電話を作っている携帯電話工場も訪問した。すべての部品は完全に自動化された倉庫からロボットによって配達されていた。プロセスも機材も一流で、世界のどの工場にも引けをとらない洗練ぶりだった。

一方では、非常に先進的な基板を、単体単位のボリュームで、手作業ゆえにケーブルテレビの月額程度の料金で組み立てられるという、小さな店も訪れた。肉眼では見ることすら困難なチップを手作業で基板にのせ、アメリカ人に聞いたとしたら5万ドルの機械によってしかできないと言われそうなハンダづけのテクニックを体得していた。僕が驚いたのは、彼らが視覚的な補助装置を何も使っていなかったことだ。顕微鏡も虫眼鏡も何もなし。米国の作業員は、この人たちのできることの一部はこなせるだろうけど、視覚的な補助は必須となるだろう。bunnie の説では、彼らは直感と筋肉の記憶でやっているらしい。神秘的で美しい光景だった。

PCH International 社も訪問した。資材が届くやいなや、組み立てられ、箱詰めされ、ラベルが貼られて出荷されていっていた。企業にとって、かつて工場から店舗まで3ヵ月もかかっていたことが、今やわずか3日でできるのだった。しかも全世界に届けられるのだ。

我々はフランスの起業家2人が市場区画の中央で運営するハードウェア系インキュベーター、HAXLR8R にも行った。

そこで体験したのはエコシステムと呼べるものだった。コンピューター制御で点滅するバーニングマンのバッジを50個作っている小さなビスポーク店から、ビッグマックを食べながら電話を組み立て直している男性、そして立ち並ぶ表面実装機に部品を届けようとロボットがちょこまか動きまわるクリーンルームまで。世界の最先端の製造技術をこの地にいざなったのは安価な労働力だったが、工場のネットワークと仕事のノウハウを生み出したのはエコシステムであり、またそれらが、このエコシステムがありとあらゆるものを任意のスケールで作り出すことを可能にしているのだ。

様々な試みはあるにせよシリコンバレーと同じものを別の場所にもう1つ作るのが不可能なのと同じ様に、深川で4日間過ごしてみて、僕はあのエコシステムは他のどこにも再現できないだろうと確信するに至った。マーティ、リード、bunnie と僕とでよく話題にしたのは、深川から学ぶことでボストンとシリコンバレー(そして米国全体)のエコシステムに貢献できるのではないか、そして深川とより深い繋がりをもつにはどうすればいいのか、ということだった。

深川にもシリコンバレーにも、より多くの人々と資源と知識を集める、クリティカルマスとでも呼ぶべきものがあるわけだけど、どちらも同じく、あふれんばかりの多様性を秘めた生きたエコシステムであり、どこの地域でもそう簡単には再現できないような職人魂とノウハウの基盤を備えている。

他の地域にもその地域なりの利点がある。ボストンはハードウェアとバイオエンジニアリングの分野ではシリコンバレーと競争できるかもしれない。ラテンアメリカやアフリカの一部地域なら、特定の資源や市場へのアクセスという点で深川と張り合えるかもしれない。しかし僕は、深川が、シリコンバレー同様に、エコシステムとしてあまりにも完成した姿を見せているため、深川と連携できるようなネットワークを作ったほうが、深川と直接競争するよりも、成功の可能性が大きくなるだろうと考えている。

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先日TEDトークにて、深川への旅行と考察について、よりハイレベルなコンテクストを発表させてもらった。

Andy Rubin
Andy Rubin - Photo by Joi Ito

ユーザーインターフェースのデザインは、ユーザーがそのシステムを理解し、制御できる力を持てるようにすることを目標とする。出力は画面やスピーカーから、入力はキーボードかタッチスクリーン、もしくはジェスチャーで行う。そしてそれらのユーザーは、我々の意識、すなわち、状況を掌握できていると思っている脳の論理的な部分であると想定されている。

しかしその意識は、自らが思っているほどには状況を掌握できていない。実際、意識よりも大きくて、大抵はずっと賢い精神、すなわち神経系のうち感情的で無意識で並行処理やパターン認識を担う部分は、意識を操作したり欺いたりすることすらあるのだ。このことはずいぶん昔に二重過程理論としてまとめられており、Kahneman(カーネマン)はそれらをシステム1(思考の広大で素早く自動的な側面)およびシステム2(理論的な検討と判断を行う小さな意識)と定義する。

我々の意識は基本的な適応機能を備えており、戦うこと、交配すること、あるいは一日の暮らしの中での些細な判断に至るまで、自信をもって臨めるようになっている。しかし我々が構築している自信とは、精神のうち小さく論理的な部分におけるものであり、頭の中の別の部分では違うと察しても、それでよいのだと、自らを欺いているわけだ。

このことはトリヴァース(Trivers)が報告した実験で述べられている。その実験とは、被験者たちは一連の音声を聞くように指示され、その中に被験者本人の声も混ぜているというものだ。被験者の自信の度合いによって、自分の声を他人のものだと誤認する者や、逆に他人の声を自分のものだと誤認する者が出た。興味深いのは、副交感神経系に通じているガルバニック皮膚反応を見ると、被験者の意識が欺かれた時にでも当人の声に一貫して同じ反応を示していたことだ。(Trivers, 1985年)

我々は、我々が下す判断であれ、自分がどのような気持ちなのかの自覚であれ、世界が常に秩序ある理路整然とした場所であり大抵の場合は何が起きているのかを理解できていると、自らに言い聞かせ続けている。しかし実際は、世界は複雑で混沌とした場所であり、世の中で起きていることの大半は、我々の体内での出来事も含め、我々の小さき精神の理解と(幸いにも)制御を超えたところにある。

よって優良なデザインとは、より広大で、高速で、感情的なシステムと繋がるものなのである。我々がフロー状態、ZONEなどと呼んでいるものは、単に我々の小さき意識が道を譲り、我々のより大きく直感的な精神が主導権を握れるようになった状態に過ぎない。バスケットボールを投げる動作にせよ、車の運転にせよ、我々の論理的な意識が各段階を調整しようとしたら、すべての段階を適切に連繋させるのは不可能に近く、困難だろう。しかし我らが小さき意識は、我々がその行為に熟達している場合には、残りのシステムが状況を支配できるように道を譲るだけの賢さは持ち合わせているのである。

だとすれば、なぜ我々は、システムの構築や把握の際、頑なに小さき精神の考えに基づいてそれを行おうとしてしまうのだろう? 限局的な知識や理論的な能力だけが評価対象となる学校のテストや、プルダウンメニューやマウスポインタといった、ユーザーがどこに意識を集中しているかに基づいたユーザーインターフェースのデザインなどを想像してみてほしい。

僕は、我々のシステムのうち、これまで考慮されてこなかった残りの部分に情報を送り、そこから制御的な信号を受け取るインターフェースの開発に注力すべきだと考えている。これは健康管理用のセンサー、補助ロボット、インターネットそのもの、サーモスタット、未来の乗り物などに適用できるのではないかと思う。

問題は、個人レベルでも集団レベルでも、我々の小さき意識が主導権を明け渡したがらない点だ。それには、時に意識を騙して、道をあけさせる必要がある。そこで欺まんの概念がデザインパターンの1つとして浮上する。

1800年代終盤、マサチューセッツ州スプリングフィールドの牧師兼体育教師ジェームズ・ネイスミス(James Naismith)は、厳しいニューイングランドの冬期、落ち着きをなくして荒れてしまう子供たちへの対処法を追求していた。彼らが毎年、冬季以外の9ヵ月間は得られている運動と協力と競争の機会を欲していることはわかっていた。

そこでネイスミスは、バスケットボールを考案し、子供たちが新しく楽しい遊びを通じて屋内で運動し、競争し、協力できるようにした。バスケットボールはとんとん拍子に成功し、各地のYMCAを通じて広まり、今日知られている人気スポーツへと発展していった。僕に言わせれば、彼があのスポーツに「ソーシャルボール」とか、「なかよしボール」といった名前をつけていたら、これほどの人気は得られなかった気がする。

この命名の控えめな欺まんは不道徳だっただろうか? 効果はあったのだろうか? ネイスミスが訴えかけようとしたのは、精神のどの部分だったのか? そしてその声はどの部分に届いたのか?

今日の我々は、自分たちの、自ら騙している意識に対して、どうしてほしいという要望を伝えるのに時間を割きすぎている。瞑想や遊び、祈り、もしくは欺まんを通じ、意識などが道を譲るように仕向けるのにもっと時間を使ってみたらどうだろうか。工業デザイナーのような発想(意識的なユーザーの意図に応えるためのデザイン)を減らし、もっとゲームデザイナーのような発想(各種の欲求や、精神の素早く非合理的な反応を想定したデザイン)をすべきではなかろうか。我々が自らにこうしているのだと言い聞かせている思考や行動からではなく、実際に行っている思考や行動から影響を受けるかたちで、医療用機器、コンピューター、乗り物、コミュニケーション用のツールをデザインする必要があるのだ。

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このフレームワークが最初に話題に出たのはJohn Maeda(ジョン・マエダ)との会話中だったと思う。発端となった見解は、芸術家と科学者の間の連携相性がよく、デザイナーとエンジニアとの間でも連携相性が良いのに対して、科学者とエンジニア、および芸術家とデザイナーだと相性が悪い、というものだった。エンジニアとデザイナーは物事の実用性に着目し、観察と問題の制約の把握を通じて解決法を編み出すことで世界を理解しようとする傾向にある。一方で芸術家と科学者は、自然や数学からインスピレーションを受け、純粋なる内的なクリエイティビティを通じて創造を行ない、単なる実用性などといった不完全なものではなく、真実や美しさなどの要素との関連が大きい形での表現や体現を追い求める。これはすなわち、脳には、左右の半球に分割する以外にも多くの分けかたがあることを意味する。

しかし僕は、面白く印象深い創造を行うにはこれら4つの象限をすべて使うことを求められる場合が多いと考えている。メディアラボの教員陣の多くはこのグリッド(僕は「コンパス」という表現がいいと思う)のど真ん中でやっていたり、あるいはいずれかの方向に偏重があったりするものの、4つの象限それぞれに属する能力を活かすことができている。最近「The Silk Pavilion」を生み出した教員の1人、Neri Oxman(ネリ・オックスマン)が言うには、彼女自身は芸術家でもあり、デザイナーでもあるものの、案を練っていく際に両方のモードを切り替えて取り組んでいくそうだ。「The Silk Pavillion」を見た限り、彼女が科学者やエンジニアの要件も容易に満たしそうなのは明らかだ。

我々がこのコンパスモデルの中心に到達するために活用できる教訓や考え方は多種多様にあると僕は考える。鍵となるのはこの4つの象限をできるだけお互いに近づけるように心がけることだ。学際的なグループであれば科学者、芸術家、デザイナーそしてエンジニアが連携して事にあたるだろう。しかしそれでは、これらの専門の間の区別が助長されるだけだし、プロジェクトや課題の要件に応じて4つの象限を併用できる人材に比べて格段に効果が弱くなる。

伝統的な専門分類が横行する環境や、機能的に分断された組織ではこの創造性のコンパスを活用できるタイプの人材は育たないが、変化の度合いが指数関数的に速まりつつあり、既存のものが崩れ乱れることが例外ではない茶飯事となった今の世界においては、我々が現在直面している課題、ましてや今後直面する課題に効果的に対処するには、この方法で発想するよう心がけるのが肝要に思える。

追記:この話題に関する良書をご紹介:Rich Gold(リッチ・ゴールド)著、「The Plenitude: Creativity, Innovation, and Making Stuff」(The MIT Press、2007年)
Richは4つの象限を「クリエイティビティの4つの帽子」と呼んでいる。

元の投稿はLinkedINに掲載。

Shaka and Joi

Shakaが著書「Writing My Wrongs」(自分の過ちを著す)をリリースした。彼のウェブサイトから購入できる。素晴らしい本であり、物語だ。今週、この著書の発売記念パーティーに出席した。Flickrに写真を何枚か載せておいたMITメディアラボのディレクターズ・フェローの1人でもあるShakaは、Knight FoundationのBME(Black Male Engagement)アワード受賞者であり、僕の友人の中でも屈指のインスピレーショナルな人物だ。彼の著書に序文を書かせていただいた。以下の通りだ。

MITメディアラボは2012年7月1日、Innovators Guild(イノベーターズ・ギルド)の創設を発表した。学者、企業家、デザイナーからなるチームが世界各地のコミュニティに出かけ、イノベーションの力で人々を助けよう、という試みだ。その最初の焦点になったのがデトロイトの街だった。

3週間後、我々一行の出張予算を出してくれたKnight Foundationが、デトロイトのコミュニティリーダーたちとの会合を設けてくれた。そこで我々はMITとメディアラボについてプレゼンテーションした。長年におよぶ未解決問題にどのような革新的解決法を提案できるか、それを探るためにデトロイトにやってきたのだと説明した。

質疑応答のセッションで、屈強そうな、ドレッドヘアの黒人男性が立ちあがって発言した。

「デトロイトに宣教師的な心構えでやってくる善意ある人々は多い。ところが我々の抱えた問題がどれほど大変かがわかると気持ちが萎えてしまう。本当に何かを変えたいのであれば、ミッドタウンやダウンタウン中心の美化されたデトロイトの姿を鵜呑みにせず、実際にコミュニティに飛び込んで、その中で取り組む必要がある。」

この他にも懐疑的な見解を述べたコメントはあったが、彼のこの言葉が特に印象に残った。我々は彼の言葉で初めて核心に触れ、真相を垣間見たように感じた。

会合の本編が終わるとその男性が声をかけてきて、Shakaと名乗った。我々さえよければデトロイトの真の姿を見せてくれると申し出てくれたので、即答でお願いした。次に現地入りした時、我々はダウンタウンを避け、デトロイトのウェストサイドにあるブライトモアに直行した。そこは荒廃した空き家や、防弾ガラス張りの酒店だらけの界隈だった。Shakaの話しには美しい要素は何もなく、それこそが真実だった。

現地入りして、何か善いことをして、ハイさようなら、なんて状況ではないことは皆すぐにわかった。我々は、コミュニティに自分たちのことを知ってもらい、そこに住んでいる人たちについて学び、信頼関係を構築する必要があった。デトロイトの街に、なにかしらの良い影響を残すには、そこに腰を据える必要があった。

その後の何週間かで、メディアラボの僕のチームと、デザイン会社であるIDEOのクリエイティブ系スタッフがデトロイトに飛び、そこでShakaたちと共に、コミュニティに参加して連携していくための計画を練った。その後、ShakaとデトロイトのチームをMITメディアラボに招待して、学生や教員に会ってもらったり、我々が何をしているのかを実際に見て知ってもらったりした。ラボとデトロイトの人たちの間に絆が生まれ始めた。

10月には我々全員がデトロイトに集まり、重要なコミュニティであるOmniCorpDetroitの本部に拠点を構えた。我々は、コミュニティのリーダー、チーフ・イノベーション・オフィサー、学生、デザイナーからなるチームであった。チームはそれぞれ、街灯問題の解決から都市部での農業に至るまで、様々なプロジェクトに着手した。Shakaは自然にリーダーとして頭角を現し、チーム間の連携やエネルギーを常に高く保ち続けた。

きわめて生産的なこの3日間を終えるまでに、僕はその後の計画を思いついていた。ShakaをMITメディアラボのフェローとして迎え、デトロイトの現地担当、彼が代表する非常に重要な世界への窓口になってもらおうと考えた。その後、Shakaとメディアラボのチームは密接に連携し始めており、彼は我々にインスピレーションと課題を与え続けている。

去年の12月にShakaから、回顧録の草稿ができたので興味があれば読んでほしいとのEメールが届いた。僕は熱中し、たった2回で読了した。Shakaは多才だが、その1つに素晴らしい語り手だという才能がある。彼の回顧録はユーモアがあり、心を打ち震わせ、含蓄に富むものであり、読み終わる頃には、殺人の有罪判決を受けて7年間服役し、怒りと恐怖にかられた少年から見識ある教え手でありリーダーである今の彼への劇的な変化を、僕自身が体験したかのようであった。

そして読み終わる頃には、可能性に満ちた聡明な子供たちが一世代、自分たちを凶悪犯罪者予備群としか考えていないシステムへと追いやられる機序がわかってきた。Shakaはまたしても僕に、自分の過ちを書き表すことで、過ちを正すための一助になる動機づけを与えてくれた。この本はShakaの過去を語ってはいるが、我々がより公正な社会を構築するための次なる一歩を示唆している。

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