Cesar and Pattie photoblog Cesar and Pattie
Wed, Dec 31 19:00 UTC

Andy Rubin
Andy Rubin - Photo by Joi Ito

ユーザーインターフェースのデザインは、ユーザーがそのシステムを理解し、制御できる力を持てるようにすることを目標とする。出力は画面やスピーカーから、入力はキーボードかタッチスクリーン、もしくはジェスチャーで行う。そしてそれらのユーザーは、我々の意識、すなわち、状況を掌握できていると思っている脳の論理的な部分であると想定されている。

しかしその意識は、自らが思っているほどには状況を掌握できていない。実際、意識よりも大きくて、大抵はずっと賢い精神、すなわち神経系のうち感情的で無意識で並行処理やパターン認識を担う部分は、意識を操作したり欺いたりすることすらあるのだ。このことはずいぶん昔に二重過程理論としてまとめられており、Kahneman(カーネマン)はそれらをシステム1(思考の広大で素早く自動的な側面)およびシステム2(理論的な検討と判断を行う小さな意識)と定義する。

我々の意識は基本的な適応機能を備えており、戦うこと、交配すること、あるいは一日の暮らしの中での些細な判断に至るまで、自信をもって臨めるようになっている。しかし我々が構築している自信とは、精神のうち小さく論理的な部分におけるものであり、頭の中の別の部分では違うと察しても、それでよいのだと、自らを欺いているわけだ。

このことはトリヴァース(Trivers)が報告した実験で述べられている。その実験とは、被験者たちは一連の音声を聞くように指示され、その中に被験者本人の声も混ぜているというものだ。被験者の自信の度合いによって、自分の声を他人のものだと誤認する者や、逆に他人の声を自分のものだと誤認する者が出た。興味深いのは、副交感神経系に通じているガルバニック皮膚反応を見ると、被験者の意識が欺かれた時にでも当人の声に一貫して同じ反応を示していたことだ。(Trivers, 1985年)

我々は、我々が下す判断であれ、自分がどのような気持ちなのかの自覚であれ、世界が常に秩序ある理路整然とした場所であり大抵の場合は何が起きているのかを理解できていると、自らに言い聞かせ続けている。しかし実際は、世界は複雑で混沌とした場所であり、世の中で起きていることの大半は、我々の体内での出来事も含め、我々の小さき精神の理解と(幸いにも)制御を超えたところにある。

よって優良なデザインとは、より広大で、高速で、感情的なシステムと繋がるものなのである。我々がフロー状態、ZONEなどと呼んでいるものは、単に我々の小さき意識が道を譲り、我々のより大きく直感的な精神が主導権を握れるようになった状態に過ぎない。バスケットボールを投げる動作にせよ、車の運転にせよ、我々の論理的な意識が各段階を調整しようとしたら、すべての段階を適切に連繋させるのは不可能に近く、困難だろう。しかし我らが小さき意識は、我々がその行為に熟達している場合には、残りのシステムが状況を支配できるように道を譲るだけの賢さは持ち合わせているのである。

だとすれば、なぜ我々は、システムの構築や把握の際、頑なに小さき精神の考えに基づいてそれを行おうとしてしまうのだろう? 限局的な知識や理論的な能力だけが評価対象となる学校のテストや、プルダウンメニューやマウスポインタといった、ユーザーがどこに意識を集中しているかに基づいたユーザーインターフェースのデザインなどを想像してみてほしい。

僕は、我々のシステムのうち、これまで考慮されてこなかった残りの部分に情報を送り、そこから制御的な信号を受け取るインターフェースの開発に注力すべきだと考えている。これは健康管理用のセンサー、補助ロボット、インターネットそのもの、サーモスタット、未来の乗り物などに適用できるのではないかと思う。

問題は、個人レベルでも集団レベルでも、我々の小さき意識が主導権を明け渡したがらない点だ。それには、時に意識を騙して、道をあけさせる必要がある。そこで欺まんの概念がデザインパターンの1つとして浮上する。

1800年代終盤、マサチューセッツ州スプリングフィールドの牧師兼体育教師ジェームズ・ネイスミス(James Naismith)は、厳しいニューイングランドの冬期、落ち着きをなくして荒れてしまう子供たちへの対処法を追求していた。彼らが毎年、冬季以外の9ヵ月間は得られている運動と協力と競争の機会を欲していることはわかっていた。

そこでネイスミスは、バスケットボールを考案し、子供たちが新しく楽しい遊びを通じて屋内で運動し、競争し、協力できるようにした。バスケットボールはとんとん拍子に成功し、各地のYMCAを通じて広まり、今日知られている人気スポーツへと発展していった。僕に言わせれば、彼があのスポーツに「ソーシャルボール」とか、「なかよしボール」といった名前をつけていたら、これほどの人気は得られなかった気がする。

この命名の控えめな欺まんは不道徳だっただろうか? 効果はあったのだろうか? ネイスミスが訴えかけようとしたのは、精神のどの部分だったのか? そしてその声はどの部分に届いたのか?

今日の我々は、自分たちの、自ら騙している意識に対して、どうしてほしいという要望を伝えるのに時間を割きすぎている。瞑想や遊び、祈り、もしくは欺まんを通じ、意識などが道を譲るように仕向けるのにもっと時間を使ってみたらどうだろうか。工業デザイナーのような発想(意識的なユーザーの意図に応えるためのデザイン)を減らし、もっとゲームデザイナーのような発想(各種の欲求や、精神の素早く非合理的な反応を想定したデザイン)をすべきではなかろうか。我々が自らにこうしているのだと言い聞かせている思考や行動からではなく、実際に行っている思考や行動から影響を受けるかたちで、医療用機器、コンピューター、乗り物、コミュニケーション用のツールをデザインする必要があるのだ。

TheDiamond22.jpg
このフレームワークが最初に話題に出たのはJohn Maeda(ジョン・マエダ)との会話中だったと思う。発端となった見解は、芸術家と科学者の間の連携相性がよく、デザイナーとエンジニアとの間でも連携相性が良いのに対して、科学者とエンジニア、および芸術家とデザイナーだと相性が悪い、というものだった。エンジニアとデザイナーは物事の実用性に着目し、観察と問題の制約の把握を通じて解決法を編み出すことで世界を理解しようとする傾向にある。一方で芸術家と科学者は、自然や数学からインスピレーションを受け、純粋なる内的なクリエイティビティを通じて創造を行ない、単なる実用性などといった不完全なものではなく、真実や美しさなどの要素との関連が大きい形での表現や体現を追い求める。これはすなわち、脳には、左右の半球に分割する以外にも多くの分けかたがあることを意味する。

しかし僕は、面白く印象深い創造を行うにはこれら4つの象限をすべて使うことを求められる場合が多いと考えている。メディアラボの教員陣の多くはこのグリッド(僕は「コンパス」という表現がいいと思う)のど真ん中でやっていたり、あるいはいずれかの方向に偏重があったりするものの、4つの象限それぞれに属する能力を活かすことができている。最近「The Silk Pavilion」を生み出した教員の1人、Neri Oxman(ネリ・オックスマン)が言うには、彼女自身は芸術家でもあり、デザイナーでもあるものの、案を練っていく際に両方のモードを切り替えて取り組んでいくそうだ。「The Silk Pavillion」を見た限り、彼女が科学者やエンジニアの要件も容易に満たしそうなのは明らかだ。

我々がこのコンパスモデルの中心に到達するために活用できる教訓や考え方は多種多様にあると僕は考える。鍵となるのはこの4つの象限をできるだけお互いに近づけるように心がけることだ。学際的なグループであれば科学者、芸術家、デザイナーそしてエンジニアが連携して事にあたるだろう。しかしそれでは、これらの専門の間の区別が助長されるだけだし、プロジェクトや課題の要件に応じて4つの象限を併用できる人材に比べて格段に効果が弱くなる。

伝統的な専門分類が横行する環境や、機能的に分断された組織ではこの創造性のコンパスを活用できるタイプの人材は育たないが、変化の度合いが指数関数的に速まりつつあり、既存のものが崩れ乱れることが例外ではない茶飯事となった今の世界においては、我々が現在直面している課題、ましてや今後直面する課題に効果的に対処するには、この方法で発想するよう心がけるのが肝要に思える。

追記:この話題に関する良書をご紹介:Rich Gold(リッチ・ゴールド)著、「The Plenitude: Creativity, Innovation, and Making Stuff」(The MIT Press、2007年)
Richは4つの象限を「クリエイティビティの4つの帽子」と呼んでいる。

元の投稿はLinkedINに掲載。

Shaka and Joi

Shakaが著書「Writing My Wrongs」(自分の過ちを著す)をリリースした。彼のウェブサイトから購入できる。素晴らしい本であり、物語だ。今週、この著書の発売記念パーティーに出席した。Flickrに写真を何枚か載せておいたMITメディアラボのディレクターズ・フェローの1人でもあるShakaは、Knight FoundationのBME(Black Male Engagement)アワード受賞者であり、僕の友人の中でも屈指のインスピレーショナルな人物だ。彼の著書に序文を書かせていただいた。以下の通りだ。

MITメディアラボは2012年7月1日、Innovators Guild(イノベーターズ・ギルド)の創設を発表した。学者、企業家、デザイナーからなるチームが世界各地のコミュニティに出かけ、イノベーションの力で人々を助けよう、という試みだ。その最初の焦点になったのがデトロイトの街だった。

3週間後、我々一行の出張予算を出してくれたKnight Foundationが、デトロイトのコミュニティリーダーたちとの会合を設けてくれた。そこで我々はMITとメディアラボについてプレゼンテーションした。長年におよぶ未解決問題にどのような革新的解決法を提案できるか、それを探るためにデトロイトにやってきたのだと説明した。

質疑応答のセッションで、屈強そうな、ドレッドヘアの黒人男性が立ちあがって発言した。

「デトロイトに宣教師的な心構えでやってくる善意ある人々は多い。ところが我々の抱えた問題がどれほど大変かがわかると気持ちが萎えてしまう。本当に何かを変えたいのであれば、ミッドタウンやダウンタウン中心の美化されたデトロイトの姿を鵜呑みにせず、実際にコミュニティに飛び込んで、その中で取り組む必要がある。」

この他にも懐疑的な見解を述べたコメントはあったが、彼のこの言葉が特に印象に残った。我々は彼の言葉で初めて核心に触れ、真相を垣間見たように感じた。

会合の本編が終わるとその男性が声をかけてきて、Shakaと名乗った。我々さえよければデトロイトの真の姿を見せてくれると申し出てくれたので、即答でお願いした。次に現地入りした時、我々はダウンタウンを避け、デトロイトのウェストサイドにあるブライトモアに直行した。そこは荒廃した空き家や、防弾ガラス張りの酒店だらけの界隈だった。Shakaの話しには美しい要素は何もなく、それこそが真実だった。

現地入りして、何か善いことをして、ハイさようなら、なんて状況ではないことは皆すぐにわかった。我々は、コミュニティに自分たちのことを知ってもらい、そこに住んでいる人たちについて学び、信頼関係を構築する必要があった。デトロイトの街に、なにかしらの良い影響を残すには、そこに腰を据える必要があった。

その後の何週間かで、メディアラボの僕のチームと、デザイン会社であるIDEOのクリエイティブ系スタッフがデトロイトに飛び、そこでShakaたちと共に、コミュニティに参加して連携していくための計画を練った。その後、ShakaとデトロイトのチームをMITメディアラボに招待して、学生や教員に会ってもらったり、我々が何をしているのかを実際に見て知ってもらったりした。ラボとデトロイトの人たちの間に絆が生まれ始めた。

10月には我々全員がデトロイトに集まり、重要なコミュニティであるOmniCorpDetroitの本部に拠点を構えた。我々は、コミュニティのリーダー、チーフ・イノベーション・オフィサー、学生、デザイナーからなるチームであった。チームはそれぞれ、街灯問題の解決から都市部での農業に至るまで、様々なプロジェクトに着手した。Shakaは自然にリーダーとして頭角を現し、チーム間の連携やエネルギーを常に高く保ち続けた。

きわめて生産的なこの3日間を終えるまでに、僕はその後の計画を思いついていた。ShakaをMITメディアラボのフェローとして迎え、デトロイトの現地担当、彼が代表する非常に重要な世界への窓口になってもらおうと考えた。その後、Shakaとメディアラボのチームは密接に連携し始めており、彼は我々にインスピレーションと課題を与え続けている。

去年の12月にShakaから、回顧録の草稿ができたので興味があれば読んでほしいとのEメールが届いた。僕は熱中し、たった2回で読了した。Shakaは多才だが、その1つに素晴らしい語り手だという才能がある。彼の回顧録はユーモアがあり、心を打ち震わせ、含蓄に富むものであり、読み終わる頃には、殺人の有罪判決を受けて7年間服役し、怒りと恐怖にかられた少年から見識ある教え手でありリーダーである今の彼への劇的な変化を、僕自身が体験したかのようであった。

そして読み終わる頃には、可能性に満ちた聡明な子供たちが一世代、自分たちを凶悪犯罪者予備群としか考えていないシステムへと追いやられる機序がわかってきた。Shakaはまたしても僕に、自分の過ちを書き表すことで、過ちを正すための一助になる動機づけを与えてくれた。この本はShakaの過去を語ってはいるが、我々がより公正な社会を構築するための次なる一歩を示唆している。

1990年代初め、僕はEccosysという小さなスタートアップを経営していた。 僕のアパートに来ていた友達を寄せ集めてスタートした小さな会社だ。 僕たちはインターネットのことをよく知っていたが、世間の人たちは知らなかった。 その後、マスコミがインターネットのことをだんだん取り上げるようになるにつれて、 多くの企業がインターネット関連製品を開発しそれを売り始めた。

Eccosysは、インターネットを実業につなげることに苦労していた。そのとき フロムガレージという会社のCEOだった林さんに出会った。フロムガレージは 広告の企画制作を請け負う小さな会社で、僕のアパートから歩いてすぐのところにオフィスがあった。

フロムガレージの最大の得意先は電通だった。フロムガレージとEccosysは手を組んで 当時としては珍しい、インターネットを利用したプロデュースを行うチームを作った。 そして、SunのJavaやIBMのOS2 Warp、Lotus NotesのMerchant Serverといった インターネット関連製品を手がけるさまざまな企業を助けた。そしてインターネットの 黎明期では、インターネットについて語る人々を助けるために使われるお金の方が インターネットを使って何かをすることで稼ぐお金よりも多いことを知った。

電通を初めとするさまざまなクライアントから請け負う仕事が「デジタル」になるにつれて 林さんと僕は、それぞれのリソースを一つにした方がいいと決断した。こうして1995年に 二つの会社を一つにしてデジタルガレージを作った。デジタルガレージでは広告代理店の 力を借りて、Infoseek Japanを立ち上げ、インターネット広告を日本で初めて CPM(インプレッション当たりのコスト)で販売することを始めた。

日本には、いくつもの大手広告代理店がある。それぞれの会社は、特定のメディアに 特化して始まった歴史を持っている。ラジオとテレビを出発点にした電通は、 これらのメディアが大きくなったことで、事業を大きく拡大することに成功した。 日本ならではの背景もあり、電通は広告だけでなく、彼らの変革と事業開発を支える メディア自体の開発でも大きな役割を果たした。

デジタルガレージと電通は、これまで長く一緒にビジネスをしてきた。電通がデジタルガレージに 資本参加し事業連携を図っていくという今回の発表によって、2社がファミリーのような関係になる ことに僕はとてもエキサイトしている。

What open means to you
Bassel / joi / CC BY

2012年3月15日にシリアの首都ダマスカスのメッゼ地区で行われた一連の逮捕で、Bassel Khartabil(バセル・ハルタビル)が拘束されました。それ以後、家族には拘束の理由および彼の所在に関する公式な説明は一切されていません。しかし彼の家族は最近になって、ダマスカスにあるKafer Sousa(カフェル・ソウサ)の保安支部で拘束されていた人々から、Basselがそこに捕らわれていることを知りました。

Bassel Khartabilはパレスチナ生まれの31歳のシリア人で、オープンソースソフトウェアの開発、すなわちインターネットの基盤となるような貢献を専門とする一流のコンピュータエンジニアです。10年前にシリアでキャリアをスタートさせ、いくつかの地元企業のもとでパルミラの遺跡修復や、Forward Syria誌などの文化的プロジェクトにテクニカルディレクターとして従事してきました。

Basselの逮捕以後、シリアおよび世界各地における彼の価値あるボランティア活動は中断されてしまい、彼を頼るコミュニティにとって手痛い不在となっています。加えて、彼の家族、そして去る4月に結婚を予定していた婚約者は、人生そのものを中断されてしまっています。

Bassel Khartabilは4ヵ月近い期間、裁判も法的な訴因も一切ないまま不当に拘束され続けています。 freebassel.org より

ここに我々は『Support to Bassel』、Bassel氏とその家族、その友人たちを支持する旨、宣言します。

クリエイティブ・コモンズは、技術系コミュニティに対して大きく貢献し、リーダーシップを発揮しているBassel Safadi氏の釈放を求める活動を支援します。Bassel氏はその専門性とこれまでの実績のあらゆる面での献身で、無料で一般公開されるオープンソースのコンピュータソフトウェア・コードとその技術の開発を支えてきました。氏は、クリエイティブ・コモンズに対する支援としての価値あるボランティア活動のみならず、技術分野におけるあらゆる取り組みにおいてこの目標に向けて尽力しています。彼の取り組みは、無料で利用できるオープンな技術の品質と可用性を高め、技術の進歩をもたらしています。 freebassel.orgにある支援表明に署名することで、Bassel氏の解放を支援してください。(ツイッターのハッシュタグ: #FREEBASSEL )

クリエイティブ・コモンズのブログからの転載投稿

Waitress and Daniel Suarez
2009年にロスのメイドカフェで会って飲んだ時に僕が撮ったDanielの写真

Daniel Suarez(ダニエル・スアレス)著の小説『Kill Decision』(キル・デシジョン)を読み終えたところだ。Danielは『Daemon』読後に僕の最も好きなSF作家の一人となった。『Daemon』が未読なら、ぜひとも読んでみてほしい。2008年にもここで話題にした。Danielはその後『Daemon』の続編『Freedom™』も書いていて、そちらも素晴らしかった。

途中で読むのをやめられない手に汗握るスリラーであると共に、これらの小説に登場するのがいずれも現存もしくは近未来の技術であるため、ストーリーが尋常じゃないくらい恐ろしく、説得力をもっている。Danielは「Daemon」の執筆時点で「Fortune 100社の複数社に独立系システムコンサルタントとして貢献。防衛、金融、エンターテインメント業界用の企業向けソフトウェアでのデザイン実績」を持ち、小説に登場する技術のほとんどを実際に自分でいじれるスキルをもつ。

『Daemon』および『Freedom™』では、おかしくなってしまったMMORPG世界のごとく、オンライン世界がリアル世界を侵食していくのがテーマとなっている。

『Kill Decision』ではダニエルは方向性を変えており、大量生産された自律型ドローンの大軍が戦争を新たな時代へと進めた世界へと我々をいざなう。とある場面では、登場人物の1人が以下のような興味深い理論を展開する。

中世では、訓練され、鎧を着け、馬にまたがる騎士たちは、多数の民兵を一掃し、一方的な被害を敵に与えることができる重要な戦力単位であった(『七王国の玉座』をイメージしてもらえるとわかりやすいだろう :-) )。これは政治の形、封建制度に影響を与えた。後に火薬が発明されると、おおむね技量に劣る民兵でも大人数を揃えてライフル銃を装備させれば比較的多勢の敵にも伍することができるようになった。これにより力の不均衡が解消されて、民主主義への道が拓かれた。

自律型ドローンに殺傷判断が委ねられたとなれば、力技的な量産とビッグデータの解析、すなわち金(かね)が、権力の主たる決定要因になっていくのかもしれない。

レッシグと利権の影響による現代の立法の腐敗ぶりについて話すにせよ#occupy 運動について話すにせよ、金、そして資金の凝集は制御できず、世界を席巻しつつあるのは確かだ。『Kill Decision』でDanielは、我々の誰もが礼賛する最新技術とこの傾向とを至極直接的につなぎ合わせ、恐ろしくもエキサイティングなひねりを加えている。

ストーリー上のいくつかの重要な要素が大学の研究室で展開するので、キャラクターの何人かを、MITメディアラボでの僕の新たな生活における実在人物たちと比較するのがかなり楽しかった。(Danielがメディアラボに遊びに来てくれるのを楽しみにしている。)

総評としては本気で良作だ。全面的にお薦めできるし、完璧なタイミングでこれを世に出したDanielに賛辞を贈りたい。見逃している人は、今年のTEDで発表された、自律型クアドローラーに関するTEDプレゼンを見るといい。『Kill Decision』で重要な役割を果たしている。また自分としては、Comic Sansに関する一節など、緻密なディテールもとても気に入った。 ;-)

『Kill Decision』は7月19日発売予定で、著者のウェブサイトで予約を受け付けている。

A week of student electrodermal activity

もちろんこれは1名の学生の話で、必ずしも一般化できることではないものの、講義中は皮膚電位がフラットラインを起こしかけているのが傑作だと思う ;-) 
(しかも講義中よりも睡眠中のほうが動きが活発だし...)

「皮膚表面における伝導性の変化は皮膚電位(electrodermal activity、EDA)と呼ばれ、自律神経の交感神経系内での活動が反映され、感情、認知、注意などに関連した交感神経の励起度合いの変化を測る、敏感かつ使いやすい指標となる。」

出展:Poh, M.Z., Swenson, N.C., Picard, R.W., "A Wearable Sensor for Unobtrusive, Long-term Assessment of Electrodermal Activity," IEEE Transactions on Biomedical Engineering, vol.57, no.5, pp.1243-1252, May 2010. doi: 10.1109/TBME.2009.2038487 PDF

Old school knowledge

僕の友人の中には、「若いころ、辞書を最初から最後まで全部読んだ」という驚くべき人物が何人かいる。百科事典の「ブリタニカ」を全部読んだという人もいる。

妹によれば僕は「興味の向くことしか学ぼうとしない人」らしい。おそらく、「飽きっぽい」とか「長期的視野に立った計画が立てられない」とか、そういうことを言いたいのだろうと思う。僕にしてみれば、辞書を最初から最後まで読むなんてことは想像すらできない。実際、じっと座って辞書を読み通すことができる人なんて、そうそういないだろう。

辞書や百科事典を通読する話しはいささか極端に聞こえるかもしれないが、このことは、我々が公教育を受ける子どもたちに求めていることと同じではないかと感じることがある。

授業はかっちりと連続的に編成されていて、生徒たちは教室から教室へ急ぎ足で移動し、授業中はずっと座って、教師が微積分や歴史や、文法について延々と話しを続ける間、集中し続けることを期待される。

良い成績を取る必要があるとか、良い教育を受けることの長期的なメリットを理解しているとか、理由は何であれ、集中力があり、自分でやる気を起こせる生徒たちであれば、それで成功を収めることができる。

何かを学ぶ必要があるときに、オンラインの辞書や百科事典、ビデオは素晴らしいリソースだと、僕は個人的に思う。自らの興味を追求したり会合の準備をしたり、面白い人たちと交流したり、僕はそういった中で、何かを学ぶ必要性を日々感じている。そういうときには学ぼうという意欲が大いに湧き、実際に多くを学んでいる。

大学教授やアマチュアの人たち、教師たちがオンライン上にアップしているビデオ教材は素晴らしいと思う。僕のような「興味の向くことしか学ぼうとしない人」にとって素晴らしいリソースだ。しかし、未来の学習を、オンラインで「辞書の通読」のようなことやらせるインターネット大学のようなものにすべきなのかということについては疑問に思う。僕たちはインターネットというものを、「The Power of Pull」を可能にする素晴らしいネットワークとして捉え、子どもたちに対して、プログラムを修了して正しい「答」を出す能力を評価するのではなく、何かを作ることを通じて学ぶ力を持たせるようにすべきではないだろうか。

MITメディアラボは2012年1月17日に「The Power of Open: Scaling the Eco System」(オープンという力:エコシステムのスケーリング)をテーマにした1日限りのイベント、「MITメディアラボ@東京2012」を開催する。この会議はメディアラボの既存メンバー、産業界の思想的リーダー、およびメディアラボのネットワークの一員になることに興味をもっている企業や個人を対象にしており、かなり興味深いプログラムとなっている。

本イベントは開催費用の一助とするためにチケット制とし、座席数は150と限られているので、参加申し込みは早い者順とした。

プログラム内容および登録方法は以下からご確認いただける。
http://www.media-lab-tokyo.jp/?lang=ja

詳細は以下の通りだ。

イベント名称:MITメディアラボ@東京2012
テーマ:The Power of Open: Scaling the Eco System(オープンという力:エコシステムのスケーリング
日付:2012年1月17日(火)
受付開始:09:30
カンファレンス:10:00~18:30
レセプション&ミニデモセッション:18:30~20:30
※スケジュールは変更される場合があります。

会場:電通本社ビル内・電通ホール
〒105-7001 東京都港区東新橋1-8-1

協力:電通/ISID(電通国際情報サービス)、角川デジックス、デジタルガレージ
問い合わせ先:info@media-lab-tokyo.jp

僕がニューヨーク・タイムズ紙に書いた「イノベーションを迫られ続けるオープンソース社会」の元のバージョンをここに紹介したい。ニューヨーク・タイムズ紙版も悪くないが、オリジナルはこちらだ。

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インターネット、イノベーション、学習について

インターネットは、本当は技術というよりも信念の体系、すなわち信条と呼べるものだ。

自分のコンピュータに小さなソフトウェア「MacPPP」をインストールした日を、僕は明確に覚えている。「MacPPP」はコンピュータ上で実行中のプログラムをグローバルなインターネットに接続するためのものだ。こじゃれたテレックス装置であった僕のコンピュータは、これを入れた瞬間、我々が今日当たり前のように享受しているマルチメディア的なインターネットの原始バージョンとも呼べるものに変貌を遂げた。

僕は当時、テレビ、映画そして音楽に関わる仕事をしていて、インターネットが何もかもを変えるだろうこと、そして僕が直ちにメディア業界を辞めて、キャリアの梯子を登ろうとするのをやめ、インターネットの構築に取り組むべきだと考えたのを記憶している。

僕がインターネット構築に参加する第一歩は、日本国内で最初の商業的インターネットサービスプロバイダであったPSINet Japanでの経験だ。僕はそこの最初のCEOになった。国連と関連のある大規模な標準化団体、CCITTが推奨する、当時インターネットの対抗馬であったプロトコル、X.25との争いを今でもおぼえている。各国政府を連携する大規模な国際機関が各国の専門家と世界屈指の大企業を集め、情報通信インフラのDNAの様々な面を統制する基準、すなわち企業がネットワークや製品を作っていく際の規範となる技術的基準を策定させるというものだ。

X.25とインターネットとの間の争いは、潤沢な資金と政府の支持を得た専門家 対 研究者および企業家たちのゆるく繋がった一団 の争いだった。X.25側の陣営は起こりうるあらゆる問題と実現しうるあらゆる応用方法を予測して計画に含めようとしていた。彼らは複雑で非常に考え抜かれた基準を編み出し、定評ある最大規模の研究所や会社がそれらを元にソフトウェアおよびハードウェアを作り出す想定だった。

一方のインターネットはと言えば、その主たる設計者の一人であるデービッド・クラークが提唱した「大まかな合意と、動作するコード」を信条とした、研究者の小グループによってその設計を進め、展開していた。インターネットの基準は各国政府が連携する巨大な国際機関ではなく、許可や権限を必要としない複数の小さな組織が世話人となり、シンプルで軽快な基準を提示する方法として「Request for Comment」(コメント求む)と謙虚に銘打たれたものを発信し、それに基づいて小規模な開発者グループが、後に合わさってインターネットとなる要素を生み出していったのだ。

ご存知のようにこの争いは、インターネットが勝利した。中央集権化されたイノベーションに対する、分散型のイノベーションの一大勝利であった。

インターネットの信念体系とは、誰もが接続する自由、イノベーションする自由、そして誰の許可を得ずともあれこれといじくる自由を与えられるべきだ、というものだ。誰もインターネットの全容を知ることはできない。中央集権的に管理することは不可能で、イノベーションはネットワークの「外縁」で、小規模なグループによってもたらされる。

この信念体系は分散型革新者からなる巨大なネットワークを生み出した。インターネットの革新者は互いに基準を作り合い、その取り組みの成果をフリーかつオープンソースなソフトウェアという形で共有する。最近ではエレクトロニクス系や、物理的なデザインさえも共有しつつある。

豊富なフリーウェアとコンポーネントの存在は、インターネットの構造と相まって、製造、配布、コラボレーション、すなわちイノベーションのためのコストを大幅に低下させた。かつてソフトウェア会社の立ち上げには何百万ドルものベンチャーキャピタルを要したが、今日では雀の涙ほどの資金、時には無一文であったとしても、企業家たちは「最低限の有効な製品」を開発、リリースすることができ、投資家から資金を集める前にインターネット上で実際のユーザー相手にテストすることもできる。

実のところ、今では大抵の場合、何かを試すべきかとウダウダ考えるよりも、とにかく試してみるほうが安上がりだ。地図というのは、実際は想定よりも多くの場合複雑で、いきなり作ろうとすると、やりながら試行錯誤していくよりも高くつく。今はコンパスが地図にとって代わり、「大まかな合意、動作するコード」の概念は、ネットワークアーキテクチャのためのイデオロギーであるだけでなく、そこから広まって新規事業と「リーンスタートアップ」傾向のための基礎的な信条にまでなっている。

3Dプリンター、レーザーカッター、オンライン配信、サプライチェーン関連のサービス、そして繊細な製造分野でさえ、インターネットを通じて安く、標準化され、繋がった状態となっている。また、インターネットのフリーかつオープンソースなソフトウェアを書いている開発者のコミュニティのような、ハードウェアハッカーやオープンなハードウェアデザインのコミュニティが生まれている。僕はソフトウェア側で起こったような草の根的イノベーションがハードウェア界隈でも爆発的に起こると予測しており、MITメディアラボではこの機運のあらゆる要素に深く関与している。

メディアラボは、教員、学生そして参加企業による学際的なグループが共同で、「大まかな合意、動作するコード」の信条を、未来のハードウェアデザインに加えて多種多様な分野にも適用し、未来を創造している。

メディアラボでは指導よりも創造を通じた学習に焦点を当てている。個人個人に実験、創造、反復試行する権限を与えている。我々はデモやプロトタイプを制作し、インターネットおよび人の関係で成立する分散型ネットワークを通じて、他の世界と共有、協働できるようになっている。我々は中央集権型の指導ではなく、分散型の創造を行う広大なネットワークの中にある1つのノードなのだ。

シリコンバレーでの消費者向けインターネット新興企業にとって劇的に有効なモデルであったものが、結果的に多種多様な分野や専門における学習向けにも素晴らしく優秀なモデルであったことが判明した今、我々はより多くのコミュニティが、技術、そして参加して創造する力を持てるよう、エンパワーメントを進めている。

例えばHigh-Low Tech(ハイ・ロー技術)グループでは、新しい素材や技術要素をデザインすることで、オンラインおよび実世界のコミュニティからなる非常に多岐に亘る非技術的グループが、自力で電子機器を製作する方法を学び、技術について学べるようにしようと試みている。

Lifelong Kindergarten(生涯幼稚園グループ)では、プログラム言語「Scratch」を中心に若い面々からなる巨大なコミュニティを管理しており、驚くくらい若年の子供たちが自分でソフトウェアを書いてプロジェクトをオンラインで共有し、互いのコードや発想を活用しあうことを可能にしている。

僕の大好きな言葉の一つである「ネオテニー」は、大人になっても子供らしい要素を持ち続けることを意味している。子供らしい要素には、学習、理想主義、実験、感嘆、創造などがある。目まぐるしく変化し続ける今日の世界にあって、我々はもっと子供のような行動をし続ける必要があるだけでなく、子供たちに対して、世界を変えうる革新的な大人になれる要素を持ち続け、未来を再発明する一助となるような生きかたを教えることができる。

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