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1996年当時の本サイト

ブログのアップグレードと整理にご協力いただいた、Boris AnthonyDaiji Hirata のお二方に感謝!

プラットホームを Movable Type Pro 6.2.4 にアップグレードした。(そう、いまだに Movable Type を使っていたりする。) Daiji と Boris が Facebook の Instant Articles を使えるようにしてくれた。きっかけになった Dave Winer の投稿 と、協力してくれた Facebook の皆さんに感謝したい。Boris がブログのデザインをクリーンアップしてくれたし、レスポンスも改善してくれたため、モバイルフレンドリー度が上がった。

感心するのは、長年経つのにこのサイトのデザインが古くなっていない点だ。

僕ら(Eccosys の旗揚げメンバー)がウェブサーバーをセットアップしたのは1993年のことだった。1993年7月1日付けのこれが、僕がインターネットに投稿した最初の日記的なものだった気がする: 「Howard が Wired で僕のことを書いてる!」 2002年には Justin Hall の協力のもと、固定型だったウェブサイトを「ブログ」に変換した。固定型ウェブサイト時代も日記を載せていたが、この「ブログ」という新しい仕組みのおかげで更新がはるかに楽になった。

Boris が2003年の夏に僕のブログのデザイン担当を引き継いでくれて、2003年の7月にサイトを再ローンチした。2008年には Susan Kare が作ってくれた真新しいロゴも含む大幅なリデザインを行なった。

技術面で様々な変化が起きたにもかかわらず、このウェブサイトのコンテンツのほとんどが上記の度重なるアップグレードを経つつ今も存在しているのはかなりすごいことだと思う。また、Archive.org が大もとのデザイン版のこのサイトその前のeccosys.com のアーカイブを残してくれているのも嬉しく思う。1993年の一番最初のバージョンは、僕のわかる限りでは失われてしまっているようだけど。ウェブもその水準もとても強固なものだし、ずっとそうであってほしいと思う。

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Photo by: Oli Scarff

(Getty Images から利用制限つきでライセンスを受けたもの/コピー禁止)

訳:山形浩生

昨晩、Free Software Foundationのリチャード・ストールマンやWorld Wide Web Consortiumのハリー・パルピンと一緒にDRMについてのパネルに出た。これはDRMに反対するFree Software Foundationのデモ行進に続いて行われたものだ。DRMについてFree Software Foundationは「デジタル制約管理」と定義しているけれど、一般には「デジタル権利管理」のことだ。

質疑応答の際に、だれかが不服従についてどう思うか尋ねた。ぼくは、それが重要だと思うと述べて、理由を説明しようとした。どこまでうまく説明できたか自信がないので、ここにもう少し完全なものを挙げておこう。

ぼくの9つの原則は、遵守よりも不服従というものだ。ある日、MITの総弁護士マーク・ヂヴィンセンゾとの会合中に、ぼくのオフィスのディスプレイにこの標語が表示されていて、かれがそれを問題視した。だから説明するはめになった。

言われた通りのことをしているだけじゃノーベル賞は取れない。アメリカ市民権運動は、市民的不服従なしには起こり得なかった。インドはガンジーとその支持者たちによる、平和的ながらも決然とした不服従なしには独立できなかっただろう。ここニューイングランド地方ではボストン茶会事件を祝うけれど、これもかなりの不服従行為だ。

社会の役にたつ不服従と、そうでないものとの間の一線はむずかしい――ときには、後になって振り返るまでそれが判断つかないこともある。ぼくは別に、法を破れとか、単に反抗的であるために不服従しろと薦めるわけじゃない。でもときには、自分の第一原則に立ち戻って、法やルールが公平かどうかを考え、それを疑問視すべきかどうかを検討しなくてはならない。

社会や制度は一般に、秩序に傾きカオスから遠ざかろうとする。その過程で、これは不服従を押し潰そうとする。それはまた、創造性、柔軟性、生産的な変化も押し潰す――そして長期的には、社会の健全性と持続可能性も。これは学術界だろうと企業だろうと、政府だろうとぼくたちのコミュニティだろうと、どこでも言える。

ぼくとしてはメディアラボが「堅牢な不服従」だと思いたい。メディアラボのモデルがもつ堅牢性の一部は、不服従と意見のちがいが存在し、それが健全で創造的で敬意を持ったやり方で表明されているおかげだ。「堅牢な不服従」であることは、自己修正を続けて革新を続けるあらゆる健全な民主主義と、あらゆるオープンな社会の本質的な要素だと思うのだ。

訳:松尾真一郎

以前のポストで書いたように、ブロックチェーンはインターネット並の破壊力を持ち、多くの機会とイノベーションを解き放つポテンシャルを持つと思うし、各種トランザクションのための、普遍的で、互換性を持ち、信頼できる低コストなネットワークになる可能性があると思う。しかしブロックチェーンは巨大なポテンシャルを持つ一方で、インターネットとOpen Webで過去も現在も経験したものと、似てはいるが多くの点でとてもちがう課題にこの技術は直面している。

私は、ビットコインとブロックチェーンの現状を心配している。

一部にはこの業界への過大投資、また一部にはビットコインがインターネットなどよりはるかにお金がらみであるため、この技術はインターネット初期ではまったく類似例がなかった危機を経験している。それでもインターネットの形成過程は、いくつか重要な教訓を与えてくれる――特に重要な点として人材の問題と知識の蓄積という問題についてだ。インターネットの初期において、そして一部のレイヤでは今でも、インターネットを動かすために必要な中核要素を正しく理解できるだけの技術的なバックグラウンド、能力、そしてパーソナリティを持つ人は非常に限られた少数の人だった。かつてはBorder Gateway Protocol (BGP)を本当に理解している人が世界中に五指に満たないほどだったから、日本でPSINetを作る時にはその人々を探し出して、「競合他者」と共有しなくてはならなかったものだ。

今日、ビットコインとブロックチェーンにも同じような状況がある。暗号技術、システム、ネットワーク、コードを理解し、ビットコイン自体のソフトウェアコードを理解出来る人は少数だ。そのうちの何人かは、Ethereumや他の「関連」システムに従事し、さらに数人は世界中の他の場所に散在しているけれど、その大多数はビットコインに従事している。これはコミュニティであり、このコミュニティにいたのは、1990年代のWebが普及する前の時代に、Financial Cryptography会議のようなイカレた会議に参加していた連中だ。インターネットの各種フリーなオープンソースソフトウェアのコミュニティと同様に、これはお互いを知っていて、おおむね(ただし常にではないが)お互いをリスペクトしていて、でも基本的には才能をほぼ独占しているような人の集まりだ。

残念ながら、ビットコインと今日の「ブロックチェーン」の急激な成長は、ガバナンスという観点からこのコミュニティに不意打ちを食らわせてしまい、おかげでビットコインのコア開発者は、この技術をスケーリングさせることがビジネス上の肝となっている、商業的利害関係者とうまくインターフェースが取れずにいる。「ビットコインのスケーラビリティを向上させられるか?」と問われた時に、「精一杯頑張るけど」とコア開発者は答える。多くの人、とりわけビットコインのアーキテクチャやビットコインの内部で何が起きているのかを理解していない人にとって、こんな回答では不十分だった。

もっと単純なシステム――Webサイト構築や、企業向けのERPシステムの購入運用――での意志決定に慣れた多くの企業は、顧客のニーズをもっときちんと聞いてくれる他のエンジニアをあっさり雇えると思い込んでいたり、「約束はできないけど、頑張ってみるよ」というコア開発者の態度に苛立つあまり、システム導入の基準を下げて、自分たちの要求を満足させると約束させる相手ならだれでも採用したりするようになっている。

ビットコイン、分散化台帳などのブロックチェーン関連のプロジェクトの将来は、このコミュニティに依存している。多くの人たちは彼らのことを「Bitcoin Core」と呼び、まるですぐにでも契約を切れる企業の一種のように扱ったり、いい加減な開発者の寄せ集めで、そいつらの技能なんか他の人を訓練すればすぐ身につくものと思ったりしている。でもそうではない。彼らはアーティストや科学者や精密エンジニアのようなものであり、共通の文化と言語を作り出すことができる。彼らがやっていることができる他の人たちの集団を見つけようとするなんて、Webデザイナーたちにスペースシャトルを発射するように依頼するようなものだ。コミュニティはクビにはできないし、統計的に言えば、ビットコインに従事している人たちこそがそのコミュニティなのだ。

もし「ビットコインのようだけれどもっと良いもの!」を作ろうとしても、それはおそらくセキュアではなく、面白くもないだろう。そして、インターネットがメディア、コミュニケーション、そして商取引に与えたのと同じように、銀行、法律、そして社会に大きな影響を与えるポテンシャルをビットコインに与えている「基本的な本質」には反したものになるだろう。

ビットコインはオープンなプロジェクトで、常に分散化、堅牢性、イノベーションの原則を推し進める、非効率的なこともあるがオープンなコミュニティプロセスだ。ビットコインは単一のシステムじゃない。これを破れば65億ドルの懸賞金が得られる、実動システムだ。この高い評価額のおかげで、そのネットワーク上に何かが実際に展開されるときには非常に多くの注意が払われ、テストが行われる。でも非常に多くの人がビットコインを破る方法を考えているが、それが失敗しているということにはかなり自信が持てる。

EthereumとRippleはおそらくビットコインの次に大きく、1億ドルレベルのシステムだ(Ethereumは今は4億ドル以上である)。Rippleは基本的はビットコインとは根本的にちがう合意アルゴリズムを採用しているし、Ethereumは面白く有用な特徴を持っている。もしビットコイン上であるトランザクションができなかったり、アプリケーションを開発できなかったりする場合、RippleやEthereumが注目されるのも当然だろう。もしセキュリティや安定性を真剣に考えるのであれば――是非そうあってほしい――ビットコインは、最高額の取扱い高と最大のコミュニティを持つほぼ唯一の選択肢であり、実世界の広範囲な実稼働ネットワークに展開している、もっとも実用的な近年の実績を持っている。

多くの人々はアプリケーションの可能性に興奮するあまり、そのアプリケーションが稼働するシステムのアーキテクチャを全く考えていない。多くのインターネット企業が、インターネットがひとりでに動作していると思い込んでいるように、そうした人々はどのブロックチェーンもまったく同じで当然動作するものだと思い込んでいる。でもインターネットは、そういう発想でもほとんどやっていける程度には成熟してきたが、ブロックチェーンはとてもそこまできていない。そういう人たちは、ビットコインに取り組む連中のことを、イカレたリバータリアンの烏合の衆だと思っていることも多く、そいつらがクールなアイディアを思いついたのは事実だけれど、雇われエンジニアを集めれば、お金次第で同じものが作れるはずだと思い込みがちだ。各国政府や銀行は、セキュアな台帳を実際にどう構築するか十分に考えないまま、あらゆる種類の計画を進めようとしている。

こわいのは、アプリケーション層ではビットコインやブロックチェーンが目指していたものに見えるものができても、その中身は相互運用性がなく、分散システムではなく、信頼なしのネットワークもなく、拡張性がなく、オープンイノベーションでもなく、新技術でちょっとばかり効率が向上したぐらいの古いトランザクションシステムとなってしまうことだ。

これには良い前例がある。インターネットがもたらす重要な便益の1つは、インターネットを構成するそれぞれの技術レイヤが、コミュニティで開発された技術標準で正しくサンドイッチされ、すべてのレイヤでオープンなプロトコルについてイノベーションと競争が許されていることだ。これこそが、コストダウンとイノベーションを加速した。モバイルWebができる頃には、こうした原則を見失い(またはコントロールを失い)携帯電話会社にネットワークを任せてしまった。だからこそ、有線インターネットではデータコストなんか気にしないのに、国境を超えたらモバイル環境における「通常の」インターネット体験が、たぶん家賃よりも高いなんてことになってしまう。モバイルインターネットはインターネットのように感じられるが、実は多くのレイヤで独占的なシステムが存在する、インターネットの醜くて歪んだコピーだ。これこそまさに、アプリケーションレイヤがアーキテクチャをずさんで無原則な形で引きずったときに起きることだ。

最後に、だが最も重要なこととして、コードとアーキテクチャの設計に最も集中してほしい開発者たちを消耗させすぎている。多くの人がすでに脱落し、脱落を匂わせている。多くの人が世間での議論のおかげで完全にやる気をなくし、精根尽き果てている。いずれ新世代の金融暗号学者が登場すると信じるにしても、このコミュニティなしにはそういう人々を訓練できない。多くの賢明な人たちがこの論争のあらゆる方面にいるし、そのほとんどは善意でやっているとは思う。でも外野から対立を煽り、無知で挑発的な発言をしてみたり、この世界を一変させる可能性を持つイノベーションに対してビットコインコミュニティが過去、現在、未来にわたり行ってきた貢献について、根本的に軽視して価値を貶めてりする人たちは、有害でしかない。

これまで、私は事態が自然に沈静化することを願って静観していたし、今後本当に沈静化してくれるのかもしれない。でも目に入るのはますます多くの誤報と大風呂敷ばかりで、「ブロックチェーン」は「IoT」や「クラウド」と同じ役立たずのなんでも用語になり果てている。それを見ると、悲しくなるし、ちょっと怒りも感じてしまう。

これからまとまった時間をかけて、未来に影響の大きい分野で見かける、最も見当ちがいの代物については対抗措置をとったり議論にバランスを持たせたりすることにした。ビットコインコア開発者コミュニティは堅牢だが、ステークホルダーのエコシステム、意志決定や情報共有の方法に関する理解は、未だに壊れやすく脆弱だ。幾つかの中核グループや個人の間にあるコミュニケーションと感情の亀裂は、今現在ではかなり広いのではと恐れている。でもこのコミュニティをまとめあげ、技術と実用の両面で広くコンセンサスが最も得られそうな、共有された技術プランの実施がとても重要だと思うのだ。もっと堅牢で、将来起こるであろう避けられない不一致に対しても、冷静で技術的で、実現可能な方法で運営できるようなコミュニティ構築ができればと願う。

Kevin Esvelt(ケヴィン・エスベルト)氏がメディアラボのオファーを受け、1月に助教として新設の「Sculpting Evolution」(進化形成)研究グループの舵取りをしてくれることになった。

Kevin はハーバード出身の生物学者で、分子生物学の最先端の技術のいくつかを生態工学と組み合わせる仕事をしていて、CRISPR/Cas9遺伝子編集技術の開発に貢献し、CRISPRを用いたジーンドライブの可能性を明らかにした立役者でもある。CRISPRジーンドライブを用いれば、既存の生物のゲノムを編集して以後の子孫に強制的に変更内容を受け継がせることが可能になる。これにより、例えば、蚊を野生に放って時間をかけて野生の蚊がマラリア、デング熱その他の病気を媒介できなくすることができうるのだ。それ以外にも、ライム病をマダニに媒介するネズミに恒久的な免疫をもたせることで根絶を図ったり、住血吸虫症の原因である住血吸虫症を一掃したり、害虫・害獣が作物を食べたがらないようにプログラミングすることで有害な農薬の必要性を軽減できるかもしれない。

ご想像いただけるかと思うが、利点が多々見込まれる一方で、かなりの懸念と、いくつかの現実的リスクも伴うものだ。これらの技術をどのように実用化するかという点に加え、Kevinが取り組んでいる要素のひとつに、研究段階での事故が環境に影響するのを防ぐ安全技術、および、編集内容の効果を解除したい場合に投入できる「取り消し」版の開発が挙げられる。

KevinとGeorge Church(ジョージ・チャーチ)は実験を始める前の段階で既にCRISPRジーンドライブに関する最初の論文を発表しているが、これは彼らが責任ある利用に関する議論を早期に開始するという前例を作ろうと考えたからだ。CRISPRの特徴のひとつとなっているのがコストの低さだ。CRISPRジーンドライブが加われば世界を変えうる変化を世に出すことのできるバイオ系施設の数は確実に増えていくだろう。

本年10月に開催したメディアラボの30周年記念イベントにて、Kevinは聴衆に「誰が決めるべきなのか?」と問いかけた。生態系に不可逆な変化を起こしうると知りつつ、マラリア根絶ないし大量に使われている農薬の軽減を見込んで蚊を野生に放つ判断を責任もってできるのは誰なのだろうか。国民の過半数が進化論を信じておらず、気候変動が重大案件であることを連邦議会が認識できていないこの国においては、大変な命題と言えるだろう。

J・J・エイブラムスとの秘密のミーティングにて、KevinはCRISPRやジーンドライブのような世界を変えうる新科学技術の扱いかたを決めるだけではなく、このような世界を革新しうる技術が発見される頻度が上がり続ける世界に向け用意を進めるべきなのだと説明した。社会としても科学者としても、どうすれば責任ある決断ができるのかを理解するのは非常に重要なのだ。

メディアラボがこれらの新技術の発見、その影響に関する議論、そして責任あるデザインと展開において重要な役割を果たせるよう、ラボ一同願っている。科学という文脈にのっとってデザインを行うことで、根本的なレベルでの省察や倫理的配慮が得られうると考えている。どの領域も世界を見つめる他の多数のレンズから隔離された状態で開発されるべきではない、という指針をメディアラボではこの30年間遵守してきた。遺伝子編集まわりの新たな科学の発信が、科学がデザインと切っては切れない場であるラボにおいて実現しつつあるのを嬉しく思う。そしてKevinはその原則を体現する人物なのである。
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MITニュースでの発表MediumのMITブログにも投稿

シリアにおけるオープンソースソフトウェア・コミュニティの中心人物の一人、Bassel Khartabil (バセル・ハルタビル)が「国家の安全保障を脅かした」として2012年3月以来シリア政府によって収監されている。国連の恣意的拘禁に関する作業部会はその拘束を恣意的なものと宣言し、即時放免を求めてきた。

Bassel

アサド政権内の人物たちからKhartabil氏の妻、人権弁護士の Noura Ghazi (ノウラ・ガジ)氏に接触があり、Bassel に対して死刑判決が下された旨が伝えられた。Noura 氏の Facebook への投稿(アラビア語)に英文の翻訳とコメントがついている。)このうわさの真偽を確認することは不可能だが、Bassel の友人、ならびに表現の自由を守るすべての人々にとって非常に憂慮すべき報告だ。

ブラジルのジョアンペソアにあるインターネット・ガバナンス・フォーラムはシリア政府に対して、 Bassel の家族に彼の居場所を伝え、寛容な処置をするよう求める声明を出している。我々MITメディアラボもこの呼びかけに賛同し、Bassel の居場所を開示して拘束から解放するようシリア政府に対しできる限りの働きかけをするよう、インターネットコミュニティの皆様にお願いしたい。

MITメディアラボでは10月22日付けで Bassel Khartabil を市民メディアセンターの研究員として招き入れ、ISISによって破壊された古代都市パルミラの遺跡を3Dモデル化するプロジェクトを継続してもらいたいと呼びかけている。我々は Bassel がメディアラボの同職に就任できることを願い続けるとともに、彼に死刑判決が下されたという話が事実ではないことを切に祈っている。

Bassel への恣意的拘禁を広く世に知らせ、その居場所に関する情報の開示と即時解放を求める活動に、皆様にもぜひ、ご協力いただきたい。

MITメディアラボ所長 Joi Ito(伊藤穰一)
MIT市民メディアセンター主任科学研究員 Ethan Zuckerman(イーサン・ザッカーマン)

この度、MITメディアラボからBassel Khartabil(バセル・ハルタビル)に市民メディアセンターでの科学研究員の職をオファーすると発表できることを誇りに思う。就任してもらえれば責任者である主任科学研究員Ethan Zuckerman(イーサン・ザッカーマン)の直属となる。メディアラボの科学研究員として、オンラインでの表現の場を守る彼の長年の仕事を続けることができるようになる。その仕事は同センターの中心的な研究使命に調和するものである。特筆すべきは、彼は今、ISISが襲撃、破壊した場所のひとつである古代都市パルミラの遺跡を3Dで再建しようとしている。
Bassel Safadi
Bassel Khartabilは大切な友人であり、クリエイティブ・コモンズでの元同僚でもある。インターネットの自由なカルチャーのために声を挙げ、尽力している優秀な人物である。2009年には僕をダマスカスに招待してくれて、シリアの学生、芸術家そして文化に接する機会を設けてくれた。同地域へのこれまでの旅の中で、最も感銘を受けた旅となった。現地では、複数の古代ローマの遺跡に連れていってくれたり技術系の起業家たちとの素晴らしいディナーをセッティングしてくれたりした。ダマスカスの歴史、芸術、技術の関係性はとても素晴らしかった。どんな街よりも優雅にそれらを結びつけていたのだ。(※こちらにその時の写真をいくつかまとめてある

Basselは2012年3月15日、シリアの憲兵によって逮捕され、やがて弁護士不在のまま野戦法廷で裁判にかけられた。世界中で彼を擁護する声が沸き起こり、彼の仕事はシリア内外のいかなる者にも脅威になり得ず、むしろオープンソフトウェア・ムーブメントの理想を示すベストな例であると、世界中で彼の逮捕と拘束に抗議する声が沸き起こった。

僕が今この記事を書くのは、Basselの家族や友人、世界各地の仲間共々、彼の安否をとても心配しているからだ。最近まではアドラー刑務所に収監されていたようだが、現在の居場所は不明のままで、シリア政府は依然、彼が今どこにいて、なぜ移動されたかの理由を開示していない。

Basselはシリアの豊かな文化、そしてその文化の保護をライフワークとしてきた。オープンなインターネット、そして国際的にオープンな文化への貢献、そして彼の研究と創造性はすべての我々に恩恵をもたらしてきた。Basselのような人々がいなければ、インターネットも、我々の多くが今や当たり前だと感じている今のような活力あるオープンな場にはなっていなかったであろう。

Stéphanie Vidal(ステファニー・ヴィダル)がBasselの状況に関する詳しく示唆に富む記事をSlate.frに書いている。クリエイティブ・コモンズではブログにPhilippe Aigrain(フィリップ・エグラン)、Melanie Dulong de Rosnay(メラニー・デュロン・デ・ロスネー)そしてJean-Christophe Peyssard(ジャン=クリストフ・ペサール)による翻訳版を載せている。ぜひ読んでいただき、Basselの置かれた複雑な状況を理解してほしい。特にStéphanieの記事の一節が印象的だった。以下に引用する。

人権が尊重されなくなってしまったときには、公的な呼びかけでは人々の希望を表明するくらいしかできなくなってしまいます。そこで我々は2つめの視点を持ちます。我々の希望の主張がウェブ上、ソーシャルメディア上で共有され、プレゼンスが高まれば、その実現の可能性も高まるのです。自由なインターネットを支持したBasselの活動が、彼の収監の原因となったのかもしれません。しかし、我々インターネット市民が本件に注ぐ注意こそが、多かれ少なかれ、彼を闇から救う一助となり得るのです。

全世界の学界人を代表して、Bassel Khartabilに大統領恩赦を認めていただけるよう、アサド大統領に願いたい。Basselは重要な世界市民であり、シリアの遺産を守ろうとしている真のシリア人です。恩赦を認めれば、それは大いなる善意の現れであり、シリアの文化を守り伝える大きな一助となることでしょう。

この投稿をできるだけ広く共有し、Basselのことを気にかけていただければと思う。

Links:
Petition Online: http://bit.ly/freebassel-petition

Freebassel Campaign: http://www.freebassel.org
Facebook: https://www.facebook.com/FreeBasselSafadi
Twitter: @freebassel
Youtube: https://www.youtube.com/FreeBassel2013
Vimeo: https://vimeo.com/freebassel
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Bitcoin が勢いを増し、起業家、ハッカー、事業者、政治家、学界の関心を集める昨今、MITメディアラボでは Bitcoin 他、暗号通貨全般を中心に扱う『イニシアチブ』を設立することを決定した。MIT内から広く、教員、学生が参加する。

イニシアチブではメディアラボのメンバー企業の支援や参加を得て、教員や学生が重要な研究テーマに取り組むことになる。設立のきっかけは、MIT Bitcoin ClubMIT Bitcoin Project の運営に携わってきた学生たちと、 Bitcoin Expo など様々なイベントであった。MIT Bitcoin Clubの代表Jonathan Harvey-Buschel と Wellesley Bitcoin Club の代表 Jinglan Wang MIT によって今年開催されたBitcoin Expo は、まさに我々が今後進めていきたい Bitcoin 研究に関する学際的な連携や刺激の好例であった。

メディアラボでは、かつてホワイトハウスのモバイル/データイノベーションを担当したシニアアドバイザーBrian Forde 氏をこの取り組み全般のリーダーとして、また、研究と学術面でのコーディネーションに、セキュリティと分散システムの分野で高名なMIT CSAIL の Nickolai Zeldovich教授を雇い入れた。

MIT Bitcoin Project の運営に参加した学部生Jeremy Rubin 氏は、開発者コミュニティの全体とMITの学生の間のコミュニケーションを担当し、研究プロジェクトにも取り組む。MIT側の参加者に関する詳しい情報は Brian のブログ記事でお読みいただける。

イニシアチブの活動は主に、Bitcoin コミュニティや、企業、先見性のある政治家が積み重ねてきた知見・情報を多く活用するものとなるだろう。我々は、プリンストンなどによる素晴らしい先例に続き、この分野に学術的にも技術的にも貢献できればと考えている。位置づけとしては、Bitcoin の開発やガバナンスの全般に関わる長期的なソリューションを編み出すというよりも、MITコミュニティ内で関心を結集することに重点がある。

先のブログ記事に書き、MIT Bitcoin Expo でも講演したことだが、僕は、規格や政策まわりをコーディネートする機能にこそ、核心的なニーズがあると強く思っている。この取り組みは国家やステークホルダーの垣根をまたぐものでなければならない。ハーバードの Berkman Center および Stanford Center for Internet and Society, Oxford University等との対話を続けていくことが、このテーマに関するより大きな議論が拓かれることにつながると期待している。

Brian がメディアラボブログに書いてくれたブログ記事には、イニシアチブに関するより多くの情報が記載されているのでご覧いただきたい。IRCチャンネル irc.freenode.net/#mit-dci にも出没しているので遊びに来てほしい。皆さんのフィードバックや連携に関するアイディアもぜひともいただきたい。

この投稿で僕は、技術の歴史における、現在と別の重要時期/ターニングポイントとの強い類似性を掘り下げてみたいと思っている。このような比較で常なのが、相違点が、類似点同様に示唆を含んでいるということだ。どこまでメタファーを適用していくのがよいのかまだわからないが、我々はBitcoin の未来について、インターネットの歴史から多くを学ぶことができるかもしれない。Bitcoin に関する投稿は今回が初めてだし、主張を通すことよりも皆さんに反応や新しい発想をいただくことに主眼を置いている。フィードバックや、僕が読むべき内容へのリンクなどをいただけると非常にありがたい。

僕は根っからのインターネットパーソンであり、本格的なビジネスライフを始めたのがインターネットの黎明期であって、成人後の人生のほとんどをインターネットのレイヤーや要素を組み上げる仕事に関わってきた。日本発の商用インターネットサービスプロバイダの立ち上げを支援したり、ツイッターに投資して日本での展開を助けたり。僕は Open Source Initiative、Internet Corporation for Names and Numbers(ICANN)、Mozilla Foundation、Public Knowledge、Electronic Privacy Information Center(EPIC)の理事にも名を連ねたし、クリエイティブ・コモンズの CEO も務めた。ネット時代の初期で体験したことゆえに、僕の視点が偏っていて、新しいものが何でもインターネットのように見えてしまっている可能性はある。

それを踏まえて、僕はインターネットと Bitcoin は様々な点で似ていると思うし、Bitcoin とその将来を考える際にはインターネットまわりで得られた教訓が指針になりうる側面が多々あると思っている。そして同時に、重要な相違点もいくつかある。

Bitcoinがインターネットに類似する点は、分散型で効率的で、オープンプロトコルに基づいた運搬インフラである点だ。それ以前に使われていた回路や専用線とは違ってデータパケットを動的ネットワーク上で転送するのがインターネットだとすれば、Bitcoin のプロトコルであるブロックチェーンは、相互信頼が成立していない相手同士が分散型かつ効率的な手法で信頼関係を構築することを可能にしている。取引台帳が「集中型」になっている、と言っていいかもしれないが、台帳そのものは機械的な分散型コンセンサスによって形作られている。

インターネットにはルートの部分が存在する。すなわち、インターネットプロトコルを使っているからといって、いわゆるインターネットの一部になっているとは限らない。本家インターネットの一部たりうるには、ICANNとそのコンセンサスプロセスによって管理されている命名と数字のプロトコルおよびルートサーバーに合わせることに同意しなければならない。インターネットプロトコルを使って独自のネットワークを作ってもいいし、命名や数字に独自のルールを適用することも可能だが、それだとただのネットワークであり、インターネットとは呼べないのだ。

同様に、ブロックチェーンプロトコルを使って Bitcoin の対抗馬(alt.coin)を作ることもできる。これによりイノベーションを起こしたり、Bitcoin の技術的利点の多くを活用することが可能だが、Bitcoin との技術的互換性は失われ、Bitcoin のネットワーク効果や信頼性の恩恵は受けられなくなる。

また、インターネットの黎明期同様に、各レベルで複数の発想が競合している。AOL はダイヤルアップネットワークを作り上げ、Eメールの普及に大きく貢献した。やがてコアビジネスだったダイヤルアップネットワークを放棄したが、インターネットサービスとして生き残った。今でも AOL のEメールアカウントを使っている人は多い。

暗号通貨の世界では、Bitcoin の起源的ブロックに連繋していないコインが存在する。根本に同じ技術を使った alt.coin のことだ。alt.coin はものによって少しだけ異なるプロトコルを使っているものもあれば、根本的に違うものもある。

コインの層の上層には、ウォレット、取引所、サービスプロバイダなど、様々な垂直統合度合いのサービスが登場している。どの暗号通貨が淘汰を生き残るかに依存しないものもあれば、特定の通貨に密接に繋がっているものもある。VoIP(ボイスオーバーアイピー)が同じネットワークを斬新な方法で使ったのと同様に、価値の単位をやりとりするためのインフラを元に、根本的に異なる用途でネットワークを活用する技術やサービスも登場しつつある。

インターネット時代の初めの頃は、オンラインサービスの大半はダイヤルアップと x.25 を組み合わせたものだった。x.25 は競合関係にあるパケットスイッチングプロトコルで、国連の下部組織である標準化団体 ITU(国際電気通信連合)の前身であるCCITT(国際電信電話諮問委員会)が開発したものだ。The Source や CompuServe を含む多数のサービスが、インターネット経由でのサービス提供を始める前は x.25 を使っていた。

インターネットの最初のキラーアプリはEメールだったと僕は認識している。初期のオンラインサービスのほとんどでは、同じサービスを使っている者同士でしかEメールを送り合えなかった。それが、これらサービスにインターネットを通じたEメールが実装された途端に誰にでもEメールを送れるようになったのだ。これはかなりすごいことであり、Eメールが今でもインターネット上で使える最重要クラスのアプリケーションである点がそれを物語っている。

インターネットが普及するにつれ、TCP/IPスタックがさらに開発され、投入された。誰でも無料でダウンロードして手元のコンピュータにインストールすることでインターネットに接続できるフリーのソフトウェアだ。これにより、手元のコンピュータ上で実行するアプリにインターネットを通じて他のコンピュータ上で実行中のプログラムと対話させることが可能になった。これによりマシンツーマシンネットワークが誕生し、端末ウィンドウにテキストを入力するだけの時代は終わった。FTP(ファイル転送プロトコル)、そして後に登場する Gopher(ウェブが登場する以前に人気を博した、テキストベースのブラウジング/ダウンロードサービス)により、音楽や画像をダウンロードしてコンテンツの世界的なネットワークを作り上げることが可能になった。やがてこのオープンアーキテクチャに基づいたお伺い不要のイノベーションにより、ワールドワイドウェブ、Napster、Amazon、eBay、Google、Skype が誕生した。

20年前、広告会社、メディア企業そして銀行への講演で、インターネットがどれだけ重要になり、劇的な変化をもたらしていくかを説明したことがあった。当時すでに地球の衛生写真や、コーヒーポットを映すウェブカメラ映像がインターネット上にあったものの、当時はEメールと Usenet News しかなく Amazon、eBay および Google がまだ発明されていなかったため、ほとんどの人はインターネットが商業およびメディアをいかに根幹から変えることになるかを想像できてなかった。これら大企業には、自分たちがインターネットについて何かしら学ぶ必要がある、ないし、インターネットが自分たちの商売に影響するだろう、と考える人はいなかったのだ。講演での反応はぽかんとした顔やいびきがほとんどだった。

Emailがインターネット黎明期のキラーアプリであったのと同様に、僕は Bitcoin がブロックチェーンにとっての最初のキラーアプリだと考えている。eBay、Amazon および Google に相当するものが発明されつつあるのだ。ブロックチェーンは銀行業、法律そして会計業にとって、メディア、商業および広告業にとってのインターネットに相当する変化をもたらす気がしている。ブロックチェーンはコストを削減し、ビジネスの様々なレイヤーでの中抜き効果をもたらし、摩擦要素を軽減することだろう。そしてご存知のように、ある者の摩擦は他の者の実入りになるのだ。

僕が ICANN の理事だった頃に我々が注力したもののひとつは、インターネットの分化を防止することだった。ICANN の方針に異を唱えたり、インターネットに対する米国の影響力を強すぎると懸念する組織は多数存在した。我々の仕事は万人の声に耳を傾け、包括的かつコンセンサスに基づいたプロセスを作り出すことで、そのプロセスに合わせるためのエネルギーとコストよりもネットワーク効果の利点を大きく感じてもらうことだった。概ね奏功したと言っていいだろう。インターネットを設計して運用していた創始者、主要な専門家、技術規格団体などのほとんどが ICANN に連繋してくれていたことが後押しとなった。制度を決める側と専門家側との折衝が、相応の苦労はあれども、また素晴らしいものとも言えずとも、他のどの選択肢よりもマシなものとして認識されていたのだ。

考えるべき命題の1つに、Bitcoin には ICANN に相当する何かが必要なのかというのがある。Bitcoin と ブロックチェーンは、それぞれEメールと TCP/IP に相当するのか?

事情が違うのではないか、と思わせる要素の1つは、ICANN の根本的な意義が、ドメイン名によって生じた名前空間の問題が起こす集中化への対処だった点だ。ドメイン名は我々がインターネットの仕組みを考える際の必須要素であり、競合を解決するための標準化団体が必要になる。Bitcoin にはマイニングプールおよびコア開発という形では集中化が起きてはいるものの、プロトコルそのものが根本的に、機能するには分散化が必須であるように設計されているため、集中化問題に対する解決策はDNS(ドメイン名システム)とは似ても似つかないものになるだろう。インターネットにもある程度の分散化が必要だという議論も成り立つが、今のところ ICANN との関係は破たんせずに続いている。

ICANNがもたらすもう1つの重要な効能は、コア技術への変更を話し合う方法だ。技術者、ユーザー、企業および政府といった、各方面のステークホルダーの間での制度にまつわる対話をまとめる役割も担っている。主たるステークホルダーは、ICANN の元手となるビジネスを運営し、各 ISP と共にインフラの大部分を提供する、登録機関およびデータベースの担い手だった。

Bitcoin の場合は「マイナー」、すなわちBitcoin の核にある暗号論的に安全なブロックチェーンを生み出してネットワークを安全たらしめる演算を担当し、見返りとしてネットワークそのものから Bitcoin の形で報酬を受け取る個人や企業が、その役割を担っている。開発者たちが Bitcoin に適用したいと考える技術的な変更は、マイナーらが採用しない限りは普及しない。そして開発者とマイナーとでは動機が異なるのだ。マイナーには、インターネットでいう登録機関およびレジストリに類似した点がいくつかあるかもしれないが、消費者側を向いておらず、世論がどう思っていようが関係ない、という点が根本的に異なっている。

ICANN の場合と同様に、ユーザーは大事であり、Bitcoin のネットワーク効果による価値の鍵となる存在ではあるものの、マイナーがいなければエンジンそのものが動かない。マイナーは登録機関およびレジストリに比べて特定が難しく、また、変動する Bitcoin の価値、マイニングの難化傾向、そして取引費用がマーケット主導であることがマイナーの動機の変化にどう影響するかも不明瞭だ。マイナーたちがユーザーインターフェースとガバナンス機能をもつコミュニティを形成する可能性はあるものの、現状ではそのほとんどが様々な理由で水面下に隠れた独立した存在となっており、それらの理由が変わる見込みは今のところない。とは言ったものの、Bitcoin 関連の企業で株式を公開している最初の数社にはマイナー企業が1社含まれてもいる。

コア開発者もインターネットの時とは性質が異なる。インターネットの創始者たちは若干ヒッピーのノリがあったかもしれないが、多くが政府の資金援助を受けており、政府にそこそこ好意的と言えた。当時は米商務省と取引するのが有効な判断に思えたのだ。

Bitcoin のコア開発者たちはサイファーパンクである。彼らは政府や世界の銀行システムを信用しておらず、規制や何者かによる干渉に対し常に不可侵でいられる分散型で自律的なシステムを構築しようとしているからこそ開発に従事しているのだ。Bitcoin の設計には、規制側の都合を無視した側面が少なからずある。マイナー陣は Bitcoin の形で報酬を受け取るため、Bitcoin の価値を高める動機付けがあり、そのためスケーリングやネットワーク効果には関心があるものの、自分たちのハードウェアや設備への投資が利潤に結びつく前に消え失せさえしなければ、淘汰を生き抜くのが Bitcoin であれ、alt.coin のどれかであれ、同じことだと思っているんじゃないか。

規制側は明らかにネットワークのルールに口を出す動機があるものの、コア開発者が彼らに耳を貸す必要があるのかどうかは不透明だ。とはいえ、規制側が何らかの形で金を出してくれない限り、適切なスケーリングを果たしたり、インターネットのようにメインストリームにインパクトを与えたりできる可能性は低い。

インターネットの黎明期とよく似ていると思えるのが、我々がインターネットのEメールを目にしつつもウェブをまだ発明できていなかった頃と同様に、今はまだ crypto-equity やスマートコントラクトといったコンセプト(これ以外にも多数ある)の潜在的な有用性を想像しかけている段階にとどまっている点だ。

僕が思うに、過度の規制により Bitcoin ないしブロックチェーンがその可能性をまっとうできず、この副次的な経済システムの一機能にとどまる可能性がある。匿名化システムの Tor がプライバシーを必要とする人々には圧倒的に有意義であるのに対し、一般の人々にはまだ本格利用されていない状況に通じるものがある。

インターネットの成功を助けたのは、規制がなかった事、そしてイノベーションというものが原則として包括的でどこにもお伺いを立てる必要がないその性質にあると言えよう。これにはフリーおよびオープンソースのソフトウェア、そしてベンチャー投資コミュニティが大きな役割を果たしていた。僕がここで提示したい命題は、Bitcoin をとりまく状況はインターネットの時とはまるで違うのだろうか、という問いだ。Bitcoin にまつわる議論はコンテンツではなく金に関するものだし、イノベーションが格段に早いペースで起きている(Bitcoin へのベンチャー投資はインターネット黎明期の投資よりもハイペースになっている)し、一般向けメディアでの言及も増えつつあるし、各国政府が Bitcoin に強い関心を示しているわけだし。米下院議員の Steve Stockman が提唱した、Bitcoin に対する規制に5年間のモラトリアム期間を設けることなどは良案に思える。このことがいったいどうなっていくのかまったく見えないわけで、規制ではなく対話を重視したアプローチが肝要だろう。

僕はまた、レイヤーの切り分けと、他レイヤーは他レイヤーでなるようになるものとして、レイヤー単位でイノベーションを起こすことが有効に思える。言いかたを変えると、可能な限りレイヤーを切り分けた形で、個々の暗号通貨に依存しない取引所やウォレット、色つきのコイン、副次チェーンや他のイノベーションに関連した実験を進めることで、アーキテクチャそのものが結果的にどうなろうとも、得られた知見や生み出されたシステムが生き残りやすくなると考えている。

現段階は僕らがイーサネットやトークン・リングについて議論していた頃によく似た状況に思える。一般ユーザーにしてみれば、相互互換さえ確保できていれば結果的にどちらが採用になっても別にどうでもいいわけだ。しかし今回事情が違うのは、影響を受ける先が多くあり、動きが非常に早いため、失敗した場合のその様相とコストが我々がインターネットを編み出そうとしていた時よりはるかに手痛いものになる可能性があることで、これらの動きに注目している人の数も格段に多いことだ。

Edge恒例の質問は、今年は「思考する機械についてどう思うか?」だった。

僕の答えは以下のとおりだ:

「考えることについて考えるには必ず、何かについて考えることを考えることになる」 ― シーモア・パパート

思考する機械について僕がどう思うか、という問いの答えは、その機械が考えることになる対象による。僕自身は明らかに、AIおよび機械学習が社会に大きく貢献すると信じている一派に属している。人間が苦手としていることを、機械がはるかに上手にこなすことがわかってくるだろうと期待している。大量のデータ、速度、正確さ、信頼性、従順さ、演算、分散ネットワークおよび並行処理などがからむ事項だ。

ここにはパラドックスがある。我々はどんどん人間に近い挙動をする機械を開発しつつあると同時に、子供たちにコンピューターのように思考し、ロボットのように行動するよう促す教育システムを作り上げてきた。そして我々の社会が現時点でのニーズに合わせたスピードでスケーリングや成長を果たすには、信頼でき、従順で、勤勉で、物理的な筐体をもち、演算能力をもつユニットが必要だと判明した。なので我々は何年もかけて、いいかげんで感情的で気まぐれで言うことを聞かない人間たちを、肉でできたロボットに変換していったわけだ。幸い、機械的・デジタル的存在であるロボットやコンピューターが、早晩、それらを模すように教育された人々に対する需要を軽減したり、場合によっては払拭する一助となるだろう。

それでもまだ我々は、完全とは言わないまでもロボットなどが人間にほぼ近い性質を示す世界、すなわち「不気味の谷」に、ロボットデザインの発展が我々を近づけるほどに想起される、恐怖や嫌悪感を乗り越える必要がある。これはコンピューターアニメーション、ゾンビそして義手について言えることだが、不気味の谷へは両方向から近づくことができる。スマホの音声認識システムが聞き取りやすいように声色を変えたことがある人なら、我々人間の側からも不気味の谷に少しずつ踏み込んでいくことができることを理解しているだろう。

我々がこのような嫌悪感を覚える理由についてはいくつもの仮説があるものの、僕には、人間が自分たちを特別な存在だと思っていること、すなわち一種の実存的エゴが一因に思える。これにはもしかすると一神教関連のルーツがあるかもしれない。西洋の工場で作業員らがロボットを大型ハンマーで叩いていた頃、日本の作業員たちは工場で同じようなロボットに帽子をかぶせ、名前をつけていた。2003年4月7日には日本のロボットキャラクターである「アトム」が埼玉県新座市の住民として登録された。

これらのエピソードが何かを示唆しているのだとしたら、それは、精霊信仰に基づけば、我々人間が万物の霊長ではないかもしれないことにそこまで抵抗を感じずにすむのかもしれない、ということだろう。自然を、万物、すなわち人間や木や石や川や家などすべてが何らかの形で命をもちそれぞれが魂を宿している、複合的なシステムなのだとみなせば、神が我々のような姿をしていたり、我々のように考えていたり、我々のことを特別扱いしてくれたりしなかったとしても、べつだん問題にはならないのかもしれない。

なので、人類がこの自問自答を始めたこの時期に生きていることの最大の利点の1つは、人間の意識の役割についてより大きな疑問を持てることかもしれない。人間は巨大で複雑なシステムの一部に過ぎず、それは我々の理解を超えて難解なものなのだ。魂を宿した木、石、川や家と同様に、コンピューター上で動作しているアルゴリズムも、この複雑なエコシステムの別の一端に過ぎないのかもしれない。

我々人類は進化によってエゴを獲得し、自己というものが存在する気になってはいるが、これは概ね自己欺瞞であり、個体としてのヒトが進化動態の枠組みの中で有用な働きができるようにするためのものだ。その中から生じる道徳観も自己欺瞞の一種なのかもしれない。我々はもしかすると、究極的にはすべてが無意味なシミュレーションの中に生きているかもしれないのだ。そうは言っても我々の倫理観や良識が無意味とは限らない。僕に言わせれば、我々は自分たちが特別だと言い張らずとも、複雑で相互に繋がったシステムの一部である責任感を発揮できるんじゃないだろうか。機械がこれらのシステムの中で重要な役割を担うようになればなるほど、その台頭によって人間たちの間に自分たちがはたして特別なのかという議論が満ちていくであろう。それはよいことかもしれない。

もしかすると、我々が思考する機械についてどう思うかという命題は、別にどうでもいいことかもしれない。機械らは「思考」するだろうし、システムはそれに適用していくだろう。複雑なシステムの常で、結果は概ね予測不能なのだ。現状は現状のとおりで、今後はなるようになるわけだ。我々が今後に関してする予想のほとんどはおそらく絶望的なほど間違っていて、気候変動の例にあるように、何かが起きているという認識と、それに対して何か対処をするということはしばしば、ほとんど無関係なのだ。

以上は非常にネガティブで敗北主義的な見解に聞こえるかもしれないが、僕は実はかなり楽観的で、これらのシステムは非常に順応力と耐久性が高く、何が起きたとしても美しさや喜び、楽しさは存続するだろうと思っている。そこに人間たちの役割があると願いたいし、あるんじゃないかと思っている。

どうやら我々人間は、素晴らしいロボットを作り出す力はそこまではないが、機械に実装するには複雑すぎて不可能かつリソースの無駄になるであろう、気まぐれで創造的な事をしでかすにはとても向いているようだ。理想的には教育システムが、我々を機械のまがい物に仕立てようとするのではなく、人間ならではの強みをより全面に押し出した形に進化してくれるといいのだが。人間は(と言っても必ずしも我々の現在の形での意識や、それにまつわる直論的な哲学のこととは限らないのだが)ごちゃごちゃしたものや入り組んだものを、芸術や文化、意味に昇華させるのがけっこう得意なのだ。人間と機械がそれぞれ最も得意とすることに注力していくことで、相補的な素晴らしい関係性を築いていけるはずだ。人間が半導体ベースの類縁たちの効率性を活用する一方で、彼らは我々のごちゃごちゃした、いいかげんで、感情的で創造的な肉体や頭脳を活用してくれる、そんな関係が。

我々が向かう先を混沌だと考える向きも多いようだが、高まりつつあるのは混沌の度合いではなく複雑性なのだ。インターネットが体外のあらゆる要素を広大で制御不能に思えるシステムへと繋げつつあるのと同時に、我々は自らの生命の内奥を掘り下げれば掘り下げるほど、無限の複雑性を発見しつつある。頭脳がすべてを統制している気になってはいるものの、体内の微生物叢は我々の衝動や欲求や言動に影響を与えて自らの生殖と進化を支援させているわけで、人間と、人間が作り出した機械のどちらが本当に主導権を握っているのかは、いつまで経ってもはっきりしないかもしれない。しかし我々はもしかすると、周囲の他の生物たち、物、そして機械とより謙虚な姿勢でつき合えばいいところを、自分たちが特別であると信じ込むことで、より大きな被害を招いてきたのかもしれない。

3年前にMITメディアラボのディレクターに着任した時、僕の主たる「前職」はスタートアップ起業への投資と助言だった。僕は主にインターネット関連のソフトウェア系・サービス系の会社(Twitter、Flickr、Kickstarter など)に投資をしていた。メディアラボおよびMITに所属することになったのは、僕にとってはちょっとした方針変更だった。世界に影響を与えるという観点では、アカデミアは根本的に別のモデルであり、商業化するのがそこまで容易ではない基礎的な科学や技術に焦点を当てたものだからだ。

メディアラボ着任後にそこの事業に注力できるように、僕はスタートアップ起業への投資をやめる決意をした。(正式にラボでの仕事を始める前に、メディアラボ同窓系の会社である LittlebitsFormLabs に投資していた。)メディアラボとMITについて学ぶことに没頭する中で、各種の科学や技術がこの世に出てきた流れについて学び、考え続けた。とりわけ、人の健康に多大な影響を及ぼす生物医学研究が、多額の先行投資を必要としており、他分野とは大きく異なる様相を呈している点に好奇心をそそられた。僕は生物医学研究についてほとんど知らなかったが、強い興味をおぼえたのだ。

MITに着任する以前から Bob Langer(ボブ・ランガー) の話は耳にしていた。生物医学研究の商業化への貢献、および、バイオエンジニアリング(生体工学)分野の躍進の一助となったことで有名な人物だ。特許を1050件持っていて、何十人もの研究者のグループが傘下にいる。Bob はMITに11人いる、Institute Professor(インスティテュート・プロフェッサー)と呼ばれる、卓越した業績を認められ、各学部長ではなく総長直属となっている教授職の1人だ。

去年6月、Bob の元教え子で、彼のラボ発のスタートアップを経営していた David L. Lucchino(デビッド・L・ルッチーノ)が Bob Langer および友人数名を含むメンツでレッド・ソックスの試合(僕自身は初観戦)に呼んでくれた。隣に座った僕に、Bob が自分の分野について、およびMITでの物事の進め方について教えようと提案してくれた。以後、Bob は僕にとってまさしく師匠と呼べる存在になったし、今ではメディアラボとも提携してくれている。メディアラボを拠点とし、MIT全域におよぶイニシアチブである、Center for Extreme Bionics(先鋭的生体工学のための研究センター)との連携下で、人間の身体障害を取り除くことに焦点を当てた多種多様な技術に取り組んでもらっている。

最近になり、Bob から関連のあるプロジェクトとして、彼がPureTech という会社で協働創設者および上級パートナーとして取り組んでいる仕事について聞かされた。PureTech は主に医療および生物医学分野にて、科学と工学を使って革新的な製品や会社を生み出すことに注力しており、研究者に足場を提供するとともに、技術および会社の初期段階に資金援助しているのだ。

同社では上級パートナー、研究者そして起業家からなるチームが、様々な開発段階にある計11のプロジェクトに取り組んでおり、会社の舵取りは創設者兼CEOである Daphne Zohar(ダフネ・ゾハール)が担っている。表面上はインキュベーターに見えるものの、実際はいくつもの点で新しいモデルと呼べる。PureTech 社内で実際にトランスレーショナル・リサーチ(基礎研究から応用分野におよぶ研究)が行なわれており、PureTech のチームは創設者としても、研究所の運営や実験の実施などの面においても、積極的に活動しているのだ。

Bob の話では、ソフトウェア/インターネット関連の要素がからむ PureTech 系の会社が増えつつあるため、取締役会に同エリアの専門家をもっと入れたいと考えているとのことだった。これは僕視点では理想的なチャンスに思えた。一線級の皆さんに混じって医療、生体工学そして生体医学技術に関する対話に参加しつつ、僕に経験のあるビジネスの一分野のノウハウを提供できそうだと考えた。

医療は万人に関係のあるものだ。我々の誰もが多かれ少なかれ患者兼消費者であり、患者は今後ますます、医療に関する意思決定の中心となっていくだろう。そしてウェアラブルデバイスの台頭により、リアルタイムで我々の生理状態を測定できる技術が普及することになるだろう。技術と臨床の距離が縮まるにつれ、デジタル技術もますます医療の主流に入り込んできて、「electronic medicine」 (電子医療)と呼ばれつつある、驚異的な成長余地を秘めた真新しい分野を形成していくだろう。インターネット系/技術系の会社が判断材料として活用している大量のデータは医療にも活用可能で、リアルタイムでの疾病モニタリングや、ターゲットを絞った新たな患者との連携などが可能になっていくだろう。

先日僕も同社の取締役に就任し、連携先の2社に注力している。1社は Akili という会社で、認知力ゲームを通じた認知力の問題の診断と治療を探求しており、もう1社は学際的なデジタルヘルスプロジェクトを、現在はまだステルス状態で進めているところだ。

医療と生体工学は急成長中の刺激的な分野だと思うし、これらの分野の優秀な研究室がケンドール・スクエア/ケンブリッジエリアにたくさんあるため、立地的な優位性もあると考えている。PureTech が新しい形で人の健康に好影響を与える効果的な筋道をつける一助となればと思うし、僕自身も学び続けながらそれに貢献することを望んでいる。

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