Jeff Bower photoblog Jeff Bower
Wed, Dec 31 19:00 UTC

3年前にMITメディアラボのディレクターに着任した時、僕の主たる「前職」はスタートアップ起業への投資と助言だった。僕は主にインターネット関連のソフトウェア系・サービス系の会社(Twitter、Flickr、Kickstarter など)に投資をしていた。メディアラボおよびMITに所属することになったのは、僕にとってはちょっとした方針変更だった。世界に影響を与えるという観点では、アカデミアは根本的に別のモデルであり、商業化するのがそこまで容易ではない基礎的な科学や技術に焦点を当てたものだからだ。

メディアラボ着任後にそこの事業に注力できるように、僕はスタートアップ起業への投資をやめる決意をした。(正式にラボでの仕事を始める前に、メディアラボ同窓系の会社である LittlebitsFormLabs に投資していた。)メディアラボとMITについて学ぶことに没頭する中で、各種の科学や技術がこの世に出てきた流れについて学び、考え続けた。とりわけ、人の健康に多大な影響を及ぼす生物医学研究が、多額の先行投資を必要としており、他分野とは大きく異なる様相を呈している点に好奇心をそそられた。僕は生物医学研究についてほとんど知らなかったが、強い興味をおぼえたのだ。

MITに着任する以前から Bob Langer(ボブ・ランガー) の話は耳にしていた。生物医学研究の商業化への貢献、および、バイオエンジニアリング(生体工学)分野の躍進の一助となったことで有名な人物だ。特許を1050件持っていて、何十人もの研究者のグループが傘下にいる。Bob はMITに11人いる、Institute Professor(インスティテュート・プロフェッサー)と呼ばれる、卓越した業績を認められ、各学部長ではなく総長直属となっている教授職の1人だ。

去年6月、Bob の元教え子で、彼のラボ発のスタートアップを経営していた David L. Lucchino(デビッド・L・ルッチーノ)が Bob Langer および友人数名を含むメンツでレッド・ソックスの試合(僕自身は初観戦)に呼んでくれた。隣に座った僕に、Bob が自分の分野について、およびMITでの物事の進め方について教えようと提案してくれた。以後、Bob は僕にとってまさしく師匠と呼べる存在になったし、今ではメディアラボとも提携してくれている。メディアラボを拠点とし、MIT全域におよぶイニシアチブである、Center for Extreme Bionics(先鋭的生体工学のための研究センター)との連携下で、人間の身体障害を取り除くことに焦点を当てた多種多様な技術に取り組んでもらっている。

最近になり、Bob から関連のあるプロジェクトとして、彼がPureTech という会社で協働創設者および上級パートナーとして取り組んでいる仕事について聞かされた。PureTech は主に医療および生物医学分野にて、科学と工学を使って革新的な製品や会社を生み出すことに注力しており、研究者に足場を提供するとともに、技術および会社の初期段階に資金援助しているのだ。

同社では上級パートナー、研究者そして起業家からなるチームが、様々な開発段階にある計11のプロジェクトに取り組んでおり、会社の舵取りは創設者兼CEOである Daphne Zohar(ダフネ・ゾハール)が担っている。表面上はインキュベーターに見えるものの、実際はいくつもの点で新しいモデルと呼べる。PureTech 社内で実際にトランスレーショナル・リサーチ(基礎研究から応用分野におよぶ研究)が行なわれており、PureTech のチームは創設者としても、研究所の運営や実験の実施などの面においても、積極的に活動しているのだ。

Bob の話では、ソフトウェア/インターネット関連の要素がからむ PureTech 系の会社が増えつつあるため、取締役会に同エリアの専門家をもっと入れたいと考えているとのことだった。これは僕視点では理想的なチャンスに思えた。一線級の皆さんに混じって医療、生体工学そして生体医学技術に関する対話に参加しつつ、僕に経験のあるビジネスの一分野のノウハウを提供できそうだと考えた。

医療は万人に関係のあるものだ。我々の誰もが多かれ少なかれ患者兼消費者であり、患者は今後ますます、医療に関する意思決定の中心となっていくだろう。そしてウェアラブルデバイスの台頭により、リアルタイムで我々の生理状態を測定できる技術が普及することになるだろう。技術と臨床の距離が縮まるにつれ、デジタル技術もますます医療の主流に入り込んできて、「electronic medicine」 (電子医療)と呼ばれつつある、驚異的な成長余地を秘めた真新しい分野を形成していくだろう。インターネット系/技術系の会社が判断材料として活用している大量のデータは医療にも活用可能で、リアルタイムでの疾病モニタリングや、ターゲットを絞った新たな患者との連携などが可能になっていくだろう。

先日僕も同社の取締役に就任し、連携先の2社に注力している。1社は Akili という会社で、認知力ゲームを通じた認知力の問題の診断と治療を探求しており、もう1社は学際的なデジタルヘルスプロジェクトを、現在はまだステルス状態で進めているところだ。

医療と生体工学は急成長中の刺激的な分野だと思うし、これらの分野の優秀な研究室がケンドール・スクエア/ケンブリッジエリアにたくさんあるため、立地的な優位性もあると考えている。PureTech が新しい形で人の健康に好影響を与える効果的な筋道をつける一助となればと思うし、僕自身も学び続けながらそれに貢献することを望んでいる。

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メディアラボに着任して最初に学んだ言葉のひとつに「antidisciplinary」(脱専門的)というものがある。新設の教員職の求人情報に、必要条件として記載されていたのだ。異なる専門の人々同士が連携することを「interdisciplinary」(学際的)と言うけれど、脱専門的なプロジェクトというのは、いくつかの専門分野の総和ではなく、真新しい何かを意味している。「脱専門性」という言葉自体、定義が難しい。僕自身は、従来の学界的な意味での専門分野の区分けに適合しない何か、もしくは誰か、すなわち独自の語句、フレームワークや手法をもつ研究分野、の意味に解釈している。研究者の多くは、論文審査(ピアレビュー)のある著名な専門誌への掲載回数でその実績をはかられる。論文審査は通常、ある人が属する専門分野の実力者たちが、その人の仕事をレビューして、重要かつ独創的であるかどうかを判断するというものだ。この構造ゆえ、研究者は型破りゆえにハイリスクなアプローチよりも、自分の専門分野での少数の専門家に認めてもらうことに注力しがちになる。この力学が、より狭い範囲の内容をより深く探求していくという、研究者のステレオタイプを助長している。超専門化により、異なる専門分野の人々が他分野の人々と連携することはおろか、コミュニケーションすらとりにくくなってしまっているのだ。僕にとっては脱専門的な研究とは、数学者 Stanislaw Ulam(スタニスワフ・ウラム)の有名なコメントに類似するものだ。彼は非線形物理学の研究を「ゾウ以外の動物の研究」のようなものだと称した。脱専門性とは、まさしくゾウ以外の動物に着目することを意味する。

メディアラボは「独創性、インパクトそして魔法」に注力している。ラボの学生および教員は、ユニークなことに取り組むべきである。別の誰かがやっていることに取り組むべきではない。別の誰かが同じことを始めた場合、ラボ側では中止すべきだ。我々の取り組みはそのすべてがインパクトを与えるものでなくてはならない。そしてそれは我々に情熱を沸き起こすものであるべきで、漸進的な発想にとどまるべきではないのだ。ここでの「魔法」とは、インスピレーションの元になるプロジェクトに取り組むべしということだ。「Lifelong Kindergarten」グループでは、研究者がしばしば「創造的な学びの4つのP」として「Projects」(プロジェクト)、「Peers」(仲間)、「Passion」(情熱)そして「Play」(遊び)を挙げる。遊びは創造的な学びには非常に重要なのだ。報酬とプレッシャーで人を「produce」(生産)するように仕向けることが可能だと示している研究は多々あれども、創造的な学びそして思考には遊びによって生じる「余地」が必要なのだ。プレッシャーや報酬はしばしばその余地を減じさせてしまうため、結果的に創造的な思考をつぶしてしまいかねない。

メディアラボで求めている種類の研究者とは、既存の専門分野の中間に位置しているか、あるいはそれらを超越しているため、どの専門分野にも当てはまらない人材なのだ。僕はしばしば、自分のやりたいことを他のいずれかのラボか学部でできるなら、そっちでやるべきだとコメントする。やりたいことをできそうな場所がメディアラボしかない、という人だけがうちに来るべきだと。メディアラボは脱専門的なはみ出し者の巣窟に他ならない。

我々が生み出した「余地」について考える時、僕は「すべての科学」を表す巨大な1枚の紙をイメージする。各専門分野はこの紙の上の小さな黒い点であり、点と点の間にある広大な白紙部分が脱専門的な余地に当たる。この白い余地でのびのびやりたい人は大勢いるものの、そこに対する出資は非常に限られており、黒い点のどれかに専門的な足がかりがないと、在職権のあるポストに就くのはさらに困難となってしまっている。

我々が様々な分野や視点の協力を必要とする、より困難な問題に取り組んでいくにつれて、専門分野同士の乖離によるマイナスがますます大きくなっていっている印象だ。複雑怪奇なシステムである人体は、尋常じゃないほど集学的な分野となってきた。我々は本来、「唯一の科学」と呼べるものに従事すべきなのだが、現状では異なる専門分野がモザイク様に散在しており、口にする言語や顕微鏡の設定があまりにも異なるため、同一の問題に取り組んでいてもそのことにお互い気づかないことすらあるのだ。

Hugh Herr(ヒュー・ハー)、Ed Boyden(エド・ボイデン)、Joe Jacobson(ジョー・ジェイコブソン)、Bob Langer(ボブ・ランガー)率いるメディアラボのCenter for Extreme Bionics(先鋭的生体工学のための研究センター)では、機械工学から合成生物学、神経科学に至るまでのあらゆる知見を用いて、多種多様な身体障害を打ち消すという挑戦を続けている。これらの専門分野は多種多様すぎて、従来の学部や研究室の枠組みでは決して協働できないだろう。
メディアラボの共同創設者である Nicholas Negroponte(ニコラス・ネグロポンテ)はかつて、アカデミア在職者は「publish or perish」(論文発表無き者は滅ぶ)だという格言をもじり、メディアラボの在職者の規範は「demo or die」(実証無き者は無価値)だとの金言を打ち立てた。僕はこれをさらにもじり、「deploy or die」(実装無き者に明日は無い)をモットーとしたい。メディアラボの全教員および学生は、自分たちの仕事が究極的に世の中に対してどのような形で実証されるのかを考え続けてほしいし、それを自らの手でなしえるなら、さらに素晴らしいことだ。

連携して大がかりなプロジェクトに取り組むというこの考え方により、分野の垣根を越えて研究者たちが繋がっていき、多数の分断された専門分野ではなく、一つの科学へと融合していくのではなかろうか。専門分野はまだ必要であり続けるだろう。しかし、このような高次の取り組みに注力するとともに、学界や研究費のあり方を改革することで専門分野間の広大な白紙部分、脱専門という大いなる余地で活躍する人たちの数を増やしていくべき頃合いだと、僕は考えている。
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追記:メディアラボの教員の1人から、各専門分野は小さな点というよりも幅が広めの帯状になっており、引用件数の多い論文の多くは、斬新な「脱専門」的余地に位置するものだ、との指摘をいただいた


自分の24歳の誕生日はとても明確に記憶している。1990年で、映画「インディアン・ランナー」の共同制作責任者の仕事を終えたところだった。東京の六本木にあるナイトクラブを、シカゴの「The Smart Bar」のチームと共に経営していた。マドンナが「ヴォーグ」をリリースしたばかりで、シカゴのハウスミュージックがアシッドハウスに進化し、レイブシーンが盛り上がっていた。世界も僕の人生も、楽しくて騒がしい時期だった。

僕が最初にTimothy Leary(ティモシー・リアリー)に出会ったのは共通の友達である、当時 Kyoto Journal の編集長を務めていた David Kubiak(デビッド・クビアック)を通じてだった。レイブシーンにより1960年代的テーマがいくつもリバイバルしていたため、ティムに会えるのを非常に楽しみにしていた記憶がある。僕は意識と精神について書いた本をいくつか読んで自分の進むべき道を見出そうとしていて、そこにはティモシーがしばしば、中心的役割を担う人物として登場していた。直近では Robert Anton Wilson(ロバート・アントン・ウィルソン)著の「コスミック・トリガー」という本を読んでいた。その本では著者が最初に読み手に対し、その本に書かれているすべてがウソであると伝え、その後、かつてないほど素晴らしく精緻な陰謀論を語り紡いでいたのだった。その本で Wilson はjoi「23」が魔法の数字であり、ティモシー・リアリーが宇宙人たちから「通信」を受けたのだと説明していた。僕は何を信じていいのか、そもそも何かを信じるべきなのかを判断しきれずにいたものの、当時、世界は秘密であふれていると確信していて、自分もそれらを知りたいと思っていた。

ティムと共に、当時六本木の中心にある交差点に立っていたのを覚えている。夜、街に繰り出す時には誰もが待ち合わせていた由緒正しき喫茶店の店名から、「アマンド」と呼ばれていたあの交差点だった。新進のサイバーパンクシーン、その日本での展開についてそこで立ち話をしていて、僕はティモシーに、自分が24歳になったばかりで、歳が魔法の数字のはずの「23」であるうちに何か神秘的なことが起こるとばかり期待していたことを話した。そして彼に、コスミック・トリガーに書かれた『スターシード通信』についても尋ねた。ティモシーが笑いながら、あれは丸々ジョークなんだと教えてくれた様子を明確に覚えている。あの本に書かれたすべての内容、および彼らが話題にすることの大半はひとつの壮大な冗談であり、まったくもって信じていいものではないのだと。その一瞬で、僕が信徒であった宗派の導師だったはずのティモシーにより、道から転げ落ちてしまったのだ。

ティモシーはその後、別のジョークも聞かせてくれた。

「ヒッピーの一団が人生の意味を求めてインドに行った。何年も何年も山々を登り、答えを知っている導師を探し求め、ようやく人生の意味を知っているとされる導師を探し当てた。彼らが『人生の意味とは?』と彼に尋ねると、導師は『濡れた鳥は、夜は飛ばない』と答えた。ヒッピーたちが『飛ばないのか?』と尋ねると、導師が『飛ぶのか?』と聞き返した。」

これは僕がこれまでの人生で学んできた精神面の教訓のうち、最も重要なものだ。その日の晩、ティモシーにジェットコースターのごとく東京のナイトライフシーンを見せてまわり、彼が後に「ニューブリード」と呼ぶことになる日本の若者たちを紹介した。技術と文化に精通し、ドロップアウトするんじゃなくて自分たちが主流になりたがる、新たな若者文化のことだ。ティムは自分のスローガン「スイッチを入れ、波長を合わせ、消し時を見極めろ」をいじって「スイッチを入れ、波長を合わせ、自分の波を流せ」に変え、僕をゴッドサンとして迎え入れた。ゴッドサンの役割はゴッドファーザーに学びをもたらすことだと説明された。僕らは一緒に本を書き始め、そのテーマを軸に公開イベントをいくつか開催した。

ティモシーは常に「権力に疑問をもち、自分で考えろ」と言ってまわっていた。覚えているのは、彼と僕とで講演をしたイベント後に、若者の一団がティムのところに来て、「で、僕らはいったいどうすれば!?」と尋ねたのに対し、彼が「自分で考えろ!」と怒鳴ったことだ。ティムと一緒にいる中でわかっていったのは、人々は導師役を欲しており、自分が導師ではないのだと説明しようとすればするほど、自分が実際は導師で、この世の秘密を教えてくれうるのだと、より多くの人が確信することだった。人々は「答え」と呼べるものを求め、何らかの目標に到達したいと欲しているのだった。しかし、答えも目標も、そもそも存在しないのだ。「勝ち」なんてものはないのだ。

ティモシー・リアリーによって自分本来の「悟りへの道」を踏み外させられた後、現在に至るまで、僕は好奇心と懐疑心の両方を伴ったスタンスで、様々なスピリチュアル系や気づき系の探求、追究をやってきた。今思えば、ティモシーは精神的な道というものの存在を実は信じていたんじゃないかという気がするけど、僕があの時たどっていた道そのもの、そしてその道についての僕のナイーブな認識は、さらなる探求心をもって一から出直せるように、あの時点で完全に粉砕されてよかったのだろうと思う。

僕は導師的存在の吸引力や、自分自身が導師的なものと誤解されるようなことをかなり頑張って避けてきた。これまでに大勢の方に師事し、様々な瞑想やマインドフルネス(気づき)の方法論を試してきたが、まだ自分では初心者だと思っている。僕はここまでの旅路にはとても満足しているし、人生1年1年、毎年より多くの幸せを享受し、より面白く感じている。自分の人生の鍵となる時点で軌道修正をしてくれたティモシーにお礼を言いたい。

去年、Eメールでのやりとりで、タフツ大学に短期間だけいた時からの古い友達、Pierre Omidyar(ピエール・オミダイア)が、Tenzin Priyadarshi(テンジン・プリヤダルシ)を訪ねたらどうかと書いてきた。Tenzin は MIT の Dalai Lama Center の責任者で、会って話して一緒に講座をやってみようと決まった。最良の学びは教えることで得られるという格言にあるように、僕は講座で教える側にまわることでマインドフルネスについてもっと学び、実践面の修練もできるだろうと、二つ返事で話に乗った。

テンジンと相談して、講座名は「Principles of Awareness」(意識性の大原則)に決めた。

意識とは何か。自己意識は最初から備わった状態なのか、それとも練磨によって成されるものなのか。アウトプットや心地よさの改善に寄与しうるのか。技術は意識を高めたり、あるいはその足を引っ張ったりする要因になるのか。我々が意識をもちうるこの能力に、倫理的な枠組みはあるのか。自己意識は幸せに繋がるのか。我々の講座は体験学習的な学習環境で実施し、学生/参加者が意識にまつわる様々な理論や方法論を掘り下げることができるようにする。学生には公開で記録を残すことを義務づけて、方法論や評価などを記録してもらい、講義中に定期的に成果や観察内容をプレゼンしてもらう。最終的なプロジェクト内容は、「アウトプット」や「心地よさ」に注目した、意識にまつわるツール、方法論、インターフェースなどの評価となる。

クラスミーティング(オンラインおよびオフライン)では実践、レクチャー、そして招聘講師や専門家とのディスカッションなどを行う。講義の一部は一般にも公開する。実践は瞑想からハッキングまで幅広い内容となる。

先週水曜日に実施した第1回目の講義は実に興味深いものだった。学生の顔ぶれは多彩で、瞑想が初めてという学生も何人かいる一方で定期的に祈りを捧げる(瞑想の一種)習慣をもつ者もいた。マインドフルネスの様々な形での実践経験をもつ面々もいた。意識に関する話し合いにおいて、テンジンと私で瞑想についてたくさん話した。学生の1人が僕に、「で、その頻繁におっしゃっている『あちら』とは何のことですか」と質問してきた。僕は、自分が瞑想時に行く、あの真なる自然と繋がる「場所」を「あちら」と呼んでしまっていたことに気づいた。瞑想の技術やスタイルによって、至福の場となりうる「あちら」を。「あちら」は「悟りの境地」でもありうる。テンジンがすぐにフォローを入れ、「あちら」にたどり着くことに注目してしまうと全員が「あちら」に行きたがってしまい、趣旨とずれてしまうことを説明した。

まったくもって同感だ。気の動きと瞑想を統合した中国発の氣功について、僕が耳にした最も有用なコメントは、目的意識をもつべきではない、ということだ。氣功には「勝ち」などないのだ。目的はよりよい状態になっていくことではなく(やっていくうちになることはなるのだが)、実践そのものが目的なのだ。僕に言わせれば、瞑想そのものも同様だ。自分とか他人相手に「勝つ」ことが目的ではないのだ。このブログ投稿を書く行為自体も、自慢げに思えたり、「何でも知ってるぞ」感が伴ってしまう気がしていているが、実践の要点はそこではないのだ。どんな形での実践もやればやるほど上手くなっていくし、成長を嬉しく感じるのは悪いことではないものの、マインドフルネスと瞑想のそもそもの目的は自分が「今」にいることで、目的意識や利己主義にかられたり、未来や過去に気をとられることではないのだ。

人が自分の瞑想の実践について自慢するのを聞くとどうかと思うし、これまで僕は瞑想やマインドフルネスの話題は、自分たちの体験を話し合う際に少人数の方々としかしていなかった。しかし、意識に関する講座を担当し、学生たちに体験を残らず共有しろ、その公開ログを書け、などと求めている今では、僕自身もそうすべきだと感じた次第だ。

今後数週に渡って、僕の実験や観察の一部についてさらなる投稿ができればと思っている。

Synbiota(シンバイオータ)について初めて耳にしたのは今年のSXSWi で彼らが Accelerator Award を受賞した時のことだった。発表によると Synbiota は世界中の科学者、研究者、大学などを繋げ、遺伝子工学を用いて複雑な問題を解決するバーチャル連携サイトとのことだ。彼らはその週のうちに世界初の大規模オープンオンライン科学(Massive Open Online Science、MOOS)イベントの実施を発表した。「#ScienceHack」と銘打たれたそのイベントは、世界中の何百という研究者たち(よくわからない僕らみたいなのも含む!)が新型の「ウェットウェア」キットを使い、本来なら高額すぎて作れない部類の医薬品を数分の一のコストで作り出す、というものだった。

ひと月後、以下のメールが届いた。

From: Connor Dickie
To: Joi Ito
Cc: Kim de Mora
Date: Apr 17, 2014, at 11:12
Subject: ML alumni wins SXSW prize for SynBio startup & Invitation to #ScienceHack
From: Connor Dickie
To: Joi Ito
Cc: Kim de Mora
Date: Apr 17, 2014, at 11:12
Subject: ML alumni wins SXSW prize for SynBio startup & Invitation to #ScienceHack
(件名:メディアラボ卒業生が合成生物学でSXSWを受賞 /#ScienceHack へのご招待)

合成生物学およびプラットホーム「Synbiota」を使って実効のある医薬品を数分の一のコストで作成する分散型科学の試み「#ScienceHack」ご参加のお誘いです。#ScienceHack は先日、O'Reilly Radar から最も意欲的な分散型科学プロジェクトと評されました。生命工学に興味をお持ちかと存じますので、この機会にご参加いただければと思い、ご案内いたします。

ご参加いただくのは簡単です。我々のウェットウェア・キットのひとつである「Violacein Factory」(ヴィオラセイン・ファクトリー)を私から郵送します。また、同キットの使用に関心がありウェットラボ系の技術もお持ちのiGEM HQ の Kim de Mora 氏に紹介します(本メールをCCしてあります)。in silico(コンピューターシミュレーション)での設計、および実際のDNA断片の作成を合わせて、所要時間は1時間半ほどでした。培養などは Kim 氏が対応します。約5日後に彼のラボを再訪すれば結果をご覧いただけるはずです。

Violacein Factory キットを先日、地元であるカナダで作成し、その後ニューヨーク市での Genspace でも作ったのですが、誰もがそこから多くを学び、ヴィオラセイン生成生命体の最適化という我々の目標に向け、有意義な進展が得られました。

私はカナダからの商工系の派遣団の一員として27日から30日までボストン/ケンブリッジにいますので、もしご興味があれば、直接会って本件についてお話しできればと思っています。

よろしくお願いいたします。

Connor Dickie
http://alumni.media.mit.edu/~connord/


iGEM (International Genetically Engineered Machine)のことは知っていた。iGEM はMIT からのスピンアウトで、ロボットコンテストがロボットに興味のある子供たちを集めてハックさせたり学んだり競争させたりするのと同様に、高校生と大学生が一堂に会し、DNA をハックする機会となったものだった。iGEMは今や Jamboree イベントで2000人を超える学生を集めているが、すごいのは、最先端の合成生物学を大衆に普及させていることだ。

ヴィオラセインは自然に存在する紫色の化合物で、アマゾンなどの熱帯地方の土壌中でみつかる Chromobacterium violaceum というバクテリアによって作られる。ヴィオラセインは、そのバクテリアが捕食しようとしてくるアメーバ性生物に対する自然防御機構として生成されるもので、抗寄生虫性が見込まれており、がんの治療薬としても可能性があるようだ。問題は、野生由来のものを獲得することが困難であるため、グラム当たり35万6000ドルもの費用がかかる点だ。

合成生物学を(僕が一番好きな学習方法である)直接的実践で学べる好機とくれば、見逃すわけにいかず、やらせてほしいと即答でこの話を受けた。そしてまずは組み換えDNAをいじるのに必須の安全講習を受講した。「研究者のためのバイオセーフティー総論」完了。「血液媒介病原体(研究者向け)」完了。肝炎関連情報フォーム、記入完了。衛生化学総論(ウェブ)および有害廃棄物の取り扱い(ウェブ)、完了!

その後、実際の手技を行うべき場所探しを始めたんだけども、そちらはけっこう大変だった。Synbiota から提供されるキットおよび作業行程は基本的に安全で非毒性ではあるものの、組み換えDNAおよびバクテリアを使った作業にはMITのちゃんとしたウェットラボが必要なのだった。そしてそのウェットラボは数が限られており、メディアラボの所長によるバイオあそびよりも大事な取り組みに使われているのだった。

チームの面々と話し合って必要なものを散々検討した結果、僕の自宅のキッチンを使うのが最も迷惑がかからないと決めたのだった。

7月27日。Synbiota チームと iGEM の Kim、そしてメディアラボその他からの多様な顔ぶれの研究者らが、Violacein Factory を使った #Sciencehack のために僕の家に集まってきた。まずは自分たちが何をしようとしているのかについての具体的なブリーフィングから始めた。

我々の目的は合成生物学を用いてヴィオラセインを合成する手法の最効率化におけるイノベーションで、この取り組みには他にも何百ものチームが参加している。

科学者たちの手によって、ありふれたアミノ酸の一つであるトリプトファンが Chromobacterium violaceum の代謝経路によりヴィオラセインに変換されることが判明している。この経路には5つの酵素と、それらの生成のための様々な遺伝子配列が関与している。これらの、いわば遺伝情報の「部品」と呼べるものは、DNA分子内の異なる位置に配列されうるため、組み合わせによって特性や長所・短所が異なってくる。最適な配列と組み合わせは現時点ではまだ特定されていない。

合成生物学用のキットを開発している Genomikon との共同設計で作られた #ScienceHack Violacein Factory Kit には、様々な遺伝的「部品」が一通り入った小瓶群と、それらを合成してプラスミドを作り出すのに必要な材料が含まれていた。Synbiota による説明は以下の通りだ。

本キットには、以下のものを除き、必要なものがすべて含まれています。
・ ice buckets and ice
・ 42 C water bath with epi tube floaty blanket
・ 37 C incubator
・ピペット、ニトリル手袋、ペトリ皿、PCRチューブ、白衣(生命工学が本格体験できます。でもテキトーなトレンチコートでも大丈夫!)
・氷バケツと氷
・42℃の水浴槽とエピチューブ用の浮遊ブランケット
・37℃の培養器
上記の物はいずれも、自宅にあるかインターネットで調達できるか、地元の大学のラボショップ、もしくは友人の科学者のストックを探せば手に入るでしょう。

iGEM のKim がiGEMラボから一式を持ってきてくれて、すべての器具について安全な使用のためのプロトコルのキッチンを実演指導してくれた。

Synbiota はこのような素晴らしい #ScienceHack プロジェクトを練り上げただけではなく、研究ノートをオンラインで公開して共有するための一連のオンラインツールを開発しているし(僕が買っておいたオシャレな紙製ノートはいらないようだ!)、とてもよさげなグラフィカル・インターフェースを通じた DNA 設計が可能だし、コミュニティとして合成生物学に取り組めるようにするためのあれこれ揃ったツール群を研究者に提供している。あらゆる要素が非常に練られたデザインとなっており、効果的に機能した。

まずは Synbiota のウェブサイトでアカウントを作成し、自分たちの研究ノートにログインした。Justin がヴィオラセインの代謝経路について説明し、オンラインの遺伝子エディタ「GENtle3」(参考動画)を使ってオンラインで遺伝子配列を設計する方法を教えてくれた。

「GENtle3」ではキットの一環として提供されている遺伝的な部品を、どのパーツ同士を繋げられるかのルールの範囲内でさえあれば、好きなように遺伝子配列内へとドラッグ&ドロップできた。僕が設計した配列は Anc-ABEDDDC-Cap だった。A、B、C、D、E はそれぞれヴィオラセインの代謝経路を構成する各酵素に対応している。(Sciencehack プロジェクト内でシーケンス(配列)タブを表示させれば、これを含む、設計された配列を確認できる。)

配列の最初には必ず「Anchor--Origin-X'」断片を入れる必要があった。電磁ビーズに繋がっているのがその部品だからだ。実はこれこそが、一連の素晴らしい手技をキッチンでも可能にした、鍵となる革新の一つなのだ。

キット内にはミクロン未満の電磁ビーズがあり、そこにアンカーパーツ(DNA鎖)が繋がっていた。これがどういうことかというと、小型ながら強力な外部磁石を容器であるエピチューブの外面に当てることで操作中の遺伝物質を残らずエピチューブの側面に寄せて、対象物を容器にしっかりと固定した状態でピペットなどを使って容器に液体を加えたり抽出したりできるのだ。

配列が設計できたら、次は実際の合成だ。手技としてはビーズをエピチューブに入れ、洗浄用の試薬を加え、洗浄用試薬を除去し、設計の次の部分に対応したカラーコードになっているチューブから遺伝子の部品を加え、ビーズ上にあるDNA鎖にその新たな部品を繋げるためにDNA用のノリとでもいうべき T4 DNAリガーゼを足し、余剰の物質を除去し、再び洗浄し、以下、ビーズに予定どおりの順番で部品を追加し終わるまでその流れを繰り返していった。理論上は、これで各ビーズに我々が設計したDNA配列(プラスミド)に対応した長いDNA鎖がそれぞれ繋がっているはず。

最後のステップでバッファを使ってDNA鎖からビーズをとりはずせば、残された小さな一滴の遺伝物質は、生きたバクテリアに導入することでトリプトファンからヴィオラセインを生成するのに必要な酵素が一式、合成可能になるわけだ。

次のステップは「転換」と呼ばれるもので、作ったプラスミドをバクテリア(我々の場合は E. coli)に導入する行程だ。 このトランスフェクション段階が容易に進む「優秀な」 E. coli 株も、よう、iGEM が生み出したものだった。転換を引き起こすために我々が使った行程はE. coli ともども遺伝物質を食塩水に加えて急速加熱し、遺伝物質を E. coli に吸収させる、ヒートショック法と呼ばれるものだった。ふと見ると、過熱用の器具に「MIT 備品管理室」のステッカステッカーが貼ってあった。ちょっとしたパンクロック精神の現れだね。ヒートショック後、養分やミネラルを含む液状物を加えて E. coli を「リブート」した。すなわち、目覚めさせて、導入したばかりのDNAコードを実行してもらえるよう、培養可能な状態にしたのだ。

その後、E. coli を抗生剤であるクロラムフェニコールと共にゼリーのようなエサ(培地)がのったペトリ皿に塗布した。配列の設計時に巧妙にもクロラムフェニコール耐性を高める遺伝的パーツを含めていたため、クロラムフェニコールによってペトリ皿上の他のバクテリアが一掃してくれるという仕組みだ。

こうしてペトリ皿を iGEM に送り返し、培養してもらった。結果はカンペキでこそなかったものの、ヴィオラセイン、および、代謝経路に関連した他の分子が生成されたようだった(他の誰かのでは違う色ができていたりした)。僕のペトリ皿の画像を見ると黒っぽいジグザグの塗布跡があるけれど、これは僕が設計して作り出したDNAが実行された結果、何十億というバクテリアが代謝他体を生成しているからだ。この時点ではまだヴィオラセインを作り出せたかどうかは確証がなく、さらなる確認と実験を要するものの、複雑な代謝経路の作成を初めて試みたにしては、正直悪くない。さらにすごいのが、僕が設計したいDNAは12,000塩基対というかなり長めのものなんだけど、#ScienceHack の次のステップはこれが丸々僕の設計どおりに合成されたかどうかを確認できる点んあおだ。我々は他のチームと設計、プロトコルおよび行程を共有した。次のステップで他のチームの仕事を見て改善可能な点がないか検討し、もう一度やってみるというわけだ。

2日半の作業で、我々は10年前だったらノーベル賞ものだった仕事をキッチンでやってのけた。遺伝子配列を設計し、それを実際に合成し、バクテリアに導入したうえでそのバクテリアをリブートしてみせたのだ。

また、従来の研究所の方式のようにひとつのチームが作業をして論文を発表し、他のチームが後からその仕事を再現しようと試みる形とは異なり、我々は作業中に仕事内容を共有しつつ、イテレーション、イノベーションそしてディスカッションを交えて進め、併存するラボからなるひとつの大所帯なチームとして取り組むことができたのだ。

何百もあるチームのどれかがヴィオラセインの合成、抽出そして精製の効率的な方法を発見できる可能性は高そうに思えるし、非常に稀少な化合物を作り出せる自作ビール製造装置のようなものを、誰でもヴィオラセイン製造工場が作れるような指示内容とともに研究者の皆さんに提供できる状態を、そう遠くないうちに達成できる見込みなのだ。

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注釈:上記の体験後、感銘を受けた僕は iGEM に寄付をし、Synbiota に投資することに決めた。


去年、メディアラボの学生グループが、僕の旧友でありハードウェアまわりの師である bunnie と中国の深川(しんせん)を訪問した。bunnie は、主に Xbox のハッキングやオープンソースのネットワーク化家電ハードウェアである「chumby」、多数の人々をハードウェア、ファームウェア、ソフトウェアの設計面で支援してきたことで、おそらくは最もその名を知られている。僕らにとって深川の窓口役である彼は、僕が知る誰よりも、中国の納入業者や工場のエコシステムを理解している。

彼のおかげでうちの学生たちは、我々の誰もが利益を享受しつつも、ほとんど目にしたり存在を認識したりすることすらないエコシステムを目の当たりにして、体験することができた。先週までは、学生たちの話やレポートを通じて間接的にはチェックできていたけれど、ようやく僕自身も bunnie と実際に深川を見てまわることができた。

bunnie は、大勢では入れない場所に行くのだしフットワークが軽いほうがよいのでグループをごく少人数に抑えるべきだと主張した。非常に幸運なことに、僕の旧友である LinkedIn 創設者の Reid Hoffman(リード・ホフマン)と、MIT総長の Marty Schmidt(マーティン・シュミット)も興味を示し、都合も合ったため、奇妙な顔ぶれのミニツアー団ができあがった。

ツアーの最初の目的地は、 AQS というカリフォルニア州フリーモントでも事業を展開している製造業者が運営する小規模の工場だった。同社は、主な事業として、回路基板にチップをとりつける作業をしている。工場内は表面実装(Surface-Mount Technology、SMT)用の機材であふれていた。コンピューター制御の空圧装置によってチップやその他の部品を拾い上げて回路基板上に配置するというものだ。何列にも及ぶSMT機器に加え、大勢の作業員がラインのセットアップ、機材のプログラミング、成果物のX線検査、コンピューターと目視による検査など、工程のなかで手作業のほうが経済的か、技術的に合理的な作業に従事していた。AQS は、メディアラボの学生である Jie Qi がデザインした回路ステッカーを作っている工場でもある。AQS の素晴らしいところは、bunnie の支援の下で、設立したばかりの企業や、中国国内で提携できる企業を見つけるのがこれまでは非常に困難だったであろうプロジェクトと密な連携をとり始めていることだ。そういったプロジェクトにとっては、起業家やうちの創造性豊かな学生との仕事にはつきものの、少量で、高リスクで、型破りなのが普通の注文がネックになっていたのだ。

技術の面以上に印象的だったのは、工場長の John や、プロジェクトマネージャー、エンジニアなど、bunnie が紹介してくれた人々だった。見るからに勤勉で経験豊富で、頼りがいがあり、bunnie や僕らの友人たちと仕事をするのを楽しんでいる様子だった。彼らはこれまでに製造されたことのなかったものを生み出すため、様々な新しいプロセスを設計、試行できるだけの技術と意志を持ちあわせていた。彼らの職人ぶりとエネルギーを見ていて、戦後の日本で製造業を築き上げた起業家やエンジニアたちもこんな感じの人たちだったんじゃないだろうかと連想させられた。

AQSを含め、訪問した小規模工場のすべてにおいて、作業員たちは工場をとりまく寮で生活し、食事と暮らしを共にしていた。生活費は全面的に工場から支援されるので、給料は丸々貯蓄か可処分所得かになっていた。また、工場長をも含む役員の全員が、作業員たちと共に暮らしていた。優良な工場を選んで訪問したからだろうとは思うけれど、誰もが満足げで、オープンなスタンスで、人間関係が非常に密な印象を受けた。

AQSの後で、プリント基板そのものを作製している King Credie を訪問した。プリント基板の製造工程は非常に洗練されたプロセスだ。そのプロセスでは、基板に層を足しつつ、それと同時に、はんだや金や、様々な化学薬品などの素材を使ってエッチングや印刷を行い、多数のステップと複雑な制御系を伴うものだ。その工場では非常に先進的なハイブリッド型プリント基板を扱っていて、セラミックの層や柔軟性の高い層などが含まれていた。世界のどこであっても、とても難しく特徴的であろうそれらのプロセスが、工場との密接な連携により我々でも接触可能になっているのだった。

我々は射出成形工場も訪問した。bunnie には前から、比較的複雑な射出成形を要するプロジェクトを手伝ってもらっている。携帯電話からベビーカーの座席部分まで、プラスチック部品の大半は射出成形工程で作られている。工程の一環として、プラスチックが射出される先、巨大な鋼鉄の型である「ツール」の製作が必要になる。ここで難しいのは、鏡面仕上げにしたい場合は型も鏡面仕上げにしなければならない点だ。製造時に誤差を1000分の1インチに抑えたい場合、鋼鉄の型も同等の精度で削る必要がある。また、プラスチックが型に開いた複数の穴から型の内部に流れ込む仕組みを理解し、内部に均等にいき渡り、曲がったり割れたりせず、冷えるようにしなければならない。

訪問した工場には精密機械工房と十分な技術力をもったエンジニアがいたため、我々が求める射出成形用のツールを設計して加工できる条件は揃っていたものの、我々の初回生産分のボリュームは、彼らにビジネスとして訴求するには少なすぎた。先方は何百万単位の発注を望むが、我々のニーズは千個単位だったのだ。

そこで、興味深い展開になった。そこの工場長が、精密な型の加工を中国で行ったうえでそのツールを米国内の工房に送って生産工程を動かしたらどうか、と提案してきたのだ。我々がクリーンルームでの工程を要件として挙げていたため、生産工程を米国内で動かすほうが安くあがるものの、彼の中国の工房がもっているようなツール製造の専門技術と対応力は米国の工房にはなく、仮にあったとしても、そのような付加価値サービスを考えると、中国の彼の工房のコストとは比較にならないだろう。

この逆転劇は、射出成形の技術、需要、ノウハウが深川に移っていることを示唆している。たとえ製造能力そのものは米国にもあったとしても、知識のエコシステムの重要な部分が、現在では深川でしか得られなくなっているのだ。

その後、bunnie に市場に連れていってもらった。半日そこで過ごしたが、建物や売店や市場からなる巨大なネットワークのほんの一部しか見られなかった。市場ではいくつかの大きな街区に5~10階建ての建物が立ち並び、それぞれの階に売店が所せましと並んでいた。建物ごとに専門分野があり、それは一つの分野であったり、あるいはLED から携帯電話のハッキングや修理までといった複数の分野であったりもした。ありがちな感想ではあるけど、秋葉原のどんな姿よりも「ブレードランナー」的に思えた。おそらくその大きな一因は、売り手の多くが工場を主たる商売相手にしているため、小売ではなく卸売を重視しており、ボリュームが大きく、種々のインターフェースが荒削りなことだと思う。

我々が市場で最初に訪れた一角で見た人々は、壊れたり捨てられたりした携帯電話を部品に分解してサルベージしていた。機能性がまだ残っていると判断された部品は取り外され、大きなビニール袋に詰められて売りに出されていた。これ以外にも、部品の出どころとしては、工場のラインでははじかれた部品を修理したり、部品の1つだけが検査に引っかかったプリント基板のシートがあったりだ。iPhone のホームボタン、wifi 用チップセット、サムスンのスクリーン、Nokia のマザーボード。何から何まであった。Bunnie がチップの入った袋を指し示した。米国だったら末端で5万ドルするものが500ドルで売られているそうだ。このチップは単体ではなくポンド単位で売られていた。では、誰がチップをポンド単位で買うのか? 我々が新品として買うあらゆる携帯電話を作っている小規模工場が、しばしば部品不足に陥り、市場に走っていってその部品を袋単位で購入し、ラインを止めずにすますのだそうだ。ATTから新品と思って購入した携帯電話も、どこかに深川でリサイクルされた部品が使われているというのは、きわめてありそうな話しだと思う。

これらの部品は、電話を修理する人も使う。修理は、スクリーンの交換といった単純なものから、全面的な再構築まである。スクラップパーツから組み上げた電話の完成品すら買える。「ケータイを失くしたので、修理してもらえないか?」ってとこだ。

電話がこのように「リサイクル」される市場以外にも、ラップトップ、テレビなど、あらゆるものについて同様の市場を目の当たりにした。

次に、少し系統の異なる市場に向かった。中に入るときに bunnie が小声で「ここにあるものは何もかも偽造品だ」と教えてくれた。「SVMSMUG」印の電話を始め、我々がふだん目にするあらゆる種類の電話に似たものがあった。しかし、最も興味をひかれたのは他では見られない外見のものだった。キーチェーン型、ラジカセ型、小型自動車、キラキラしたのから点滅するものまで、電話として思いつくあらゆるものが、驚異的な品揃えで並んでいた。その多くは「山寨」(さんさい)と呼ばれる偽造品業者がデザインしたもので、彼らは当初は既存の電話のパクリ品を作っていたものの、製造業のエコシステムとの近似性ゆえ、様々な新しいアイディアを生み出すアジャイルなイノヴェーション工房と化しているのだ。彼らは工場にも手が届く位置にいて、さらに重要であったのは、そこらの店で有名ブランドの電話製造業者の設計図を買えるため、その技(と秘密)にも手が届いたことだった。設計図と工場のエンジニアが最先端のことを教えてくれるため、それを自分たちの骨のあるデザインに応用し、より実験的でイカれたものを作っていけたわけだ。実はデュアルSIMカードフォンのように、その「偽造品業者」たちの手で発明された新技術も多数存在するのだ。

もう一つ驚かされたのは、コストだ。bunnie の話に出てくる、それらの電話の頭脳となっている非常に安価なチップセットがあって、それは中国以外では手に入らないのだが、どうやら約2ドルしかしないチップで、クワッドバンドGSM、Bluetooth、SMSなどに対応しているそうなのだ。フルフィーチャー電話で最も安価なものの小売価格は9ドル。そう、なんと9ドルだそうだ。これは米国で設計できるシロモノではない。これは製造用の機材を隅々まで知り尽くし、ハイエンド携帯電話の最先端技術を知っている、爪の下に工業用グリスが詰まったエンジニアにしか設計できなかっただろう。

知的財産はおおむね無視されているようで、仕事の秘訣や営業秘密は、家族、友人、信頼できる同業者からなる複雑なネットワークの中で限定的に共有されているようだ。これはオープンソースに近い雰囲気がするものの、別物だ。海賊版業者が知的所有権の居座り行為へと移行するのは今に始まったことではない。米国も、その歴史のごく初期に、独自の印刷業を発達させるまではあからさまに書物の著作権を侵害していた。日本の企業は、自分たちが時代をリードするようになるまでは米国の自動車メーカーをコピーしていた。深川もちょうど、国やエコシステムがフォロワーからリーダーへと変わる重要な転換点にあるように思える。

クアッドコプターの一機種、 Phantom Aerial UAV ドローンを作っている DJI 社を訪ねた時、そこには時代の先を走る会社の姿があった。同社は年間成長率が5倍以上というスタートアップで、消費者市場向けに設計された中では歴史上最も人気のあるドローンの1機種を手がけている。中国では特許取得数トップ10に入っている。各工場の技術の恩恵も受けつつも、知的財産の点ではクリーン(かつ積極的)であることの重要性も強く意識してきた会社だ。DJI は、シリコンバレーのスタートアップを、我々が訪問してきた工場の職人魂と仕事術とマッシュアップしたような印象だった。

我々はまた、非常にハイエンドで最大手クラスの、何百万台という電話を作っている携帯電話工場も訪問した。すべての部品は完全に自動化された倉庫からロボットによって配達されていた。プロセスも機材も一流で、世界のどの工場にも引けをとらない洗練ぶりだった。

一方では、非常に先進的な基板を、単体単位のボリュームで、手作業ゆえにケーブルテレビの月額程度の料金で組み立てられるという、小さな店も訪れた。肉眼では見ることすら困難なチップを手作業で基板にのせ、アメリカ人に聞いたとしたら5万ドルの機械によってしかできないと言われそうなハンダづけのテクニックを体得していた。僕が驚いたのは、彼らが視覚的な補助装置を何も使っていなかったことだ。顕微鏡も虫眼鏡も何もなし。米国の作業員は、この人たちのできることの一部はこなせるだろうけど、視覚的な補助は必須となるだろう。bunnie の説では、彼らは直感と筋肉の記憶でやっているらしい。神秘的で美しい光景だった。

PCH International 社も訪問した。資材が届くやいなや、組み立てられ、箱詰めされ、ラベルが貼られて出荷されていっていた。企業にとって、かつて工場から店舗まで3ヵ月もかかっていたことが、今やわずか3日でできるのだった。しかも全世界に届けられるのだ。

我々はフランスの起業家2人が市場区画の中央で運営するハードウェア系インキュベーター、HAXLR8R にも行った。

そこで体験したのはエコシステムと呼べるものだった。コンピューター制御で点滅するバーニングマンのバッジを50個作っている小さなビスポーク店から、ビッグマックを食べながら電話を組み立て直している男性、そして立ち並ぶ表面実装機に部品を届けようとロボットがちょこまか動きまわるクリーンルームまで。世界の最先端の製造技術をこの地にいざなったのは安価な労働力だったが、工場のネットワークと仕事のノウハウを生み出したのはエコシステムであり、またそれらが、このエコシステムがありとあらゆるものを任意のスケールで作り出すことを可能にしているのだ。

様々な試みはあるにせよシリコンバレーと同じものを別の場所にもう1つ作るのが不可能なのと同じ様に、深川で4日間過ごしてみて、僕はあのエコシステムは他のどこにも再現できないだろうと確信するに至った。マーティ、リード、bunnie と僕とでよく話題にしたのは、深川から学ぶことでボストンとシリコンバレー(そして米国全体)のエコシステムに貢献できるのではないか、そして深川とより深い繋がりをもつにはどうすればいいのか、ということだった。

深川にもシリコンバレーにも、より多くの人々と資源と知識を集める、クリティカルマスとでも呼ぶべきものがあるわけだけど、どちらも同じく、あふれんばかりの多様性を秘めた生きたエコシステムであり、どこの地域でもそう簡単には再現できないような職人魂とノウハウの基盤を備えている。

他の地域にもその地域なりの利点がある。ボストンはハードウェアとバイオエンジニアリングの分野ではシリコンバレーと競争できるかもしれない。ラテンアメリカやアフリカの一部地域なら、特定の資源や市場へのアクセスという点で深川と張り合えるかもしれない。しかし僕は、深川が、シリコンバレー同様に、エコシステムとしてあまりにも完成した姿を見せているため、深川と連携できるようなネットワークを作ったほうが、深川と直接競争するよりも、成功の可能性が大きくなるだろうと考えている。

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先日TEDトークにて、深川への旅行と考察について、よりハイレベルなコンテクストを発表させてもらった。

Andy Rubin
Andy Rubin - Photo by Joi Ito

ユーザーインターフェースのデザインは、ユーザーがそのシステムを理解し、制御できる力を持てるようにすることを目標とする。出力は画面やスピーカーから、入力はキーボードかタッチスクリーン、もしくはジェスチャーで行う。そしてそれらのユーザーは、我々の意識、すなわち、状況を掌握できていると思っている脳の論理的な部分であると想定されている。

しかしその意識は、自らが思っているほどには状況を掌握できていない。実際、意識よりも大きくて、大抵はずっと賢い精神、すなわち神経系のうち感情的で無意識で並行処理やパターン認識を担う部分は、意識を操作したり欺いたりすることすらあるのだ。このことはずいぶん昔に二重過程理論としてまとめられており、Kahneman(カーネマン)はそれらをシステム1(思考の広大で素早く自動的な側面)およびシステム2(理論的な検討と判断を行う小さな意識)と定義する。

我々の意識は基本的な適応機能を備えており、戦うこと、交配すること、あるいは一日の暮らしの中での些細な判断に至るまで、自信をもって臨めるようになっている。しかし我々が構築している自信とは、精神のうち小さく論理的な部分におけるものであり、頭の中の別の部分では違うと察しても、それでよいのだと、自らを欺いているわけだ。

このことはトリヴァース(Trivers)が報告した実験で述べられている。その実験とは、被験者たちは一連の音声を聞くように指示され、その中に被験者本人の声も混ぜているというものだ。被験者の自信の度合いによって、自分の声を他人のものだと誤認する者や、逆に他人の声を自分のものだと誤認する者が出た。興味深いのは、副交感神経系に通じているガルバニック皮膚反応を見ると、被験者の意識が欺かれた時にでも当人の声に一貫して同じ反応を示していたことだ。(Trivers, 1985年)

我々は、我々が下す判断であれ、自分がどのような気持ちなのかの自覚であれ、世界が常に秩序ある理路整然とした場所であり大抵の場合は何が起きているのかを理解できていると、自らに言い聞かせ続けている。しかし実際は、世界は複雑で混沌とした場所であり、世の中で起きていることの大半は、我々の体内での出来事も含め、我々の小さき精神の理解と(幸いにも)制御を超えたところにある。

よって優良なデザインとは、より広大で、高速で、感情的なシステムと繋がるものなのである。我々がフロー状態、ZONEなどと呼んでいるものは、単に我々の小さき意識が道を譲り、我々のより大きく直感的な精神が主導権を握れるようになった状態に過ぎない。バスケットボールを投げる動作にせよ、車の運転にせよ、我々の論理的な意識が各段階を調整しようとしたら、すべての段階を適切に連繋させるのは不可能に近く、困難だろう。しかし我らが小さき意識は、我々がその行為に熟達している場合には、残りのシステムが状況を支配できるように道を譲るだけの賢さは持ち合わせているのである。

だとすれば、なぜ我々は、システムの構築や把握の際、頑なに小さき精神の考えに基づいてそれを行おうとしてしまうのだろう? 限局的な知識や理論的な能力だけが評価対象となる学校のテストや、プルダウンメニューやマウスポインタといった、ユーザーがどこに意識を集中しているかに基づいたユーザーインターフェースのデザインなどを想像してみてほしい。

僕は、我々のシステムのうち、これまで考慮されてこなかった残りの部分に情報を送り、そこから制御的な信号を受け取るインターフェースの開発に注力すべきだと考えている。これは健康管理用のセンサー、補助ロボット、インターネットそのもの、サーモスタット、未来の乗り物などに適用できるのではないかと思う。

問題は、個人レベルでも集団レベルでも、我々の小さき意識が主導権を明け渡したがらない点だ。それには、時に意識を騙して、道をあけさせる必要がある。そこで欺まんの概念がデザインパターンの1つとして浮上する。

1800年代終盤、マサチューセッツ州スプリングフィールドの牧師兼体育教師ジェームズ・ネイスミス(James Naismith)は、厳しいニューイングランドの冬期、落ち着きをなくして荒れてしまう子供たちへの対処法を追求していた。彼らが毎年、冬季以外の9ヵ月間は得られている運動と協力と競争の機会を欲していることはわかっていた。

そこでネイスミスは、バスケットボールを考案し、子供たちが新しく楽しい遊びを通じて屋内で運動し、競争し、協力できるようにした。バスケットボールはとんとん拍子に成功し、各地のYMCAを通じて広まり、今日知られている人気スポーツへと発展していった。僕に言わせれば、彼があのスポーツに「ソーシャルボール」とか、「なかよしボール」といった名前をつけていたら、これほどの人気は得られなかった気がする。

この命名の控えめな欺まんは不道徳だっただろうか? 効果はあったのだろうか? ネイスミスが訴えかけようとしたのは、精神のどの部分だったのか? そしてその声はどの部分に届いたのか?

今日の我々は、自分たちの、自ら騙している意識に対して、どうしてほしいという要望を伝えるのに時間を割きすぎている。瞑想や遊び、祈り、もしくは欺まんを通じ、意識などが道を譲るように仕向けるのにもっと時間を使ってみたらどうだろうか。工業デザイナーのような発想(意識的なユーザーの意図に応えるためのデザイン)を減らし、もっとゲームデザイナーのような発想(各種の欲求や、精神の素早く非合理的な反応を想定したデザイン)をすべきではなかろうか。我々が自らにこうしているのだと言い聞かせている思考や行動からではなく、実際に行っている思考や行動から影響を受けるかたちで、医療用機器、コンピューター、乗り物、コミュニケーション用のツールをデザインする必要があるのだ。

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このフレームワークが最初に話題に出たのはJohn Maeda(ジョン・マエダ)との会話中だったと思う。発端となった見解は、芸術家と科学者の間の連携相性がよく、デザイナーとエンジニアとの間でも連携相性が良いのに対して、科学者とエンジニア、および芸術家とデザイナーだと相性が悪い、というものだった。エンジニアとデザイナーは物事の実用性に着目し、観察と問題の制約の把握を通じて解決法を編み出すことで世界を理解しようとする傾向にある。一方で芸術家と科学者は、自然や数学からインスピレーションを受け、純粋なる内的なクリエイティビティを通じて創造を行ない、単なる実用性などといった不完全なものではなく、真実や美しさなどの要素との関連が大きい形での表現や体現を追い求める。これはすなわち、脳には、左右の半球に分割する以外にも多くの分けかたがあることを意味する。

しかし僕は、面白く印象深い創造を行うにはこれら4つの象限をすべて使うことを求められる場合が多いと考えている。メディアラボの教員陣の多くはこのグリッド(僕は「コンパス」という表現がいいと思う)のど真ん中でやっていたり、あるいはいずれかの方向に偏重があったりするものの、4つの象限それぞれに属する能力を活かすことができている。最近「The Silk Pavilion」を生み出した教員の1人、Neri Oxman(ネリ・オックスマン)が言うには、彼女自身は芸術家でもあり、デザイナーでもあるものの、案を練っていく際に両方のモードを切り替えて取り組んでいくそうだ。「The Silk Pavillion」を見た限り、彼女が科学者やエンジニアの要件も容易に満たしそうなのは明らかだ。

我々がこのコンパスモデルの中心に到達するために活用できる教訓や考え方は多種多様にあると僕は考える。鍵となるのはこの4つの象限をできるだけお互いに近づけるように心がけることだ。学際的なグループであれば科学者、芸術家、デザイナーそしてエンジニアが連携して事にあたるだろう。しかしそれでは、これらの専門の間の区別が助長されるだけだし、プロジェクトや課題の要件に応じて4つの象限を併用できる人材に比べて格段に効果が弱くなる。

伝統的な専門分類が横行する環境や、機能的に分断された組織ではこの創造性のコンパスを活用できるタイプの人材は育たないが、変化の度合いが指数関数的に速まりつつあり、既存のものが崩れ乱れることが例外ではない茶飯事となった今の世界においては、我々が現在直面している課題、ましてや今後直面する課題に効果的に対処するには、この方法で発想するよう心がけるのが肝要に思える。

追記:この話題に関する良書をご紹介:Rich Gold(リッチ・ゴールド)著、「The Plenitude: Creativity, Innovation, and Making Stuff」(The MIT Press、2007年)
Richは4つの象限を「クリエイティビティの4つの帽子」と呼んでいる。

元の投稿はLinkedINに掲載。

Shaka and Joi

Shakaが著書「Writing My Wrongs」(自分の過ちを著す)をリリースした。彼のウェブサイトから購入できる。素晴らしい本であり、物語だ。今週、この著書の発売記念パーティーに出席した。Flickrに写真を何枚か載せておいたMITメディアラボのディレクターズ・フェローの1人でもあるShakaは、Knight FoundationのBME(Black Male Engagement)アワード受賞者であり、僕の友人の中でも屈指のインスピレーショナルな人物だ。彼の著書に序文を書かせていただいた。以下の通りだ。

MITメディアラボは2012年7月1日、Innovators Guild(イノベーターズ・ギルド)の創設を発表した。学者、企業家、デザイナーからなるチームが世界各地のコミュニティに出かけ、イノベーションの力で人々を助けよう、という試みだ。その最初の焦点になったのがデトロイトの街だった。

3週間後、我々一行の出張予算を出してくれたKnight Foundationが、デトロイトのコミュニティリーダーたちとの会合を設けてくれた。そこで我々はMITとメディアラボについてプレゼンテーションした。長年におよぶ未解決問題にどのような革新的解決法を提案できるか、それを探るためにデトロイトにやってきたのだと説明した。

質疑応答のセッションで、屈強そうな、ドレッドヘアの黒人男性が立ちあがって発言した。

「デトロイトに宣教師的な心構えでやってくる善意ある人々は多い。ところが我々の抱えた問題がどれほど大変かがわかると気持ちが萎えてしまう。本当に何かを変えたいのであれば、ミッドタウンやダウンタウン中心の美化されたデトロイトの姿を鵜呑みにせず、実際にコミュニティに飛び込んで、その中で取り組む必要がある。」

この他にも懐疑的な見解を述べたコメントはあったが、彼のこの言葉が特に印象に残った。我々は彼の言葉で初めて核心に触れ、真相を垣間見たように感じた。

会合の本編が終わるとその男性が声をかけてきて、Shakaと名乗った。我々さえよければデトロイトの真の姿を見せてくれると申し出てくれたので、即答でお願いした。次に現地入りした時、我々はダウンタウンを避け、デトロイトのウェストサイドにあるブライトモアに直行した。そこは荒廃した空き家や、防弾ガラス張りの酒店だらけの界隈だった。Shakaの話しには美しい要素は何もなく、それこそが真実だった。

現地入りして、何か善いことをして、ハイさようなら、なんて状況ではないことは皆すぐにわかった。我々は、コミュニティに自分たちのことを知ってもらい、そこに住んでいる人たちについて学び、信頼関係を構築する必要があった。デトロイトの街に、なにかしらの良い影響を残すには、そこに腰を据える必要があった。

その後の何週間かで、メディアラボの僕のチームと、デザイン会社であるIDEOのクリエイティブ系スタッフがデトロイトに飛び、そこでShakaたちと共に、コミュニティに参加して連携していくための計画を練った。その後、ShakaとデトロイトのチームをMITメディアラボに招待して、学生や教員に会ってもらったり、我々が何をしているのかを実際に見て知ってもらったりした。ラボとデトロイトの人たちの間に絆が生まれ始めた。

10月には我々全員がデトロイトに集まり、重要なコミュニティであるOmniCorpDetroitの本部に拠点を構えた。我々は、コミュニティのリーダー、チーフ・イノベーション・オフィサー、学生、デザイナーからなるチームであった。チームはそれぞれ、街灯問題の解決から都市部での農業に至るまで、様々なプロジェクトに着手した。Shakaは自然にリーダーとして頭角を現し、チーム間の連携やエネルギーを常に高く保ち続けた。

きわめて生産的なこの3日間を終えるまでに、僕はその後の計画を思いついていた。ShakaをMITメディアラボのフェローとして迎え、デトロイトの現地担当、彼が代表する非常に重要な世界への窓口になってもらおうと考えた。その後、Shakaとメディアラボのチームは密接に連携し始めており、彼は我々にインスピレーションと課題を与え続けている。

去年の12月にShakaから、回顧録の草稿ができたので興味があれば読んでほしいとのEメールが届いた。僕は熱中し、たった2回で読了した。Shakaは多才だが、その1つに素晴らしい語り手だという才能がある。彼の回顧録はユーモアがあり、心を打ち震わせ、含蓄に富むものであり、読み終わる頃には、殺人の有罪判決を受けて7年間服役し、怒りと恐怖にかられた少年から見識ある教え手でありリーダーである今の彼への劇的な変化を、僕自身が体験したかのようであった。

そして読み終わる頃には、可能性に満ちた聡明な子供たちが一世代、自分たちを凶悪犯罪者予備群としか考えていないシステムへと追いやられる機序がわかってきた。Shakaはまたしても僕に、自分の過ちを書き表すことで、過ちを正すための一助になる動機づけを与えてくれた。この本はShakaの過去を語ってはいるが、我々がより公正な社会を構築するための次なる一歩を示唆している。

1990年代初め、僕はEccosysという小さなスタートアップを経営していた。 僕のアパートに来ていた友達を寄せ集めてスタートした小さな会社だ。 僕たちはインターネットのことをよく知っていたが、世間の人たちは知らなかった。 その後、マスコミがインターネットのことをだんだん取り上げるようになるにつれて、 多くの企業がインターネット関連製品を開発しそれを売り始めた。

Eccosysは、インターネットを実業につなげることに苦労していた。そのとき フロムガレージという会社のCEOだった林さんに出会った。フロムガレージは 広告の企画制作を請け負う小さな会社で、僕のアパートから歩いてすぐのところにオフィスがあった。

フロムガレージの最大の得意先は電通だった。フロムガレージとEccosysは手を組んで 当時としては珍しい、インターネットを利用したプロデュースを行うチームを作った。 そして、SunのJavaやIBMのOS2 Warp、Lotus NotesのMerchant Serverといった インターネット関連製品を手がけるさまざまな企業を助けた。そしてインターネットの 黎明期では、インターネットについて語る人々を助けるために使われるお金の方が インターネットを使って何かをすることで稼ぐお金よりも多いことを知った。

電通を初めとするさまざまなクライアントから請け負う仕事が「デジタル」になるにつれて 林さんと僕は、それぞれのリソースを一つにした方がいいと決断した。こうして1995年に 二つの会社を一つにしてデジタルガレージを作った。デジタルガレージでは広告代理店の 力を借りて、Infoseek Japanを立ち上げ、インターネット広告を日本で初めて CPM(インプレッション当たりのコスト)で販売することを始めた。

日本には、いくつもの大手広告代理店がある。それぞれの会社は、特定のメディアに 特化して始まった歴史を持っている。ラジオとテレビを出発点にした電通は、 これらのメディアが大きくなったことで、事業を大きく拡大することに成功した。 日本ならではの背景もあり、電通は広告だけでなく、彼らの変革と事業開発を支える メディア自体の開発でも大きな役割を果たした。

デジタルガレージと電通は、これまで長く一緒にビジネスをしてきた。電通がデジタルガレージに 資本参加し事業連携を図っていくという今回の発表によって、2社がファミリーのような関係になる ことに僕はとてもエキサイトしている。

What open means to you
Bassel / joi / CC BY

2012年3月15日にシリアの首都ダマスカスのメッゼ地区で行われた一連の逮捕で、Bassel Khartabil(バセル・ハルタビル)が拘束されました。それ以後、家族には拘束の理由および彼の所在に関する公式な説明は一切されていません。しかし彼の家族は最近になって、ダマスカスにあるKafer Sousa(カフェル・ソウサ)の保安支部で拘束されていた人々から、Basselがそこに捕らわれていることを知りました。

Bassel Khartabilはパレスチナ生まれの31歳のシリア人で、オープンソースソフトウェアの開発、すなわちインターネットの基盤となるような貢献を専門とする一流のコンピュータエンジニアです。10年前にシリアでキャリアをスタートさせ、いくつかの地元企業のもとでパルミラの遺跡修復や、Forward Syria誌などの文化的プロジェクトにテクニカルディレクターとして従事してきました。

Basselの逮捕以後、シリアおよび世界各地における彼の価値あるボランティア活動は中断されてしまい、彼を頼るコミュニティにとって手痛い不在となっています。加えて、彼の家族、そして去る4月に結婚を予定していた婚約者は、人生そのものを中断されてしまっています。

Bassel Khartabilは4ヵ月近い期間、裁判も法的な訴因も一切ないまま不当に拘束され続けています。 freebassel.org より

ここに我々は『Support to Bassel』、Bassel氏とその家族、その友人たちを支持する旨、宣言します。

クリエイティブ・コモンズは、技術系コミュニティに対して大きく貢献し、リーダーシップを発揮しているBassel Safadi氏の釈放を求める活動を支援します。Bassel氏はその専門性とこれまでの実績のあらゆる面での献身で、無料で一般公開されるオープンソースのコンピュータソフトウェア・コードとその技術の開発を支えてきました。氏は、クリエイティブ・コモンズに対する支援としての価値あるボランティア活動のみならず、技術分野におけるあらゆる取り組みにおいてこの目標に向けて尽力しています。彼の取り組みは、無料で利用できるオープンな技術の品質と可用性を高め、技術の進歩をもたらしています。 freebassel.orgにある支援表明に署名することで、Bassel氏の解放を支援してください。(ツイッターのハッシュタグ: #FREEBASSEL )

クリエイティブ・コモンズのブログからの転載投稿

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