2014年8月 Archives

Synbiota(シンバイオータ)について初めて耳にしたのは今年のSXSWi で彼らが Accelerator Award を受賞した時のことだった。発表によると Synbiota は世界中の科学者、研究者、大学などを繋げ、遺伝子工学を用いて複雑な問題を解決するバーチャル連携サイトとのことだ。彼らはその週のうちに世界初の大規模オープンオンライン科学(Massive Open Online Science、MOOS)イベントの実施を発表した。「#ScienceHack」と銘打たれたそのイベントは、世界中の何百という研究者たち(よくわからない僕らみたいなのも含む!)が新型の「ウェットウェア」キットを使い、本来なら高額すぎて作れない部類の医薬品を数分の一のコストで作り出す、というものだった。

ひと月後、以下のメールが届いた。

From: Connor Dickie
To: Joi Ito
Cc: Kim de Mora
Date: Apr 17, 2014, at 11:12
Subject: ML alumni wins SXSW prize for SynBio startup & Invitation to #ScienceHack
From: Connor Dickie
To: Joi Ito
Cc: Kim de Mora
Date: Apr 17, 2014, at 11:12
Subject: ML alumni wins SXSW prize for SynBio startup & Invitation to #ScienceHack
(件名:メディアラボ卒業生が合成生物学でSXSWを受賞 /#ScienceHack へのご招待)

合成生物学およびプラットホーム「Synbiota」を使って実効のある医薬品を数分の一のコストで作成する分散型科学の試み「#ScienceHack」ご参加のお誘いです。#ScienceHack は先日、O'Reilly Radar から最も意欲的な分散型科学プロジェクトと評されました。生命工学に興味をお持ちかと存じますので、この機会にご参加いただければと思い、ご案内いたします。

ご参加いただくのは簡単です。我々のウェットウェア・キットのひとつである「Violacein Factory」(ヴィオラセイン・ファクトリー)を私から郵送します。また、同キットの使用に関心がありウェットラボ系の技術もお持ちのiGEM HQ の Kim de Mora 氏に紹介します(本メールをCCしてあります)。in silico(コンピューターシミュレーション)での設計、および実際のDNA断片の作成を合わせて、所要時間は1時間半ほどでした。培養などは Kim 氏が対応します。約5日後に彼のラボを再訪すれば結果をご覧いただけるはずです。

Violacein Factory キットを先日、地元であるカナダで作成し、その後ニューヨーク市での Genspace でも作ったのですが、誰もがそこから多くを学び、ヴィオラセイン生成生命体の最適化という我々の目標に向け、有意義な進展が得られました。

私はカナダからの商工系の派遣団の一員として27日から30日までボストン/ケンブリッジにいますので、もしご興味があれば、直接会って本件についてお話しできればと思っています。

よろしくお願いいたします。

Connor Dickie
http://alumni.media.mit.edu/~connord/


iGEM (International Genetically Engineered Machine)のことは知っていた。iGEM はMIT からのスピンアウトで、ロボットコンテストがロボットに興味のある子供たちを集めてハックさせたり学んだり競争させたりするのと同様に、高校生と大学生が一堂に会し、DNA をハックする機会となったものだった。iGEMは今や Jamboree イベントで2000人を超える学生を集めているが、すごいのは、最先端の合成生物学を大衆に普及させていることだ。

ヴィオラセインは自然に存在する紫色の化合物で、アマゾンなどの熱帯地方の土壌中でみつかる Chromobacterium violaceum というバクテリアによって作られる。ヴィオラセインは、そのバクテリアが捕食しようとしてくるアメーバ性生物に対する自然防御機構として生成されるもので、抗寄生虫性が見込まれており、がんの治療薬としても可能性があるようだ。問題は、野生由来のものを獲得することが困難であるため、グラム当たり35万6000ドルもの費用がかかる点だ。

合成生物学を(僕が一番好きな学習方法である)直接的実践で学べる好機とくれば、見逃すわけにいかず、やらせてほしいと即答でこの話を受けた。そしてまずは組み換えDNAをいじるのに必須の安全講習を受講した。「研究者のためのバイオセーフティー総論」完了。「血液媒介病原体(研究者向け)」完了。肝炎関連情報フォーム、記入完了。衛生化学総論(ウェブ)および有害廃棄物の取り扱い(ウェブ)、完了!

その後、実際の手技を行うべき場所探しを始めたんだけども、そちらはけっこう大変だった。Synbiota から提供されるキットおよび作業行程は基本的に安全で非毒性ではあるものの、組み換えDNAおよびバクテリアを使った作業にはMITのちゃんとしたウェットラボが必要なのだった。そしてそのウェットラボは数が限られており、メディアラボの所長によるバイオあそびよりも大事な取り組みに使われているのだった。

チームの面々と話し合って必要なものを散々検討した結果、僕の自宅のキッチンを使うのが最も迷惑がかからないと決めたのだった。

7月27日。Synbiota チームと iGEM の Kim、そしてメディアラボその他からの多様な顔ぶれの研究者らが、Violacein Factory を使った #Sciencehack のために僕の家に集まってきた。まずは自分たちが何をしようとしているのかについての具体的なブリーフィングから始めた。

我々の目的は合成生物学を用いてヴィオラセインを合成する手法の最効率化におけるイノベーションで、この取り組みには他にも何百ものチームが参加している。

科学者たちの手によって、ありふれたアミノ酸の一つであるトリプトファンが Chromobacterium violaceum の代謝経路によりヴィオラセインに変換されることが判明している。この経路には5つの酵素と、それらの生成のための様々な遺伝子配列が関与している。これらの、いわば遺伝情報の「部品」と呼べるものは、DNA分子内の異なる位置に配列されうるため、組み合わせによって特性や長所・短所が異なってくる。最適な配列と組み合わせは現時点ではまだ特定されていない。


合成生物学用のキットを開発している Genomikon との共同設計で作られた #ScienceHack Violacein Factory Kit には、様々な遺伝的「部品」が一通り入った小瓶群と、それらを合成してプラスミドを作り出すのに必要な材料が含まれていた。Synbiota による説明は以下の通りだ。
本キットには、以下のものを除き、必要なものがすべて含まれています。
・ ice buckets and ice
・ 42 C water bath with epi tube floaty blanket
・ 37 C incubator
・ピペット、ニトリル手袋、ペトリ皿、PCRチューブ、白衣(生命工学が本格体験できます。でもテキトーなトレンチコートでも大丈夫!)
・氷バケツと氷
・42℃の水浴槽とエピチューブ用の浮遊ブランケット
・37℃の培養器
上記の物はいずれも、自宅にあるかインターネットで調達できるか、地元の大学のラボショップ、もしくは友人の科学者のストックを探せば手に入るでしょう。

iGEM のKim がiGEMラボから一式を持ってきてくれて、すべての器具について安全な使用のためのプロトコルのキッチンを実演指導してくれた。

Synbiota はこのような素晴らしい #ScienceHack プロジェクトを練り上げただけではなく、研究ノートをオンラインで公開して共有するための一連のオンラインツールを開発しているし(僕が買っておいたオシャレな紙製ノートはいらないようだ!)、とてもよさげなグラフィカル・インターフェースを通じた DNA 設計が可能だし、コミュニティとして合成生物学に取り組めるようにするためのあれこれ揃ったツール群を研究者に提供している。あらゆる要素が非常に練られたデザインとなっており、効果的に機能した。

まずは Synbiota のウェブサイトでアカウントを作成し、自分たちの研究ノートにログインした。Justin がヴィオラセインの代謝経路について説明し、オンラインの遺伝子エディタ「GENtle3」(参考動画)を使ってオンラインで遺伝子配列を設計する方法を教えてくれた。

「GENtle3」ではキットの一環として提供されている遺伝的な部品を、どのパーツ同士を繋げられるかのルールの範囲内でさえあれば、好きなように遺伝子配列内へとドラッグ&ドロップできた。僕が設計した配列は Anc-ABEDDDC-Cap だった。A、B、C、D、E はそれぞれヴィオラセインの代謝経路を構成する各酵素に対応している。(Sciencehack プロジェクト内でシーケンス(配列)タブを表示させれば、これを含む、設計された配列を確認できる。)

配列の最初には必ず「Anchor--Origin-X'」断片を入れる必要があった。電磁ビーズに繋がっているのがその部品だからだ。実はこれこそが、一連の素晴らしい手技をキッチンでも可能にした、鍵となる革新の一つなのだ。

キット内にはミクロン未満の電磁ビーズがあり、そこにアンカーパーツ(DNA鎖)が繋がっていた。これがどういうことかというと、小型ながら強力な外部磁石を容器であるエピチューブの外面に当てることで操作中の遺伝物質を残らずエピチューブの側面に寄せて、対象物を容器にしっかりと固定した状態でピペットなどを使って容器に液体を加えたり抽出したりできるのだ。

配列が設計できたら、次は実際の合成だ。手技としてはビーズをエピチューブに入れ、洗浄用の試薬を加え、洗浄用試薬を除去し、設計の次の部分に対応したカラーコードになっているチューブから遺伝子の部品を加え、ビーズ上にあるDNA鎖にその新たな部品を繋げるためにDNA用のノリとでもいうべき T4 DNAリガーゼを足し、余剰の物質を除去し、再び洗浄し、以下、ビーズに予定どおりの順番で部品を追加し終わるまでその流れを繰り返していった。理論上は、これで各ビーズに我々が設計したDNA配列(プラスミド)に対応した長いDNA鎖がそれぞれ繋がっているはず。

最後のステップでバッファを使ってDNA鎖からビーズをとりはずせば、残された小さな一滴の遺伝物質は、生きたバクテリアに導入することでトリプトファンからヴィオラセインを生成するのに必要な酵素が一式、合成可能になるわけだ。


次のステップは「転換」と呼ばれるもので、作ったプラスミドをバクテリア(我々の場合は E. coli)に導入する行程だ。 このトランスフェクション段階が容易に進む「優秀な」 E. coli 株も、よう、iGEM が生み出したものだった。転換を引き起こすために我々が使った行程はE. coli ともども遺伝物質を食塩水に加えて急速加熱し、遺伝物質を E. coli に吸収させる、ヒートショック法と呼ばれるものだった。ふと見ると、過熱用の器具に「MIT 備品管理室」のステッカステッカーが貼ってあった。ちょっとしたパンクロック精神の現れだね。ヒートショック後、養分やミネラルを含む液状物を加えて E. coli を「リブート」した。すなわち、目覚めさせて、導入したばかりのDNAコードを実行してもらえるよう、培養可能な状態にしたのだ。

その後、E. coli を抗生剤であるクロラムフェニコールと共にゼリーのようなエサ(培地)がのったペトリ皿に塗布した。配列の設計時に巧妙にもクロラムフェニコール耐性を高める遺伝的パーツを含めていたため、クロラムフェニコールによってペトリ皿上の他のバクテリアが一掃してくれるという仕組みだ。

こうしてペトリ皿を iGEM に送り返し、培養してもらった。結果はカンペキでこそなかったものの、ヴィオラセイン、および、代謝経路に関連した他の分子が生成されたようだった(他の誰かのでは違う色ができていたりした)。僕のペトリ皿の画像を見ると黒っぽいジグザグの塗布跡があるけれど、これは僕が設計して作り出したDNAが実行された結果、何十億というバクテリアが代謝他体を生成しているからだ。この時点ではまだヴィオラセインを作り出せたかどうかは確証がなく、さらなる確認と実験を要するものの、複雑な代謝経路の作成を初めて試みたにしては、正直悪くない。さらにすごいのが、僕が設計したいDNAは12,000塩基対というかなり長めのものなんだけど、#ScienceHack の次のステップはこれが丸々僕の設計どおりに合成されたかどうかを確認できる点んあおだ。我々は他のチームと設計、プロトコルおよび行程を共有した。次のステップで他のチームの仕事を見て改善可能な点がないか検討し、もう一度やってみるというわけだ。

2日半の作業で、我々は10年前だったらノーベル賞ものだった仕事をキッチンでやってのけた。遺伝子配列を設計し、それを実際に合成し、バクテリアに導入したうえでそのバクテリアをリブートしてみせたのだ。

また、従来の研究所の方式のようにひとつのチームが作業をして論文を発表し、他のチームが後からその仕事を再現しようと試みる形とは異なり、我々は作業中に仕事内容を共有しつつ、イテレーション、イノベーションそしてディスカッションを交えて進め、併存するラボからなるひとつの大所帯なチームとして取り組むことができたのだ。

何百もあるチームのどれかがヴィオラセインの合成、抽出そして精製の効率的な方法を発見できる可能性は高そうに思えるし、非常に稀少な化合物を作り出せる自作ビール製造装置のようなものを、誰でもヴィオラセイン製造工場が作れるような指示内容とともに研究者の皆さんに提供できる状態を、そう遠くないうちに達成できる見込みなのだ。

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注釈:上記の体験後、感銘を受けた僕は iGEM に寄付をし、Synbiota に投資することに決めた。


去年、メディアラボの学生グループが、僕の旧友でありハードウェアまわりの師である bunnie と中国の深川(しんせん)を訪問した。bunnie は、主に Xbox のハッキングやオープンソースのネットワーク化家電ハードウェアである「chumby」、多数の人々をハードウェア、ファームウェア、ソフトウェアの設計面で支援してきたことで、おそらくは最もその名を知られている。僕らにとって深川の窓口役である彼は、僕が知る誰よりも、中国の納入業者や工場のエコシステムを理解している。

彼のおかげでうちの学生たちは、我々の誰もが利益を享受しつつも、ほとんど目にしたり存在を認識したりすることすらないエコシステムを目の当たりにして、体験することができた。先週までは、学生たちの話やレポートを通じて間接的にはチェックできていたけれど、ようやく僕自身も bunnie と実際に深川を見てまわることができた。

bunnie は、大勢では入れない場所に行くのだしフットワークが軽いほうがよいのでグループをごく少人数に抑えるべきだと主張した。非常に幸運なことに、僕の旧友である LinkedIn 創設者の Reid Hoffman(リード・ホフマン)と、MIT総長の Marty Schmidt(マーティン・シュミット)も興味を示し、都合も合ったため、奇妙な顔ぶれのミニツアー団ができあがった。

ツアーの最初の目的地は、 AQS というカリフォルニア州フリーモントでも事業を展開している製造業者が運営する小規模の工場だった。同社は、主な事業として、回路基板にチップをとりつける作業をしている。工場内は表面実装(Surface-Mount Technology、SMT)用の機材であふれていた。コンピューター制御の空圧装置によってチップやその他の部品を拾い上げて回路基板上に配置するというものだ。何列にも及ぶSMT機器に加え、大勢の作業員がラインのセットアップ、機材のプログラミング、成果物のX線検査、コンピューターと目視による検査など、工程のなかで手作業のほうが経済的か、技術的に合理的な作業に従事していた。AQS は、メディアラボの学生である Jie Qi がデザインした回路ステッカーを作っている工場でもある。AQS の素晴らしいところは、bunnie の支援の下で、設立したばかりの企業や、中国国内で提携できる企業を見つけるのがこれまでは非常に困難だったであろうプロジェクトと密な連携をとり始めていることだ。そういったプロジェクトにとっては、起業家やうちの創造性豊かな学生との仕事にはつきものの、少量で、高リスクで、型破りなのが普通の注文がネックになっていたのだ。

技術の面以上に印象的だったのは、工場長の John や、プロジェクトマネージャー、エンジニアなど、bunnie が紹介してくれた人々だった。見るからに勤勉で経験豊富で、頼りがいがあり、bunnie や僕らの友人たちと仕事をするのを楽しんでいる様子だった。彼らはこれまでに製造されたことのなかったものを生み出すため、様々な新しいプロセスを設計、試行できるだけの技術と意志を持ちあわせていた。彼らの職人ぶりとエネルギーを見ていて、戦後の日本で製造業を築き上げた起業家やエンジニアたちもこんな感じの人たちだったんじゃないだろうかと連想させられた。

AQSを含め、訪問した小規模工場のすべてにおいて、作業員たちは工場をとりまく寮で生活し、食事と暮らしを共にしていた。生活費は全面的に工場から支援されるので、給料は丸々貯蓄か可処分所得かになっていた。また、工場長をも含む役員の全員が、作業員たちと共に暮らしていた。優良な工場を選んで訪問したからだろうとは思うけれど、誰もが満足げで、オープンなスタンスで、人間関係が非常に密な印象を受けた。

AQSの後で、プリント基板そのものを作製している King Credie を訪問した。プリント基板の製造工程は非常に洗練されたプロセスだ。そのプロセスでは、基板に層を足しつつ、それと同時に、はんだや金や、様々な化学薬品などの素材を使ってエッチングや印刷を行い、多数のステップと複雑な制御系を伴うものだ。その工場では非常に先進的なハイブリッド型プリント基板を扱っていて、セラミックの層や柔軟性の高い層などが含まれていた。世界のどこであっても、とても難しく特徴的であろうそれらのプロセスが、工場との密接な連携により我々でも接触可能になっているのだった。

我々は射出成形工場も訪問した。bunnie には前から、比較的複雑な射出成形を要するプロジェクトを手伝ってもらっている。携帯電話からベビーカーの座席部分まで、プラスチック部品の大半は射出成形工程で作られている。工程の一環として、プラスチックが射出される先、巨大な鋼鉄の型である「ツール」の製作が必要になる。ここで難しいのは、鏡面仕上げにしたい場合は型も鏡面仕上げにしなければならない点だ。製造時に誤差を1000分の1インチに抑えたい場合、鋼鉄の型も同等の精度で削る必要がある。また、プラスチックが型に開いた複数の穴から型の内部に流れ込む仕組みを理解し、内部に均等にいき渡り、曲がったり割れたりせず、冷えるようにしなければならない。

訪問した工場には精密機械工房と十分な技術力をもったエンジニアがいたため、我々が求める射出成形用のツールを設計して加工できる条件は揃っていたものの、我々の初回生産分のボリュームは、彼らにビジネスとして訴求するには少なすぎた。先方は何百万単位の発注を望むが、我々のニーズは千個単位だったのだ。

そこで、興味深い展開になった。そこの工場長が、精密な型の加工を中国で行ったうえでそのツールを米国内の工房に送って生産工程を動かしたらどうか、と提案してきたのだ。我々がクリーンルームでの工程を要件として挙げていたため、生産工程を米国内で動かすほうが安くあがるものの、彼の中国の工房がもっているようなツール製造の専門技術と対応力は米国の工房にはなく、仮にあったとしても、そのような付加価値サービスを考えると、中国の彼の工房のコストとは比較にならないだろう。

この逆転劇は、射出成形の技術、需要、ノウハウが深川に移っていることを示唆している。たとえ製造能力そのものは米国にもあったとしても、知識のエコシステムの重要な部分が、現在では深川でしか得られなくなっているのだ。

その後、bunnie に市場に連れていってもらった。半日そこで過ごしたが、建物や売店や市場からなる巨大なネットワークのほんの一部しか見られなかった。市場ではいくつかの大きな街区に5~10階建ての建物が立ち並び、それぞれの階に売店が所せましと並んでいた。建物ごとに専門分野があり、それは一つの分野であったり、あるいはLED から携帯電話のハッキングや修理までといった複数の分野であったりもした。ありがちな感想ではあるけど、秋葉原のどんな姿よりも「ブレードランナー」的に思えた。おそらくその大きな一因は、売り手の多くが工場を主たる商売相手にしているため、小売ではなく卸売を重視しており、ボリュームが大きく、種々のインターフェースが荒削りなことだと思う。

我々が市場で最初に訪れた一角で見た人々は、壊れたり捨てられたりした携帯電話を部品に分解してサルベージしていた。機能性がまだ残っていると判断された部品は取り外され、大きなビニール袋に詰められて売りに出されていた。これ以外にも、部品の出どころとしては、工場のラインでははじかれた部品を修理したり、部品の1つだけが検査に引っかかったプリント基板のシートがあったりだ。iPhone のホームボタン、wifi 用チップセット、サムスンのスクリーン、Nokia のマザーボード。何から何まであった。Bunnie がチップの入った袋を指し示した。米国だったら末端で5万ドルするものが500ドルで売られているそうだ。このチップは単体ではなくポンド単位で売られていた。では、誰がチップをポンド単位で買うのか? 我々が新品として買うあらゆる携帯電話を作っている小規模工場が、しばしば部品不足に陥り、市場に走っていってその部品を袋単位で購入し、ラインを止めずにすますのだそうだ。ATTから新品と思って購入した携帯電話も、どこかに深川でリサイクルされた部品が使われているというのは、きわめてありそうな話しだと思う。

これらの部品は、電話を修理する人も使う。修理は、スクリーンの交換といった単純なものから、全面的な再構築まである。スクラップパーツから組み上げた電話の完成品すら買える。「ケータイを失くしたので、修理してもらえないか?」ってとこだ。

電話がこのように「リサイクル」される市場以外にも、ラップトップ、テレビなど、あらゆるものについて同様の市場を目の当たりにした。


次に、少し系統の異なる市場に向かった。中に入るときに bunnie が小声で「ここにあるものは何もかも偽造品だ」と教えてくれた。「SVMSMUG」印の電話を始め、我々がふだん目にするあらゆる種類の電話に似たものがあった。しかし、最も興味をひかれたのは他では見られない外見のものだった。キーチェーン型、ラジカセ型、小型自動車、キラキラしたのから点滅するものまで、電話として思いつくあらゆるものが、驚異的な品揃えで並んでいた。その多くは「山寨」(さんさい)と呼ばれる偽造品業者がデザインしたもので、彼らは当初は既存の電話のパクリ品を作っていたものの、製造業のエコシステムとの近似性ゆえ、様々な新しいアイディアを生み出すアジャイルなイノヴェーション工房と化しているのだ。彼らは工場にも手が届く位置にいて、さらに重要であったのは、そこらの店で有名ブランドの電話製造業者の設計図を買えるため、その技(と秘密)にも手が届いたことだった。設計図と工場のエンジニアが最先端のことを教えてくれるため、それを自分たちの骨のあるデザインに応用し、より実験的でイカれたものを作っていけたわけだ。実はデュアルSIMカードフォンのように、その「偽造品業者」たちの手で発明された新技術も多数存在するのだ。

もう一つ驚かされたのは、コストだ。bunnie の話に出てくる、それらの電話の頭脳となっている非常に安価なチップセットがあって、それは中国以外では手に入らないのだが、どうやら約2ドルしかしないチップで、クワッドバンドGSM、Bluetooth、SMSなどに対応しているそうなのだ。フルフィーチャー電話で最も安価なものの小売価格は9ドル。そう、なんと9ドルだそうだ。これは米国で設計できるシロモノではない。これは製造用の機材を隅々まで知り尽くし、ハイエンド携帯電話の最先端技術を知っている、爪の下に工業用グリスが詰まったエンジニアにしか設計できなかっただろう。

知的財産はおおむね無視されているようで、仕事の秘訣や営業秘密は、家族、友人、信頼できる同業者からなる複雑なネットワークの中で限定的に共有されているようだ。これはオープンソースに近い雰囲気がするものの、別物だ。海賊版業者が知的所有権の居座り行為へと移行するのは今に始まったことではない。米国も、その歴史のごく初期に、独自の印刷業を発達させるまではあからさまに書物の著作権を侵害していた。日本の企業は、自分たちが時代をリードするようになるまでは米国の自動車メーカーをコピーしていた。深川もちょうど、国やエコシステムがフォロワーからリーダーへと変わる重要な転換点にあるように思える。

クアッドコプターの一機種、 Phantom Aerial UAV ドローンを作っている DJI 社を訪ねた時、そこには時代の先を走る会社の姿があった。同社は年間成長率が5倍以上というスタートアップで、消費者市場向けに設計された中では歴史上最も人気のあるドローンの1機種を手がけている。中国では特許取得数トップ10に入っている。各工場の技術の恩恵も受けつつも、知的財産の点ではクリーン(かつ積極的)であることの重要性も強く意識してきた会社だ。DJI は、シリコンバレーのスタートアップを、我々が訪問してきた工場の職人魂と仕事術とマッシュアップしたような印象だった。

我々はまた、非常にハイエンドで最大手クラスの、何百万台という電話を作っている携帯電話工場も訪問した。すべての部品は完全に自動化された倉庫からロボットによって配達されていた。プロセスも機材も一流で、世界のどの工場にも引けをとらない洗練ぶりだった。

一方では、非常に先進的な基板を、単体単位のボリュームで、手作業ゆえにケーブルテレビの月額程度の料金で組み立てられるという、小さな店も訪れた。肉眼では見ることすら困難なチップを手作業で基板にのせ、アメリカ人に聞いたとしたら5万ドルの機械によってしかできないと言われそうなハンダづけのテクニックを体得していた。僕が驚いたのは、彼らが視覚的な補助装置を何も使っていなかったことだ。顕微鏡も虫眼鏡も何もなし。米国の作業員は、この人たちのできることの一部はこなせるだろうけど、視覚的な補助は必須となるだろう。bunnie の説では、彼らは直感と筋肉の記憶でやっているらしい。神秘的で美しい光景だった。

PCH International 社も訪問した。資材が届くやいなや、組み立てられ、箱詰めされ、ラベルが貼られて出荷されていっていた。企業にとって、かつて工場から店舗まで3ヵ月もかかっていたことが、今やわずか3日でできるのだった。しかも全世界に届けられるのだ。

我々はフランスの起業家2人が市場区画の中央で運営するハードウェア系インキュベーター、HAXLR8R にも行った。

そこで体験したのはエコシステムと呼べるものだった。コンピューター制御で点滅するバーニングマンのバッジを50個作っている小さなビスポーク店から、ビッグマックを食べながら電話を組み立て直している男性、そして立ち並ぶ表面実装機に部品を届けようとロボットがちょこまか動きまわるクリーンルームまで。世界の最先端の製造技術をこの地にいざなったのは安価な労働力だったが、工場のネットワークと仕事のノウハウを生み出したのはエコシステムであり、またそれらが、このエコシステムがありとあらゆるものを任意のスケールで作り出すことを可能にしているのだ。

様々な試みはあるにせよシリコンバレーと同じものを別の場所にもう1つ作るのが不可能なのと同じ様に、深川で4日間過ごしてみて、僕はあのエコシステムは他のどこにも再現できないだろうと確信するに至った。マーティ、リード、bunnie と僕とでよく話題にしたのは、深川から学ぶことでボストンとシリコンバレー(そして米国全体)のエコシステムに貢献できるのではないか、そして深川とより深い繋がりをもつにはどうすればいいのか、ということだった。

深川にもシリコンバレーにも、より多くの人々と資源と知識を集める、クリティカルマスとでも呼ぶべきものがあるわけだけど、どちらも同じく、あふれんばかりの多様性を秘めた生きたエコシステムであり、どこの地域でもそう簡単には再現できないような職人魂とノウハウの基盤を備えている。

他の地域にもその地域なりの利点がある。ボストンはハードウェアとバイオエンジニアリングの分野ではシリコンバレーと競争できるかもしれない。ラテンアメリカやアフリカの一部地域なら、特定の資源や市場へのアクセスという点で深川と張り合えるかもしれない。しかし僕は、深川が、シリコンバレー同様に、エコシステムとしてあまりにも完成した姿を見せているため、深川と連携できるようなネットワークを作ったほうが、深川と直接競争するよりも、成功の可能性が大きくなるだろうと考えている。

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先日TEDトークにて、深川への旅行と考察について、よりハイレベルなコンテクストを発表させてもらった。