2019年3月 Archives

科学はオープンなシステムによって知識を共有することによって、育まれ、発展していく。しかし、一部の学術誌の購読料が大幅に高騰しており、ハーヴァード大学のように資金的に恵まれた大学の図書館ですら定期購読を続けるのが難しくなっているという。

学術出版社の利益率はかなり高水準にある。これは、出版社は論文の著者や査読者に報酬を支払わないためだ。学術分野には一般的に政府から助成金が出ているが、こんな不自然な構造が持続可能なはずがない。わたしたちはこの状況にどう対処していくべきなのだろう。

ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)が広まった1990年代、人々は新しい学問の時代がやって来ると考えるようになった。知識への自由なアクセスに支えられた力強い学びの時代だ。

インターネットは研究教育機関が利用するネットワークとして始まったが、インターフェースやプロトコルの改良を経て、いまでは何回かクリックすれば公開されている論文はすべて読むことができる。少なくとも、理論的にはそうであるはずだ。

ところが、学術出版社は自分たちを守るために固まるようになった。著名な学術誌へのアクセスを有料化し、大学図書館や企業から多額の購読料を徴収し始めたのだ。このため、世界の大半で科学論文を読めないという状況が生まれた。

同時に、一部の出版社が不当に高い利益率を出せるという構造ができ上がった。例えば、情報サーヴィス大手レレックスの医学・科学技術出版部門エルゼビアの2017年の利益率は、36.7パーセントだった。これはアップルやアルファベット、マイクロソフトといったテック大手を上回っている。

壁に囲まれた「知」

学問の世界では、最も重要かつ権威のある学術誌の大半が、この購読料という壁(ペイウォール)で守られている。ペイウォールは情報の自由な拡散を阻むだけでなく、研究者の採用や人事にも影響を及ぼす。

こうした学術誌に関しては、その雑誌に掲載された論文がどれだけ頻繁に引用されたかの平均値を示す指標が算出される。この「インパクトファクター」と呼ばれる指標が、大きくかかわってくるからだ。

研究職など学術業界の人員採用では、応募者が過去に書いて学術誌に掲載された論文の評価が重要な位置を占める。インパクトファクターは、ここで意味をもつ。

応募者を評価する側は大学委員会や他の研究者だが、こうした人々は自身が多忙なだけでなく、応募者の専門分野についてそれほどの知識をもっていない場合もある。このため、過去の論文の合計数とそれが掲載された学術誌の影響度を示すとされるインパクトファクターによって、研究者の能力を判断しようとするのが一般的になっている。

必然的に、職を得るためには研究者たちは実際の信頼性とは関係なく、インパクトファクターの高い学術誌に優先して論文を送らざるを得ない。結果として、重要な論文はペイウォールに囲まれ、金銭的に恵まれた研究機関や大学に籍を置いていなければ基本的にはアクセスできないことになる。学術の世界を支える助成金の財源である税金を支払っている一般市民、発展途上国の人々、スタートアップ、急速に増えている独立系研究者などは、ここには含まれない。

壁を迂回するサイトの意義

プログラマーのアレクサンドリア・エルバキアンは2011年、購読料という壁を迂回するために「Sci-Hub」という科学論文を提供する海賊版サイトを始めた。エルバキアンはカザフスタン在住だが、この国は大手学術出版社が法的措置をとることのできる範囲のはるか外にある。

彼女はドキュメンタリー映画『Paywall』のなかで、こんな冗談を言っている。エルゼビアは自らの使命を「専門知識を一般に広めること」だとしているが、どうやらうまくいっていないようなので、自分はその手助けをしているだけなのだ、と。

エルバキアンのサイトは著作権侵害だと非難を受ける一方で、研究者には人気のあるツールだ。壁が取り除かれれば協力の機会も増えるため、有名大学の研究者にもSci-Hubの利用者は多い。エルバキアンは、わたしの同僚で友人でもあった故アーロン・スワーツが心に描きながらも、その短い生涯では成し遂げられなかったことをやろうとしているのだ。

論文掲載料によるアクセス無料化の試み

学術誌のペイウォールは将来的にベルリンの壁のように崩壊する可能性があり、その構造の弱体化に向けた努力も進められている。20年近く前には、学術情報の無償公開を呼びかけるオープンアクセス(OA)運動がはじまった。

OAでは基本的には、研究者が論文の査読や校閲を経ていないヴァージョンを学術機関のリポジトリなどにアップロードする。この運動はアーカイヴ先となる「arXiv.org」といったサイトが用意されたことで盛んになった(arXiv.orgは1991年に始まり、現在はコーネル大学が運営する)。また、2008年にはハーヴァード大学がセルフアーカイヴの方針を打ち出したために、世界中の大学がこれに追随した。

一部の出版社はこれに対し、論文の掲載者の側に「論文掲載料(APC)」を課すことで購読料を廃止するという手段に出た。APCは著者である研究者や研究機関が支払うもので、論文1本当たり数百ドルから数千ドルと非常に高額だ。

Public Library of Science(PLOS)のような出版社は購読を無料にするためにAPCを採用しており、実質的にはペイウォールが存在する場合でも、このシステムの下では論文の閲覧は無料になる。

ある意味で「勝利」と言えるかもしれないが…

わたしは学術界にOAという考え方が広まり始めた10年前に、クリエイティブ・コモンズの代表に就任した。仕事を始めたばかりのころ、学術出版社の人たちを相手に講演する機会があり、著作物の再利用ライセンスを著作権者自らが決めるようにするというクリエイティブ・コモンズの趣旨を説明しようとした。これには著作物の帰属を記載するだけで著作権料を課さないという選択肢も含まれるのだが、出版社側の反応は「そんなことはとんでもない」というものだった。

あの当時と比べれば状況ははるかに進歩したと思う。レレックスですら一部の雑誌は無料化し、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスも採用している。ほかにも多くの出版社が科学論文への自由なアクセスの実現に向けた準備を進めており、前述のAPCはこうした試みのひとつでもある。

つまり、ある意味では「勝利」と言えるかもしれない。しかし、学術研究における情報へのアクセスの変革は真の意味で達成されたのだろうか。わたしはそうは思わない。現行のオープンアクセスは支払う人が誰であれ何らかの課金を伴っており、それが少数の学術出版社に利益をもたらし続けている現状では、特に強くそう感じてしまう。

また、OAをうたう一方で、査読など品質管理のために必要な努力を放棄した学術誌も出てきている。こうしたことが起こると、OA運動そのものの信頼性が失われてしまう。

出版社にAPCを引き下げるよう求めることはできるが、主要学術誌とプラットフォームを抱える出版社がそれに応じる可能性は低いだろう。これまでのところ、出版社は機密保持契約やその他の法的手段を駆使して、値下げに向けた集団交渉を回避している。

新しい知のエコシステムの創造に向けて

メディアラボは先に、エイミー・ブランド率いるマサチューセッツ工科大学出版局(MITプレス)と共同で「MIT Knowledge Future Group(KFG)」というイニシアチヴを立ち上げた(念のために、わたしはメディアラボ所長で、かつMITプレスの役員でもある)。目的は新しい知のエコシステムを創造することだ。

これに向けて、正確な知識を共有するために誰もが無料でアクセスできるインフラを構築し、そのインフラを公的機関が所有するような体制を整える計画でいる。いまは学術出版社やプラットフォーマーに支配されている領域を再び取り戻すのだ。

この解決策はある意味では、オンライン出版に対するブログのようなものかもしれない。ブログは単純なスクリプトで、無料で情報発信ができる。運営するにはさまざまなサーヴィスがあるが、オープンソースで共通の標準が確率されている。ブログによって、非常に低コストで情報発信のためのプラットフォームの作成が可能になった。

このプラットフォームを利用すれば、非公式ではあるものの、以前なら数百万ドルもするコンテンツ管理システムがなければやれなかったことができる。こうしてユーザー作成型のコンテンツの時代が訪れ、その後のソーシャルメディアへとつながっていったのだ。

学術出版の世界はより複雑だが、ここで使われているソフトウェア、プロトコル、プロセス、ビジネスモデルを修正し再構築することで、経済的および構造的な面で革命を起こすことができるのではないだろうか。

オープンなシステムの構築が緊急の課題に

メディアラボは現在、オープンソースの出版プラットフォーム「PubPub」および公共の知を拡散していく際の標準となる「Underlay」の開発に取り組んでいる。また、研究者や研究機関を支援するためのテクノロジーやシステムをつくり上げ、それを運用していくための専門機関も設立した。

将来的には、科学論文を公開し評価するためのオープンソースのツールと透明性の確保されたネットワークからなるエコシステムが確率されるだろう。同時に、査読の過程を公表することで透明性を高めたり、体系的バイアスをなくすために機械学習を活用するといった、まったく新しい手法を試すことも考えている。

現状ではひと握りの商業出版社がプラットフォームを支配しているが、これに対する別の選択肢としてオープンなシステムをつくり上げていくことが緊急の課題となっている。こうした出版社は、研究情報のマーケットだけでなく、学術評価やより一般的には科学研究の技法も管理しているのだ。

学術評価では誰がその論文の主要著作者なのかということが重要になってくるが、共同研究やチームでの論文執筆が増えている昨今、この問題は複雑性を増している。

研究結果や発見についての功績が誰に認められるのかは大きいが、複数の著者がいる場合の著者名の並び順には共通のルールがなく、その研究への実際の貢献度や専門知識よりも、どちらかと言えば年功序列や文化のようなものによって決まっていることが多い。結果として、評価されるべき人が評価されていないのだ。

わたしたちの惑星の未来のために

これに対して、オンラインでの情報発信なら、著者名の「公平な」羅列から一歩前進することができる。映画のクレジットのようなものを想像してもらえばいい。論文のオンライン版は現状ではこうした形式になっていないが、これはいまだに印刷物の制約に従っているだけの話だ。また査読についても、プロセスの透明化、対価の提供、公平性のさらなる向上といった点で、改良の余地があると考えている。

知の表現と普及、保存のためのシステムについて、大学はよりよい管理が行われるよう主張していく必要がある。それは、大学の中核となる使命とも重なる。

人類の叡智とそれをどう活用し、また支援していくかということは、わたしたちの惑星の未来に直結している。知識は歪んだ市場原理やその他の腐敗要因から保護されなければならないのだ。そのための変革には世界規模での協力が必要不可欠であり、わたしたちはその促進に貢献したいと考えている。

Credits

Translation by Chihiro OKA

1年以上前の話になるが、2017年12月にボストン公立学校(BPS)の各学校の授業時間が変更され、保護者が強く反発する出来事があった。始業時刻や終業時刻が変わったことでスクールバスの運行スケジュールも改定されており、新しいスケジュールがあまりに非合理的だというので不満が噴出したのだ。新しい授業時間はコンピュータープログラムを使って作成されており、そのアルゴリズムを開発したのはマサチューセッツ工科大学(MIT)の研究チームだった。

しばらくしてから、アメリカ自由人権協会(ACLU)のマサチューセッツ支部で「Technology for Liberty Program」の責任者を務めるケイド・クロックフォードからメールが届いた。政治家たちに対し、市民生活に影響を与えるような政策の決定にアルゴリズムを使うことには慎重になるよう呼びかける論説に、共同で署名を入れてほしいというのだ。

ケイドはMITメディアラボのフェローで、わたしの同僚でもある。彼女はデジタル世界における自由について考えるうえで重要なトピックを追いかけており、注目すべき話題があれば知らせてくれるのだ。なお、当時は問題のアルゴリズムを設計したMITの研究者たちのことは、個人的には何も知らなかった。

「行政プロセスに欠陥」と指摘したが…

ケイドが書いた論説の下書きにわたしが何点か修正を入れたあと、この論説は『ボストン・グローブ』紙に送られた。この論説は2017年12月22日付の紙面に掲載されている。タイトルは「学校の要求に従ったからといって、アルゴリズムを非難することはできない」だ。

わたしたちはここで学校の新しいスケジュールを検証した上で、問題はアルゴリズムそのものではなく、さまざまな意見を組み上げてシステム変更の影響を判断するという行政プロセスに欠陥があったのではないかと指摘した。この論説が掲載されたちょうどその日、BPSは新しいスケジュールの導入を見合わせる方針を明らかにし、ケイドとわたしはハイタッチで喜びを分かち合った。

この時点では、反対運動を起こした保護者もわたしたちも、そのとき手に入る情報に基づいて正しいと思ったことを実行に移したに過ぎない。しかし、それからしばらくして、この問題を別の角度から考えさせられる出来事があった。

これから書くことは、公共のルールづくりにおいてテクノロジーをどのように利用すべきか、またこうしたルールの影響を受ける人々からのインプットを政策づくりにどのように反映していくべきかについて、重要な視点を与えてくれると思う。

現在は民主主義にとって暗澹たる時代であると同時に、人間がテクノロジーを制御しきれなくなるのではないかという不安が増している。こうした状況にあって、わたしの体験した一連の出来事から、どうすればアルゴリズムを適切に活用できるのかという問題について、より深い理解を得られるはずだ。また、「デモクラシー2.0」というものを考える上でも役に立つかもしれない。

「明らかに何かがおかしい」状況

冒頭の事件から数カ月後、今度はMITのオペレーションズ・リサーチ・センターで博士課程に在籍するアーサー・デラルーとセバスティアン・マーティンから連絡をもらった。彼らは新しい授業時間を組み上げたアルゴリズムを開発したチームの一員で、ボストン・グローブの論説を読んだという。電子メールには丁寧な口調で、わたしが「事態の全容をつかめていないのではないか」と書かれていた。

ケイドとわたしは、アーサーとセバスティアンに会うことにした。この面会には、彼らのアドヴァイザーでMIT教授のディミトリス・ベルツィマスも参加してくれた。彼らはまず、わたしたちに変更に反対する保護者による抗議運動の写真を見せた。そこに写っていたのはほぼすべてが白人だったが、学区内の子どもたちの多くは非白人で、白人家庭は全体の15パーセントにすぎない。明らかに何かがおかしかった。

アーサーとセバスティアンの研究チームは、時間割を変更した場合の影響を割り出して評価するアルゴリズムも開発した。なかでも重要だったのが、登下校に使われるスクールバスに関するアセスメントで、BPSは運行スケジュールの最適化だけでなく、コストの削減も求めていた。

実はスケジュールの改定に先駆けて「Transportation Challenge」と題したコンペティションが行われ、MITのチームがつくり出したアルゴリズムが選ばれたという経緯がある。BPSはかなり前から授業時間の調整に取り組んでいたが、コストを抑えたままでバスのスケジュールを最適化するのは至難の業で、最終的には外部の力を借りることにしたのだ。

すべての問題を解決し、コストを上げないという難題

MITのチームのアルゴリズムは、必要な要素をすべて盛り込んだ上で、バランスを保った解決策を見つけ出すことに成功した。これまでは複雑なバスシステムの運用コストを算出するのはほぼ不可能で、それが授業時間の変更を検討する際の障害になっていたという。

チームはコンペの終了後、BPSと共同でアルゴリズムの改良に取り組んだ。行政が主催した住民参画のための説明会などにも加わって保護者らの要望を聞き、さらなる最適化を進めていった。

チームはこの過程で、アルゴリズムに各家庭の資産状況という要素を付け加えることにした。既存の授業時間体系は、主に低所得世帯に対して著しく不公平だということが明らかになったためだった。

また、高校生は始業時間が早すぎると睡眠にマイナスの影響が出るという調査結果があったので、この点も考慮した。さらに、発達障害などを対象とした特別支援プログラムも最適化の優先事項に加えたほか、低学年の児童たちの下校時刻が遅くなりすぎないように注意が払われた。

アルゴリズムは、これらすべての問題をコストを上げないようにしながら解決するよう命じられた。それどころか、できれば予算を削減したいという期待までかけられたのだ。

裕福な世帯に対する「バイアス」

事前調査からは、学区内のどの学校でも変更そのものに反対している層が一定数いることがわかっていた。また、一部の学校では多数派の声をくんで、終業時刻を午後1時半に設定するといった特殊な条件を設定することも可能だったが、そんなことをすれば少数ではあっても強い反発が出ることは必至だった。

アルゴリズムが導き出した解決策には、始業時刻が朝8時より遅い高校の数を大幅に増やす、終業時刻が午後4時以降になる小学校の数を減らすといった変更が含まれていた。最終的に出来上がった案は、大多数の人にとって既存のシステムよりかなり優れたものになっていた。

もちろん不満を表明する保護者がいることは予想された。しかしアーサーもセバスティアンも、あれほどまでに激しい抗議運動が起こるとは考えていなかったという。

大きな論点のひとつが、最適化の条件に各家庭の「資産」を組み込んだ結果として、アルゴリズムの出した答えには裕福な世帯に対する「バイアス」がかかっていたという点だ。また、コンピューターが決定を下したという事実も人々を動揺させたのではないかと、わたしは思っている。

新しい授業時間を受け入れた保護者は、その決定プロセスにまで注意を払うことはなかったが、不満を抱いた人々は変更中止を求めて市庁舎に押し寄せた。そのニュースを知ったケイドとわたしは、当時は反対派への支持を表明して、アルゴリズムの提案の「問題点」を訴えたのだ。

そして行政側は反対運動に押され、変更を断念すると決めた。ボストンのスクールバス改革は頓挫し、BPSとMITのチームの努力も水泡に帰したわけだ。

個人という立ち位置からの見解

白人を中心とした裕福な世帯で構成される反対派の保護者たちが、低所得層の家庭を助けるために自分たちにとって有利な既存の時間割の廃止に賛成するかどうかはわからない。ただ、高校生の睡眠、低学年の児童たちの下校時刻、特別なケアが必要な子どもたちを優先する、運用コストの削減、所得による不公平が生じないようにするといったアルゴリズムに組み込まれた諸条件は、どれもごく普通に納得できるものだ。最適化はこうした条件に基づいて行なわれたということを理解すれば、たいていの人は新しいシステムが現行のものより優れているという意見に賛成するのではないかだろうか。

問題は、大局的な視点から個人という立ち位置に移ると、人々は急に身構えて文句を言い始めるという点だ。一連の騒動について考えていたとき、わたしはハーヴァード大学の心理学教授ジョシュア・グリーンが提示した問題に触発されて、メディアラボのScalable Cooperation Groupが実施したある研究を思い出した。

グリーンは自動運転システムについて、社会の大半が事故の際に多数の歩行者を救うにはクルマの搭乗者を犠牲にするといった人工知能AI)の合理的な判断を支持する一方で、自分はそんなクルマは買わないと考えているという矛盾を指摘したのだ。

テクノロジーはどんどん複雑になっているが、そのおかげで、わたしたちが社会をつくり変えていく能力も強化されつつある。同時に、合意形成やガヴァナンスといったものの力学が変化していることも確かだろう。

ただ、社会の均衡を保つためには妥協も必要だという考え方は、なにも目新しいものではない。民主主義を機能させていく上で基礎となる理念だ。

決定過程のブラックボックス化という問題

MITの研究者たちは、アルゴリズムの開発過程で保護者らと話し合う機会があったが、保護者たちは授業時間の最適化において考慮された要素をすべて理解しているわけではなかったという。時間割を改良するために必要となるトレードオフは明確には示されておらず、また変更の結果としてもたらされる利点も、それぞれの家庭が受ける影響と比べれば曖昧なものに見えた。

そして、保護者たちの抗議運動がニュースで報じられたときには、個々の変更がなされた理由や、そもそもなぜ時間割を刷新するのかという俯瞰的な視点は失われてしまっていたのだ。

一方で、今回の事例で難しかったのは、アルゴリズムの決定過程のブラックボックス化という問題だ。これに関しては、スタンフォード大学の熟議民主主義センターが討論型世論調査(DP)という手法を紹介している。これは民主主義を採用したガヴァナンスにおける意思決定の方法のひとつだ。

具体的には、政策立案の過程で影響を受けるグループの代表者に集まってもらい、数日間にわたって討議を行う。その政策の目的を評価し、必要な情報を全員で検討することで、利害対立のある人々の間で合意形成を目指すのだ。

BPSの場合、保護者たちがアルゴリズムによる最適化における優先事項を十分に検討し把握していたなら、自分たちの要望がどのように反映されたかをより簡単に理解することができただろう。

人間の協力の重要性

アルゴリズムを開発した研究者たちとのミーティングのあと、ケイドがデヴィッド・シャーフェンバーグというジャーナリストを紹介してくれた。シャーフェンバーグはボストン・グローブの記者で、BPSの授業時間変更についての調査記事を書いたという。

この記事には、読者がMITのチームのアルゴリズムを理解できるようにシミュレーターが組み込まれており、コストや保護者の要望、子どもたちの健康といった要素があるなかで、どれかを重視すればほかのものは犠牲にせざるを得ないという難しい状況がよくわかるようになっている。

テクノロジーを利用して学校運営の改革を実施しようとしたBPSの試みは、こうしたツールによってバイアスや不公平を増幅させないためにはどうすべきかを理解する上で、貴重な授業となった。アルゴリズムを使えば、システムを公平かつ合理的なものに改良することができる。ただ、それには人間の側の協力も必要なのだ。

Credits

Translation by Chihiro OKA