Joi Ito's Podcast - 変革への道

テクノロジーに精通しているだけでなく、サブカルチャーやネットカルチャーにも詳しい伊藤穰一。 かつて、マサチューセッツ工科大学(MIT)の研究所メディア・ラボの所長も務めた伊藤穰一がさまざまな人物を巻き込み、「これからのニッポン」を考え、どう変革していくべきなのかを議論する新しいポッドキャストがスタートします。 番組には、伊藤穰一のネットワークを通じて、世界中から様々なゲストが出演。 また、解説者として、メディア美学者である武邑光裕氏が登場し、デジタル社会の大局的な指針を伊藤穰一と共に掘り下げていきます。 議題となるテーマは毎回その時に注目されている話題や、伊藤穰一が気になっているテーマをピックアップ。 伊藤穰一の頭の中をそっくり丸ごとお届けしていきます。是非、お楽しみください。

今回は、デジタル政策担当の内閣官房参与であり、デジタル庁顧問である村井純・慶應義塾大学教授が登場!インターネットの父とも呼ばれる村井純教授は1980年代から伊藤穰一と交流があり、さまざまな議論を交わし、日本にインターネットを浸透させるために共に闘ってきたといいます。 ちょうど、今から25年前には2人揃って朝日新聞にも登場し「インターネットの未来」について激論を交わしていました。あれから25年。それぞれ独自の道を歩んできた二人にとって映るニッポンの姿とはどのようなものなのでしょうか?そしてこれから進むべき方向とは?

JOI ITO - 変革への道- Opinion Box】今回から、リスナーの皆様から私のPodcastを聞いたご意見を募集し始めました。 お便りをお寄せいただいた方には、何かいいことがある...かもしれません。

編集ノート】 Joiさんからのメッセージや、スタッフによる制作レポート、そして番組に登場した難解な単語などはこちらにまとめてあります。今回は、25年前の伊藤穰一と村井先生が登場した新聞記事も特別に掲載しています。若き日のお二人の姿をご覧になりたい方は必見です!

Voiced by CoeFont.CLOUD

Music by 坂本龍一

番組のスポンサー

Podcast Transcript

伊藤穰一: こんにちは伊藤穰一です。本日のゲストは、なんと村井純先生です。

村井純: こんにちは。村井純です。よろしくお願いします

伊藤穰一: もう皆さん村井先生のことは、よく知ってると思いますが、知らない方のために。彼は、インターネットの父と呼ばれていたり、今回のデジ庁のグランドデザインにもずいぶん村井先生が関わっていて。メインジョブは慶応大学の教授と総理の参与ですよね?

村井純: そうですね。今、内閣官房参与ってのは総理のスペシャルアドバイザーっていうデジタル政策に関してですけどね。それからデジ庁の顧問っていうね、それと慶応大学教授。これは研究ですね。この3つぐらいが私の時間をアロケートしてるやつですね。

伊藤穰一: 村井先生とは、もういつ出会ったかの瞬間はよく覚えてないんですけど。90年代前半でたぶん村井先生はWIDEプロジェクトで、インターネットを作ってたところに僕はプロバイダーの立ち上げとかやっていて。それでInternet World EXPOっていうのを先生が仕切って、僕もお手伝いさせていただいたのが、一番最初の仕事だったんですよね。

村井純: そうですね。だけど、会ったのはね。何かで私のホテルに訪ねてきた、ほとんど少年か青年かみたいなのだったのが、もうちょっと前だったんじゃないかっていう気はするけど。

伊藤穰一: そうかもしれないですね。覚えてます。

村井純: それでいずれにせよ、かなり80年代の終わりか、90年代の頃。それでやっぱり、その後でやっぱり少し何ていうか、立ち位置がこっちは作る側で入ってて。それからもうちょっとビジネスから上のレイヤーっていう視点を持ってるので、Joiは。2人の議論はいつでも、そういう意味で、僕にとってはものすごく刺激的で面白くて。とても楽しく、今までずっと。ケンカすることなく。笑

伊藤穰一: ないですね。レイヤーが分かれてましたからね。インターネットの良さって各レイヤーきちっと分かれていて、つながるっていうので。村井先生って、だいたいレイヤーIIIっていうインフラの方に集中していて、僕はよく上ものとか言われていて、上に乗っけるものやってたのが大きかったでしょうね。やっぱり。

村井純: 2つあって。やっぱり特にインターネットが広まってくると今度は上物って言うのはITUの人たちが言う言葉ではオーバーザトップっていうんだけど。それで何か「インターネットの上で何かやってんのね」って言うんだけど。あのJoiと私の話はいつも「インターネットがどこへ行くか?どんな意味を持っていくか?」っていうインターネットのインパクトをいわば軸に、いろいろな話ができたっていうところがやっぱり、全然他の人たちとのだとの話と全然違う。つまり「インターネット下のことなんか全然関係ないけどさ。俺たちはこれインターネットを使ってこれをやるんだよね」って人はいっぱいいるんだけど。やっぱりインターネットっていうものがどうやって作られ、それから、どういうインパクトを持ち、どうやってサステイナブルな発展をする。そのことのインパクトに対してどういうふうに答えていけばいいかみたいなことを我々は考えなきゃいけないんだけど。それはずっとJoiと一緒に考えられたっていうふうに思ってて。

伊藤穰一: そうですよね。それで一番最近一緒にやったのはでデジ庁もあるんですけど。18年にやっと、僕は村井先生の下で学位が取れて。慶応大学でphDをやったんですけど。その中身もこのずっと何十年も村井先生とやってきたいろんな話も含めたすごい巨大なプロジェクトだったんですけど。それも、いろいろお世話になりました。ありがとうございました。

村井純: いや、僕もね。やっぱりアカデミズムを変えなきゃいけないとか、そういうつもりもあって慶応の湘南藤沢キャンパスを作った背景があるわけだから。そうなってくると、やっぱりね。全部の文明とか社会とかそういうことをテクノロジーサイエンスを全部考えなきゃいけないっていうそういう立場だったのが、そこでのシンボリックな博士号っていうのはやっぱりいつでも狙ってんだよね、作戦的には。だからやっぱりこれ、Joiと僕達でやってきたことが博士号になるのはとても面白い。博士論文になるのは、そういう意味でとても重要だから。そういう意味でやろうよって言ってたのは。だいぶ前でね。それで結構やりそうになったんだけど、ストップかかったんだよね。

伊藤穰一: そう。僕がメディアラボに入ったときに、学位ないやつが所長になるっていうのがみんなHeadlineになって。それで最初は結構、MITもビビってたんだけど、最後にその学長とかからOKが出て。で、創業者のニコラスは、逆に学位がないやつを所長にできるのはMITだけだみたいな自慢にしちゃったんだよね。

村井純: だからこっちとしてはさ。せっかくそれで、ニックがそれを言ってるときにこっちに出しちゃうっていうのは何かかわいそうだからさ。じゃ。とりあえずサスペンドしようっていう。それですぐ、それでもう一度戻ってきてついに。あ、でもね覚えてる。Joiが連絡してきてね。いろいろ学部長とか理事会とか、そういうとこで話さなければならなくちゃならないわけじゃない?そこでJoiがこう言ったのを覚えてるんだよね。やっぱりね、これ、アカデミズムのランゲージをうまく喋れないと、そうすると何かいろいろ問題かなって思ってきたから。そろそろやっぱりあれやり直そうっていうことを言ってきたよね。それで何年かかけて仕上げったてね。

伊藤穰一: やっぱりさすがね。9年ぐらいいたんだけど、最後の方になるとだんだんこう、もうその学位ないっていう新鮮味がなくなってんで。やっぱり大学のプロダクトっていうのは学位なので。その自分のプロダクト食ったことない奴の信用できないという学生も出てきたので。自分でもやらなきゃなっていうのも…。でも、すごいやって良くて。難しいなと思ってたけども。やっぱり自分でやると全然ちょっと変わったphDだったけれども、すごい勉強になりまして。それこれあれ以上ね一つのことに集中したことも人生になかったんで。

村井純: すごいよね。あのときだってめちゃくちゃ忙しい時だったけど、もう信じられないほど時間取ったたんで。

伊藤穰一: 前晩、毎週末、もうそれだけだったよね。

村井純: それでだけど、やっぱりね。俺も67人、博士号を出してるんだけど。やっぱりそのプロセスって、最後の論文書くことがすごく大事なんで。それでやっぱり、やってきたことを積み上げるって、束ねるだけなんだけど。やっぱりストーリーがあって。それから、そのナラティブみたいのがあって。それで何を伝えているのかっていうことを、どうやって構成するかっていうのは、やっぱり産みの苦しみもすごくあって。博士号って必ず。すると、ところがそれを経験するとしないとで、やっぱり何かね、見方とか考え方って変わるんだよね。

伊藤穰一: ありがとうございます。でも、ひとつ起きたのは、やっぱり今までやってきたことを結構、描かなきゃいけないのと。そうするとConclusionの時にまだできてないことがすごく明らかになるんだよね。あ、こんなことやったけど、これができてないっていうのが、それがすごくわかりやすく自分の中で整理できて。その後、じゃこれをやろうっていうプロジェクト立ち上げて。実は今、新しいいろいろなことを手がけている中で、僕がPractice of Changeっていうタイトルを作ったんだけれども。村井先生が変革論っていうすごい翻訳をしてくれて。で、実はこのPodcastも変革への道っていうサブタイトルにしてるので、すごく変革っていう言葉は好きで。実はこないだ、武邑先生ともそんな話をしていて。これからは、その変革センターとか変革への道とか、変革をどんどん使っていこうと思うんですけど。本人としてどうですか。

村井純: 僕はすごく、武邑さんの話も聞いたけど。本当に日本語って結構大事なんだよ。それで変革ってこれ、Joiの論文はチェンジでしょ。あの「変」っていうのはChangeだから。それでだけど変革っていうのは英語に訳すとトランスフォーメーションっていうんだよ。するとトランスフォーメーションを日本語に訳すと変革なんだけど。でもJoiのタイトルはそうじゃないわけで。それでやっぱ、Practice of Changeって言う意味っていうのは、やっぱりこの今度は日本語で「変」っていうのと「革」というつまり変わるんだけど、改革の革だからね。日本語にしたときにこそ加わる意味っていうのは、やっぱりあって。逆にそれがまた戻るっていう。意味として本来の意味に戻っていくっていうのは日本とはよくやっていて。例えば教育っていうのは「教えて育む」っていうんだけどEducationっていうのはEduceするっていうことだから「人間から引き出す」ってことだし、これが間違いだったろうとか、いいだろうとか、そういうことってあるんだけど。そういう意味でやっぱ変革っていう言葉はただ変わるチェンジだけじゃないし。そのことから学んだことで、しかも変革っていう言葉は、やっぱり「よくする」とか、「いいとこに導く」とか、そういう意味で使われることがすごく多いから。やっぱり少し、ある意味の哲学的な責任を持つとか、そういうようなことも含まれているかなと思って、僕も気に入ってますよ。

伊藤穰一: ありがとうございます。デジ庁の構想委員会では村井先生は座長をされてるんですが、そこでも結構、夏野さんとか三木谷さんとかもみんないいこと言っていて。この「デジタル改革に何かデジタルはオプションでつけるだけではなくて、そもそもネイティブにデジタルにするのにはもっといろいろ考え方も変えなきゃいけないよね」っていうのはたぶんポイントとして出たと思うんだけども。やっぱりそういう意味で言うとただの英語だと、トランスフォーメーションってちょっと弱いよね。その「革」っていうのが重要で。やっぱり考え方まで変わらなきゃいけないけれども。ほっとくと変わりたくないので、ちょっとそこにプレッシャーをかけた方がいいかなっていうのもこの言葉でも感じてるし、行動でも感じてるんですけどね。

村井純: それに僕がいつも思うのは、やっぱり前提なんだよね。もう。とにかくインターネットは前提だし、デジタルテクノロジーの利用も前提だし。それでこのことが例えば2000年だったらインターネット人口たった6%だった。だけど今は70%だからね。ともうあと5年経てばほぼ100パーセント。つまりすべての人類がやっぱりインターネットを前提に生きてる。こういう社会にもうなっちゃったんです。それでそうするとデジタルテクノロジー、インターネット、コミュニケーション、地球にひとつの空間。これを前提にして今の空間をどういう風にやるかっていうと今Joiが言ったようにやっぱりこれは、ただのトランスフォーム、つまり今の社会をどこに持っていくかじゃなくて、これ本当に新しい社会をどうやって創造するかっていう。そういうことがこのデジタル社会っていうテーマだし。そのことがやっぱりこの年は歴史的な年だったのね。やっぱり2020年、2021年このグローバルなパンデミックが起こり、そのことを意識する。あるいはこのPodcastもこの2021年にできている。こういう時は、本当に今言ったような意味で全部デジタル社会インターネット、デジタルテクノロジー、それから新しく出てくる技術にみんなが目を向けて。それでそれを前提に未来社会を作るタイミングって。やっぱ、かなり歴史的だと思うんだよ。うん笑。

伊藤穰一: でも面白いのは、こないだ村井先生がシェアしてくれて、僕覚えてたんですけど。その朝日新聞の1996年の対談の記事で。こんな感じでふたり写ってて。それでインターネット元年とか言ってオリンピックにも使えるし、もう今年がインターネットで今年すごい年だったとかで、25年前おんなじようなこと言ってたところは、すごく読んでて面白かったなと思う。

村井純: でもね、96年はほんとそうだよ。だから何でもいいけど、今年は歴史的な年だよなっていうような、楽しいからいくら言ってもいいと思うんだけどさあ。だけど96年ってやっぱりね。日本にとっては、だって95年に阪神淡路大震災があったでしょ。それで95年の暮れにWindows95が出たでしょ。それで明けたのが96年だから。やっぱり普通の人にとってインターネットがもう皆あれだけ行列して買ったWindows95だからね。それで。だからそれがみんなの目に止まり新聞やテレビなんかもインターネットということをワイドショーでも取り上げるみたいな。つまり新しいSomethingによって認識がすごく広がった。それでまた日本ではね。震災のたんびにやっぱデジタルテクノロジーの例えば、GPSとかね、ロケーションインフォメーションの意味っていうのは出てきたし。災害の度に、今回もCOVID-19で、その都市への人流っていうのは携帯電話の位置情報とプライバシーをうまくつけてこういう統計情報を作ったんですよっていう情報が我々を助けてるでしょ。すると我々やっぱりこの国はそういうね。デジタルテクノロジーをうまく使って、それでこういう災害に対してどうやって人を助け合うかとか人の命を救うかとかそういう視点でこのテクノロジーを使ってくっていう歴史があるんだよね。だからやっぱりそういう意味で、96年は本当にやっぱりこれインターネット元年みたいな意味の歴史的な年だったとは思うけどね。

伊藤穰一: 一番この25年間で何か違うなと思うのは、96年ってまだインターネット始めたばかりで結構、楽観的な要素も結構あったよね。みんなつながって声さえあればみんな平和になるとかさ。何かちょっとセキュリティなところまでの考え方が甘かったりしたんで。そういう意味で言うと、今度また僕が村井先生ってどっちかって言っただけと楽観的だと思うんだけども。だけどやっぱりいろいろとちょっと直さなきゃいけないところとかもうちょっとリアル社会にも、つながっているので。ちょっとやらなきゃいけないことは変わってますよね。

村井純: あのおっしゃる通りで。さっきも言ったように2000年で6%でしょう?全人口の。だからそういう意味では逆にいうと6%って誰かっていうと俺たちなんだよね。インターネット使ってきた90年代からずっと使ってきた、まあある意味インターネットシンパみたいな。インターネット使ってる一部の今思えばアーリー・アダプターだけど。それがやっぱりお互いのトラストがあるし、それでそういう意味ではその何て言うか、アブユーズみたいなものを想定するような奴がその6%な人には少なかったわけだよね。それでところが、これがやっぱ50パーセント超えてくるとこれをアブユーズしよっていうことの魅力が出てくるから。アブユーザーもインターネットを使うようになった。当然のことだよね。それでそれに対応するのがサイバーセキュリティーの世界だから。そういう意味では、今はセキュリティー・バイ・デザインっていうものを始めから考えないで作るのは無責任だからっていうような、そういうようなことになってくるので。一つアブユーズを止めるってのは、サイバーセキュリティーの技術の発展、そのアクションなんだけど、一方ではプロパーユースとかエシカルユーズっていうアブユーズじゃない方をどうやって価値を上げていくかということも、きちんと取り組まないといけないと思うんだよね。

伊藤穰一: そうですよね。だからこれもこれからデジ庁をやっていく中で村井先生がよく言うNo One Left Behindとか、どういうサービスがあるとみんなの生活が良くなるかということをセキュリティとかプライバシーとバランスしてどうやってデザインしていくかっていうのがすごく重要な課題ですよね。

村井純: デジタル社会で安心で安全な社会を作るっていうのは、安全の方は一生懸命そういう技術をどうやってアジャイルで開発しながら修正していくのかっていうことだと思うんだけど。安心っていうのは、やっぱりこれやんなきゃいけないこといっぱいあんだよね。これもね、Joiと昔話したのを覚えてるけどやっぱり。議論したのを覚えてるかどうわかんないけど、例えばインターネットの上のeメールのIDでも何でもいいけど、何かのIDを使って、それで何かすごい大失敗をしたときに、その失敗を消すために別のIDを使って生きることができるサイバー空間。こういうことができると、やっぱり失敗をしても立ち直るみたいなことが早くできるかもしれないとか、そういうような議論したことがあってね。

村井純: それで、それに対してどういう風に、「これからするんだっけ」ということがプライバシーだとか、それから人を信じるとか、この会社を信じるとか。そういうようなことがやっぱり形として作り上げていくことができるっていう大きな鍵だとは思っているので。これはやっぱりそこをターゲットにして行ってる。つまり人間とコンピュータシステムあるいはデジタルシステム、インターネット・システムの間をどういうふうに結びつけて、このトラストっていうものを作れるだろうか。それでこれを縛りつけ過ぎると難しいし、例えば自由すぎても困るし。だけど、そうしたら安心を作りたい場合は、信頼を作りたい場合はどうすればいいのか。でもだんだん見えてきた気がするけどね。

*   *   *

伊藤穰一: WIDEプロジェクトって紹介の時に出たんですけど。これは企業からお金を集めて大学と関連してる非営利団体を作って、そこがインターネットの最初の頃のいろんな開発をして最初の日本のインターネットを日本中立ち上げて運営してたのがこのWIDEプロジェクトなので。まさにインターネットの父なんですよね。ほかにもインターネットの父って呼んでもいいような人達もいますので、村井先生一人でやったわけではないんだけども。WIDEで育った人達がいろんなプロバイダとか大企業に配置されていくので大体そのWIDEの中の教え子は村井先生のWIDEとか出てきてる人がほとんどで。で、僕が社長をやってた会社が一番最初の商用インターネットのプロバイダーで、これはもうWIDEがネットワーク作った後にできたもので他の国でも学術ネットワークのが先だったのがほとんどなんですけども。ただ日本は、商用インターネットプロバイダーができてもWIDEが結構本体を仕切っていたんですよね。

伊藤穰一: 村井先生はアメリカも長くて。でああいう性格なのでやっぱり僕も彼もその僕くらいの個人の哲学とインターネットが結構一致したから惹かれていたと思うんですけども。あの時代、村井先生は特に国の中でもインターネットと違うアーキテクチャーのネットワークってずいぶんあって。で、結構最初の頃あんまりインターネットをプッシュした人は少なかったんですよね。最後インターネットが勝つわけですよね。だから今回のデジ庁とかもかなりインターネット好きな人達も中にいるのでそういう意味でいうと二十五年間かけてもともとインターネットってあり得ないと思ってた人がほとんどだった時代から、ほとんどの人はもうインターネットは起きちゃったので、じゃあどうしようっていう風に変わったんだなっていうのもこの25年前の記事読んで思い出しました。.

伊藤穰一: それでは慶応大学の村井先生と来週も引き続きお話をします。お楽しみに。

伊藤穰一: 実は先日番組のオリジナルNFTを発行しました。これは他でまだ見ていないのでひょっとすると日本初かもしれないんですけども。NFTって言うとみんな何かこう高いお金で売買されてる何か怪しい家で儲けのイメージがあると思うんですけども。僕はもうちょっと違って。NFTをアメリカではよくチャレンジコインって言うんですけれども、これは軍隊とかメディアラボとかまでも出したんですけども、お世話になった人にあげるコインみたいのがあって。それをみんな持って歩いて仲間でシェアするみたいなイメージがあるんですけども。そうチャレンジコインとか、よくあとスタッフジャンパーっていう映画でクルーをやるとジャンパーもらえて、それを着てると自分もその映画に貢献したっていう、何かこう貢献するともらえる何かのメダルみたいなもののイメージかなと。だからできれば差し上げた人は売らないっていうコンセプトなんだけどもただ自分の財布で移すとか、自分の子供にあげるとか、形見にするとかそういうようなイメージのNFTを発行してみました。これは番組のゲストと、今手伝ってくれてるクルーの方に配りました。

伊藤穰一: 皆さんぜひメッセージがある方はお便りを送ってください。お便りのリンクは番組の詳細のページにありますので、ぜひご覧ください。それでもうすでに何人かのリスナーからお便りいただいていますので今日紹介したいと思います。

メール: Joiさんと武邑さんが考える「日本人の英語力を変革する」ために必要なビジョン・哲学・手段などのアイデアがありましたら、教えて欲しいです。

伊藤穰一: 武邑先生とも話してたんですが、システムを変えるのにはこうルールとか変えるよりも、そのゴールを変えるっていうことが重要なんじゃないかと思ってまして。たぶん、英語を覚えたいと思えば、覚える手段っていろいろあって。もちろん先生たちもいますし、先生が近くにない人でもネットで勉強することもあると思うんですよね。例えばこないだ、私13歳でインドでYouTubeを通じて英語ペラペラになって、メディアラボにたどり着いてきた若い人と会ったりしていますし。村井純先生のWIDEの研究所は、ほとんどエンジニアなんですけれども僕が会った人ほとんど英語ペラペラなんですよね。僕の勝手な発想なんですけども、たぶんインターネットの研究者をやると、国際会議に参加しなきゃいけないので必然的に英語が上手になるので、教育とかもうたくさんちゃんとしてないとダメだと思うんですけども。一番欠けてるのはやる必要性とか、やる意志だと思うんで、そんなモチベーションにはプロジェクトがあってだとかいろんな国際的なグローバルの視点で事を考えるっていう必要だと思うんで。だから、どっちかっていうとその哲学的なところとビジョンにそこでつながっていくんじゃないかと思います。

メール:自己適応型システムの話ですが、日本人ってボトムアップ苦手ですよね。やはりそれがないとシステムとして成熟しないのではないでしょうか。

伊藤穰一: 日本人はボトムアップが弱いっていうイメージもあるし、実際僕も住んでいてそういう感じをするときもあるんですけども、ただ自己適応型システムとかレジリエンスで考えると比較的にレジリエンスのシステムというのはあんまり変わらないシステムっていう考え方もあるんですよね。だから僕も昔学生の頃パンクロックのTシャツとジャケットを着てこんなギザギザな髪の毛の人で*とか書いてあったんだけども原宿でボンとぶつかった。ああ、すいませんっていうお辞儀されて、でこういう本当にいろんな国際的なムーブメントとか吸い込んでもコアの日本人さが変わんないっていうのも、日本の特徴だと思うんですね。で、それいいところも悪いところもあると思うんです。だから日本って本当にメルティングポットで世界中の文化を強化していくんだけれども、でも消化したことにもかかわらず、心の日本人性は変わんないっていうのはいろんないい意味でも悪い意味であると思うんですね。変化もやっぱりボトムアップで変わる国っていうのは、本当にガチャガチャです。常に摩擦が起きて変わっていくっていうアメリカなんか、ちょっとそうだと思うんですけども。日本ってもうちょっと大きな変化を与えて明治維新とか、戦後の日本のもう切り替えとかそういう時代の節目で変わるっていうのが日本人らしさだと思うんで。そういう意味でいうと、ちょうど何か60年ぐらいの単位で考えるとちょうど今頃、大きな変化が日本も起きるタイミングでもあるんで。そろそろ何か起きるんじゃないかな。でそん時にはボトムアップなのかどうかわかんないけど、もうほんと中から変わっちゃうっていう可能性は十分あると思います。

メール: ポッドキャストに登場する名前や単語を簡単で良いので書き記して頂けると幸いです。

伊藤穰一: はい。番組の音楽とかリンクとか今ブログの方にスタッフの品田さんが色々まとめてくれてるので、番組の詳細に行くとリンクがありますのでぜひそこから見てください。

メール: 自由・資本主義で、競争し排除し、個が生き残ることがゴールの社会で、人間そのものを大事にする「倫理」はゴールになりえないのでしょうか?

伊藤穰一: 進化論を見てると、競争と協力の関係って、すごく密にあって。で、常に一緒にやりながら競争するっていうのが自然のバランスでもあるんですよね。だから動物でも自然に競争はしてるんだけれどもその競争の中で協力っていうのは、よく見られるんですね。ただその競争だけが勝ち抜いていっちゃうと、暴走することもあるんですね。だから今回のパンデミックとかもそうなんだけれども、本当に自然でも暴走するものっていうのもあるんだけど、暴走しちゃうと本当に周りが破壊されて、もうエネルギーがなくなって終わるっていうのが、パンデミックもそうなんですけども。ある種、今の資本主義っていうのは、パンデミックみたいな形で周りの環境だとか自然を消費しちゃってどんどん暴走してる要素もあると思うんですね。で、そういう意味でいうと、今の社会には人間を大切にするっていう部分は多分ずいぶん減ってしまって。そして今の経済原理の中では、なかなか出にくい要素になってると思うんですけども。それは絶対出てくる必要はあると思うんですけど、それがもう破綻してから出てくるのか途中でそういう新しいアイデアが湧いてきて自然に中から変わっていくのかっていうのは、これは多分いろんなパターンはあると思うんですよね。で今、特に若い人たちの間で、環境問題の倫理とかも生まれてきてると思いますし、環境問題ってすごく面白くて人間中心ってよりもっと大きい自然とか地球を中心にしているので、そういうところで心とかが変わっていく可能性はあると思うんですけども。でもこれは、あの武邑先生とも話してたシステムのパラダイムとか、そもそもお金で全部価値を換算してるところが、実は、その元になってたりすると思うので。だからそういう人間を大事にしようっていうのを言うのも、ひとつだけでも全部お金で計算しないっていうところから変えるっていうのも、一つの方法かなと思います。NFTも変な意味で可能性もそういうところにもあるんですよね。だからその会計の方法を変えるっていう考え方もあるし、そもそも会計なんかしないっていうのもあるんだけども。これは結構これから掘っていきたいトピックなんですよね。

伊藤穰一: というわけで今後お便りをくださった方にはありがとうを何かしたいと思います。NFT絡みのことかもしれないのでぜひ皆さんアイデアがあったら送ってくださいお待ちしてます。