2010年8月 Archives

訳:小池洋介 (@kleinteich)、渡辺智暁、東久保麻紀

僕がICANNの理事だったとき、理事会は国際化ドメイン名(IDNs)の問題、つまりドメイン名にラテン文字でない文字を使えるようにするためのイニシアチブに取り組んでいた。これは技術的に難しいことだったし、具体的にこれをどう進めるかについてコンセンサスを形成することはもっと難しかった。中国語圏やアラブ語圏などの多くのコミュニティは、これを実行に移したくて仕方がなかったし、ICANNによるIDNs関係のプロセスに強い苛立ちを感じ始めていた。しばしば、アラブ・インターネットと中国インターネットは分岐してそれぞれ独自のインターネットを作ることで問題を解決するか、範囲限定の技術的な"ハック"を導入して扱う用意があるかのように思われた。もしハックを導入していたら、ドメイン名システムの標準的な動作に依存していた多くのアプリケーションに不具合をひきおこしていたことだろう。

幸運なことに、たくさんの努力の末に、私たちはIDNsについての基本的な共通認識を持つことができた。インターネットは一つのネットワークのままで維持された。それはほとんどありえないほど幸運な展開だった。

僕がオープン・ソース・イニシアチブの理事会に参加したときにもまた、似ているが少し違う問題と格闘していた 。その問題を僕たちは「ライセンス増殖」と呼んでいた。ライセンス増殖は、 企業やプロジェクトが、既存の定評があるライセンスを使うことをせず、独自に空虚で、深慮よりも過信に基づいた類の("ヴァニティ"の)フリー&オープンソース・ライセンスを作り出してしまうという問題だった。これらの空虚なライセンスは、各々のライセンスの作成者のニーズに応えるべく調整されていたから(ときに、既存のライセンスと微かにしか違わないということさえあった)、複雑さが増してしまい、ユーザーを混乱させたり、法的に互換性のないコード群が作られることにもなった。

フリーソフトウェア財団によるGNUパブリックライセンスのようなコピーレフトのライセンスにおいては、 現著作物と同じライセンスの下で派生作品がリリースされる必要があった。ちなみにこの特徴は、多くのプログラマにとっては仕様であってバグではない。しかしながら、派生作品がどのようにライセンスされなければならないかについてのこの要求のせいで、異なるライセンスの下にある異なるプロジェクトのコードを組み合わせることは難しくなってしまう。これらのコードの島々は、分岐したインターネットや、今あるIMのネットワークや、インターネットによって結び合わされる前の電子メールに似て見えた。

インターネットの2つの偉大な特徴は、第一に取引費用が低いこと、第二に、 標準規格とプロトコルが相互運用性を可能にし、イノベーションの原動力となる巨大なネットワーク効果を増幅させることだ。

クリエイティブ・コモンズでは、このスタックの「新しいレイヤー」であることを武器に 、ライセンス増殖と"分岐"を防ぐことで、取引費用を低く維持し、相互運用性を高く維持しようと、一生懸命取り組んでいる。

例えば、ウィキペディアはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスが利用可能になる前に設立された。ウィキペディアは、去年まで、フリーソフトウェア財団によるGNUフリードキュメントライセンス(GFDL)でライセンスされていた。GFDLはコピーレフトのライセンスで、クリエイティブ・コモンズのBY-SAライセンス、すなわち、派生作品に元の作品と同じライセンスが使われる限り自由に作品を利用できるとするライセンスとよく似ている。しかし、GFDLは主にフリーソフトのドキュメンテーションで使われることを想定して作られていたため、ウィキペディアのような大規模なオンラインコラボレーションに使うためにはふさわしくないいくつかの特徴があり、最適ではなかった。

また、クリエイティブ・コモンズのBY-SAライセンスでリリースされる作品が増えていくにつれて、リミックスができず互換性もない二つの2つのコンテンツの大洋が生み出された。それはインターネットが二つあるようなものだった。

フリーソフトウェア財団、ウィキペディアとウィキメディア財団の理事会やコミュニティ、クリエイティブ・コモンズのコミュニティによる何年もの議論を経て、昨年ついに僕たちはウィキペディアをクリエイティブ・コモンズのBY-SAライセンスにコンバートすることができた。これまで分かれていた二つのコミュニティ、二つの作品群が一つにまとまることとなり、自由に共有し、コラボレーションをすることができるようになったのだ。*

この瞬間は、自分のネットワークに属する人だけでなく、他のネットワークにいる誰にでもメールを送ることができるようになった電子メール初期の日々と同じように感じられた。

「共有」や「フリーカルチャー」の考え方がより広く受け入れられ始めるにつれて、 そして、政府やインターネットサービス事業者、さらには放送事業者までもが共有の考え方を実行に移しはじめるにつれて、ライセンスの増殖への不安が、現実的なリスクを呈するようになっていった。

企業と政府は空虚なライセンスを作り始めているが、それは単にブランディングのためだったり、自分勝手な理由からだったりするし、また彼らが特定の特徴に関して"手を加える"ためだったりする。彼らの多くが理解していないのは、既存のフリーライセンスに手を加えるのは、インターネットの文字コードやインターネット・プロトコルに手を加えるようなことにとても似ているということだ。ちょっとした特徴を盛り込んだことや、ライセンスを所有する感覚から、いくらかの満足感を得られるかもしれないが、同時に、われわれみんなが理解しなければならないライセンスがまたひとつ増え、そして多くの場合、それらのライセンスには根本的に互換性がなく、相互運用性を欠いているため、摩擦を導入することになるだろう。

クリエイティブ・コモンズは単に複数あるライセンスのうちの選択肢の一つというだけではない。100以上の国々の弁護士、裁判官、学者、ユーザー、企業が関与するグローバルな話し合いが行われ、50以上の国や法管轄での非常に厳密な互換ライセンスの移植も行っている。僕たちは、この新しいエコシステムにおける全てのステークホルダーのニーズを考慮することに主眼を置いているし、できるだけ多くの選択肢を提供するのと同時に、相互運用性と使いやすさを最大限に達成するためにできるだけライセンスをシンプルしようと、ライセンスの修正・アップデートに注力している。

クリエイティブ・コモンズの6つの主要ライセンスは選択肢が多すぎると言う人もいるだろう。クリエイティブ・コモンズの全てのライセンス同士が互換性があるとは言えないという点を批判する人もいる - そしてそれはおそらく正しい。反対に、クリエイティブ・コモンズは十分な選択肢を提供していないと言う人もいるだろう。しかし、3億5000万もの作品にクリエイティブ・コモンズ・ライセンスが使われるようになった現在、僕たちはシンプルさと選択肢の多さの間のバランスよいスイートスポットに導くことができていると信じている。

共有と新しいフリーライセンスの採用が加速し始めるにつれて、悪意のない政府、NPO、ユーザーや企業からの資金援助に支えられ、あるいは大量のコンテンツに支えられているずさんなライセンスや互換性のないライセンスを作ってしまう危険に僕たちは直面していると考えている。まともに書かれていないライセンスや、献身的な法律専門家のチームの世話や支援を受けていないライセンス、厄介な隣接権に妨害されているコンテンツや孤立していて制限的なライセンスは、利用不可能なコンテンツを山のように作り出してしまうかもしれない。それらのコンテンツを僕たちは"フリー"と呼ぶかもしれないが、しかし実用目的に全く耐えられない利用不可能なコンテンツの集まりにすぎず、"失敗した共有財産"と呼ぶのがふさわしいかもしれない。

自由利用ライセンスの恩恵を受けている全ての人に僕が強く訴えたいことは、単一のライセンス体系に集中することの価値について深く考えてほしいということと、空虚なライセンスや、"私たちの利用者のためのこの特徴を一つ盛り込もう"的なライセンスを作り出す気持ちに抵抗してほしいということだ。僕たちは開かれたグローバルな対話をしようとしていて、人々に僕たちの議論に参加するよう促している。僕たちのライセンスがどう改良できるかを論じ、現存のライセンスの一節一節がどういう理由で今のように書かれているのかを聞いてほしいとみんなに促している。

僕たちのコンテンツを使う未来の利用者のため、そして僕たちが作っているアーキテクチャへの未来の参加者のために、僕たちはこのネットワークを絶対に一つに保たなくてはならないし、ライセンス増殖問題と断片化を根絶するよう積極的に動かなければならない。もしICANNとOSIでの経験が何かしらの手引きと教訓を与えてくれるとしたら、−そして、これらの組織やコミュニティが今までに直面した課題と危険を、僕たちがこれから避けていくのだとしたら−、僕たちはみんな、慎重かつ断固たる態度でこの問題に取り組んでいかねばならない。

*Note: 正確に言うと2009年6月15日からWIkipediaは「GFDLのみ」から「CC-BY-SAとGFDLのデュアルライセンス」、「CC-BY-SAが主要ライセンスとなり、GFDLは補助的に使われるライセンスとなります」。詳しくは:Wikipedia:ライセンス更新。 

DGインキュベーションが出資しているTriggitt社のCEO Zach Coelliusに、デマンドサイド・プラットフォームとリアルタイム・ビッディング(ユーザーの属性情報に合わせた広告をリアルタイムな入札に基づいて配信する技術)についてビデオカメラの前で語ってもらった。アドネットワークと広告取引市場が増えたことが、Google社が主導するリアルタイム・ビッディングを可能にするだけの広告在庫をもたらしたという。このためTriggit社のような企業が、さまざまなアドネットワークにある潤沢な在庫を見渡して、洗練された解析に基づくリアルタイム・ビッディングを行うことが可能になった。

これは、広告市場の勢力図を劇的に変えるほど興味深いトレンドだと思っている。コンテンツ事業者にしてみれば、広告スペースの価値を大きく高められる。広告代理店は、さまざまな工夫を施すことで、バルクで広告を売るのに比べてずっと効果的なキャンペーンが可能になる。

免責事項:僕自身も Triggit社に出資している。

KMD Digital Journalism 2010  p2pu.png by joiito on Aviary

この3年間、僕は慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科(KMD)でデジタルジャーナリズムに関する講座を教えている。毎年そのフォーマットについて反芻して、僕の関わり方をより効果的に行い、より多くの人々に影響を与えられないだろうかと検討してきた。

今年はP2P University(P2PU)のPhilippに会った。P2PUの理念missionは以下の通りだ:

Peer 2 Peer Universityは施設の壁の外での教育を構築し、学習者の実績に対し承認を与える草の根的なオープン教育プロジェクトです。P2PUは従来の正式な高等教育と並行した生涯学習のモデルを提示します。P2PUはインターネットおよびオンラインでオープン提供されている教材を活用し、高品質で低コストの教育機会を実現させます。P2PUの本質とは万人による万人のための、ほぼあらゆる事項に関する教育なのです。
オンラインで行われる講座は、世話役担当者の支援下にある自己学習者のコミュニティ、といった表現のほうが的確です。コンテンツは全てクリエイティブ・コモンズのAttribution-Share-Alike(表示-継承)ライセンス下にあり、利用者自身が逆に共有しかえしさえすれば、誰でもがコンテンツを再利用できるようになっています。各講座はこれまでの積み重ねを活用していくわけです。

Philippといくつかのことについて話した後に、僕は、非公式で単位のためではないP2PUでの学習と、KMDの正式な単位取得のための講座とのマッシュアップを試みることにした。素材をクリエイティブ・コモンズのライセンス下で公開する点、およびピアツーピアでの学習である点に対し、当初は大学側に少々難色を示されたけれど、KMDでの委員会の会議を無事に通すことができ、実現に漕ぎつけた。(KMDの皆さんに感謝!)

我々はP2PUのウェブサイトおよびフォーラムをコミュニケーションの主幹として活用し、これをメーリングリスト、UStreamツイッター(#kmdp2puDJ)およびP2PUのウェブサイト上のインターフェースからもアクセス可能なIRCチャンネルで増強した。週ごとに課題を出し、リアルタイムのセミナーを実施した。物理的スペースは慶応の日吉キャンパスを使ったものの、僕が旅行中であればH.323経由でビデオカンファレンスをしたし、Skypeを通じてゲストスピーカーや遠隔地の学生に参加してもらった。それを今度はストリーミングしてUStream上で記録して、IRCチャンネルを議論および質疑の場とした。UStreamのセッションをツイッターで紹介して、リアルタイムで飛び入り参加者を集めた。セミナーの動画は東京で高解像度で録画して、後にアップロードした。(html/rss

技術面の複雑さゆえに参加者の何人かは戸惑ってしまったように思えるし、改善の余地はたくさんあるものの、その複雑さと、試行錯誤しながらの問題解決であったことを考慮すると、驚くほどうまくいったと言えるだろう。UStream経由では数十人、IRCチャンネルでも十数人の人が参加してくれるのが普通だった。

またアドリブがとても楽しく、うまくいったと思う。例えば、当初は視聴者で、UstreamのリツイートをしてくれていたNew York Timesの田淵寛子氏に、その次の週の講義で発表をしてくれるよう説得することもできた。その上で、グリーンピース・ジャパンの事務局長である星川淳氏にSkypeで参加してもらい、田淵氏および学生たちに、日本のメディアがグリーンピース・ジャパン裁判を追った報道がいかに失敗であったかについて話してもらえた。

課題やフォーラムでの議論、リアルタイムでの議論に加え、参加者にはプロジェクトを立ち上げるか、立ち上がったものに参加するよう求めた。いくつかの興味深いプロジェクトが発足した。Halaは東京でのイスラム教徒たちに関するブログを始めたし、GuerorguiとAlanとRichardは、非GDP/マーケットアセスメントを扱ったプロジェクトを始めた。GilmarとGustavoは現在のジャーナリストに与えられた新しい能力に関するブログを立ち上げ、LenaとNadhirは講座そのものについてのレポートに取り組んでおり、RichardとRickは東京におけるデジタルジャーナリズムに関するブログを始めた。

難点は、慶応の学生たちからの参加の度合いが比較的限られていたということだ。言語が英語であること、日程が月曜朝であることの他、求められる労力にひるんでしまった部分があったのではないかと思う。とはいえ、生き残った少数の学生たちは大いに貢献してくれた。

世界各地から参加してくれた人々については、セッションが日本時間の同一の時間に行なわれたことより、何人かはリアルタイムでの議論への参加がほぼ不可能になってしまっていたようだ。

最後に、コミュニケーションの手段があれだけ多かったため、それぞれの話のスレッドを追うのが難しくなっていたように思える。

とはいえ、僕はこの談話の効果と質の高さを本当に嬉しく思った。また計画性が相対的に低い、思いがけない発見(セレンディピティ)的な要素が最もうまく機能していた面が多数あったことに気づかされた。インスタントメッセンジャーのフレンドリストをざっと洗って、Skypeで講義に引き込むべき誰かを探す、というアプローチは非常に功を奏したように思えた。

我々はこの対話の形、およびオンラインジャーナリズムを学ぶ最良の方法について反復発展させていくために、メーリングリストを通じて何らかの持続的なコミュニティのようなものを維持していけないか、試してみるつもりだ。

追記:Andriaが講座についてよさげな投稿をしてくれた。