訳:小池洋介 (@kleinteich)、渡辺智暁、東久保麻紀
僕がICANNの理事だったとき、理事会は国際化ドメイン名(IDNs)の問題、つまりドメイン名にラテン文字でない文字を使えるようにするためのイニシアチブに取り組んでいた。これは技術的に難しいことだったし、具体的にこれをどう進めるかについてコンセンサスを形成することはもっと難しかった。中国語圏やアラブ語圏などの多くのコミュニティは、これを実行に移したくて仕方がなかったし、ICANNによるIDNs関係のプロセスに強い苛立ちを感じ始めていた。しばしば、アラブ・インターネットと中国インターネットは分岐してそれぞれ独自のインターネットを作ることで問題を解決するか、範囲限定の技術的な"ハック"を導入して扱う用意があるかのように思われた。もしハックを導入していたら、ドメイン名システムの標準的な動作に依存していた多くのアプリケーションに不具合をひきおこしていたことだろう。
幸運なことに、たくさんの努力の末に、私たちはIDNsについての基本的な共通認識を持つことができた。インターネットは一つのネットワークのままで維持された。それはほとんどありえないほど幸運な展開だった。
僕がオープン・ソース・イニシアチブの理事会に参加したときにもまた、似ているが少し違う問題と格闘していた 。その問題を僕たちは「ライセンス増殖」と呼んでいた。ライセンス増殖は、 企業やプロジェクトが、既存の定評があるライセンスを使うことをせず、独自に空虚で、深慮よりも過信に基づいた類の("ヴァニティ"の)フリー&オープンソース・ライセンスを作り出してしまうという問題だった。これらの空虚なライセンスは、各々のライセンスの作成者のニーズに応えるべく調整されていたから(ときに、既存のライセンスと微かにしか違わないということさえあった)、複雑さが増してしまい、ユーザーを混乱させたり、法的に互換性のないコード群が作られることにもなった。
フリーソフトウェア財団によるGNUパブリックライセンスのようなコピーレフトのライセンスにおいては、 現著作物と同じライセンスの下で派生作品がリリースされる必要があった。ちなみにこの特徴は、多くのプログラマにとっては仕様であってバグではない。しかしながら、派生作品がどのようにライセンスされなければならないかについてのこの要求のせいで、異なるライセンスの下にある異なるプロジェクトのコードを組み合わせることは難しくなってしまう。これらのコードの島々は、分岐したインターネットや、今あるIMのネットワークや、インターネットによって結び合わされる前の電子メールに似て見えた。
インターネットの2つの偉大な特徴は、第一に取引費用が低いこと、第二に、 標準規格とプロトコルが相互運用性を可能にし、イノベーションの原動力となる巨大なネットワーク効果を増幅させることだ。
クリエイティブ・コモンズでは、このスタックの「新しいレイヤー」であることを武器に 、ライセンス増殖と"分岐"を防ぐことで、取引費用を低く維持し、相互運用性を高く維持しようと、一生懸命取り組んでいる。
例えば、ウィキペディアはクリエイティブ・コモンズ・ライセンスが利用可能になる前に設立された。ウィキペディアは、去年まで、フリーソフトウェア財団によるGNUフリードキュメントライセンス(GFDL)でライセンスされていた。GFDLはコピーレフトのライセンスで、クリエイティブ・コモンズのBY-SAライセンス、すなわち、派生作品に元の作品と同じライセンスが使われる限り自由に作品を利用できるとするライセンスとよく似ている。しかし、GFDLは主にフリーソフトのドキュメンテーションで使われることを想定して作られていたため、ウィキペディアのような大規模なオンラインコラボレーションに使うためにはふさわしくないいくつかの特徴があり、最適ではなかった。
また、クリエイティブ・コモンズのBY-SAライセンスでリリースされる作品が増えていくにつれて、リミックスができず互換性もない二つの2つのコンテンツの大洋が生み出された。それはインターネットが二つあるようなものだった。
フリーソフトウェア財団、ウィキペディアとウィキメディア財団の理事会やコミュニティ、クリエイティブ・コモンズのコミュニティによる何年もの議論を経て、昨年ついに僕たちはウィキペディアをクリエイティブ・コモンズのBY-SAライセンスにコンバートすることができた。これまで分かれていた二つのコミュニティ、二つの作品群が一つにまとまることとなり、自由に共有し、コラボレーションをすることができるようになったのだ。*
この瞬間は、自分のネットワークに属する人だけでなく、他のネットワークにいる誰にでもメールを送ることができるようになった電子メール初期の日々と同じように感じられた。
「共有」や「フリーカルチャー」の考え方がより広く受け入れられ始めるにつれて、 そして、政府やインターネットサービス事業者、さらには放送事業者までもが共有の考え方を実行に移しはじめるにつれて、ライセンスの増殖への不安が、現実的なリスクを呈するようになっていった。
企業と政府は空虚なライセンスを作り始めているが、それは単にブランディングのためだったり、自分勝手な理由からだったりするし、また彼らが特定の特徴に関して"手を加える"ためだったりする。彼らの多くが理解していないのは、既存のフリーライセンスに手を加えるのは、インターネットの文字コードやインターネット・プロトコルに手を加えるようなことにとても似ているということだ。ちょっとした特徴を盛り込んだことや、ライセンスを所有する感覚から、いくらかの満足感を得られるかもしれないが、同時に、われわれみんなが理解しなければならないライセンスがまたひとつ増え、そして多くの場合、それらのライセンスには根本的に互換性がなく、相互運用性を欠いているため、摩擦を導入することになるだろう。
クリエイティブ・コモンズは単に複数あるライセンスのうちの選択肢の一つというだけではない。100以上の国々の弁護士、裁判官、学者、ユーザー、企業が関与するグローバルな話し合いが行われ、50以上の国や法管轄での非常に厳密な互換ライセンスの移植も行っている。僕たちは、この新しいエコシステムにおける全てのステークホルダーのニーズを考慮することに主眼を置いているし、できるだけ多くの選択肢を提供するのと同時に、相互運用性と使いやすさを最大限に達成するためにできるだけライセンスをシンプルしようと、ライセンスの修正・アップデートに注力している。
クリエイティブ・コモンズの6つの主要ライセンスは選択肢が多すぎると言う人もいるだろう。クリエイティブ・コモンズの全てのライセンス同士が互換性があるとは言えないという点を批判する人もいる - そしてそれはおそらく正しい。反対に、クリエイティブ・コモンズは十分な選択肢を提供していないと言う人もいるだろう。しかし、3億5000万もの作品にクリエイティブ・コモンズ・ライセンスが使われるようになった現在、僕たちはシンプルさと選択肢の多さの間のバランスよいスイートスポットに導くことができていると信じている。
共有と新しいフリーライセンスの採用が加速し始めるにつれて、悪意のない政府、NPO、ユーザーや企業からの資金援助に支えられ、あるいは大量のコンテンツに支えられているずさんなライセンスや互換性のないライセンスを作ってしまう危険に僕たちは直面していると考えている。まともに書かれていないライセンスや、献身的な法律専門家のチームの世話や支援を受けていないライセンス、厄介な隣接権に妨害されているコンテンツや孤立していて制限的なライセンスは、利用不可能なコンテンツを山のように作り出してしまうかもしれない。それらのコンテンツを僕たちは"フリー"と呼ぶかもしれないが、しかし実用目的に全く耐えられない利用不可能なコンテンツの集まりにすぎず、"失敗した共有財産"と呼ぶのがふさわしいかもしれない。
自由利用ライセンスの恩恵を受けている全ての人に僕が強く訴えたいことは、単一のライセンス体系に集中することの価値について深く考えてほしいということと、空虚なライセンスや、"私たちの利用者のためのこの特徴を一つ盛り込もう"的なライセンスを作り出す気持ちに抵抗してほしいということだ。僕たちは開かれたグローバルな対話をしようとしていて、人々に僕たちの議論に参加するよう促している。僕たちのライセンスがどう改良できるかを論じ、現存のライセンスの一節一節がどういう理由で今のように書かれているのかを聞いてほしいとみんなに促している。
僕たちのコンテンツを使う未来の利用者のため、そして僕たちが作っているアーキテクチャへの未来の参加者のために、僕たちはこのネットワークを絶対に一つに保たなくてはならないし、ライセンス増殖問題と断片化を根絶するよう積極的に動かなければならない。もしICANNとOSIでの経験が何かしらの手引きと教訓を与えてくれるとしたら、−そして、これらの組織やコミュニティが今までに直面した課題と危険を、僕たちがこれから避けていくのだとしたら−、僕たちはみんな、慎重かつ断固たる態度でこの問題に取り組んでいかねばならない。
*Note: 正確に言うと2009年6月15日からWIkipediaは「GFDLのみ」から「CC-BY-SAとGFDLのデュアルライセンス」、「CC-BY-SAが主要ライセンスとなり、GFDLは補助的に使われるライセンスとなります」。詳しくは:Wikipedia:ライセンス更新。