2010年12月 Archives

2003年1月にクリエイティブ・コモンズの理事会に加わった時は、「Larryのよさげな非営利団体に手を貸す」くらいのつもりだった。僕はクリエイティブ・コモンズの熱烈なファンではあったけど、法律の教授でもなかったし、自分がどのように貢献できるのか、明確にわかっているわけではなかった。

クリエイティブ・コモンズがとても素敵な発想から共有インフラストラクチャの重要な要素へと進化し続ける中で、組織は発展し続け、活況を呈していき、僕の関与も深まっていった。2006年の12月には理事会から理事長に任命され、当時CEOだったLarryおよび理事会の面々と密接に連携をとり、戦略、資金集め、クリエイティブ・コモンズの継続的発展などに従事した。

2008年になってLarryが汚職問題の是正に集中したい、そのためクリエイティブ・コモンズの理事は続けて組織と密接に連携してはいくものの、CEOの役割は誰かに引き継ぎたいと言ってきた。そして2008年4月に、フルタイムのCEOとして適任な人材を見つけらなかったため、理事会は僕をCEO兼理事に任命した。

クリエイティブ・コモンズのCEOというポストは非常に面白く、同時に試練の多いものだった。僕はインキュベーター事業を手がける自分の会社「ネオテニー」で日本のインターネットバブル崩壊を体験した後、経営的な役割には二度とつかない、投資や理事職に集中すると誓いを立てていた。また、僕のクレイジーな出張スケジュールを考えると、サンフランシスコにある組織を適切に運営できるか疑問だった。さらに、クリエイティブ・コモンズを取り巻く様々な複雑なニュアンスを僕がやりくりできるかどうか、確固たる自信はなかった。

僕がCEOを引き継いだのはクリエイティブ・コモンズが、先見の明をもつ先駆的存在であり理事会主導の組織であったものが、スタッフ主導の組織へと進化しつつある頃だった。組織としてのビジョンは変わらなかったものの、採用先の数、規模および地理的分布が拡大するにつれ、組織の毎日の運営はますます複雑かつ膨大な仕事になりつつあった。

僕が物理的にサンフランシスコにいられないこと(こちらは部分的理由)と、クリエイティブ・コモンズチームの圧倒的な優秀さ(こちらが主な理由)ゆえ、スタッフおよび経営チームが穴を埋めてくれて、共に素晴らしい組織を作り上げてくれた。これにより、僕はエネルギーの大部分を渉外や国際関係に注ぐことができた。クリエイティブ・コモンズとして成し遂げた仕事の大部分は、ウィキペディア、アルジャジーラ、ホワイトハウスなどによる採用という金字塔的な業績だったものの、スタッフが成し遂げた仕事の圧倒的大部分は、組織のパートナーの国際ネットワークを拡大し、強固なチームワーク、優秀なバックオフィスシステムおよび一流の職業倫理を誇る素晴らしい組織を作り上げたことだった。

このような変化の一翼を担うことができたことを僕は心底誇りに思っている。

しかし、クリエイティブ・コモンズの取り組む試練がさらに大きくやり甲斐のあるものになっていき、また戦略および資金集めの両面で我々が新しい局面を迎えている状況で、僕のパートタイム非常勤CEOというあり方があくまでも次善の策に過ぎないことは明らかだった。

Cathy Casserlyはクリエイティブ・コモンズの初期の成長の資金源となったヒューレット財団 で、我々をプログラム・オフィサーとして担当してくれた人物で、Open Educational Resourcesムーブメントの教母様とも言える人だ。Cathyにクリエイティブ・コモンズ理事に就任してもらって以降、僕は彼女と資金集めおよび戦略の面で密接に連携し、様々なことについて彼女の助言をもらってきた。Cathyは僕の弱い全ての分野を得意としている。その上ありがたいことにサンフランシスコのベイエリアに住んでいる。

前回の理事会時の夕食の席で、Cathyにクリエイティブ・コモンズのCEOになる気はないかとさりげなく尋ねてみた。すると意外なことに、また嬉しいことに、彼女は興味を口にした。

当初のその相談以来、我々はどのように引き継ぐべきかについて考えてきた。まだ詰めるべき点がいくつかあるけれど、Cathyがクリエイティブ・コモンズのCEOに就任し、ベイエリアオフィスで毎日仕事をすることになるのは確定だ。

僕は理事長としてクリエイティブ・コモンズに参加し続けるつもりで、Cathyと僕のタッグに、スタッフ、理事会および世界中の素晴らしい提携先のネットワークの協力を加えれば、守備範囲をかなり大きくとれるはずだ。僕は国際プロジェクト、中東およびベンチャー改革に取り組み続け、Cathyは組織に教育および財団業務における高い専門性をもたらしてくれるだろう。

何よりも重要なのは、Cathyが驚くほど暖かくて思慮深い人物で、僕も強い信頼を抱くようになっており、一緒に仕事ができるのが非常に嬉しいと思えることだ。彼女ならベイエリアのスタッフとも、クリエイティブ・コモンズの世界的ネットワーク(僕が知っている中でも最も聡明で素敵な人々が集まっている)とも、相性は抜群のはずだ。

View from my hotel room in Lavasa

昨日成田空港で瑞佳に拾ってもらい、家に帰る途中でドトールに寄って朝食を食べた。完ぺきな形状のサンドイッチと共に少なめでいささか凡庸なコーヒーを二人ですすっていると、品質管理担当の男性スタッフが、出された飲み物の温度を漏らさず計測したり、ディスプレイに並んでいるフード系の配置間隔を測定したり、当番中の女の子の一挙手一投足の所要時間を(かわいそうに)ストップウォッチで計ったりしているのが目に入った。僕は瑞佳に今回のインド旅行について解説しながら、その偏執的なまでのこだわりぶりを眺めていた。

TEDと共催のINK Conferenceは、インドのLavasaで、驚き満載のLakshmiによって開催された。Lavasaは山間の美しい湖畔にある新興住宅地で、囲いのある庭を持つコミュニティといった様相をしており、開かれたばかりの場所だ。ところが講和者の多くに、そこの開発によって生じた環境問題と現地の人々の立ち退きを理由に会議をボイコットするよう求める、あるNGOからのEメールが届いた。

この種の問題を懸念し、また強制立ち退きと闘っているWITNESSの理事の一人として、僕はこれらの申し立てについて強く懸念している。あいにく告知を受けたのは予約や支払いなどを全て済ませ、開催寸前の段階だった。ネット上をあれこれ探し、開催側の話も聞いてみたものの、問題の規模を確かな手応えで把握することはできなかったため、イベントに出席して現地の人々と直接話をし、Lavasaに関しては自力で判断しようと決めた。

強制立ち退きが厄介なのは、たとえ合法的であっても、それが倫理的であったり正しいことであったりするとは限らない点だ。法は大抵、不当に立ち退かされた人々の味方ではないのだ。他方で、何が「正当」であるのか、および、地元の経済にとってこのような開発がどれだけの価値をもつのかを特定するのも非常に難しい。Lavasaの問題についてはまだ僕も調査中で、さらなる事実が判明すれば追記投稿をするつもりだけど、僕がこの問題を真剣に考えていて、聞き流したりしているわけではないことをここで明記しておきたい。

今回は僕にとってインドへの4回目の旅行で、回を重ねるごとに少しずつロジスティクスなどの要素がいささか混沌としている点にも慣れつつあって、流れに合わせてやっていく心づもりでいた。蓋を開けてみると、今回は僕のインド行きの中でも最も成功と言っていいものだった。細かいロジスティクス面でのつまずきはあったものの、Lavasaがムンバイから車で4~5時間もの距離にあることを考えれば、比較的スムーズだったといえるだろう。

Lavasaへの移動に際しては、Anand Kumarと同乗した。AnandはBiharのPatna出身の数学の先生で、特に貧しい人たちを対象に数学を教えている。彼の学校からはインド工科大学に212人もの合格者を出している。

今回僕は、電話会議や仮眠のためにいくつかは見逃してしまったものの、自分が普段出るよりも多めのセッションに出席した。話はいずれも素晴らしく、良きことを為すために毎日自分の命を危険に曝している大勢の人々に会えたことが心底有意義だった。売春目的での少女の人身売買と闘っている反人身売買活動家にして素晴らしい人物であるSunitha Krishnanに会った。彼女は毎日命がけで救出作戦を計画・実行し、助け出した子たちを社会復帰させるための施設を運営している。AnandやSunithaのような人たちと一緒に時間を過ごし、彼らが世界について考えていることを聞けたことで、貴重な体験ができたと思うと同時に謙虚な気持ちになった。

他にも社会起業家やインスピレーションの元となる素晴らしい人々に会えた。旧友も大勢いたけれど、今回新たに出会った中でこれからつき合っていきたいと思う人物も複数いた。雰囲気、参加者の構成およびイベントの規模はパーフェクトだった。

僕はロジスティクス面でのトラウマがあって車での移動に7時間もみていたもので、結局ムンバイで2時間の余裕ができてしまった。そこでTwitterを通じてRoshan D'Silvaに会い、ムンバイの街をざっと案内してもらって、コーヒーを飲みながら有意義な話ができた。浜辺に連れていってもらって、ムンバイで「社会のピラミッドの底辺」の小売業がどのような仕組みになっているのかを見せてくれた。非常に興味深く、おそらく別個のブログ記事で語るべき内容だった。ありがとう、Roshan!

インドを後にするたびに、脳内で中国と比較して、「民主主義の代価」について考えてしまう。インドはごちゃごちゃしていて、スラムもあるし、汚職もそれなりにある。でも民主主義であり、民主主義というものはごちゃごちゃしていて非効率なものなのだ。一方で、中国はあるレベルでは非常に効率的で統制がとれているものの、政治的な自由の欠落という点でその代償を支払っている。両国を直接比較しすぎるのはフェアじゃないけれど、それぞれのアプローチの対比、および両国の潜在力は、今後展開していく物語を追いたくなる興味深いものだ。