View from my hotel room in Lavasa

昨日成田空港で瑞佳に拾ってもらい、家に帰る途中でドトールに寄って朝食を食べた。完ぺきな形状のサンドイッチと共に少なめでいささか凡庸なコーヒーを二人ですすっていると、品質管理担当の男性スタッフが、出された飲み物の温度を漏らさず計測したり、ディスプレイに並んでいるフード系の配置間隔を測定したり、当番中の女の子の一挙手一投足の所要時間を(かわいそうに)ストップウォッチで計ったりしているのが目に入った。僕は瑞佳に今回のインド旅行について解説しながら、その偏執的なまでのこだわりぶりを眺めていた。

TEDと共催のINK Conferenceは、インドのLavasaで、驚き満載のLakshmiによって開催された。Lavasaは山間の美しい湖畔にある新興住宅地で、囲いのある庭を持つコミュニティといった様相をしており、開かれたばかりの場所だ。ところが講和者の多くに、そこの開発によって生じた環境問題と現地の人々の立ち退きを理由に会議をボイコットするよう求める、あるNGOからのEメールが届いた。

この種の問題を懸念し、また強制立ち退きと闘っているWITNESSの理事の一人として、僕はこれらの申し立てについて強く懸念している。あいにく告知を受けたのは予約や支払いなどを全て済ませ、開催寸前の段階だった。ネット上をあれこれ探し、開催側の話も聞いてみたものの、問題の規模を確かな手応えで把握することはできなかったため、イベントに出席して現地の人々と直接話をし、Lavasaに関しては自力で判断しようと決めた。

強制立ち退きが厄介なのは、たとえ合法的であっても、それが倫理的であったり正しいことであったりするとは限らない点だ。法は大抵、不当に立ち退かされた人々の味方ではないのだ。他方で、何が「正当」であるのか、および、地元の経済にとってこのような開発がどれだけの価値をもつのかを特定するのも非常に難しい。Lavasaの問題についてはまだ僕も調査中で、さらなる事実が判明すれば追記投稿をするつもりだけど、僕がこの問題を真剣に考えていて、聞き流したりしているわけではないことをここで明記しておきたい。

今回は僕にとってインドへの4回目の旅行で、回を重ねるごとに少しずつロジスティクスなどの要素がいささか混沌としている点にも慣れつつあって、流れに合わせてやっていく心づもりでいた。蓋を開けてみると、今回は僕のインド行きの中でも最も成功と言っていいものだった。細かいロジスティクス面でのつまずきはあったものの、Lavasaがムンバイから車で4~5時間もの距離にあることを考えれば、比較的スムーズだったといえるだろう。

Lavasaへの移動に際しては、Anand Kumarと同乗した。AnandはBiharのPatna出身の数学の先生で、特に貧しい人たちを対象に数学を教えている。彼の学校からはインド工科大学に212人もの合格者を出している。

今回僕は、電話会議や仮眠のためにいくつかは見逃してしまったものの、自分が普段出るよりも多めのセッションに出席した。話はいずれも素晴らしく、良きことを為すために毎日自分の命を危険に曝している大勢の人々に会えたことが心底有意義だった。売春目的での少女の人身売買と闘っている反人身売買活動家にして素晴らしい人物であるSunitha Krishnanに会った。彼女は毎日命がけで救出作戦を計画・実行し、助け出した子たちを社会復帰させるための施設を運営している。AnandやSunithaのような人たちと一緒に時間を過ごし、彼らが世界について考えていることを聞けたことで、貴重な体験ができたと思うと同時に謙虚な気持ちになった。

他にも社会起業家やインスピレーションの元となる素晴らしい人々に会えた。旧友も大勢いたけれど、今回新たに出会った中でこれからつき合っていきたいと思う人物も複数いた。雰囲気、参加者の構成およびイベントの規模はパーフェクトだった。

僕はロジスティクス面でのトラウマがあって車での移動に7時間もみていたもので、結局ムンバイで2時間の余裕ができてしまった。そこでTwitterを通じてRoshan D'Silvaに会い、ムンバイの街をざっと案内してもらって、コーヒーを飲みながら有意義な話ができた。浜辺に連れていってもらって、ムンバイで「社会のピラミッドの底辺」の小売業がどのような仕組みになっているのかを見せてくれた。非常に興味深く、おそらく別個のブログ記事で語るべき内容だった。ありがとう、Roshan!

インドを後にするたびに、脳内で中国と比較して、「民主主義の代価」について考えてしまう。インドはごちゃごちゃしていて、スラムもあるし、汚職もそれなりにある。でも民主主義であり、民主主義というものはごちゃごちゃしていて非効率なものなのだ。一方で、中国はあるレベルでは非常に効率的で統制がとれているものの、政治的な自由の欠落という点でその代償を支払っている。両国を直接比較しすぎるのはフェアじゃないけれど、それぞれのアプローチの対比、および両国の潜在力は、今後展開していく物語を追いたくなる興味深いものだ。