今週は、霊長類学者で総合地球環境学研究所の所長・山極壽一さんと惑星科学者で千葉工業大学の学長の松井孝典先生をお迎えしてトークを行ないました。今回のトークは、第10回目の配信で登場した松井先生のご紹介で実現したものになります。
収録中はどんどんと知識が溢れ出していて、知識の大洪水が起きていました。実際にゴリラの群れに入り、生活することで分かったゴリラの社会学の全容。そして、そこから我々人間が学ぶこととは?
さらに、議論はゴリラから宇宙の世界に突入し、テーマも環境問題に。山極先生はゴリラの視点から、松井先生は宇宙・地球科学の視点から、そして伊藤穰一はデジタルの視点からそれぞれ議論を展開しています。
【編集ノート】 編集ノートには用語や固有名詞などの意味や内容をまとめています。また、ETHアドレスの取得方法やNFTの確認方法についても、まとめています。ぜひご参照ください。
【JOI ITO 変革への道 - Opinion Box】 番組では、リスナーの皆様からお便りを募集しています。番組に対する意見はもちろん、伊藤穰一への質問があればぜひ投函ください。先日からイーサリアムのアドレス記載欄も設けました。特に番組に貢献したリスナーには番組オリジナルのNFTをプレゼントしています。
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今週のポッドキャスト配信について
Podcast Transcript
伊藤穰一: 皆さん伊藤譲一です、こんにちは。今日は京都にいます。今日は千葉工大の学長松井孝典さんと一緒です。彼はエピソード10のスペシャルゲストでありました。今日は松井先生の紹介で、霊長類学者の山極壽一先生です。
伊藤穰一: 松井先生、ぜひ山極先生を紹介してください。 松井孝典: はい、私は山極さんとはもう何十年っていう付き合いがあって、一番長くいろいろ交流しているのは「フォーラム地球学の世紀」といってね、30年前ぐらいに始めたんだけど、私が地球学とは何かっていうことで、今そのメンバーで参加していただいて以来ずっと交流を続けているということですね。それでなんで面白いかというと、私はだいたい型破りな人が好きなんで、その学問領域にガチガチにこもっているような人は面白くないと思ってるんだけど、山極さんは本当にね、そういう意味ではどんな話題でもだいたい彼の持論というのがあって展開してくれるので、私は私でそれぞれ持論があってやるんで、面白い議論がいつもできるんですよね。だから今回もどんな話題でもやってくれると思うし、なんせここ去年までは京大の総長として日本の学術関係の学術会議から国大協からいろんなものをこうまとめていたわけですから、これからの学術のあり方とか大学のあり方とか、そんな話題も話してもらえると思うんですよ。で、僕はやっぱり大学がこれから二十一世紀にどうなっていくかっていうのはすごく重要な問題だし、私立大学にとってもね、まさにそこが一番重要なところなのでいろいろ話をしながら彼の知見を私も参考にさせてもらっている、ということで今日いいんじゃないかなと思ってゲストに来てもらいました。 伊藤穰一: ありがとうございます。で、まず大学の未来の話の前に一度この間は松井先生に宇宙の話を色々していただいたんですけど、山極先生、山極先生には京大の霊長類、霊長類研究所でどんな研究を行っていてそれが我々人類にどういう何か学びがあるかを少し教えていただいてもいいですか。 山極寿一: うん。あのね、霊長類学というのはね、もともと十九世紀のダーウィンの進化論にさかのぼるんだけど、進化論というのは人間もね、人間以外の動物と共通の祖先から進化をしてきたってことでしょう。それまでは哲学の分野あるいは宗教学の分野では人間は特別な存在だと言われていたわけだよね。でも、もうダーウィンの進化論から始まって二十世紀の中盤にDNAという遺伝子が明らかになって、すべての生物は同じ遺伝子の組み合わせによってできているということだよね、わかっちゃった。だから人間と動物の境目ってのはどんどんなくなっちゃったわけだよね。で、そのときにじゃあ人間が人間独自のものと思ってきた社会や文化って一体何なんだろう、と。いつごろそういう原型ができて、人間はそれをどういうふうに発達させてきたのかっていう疑問が湧き始めたわけだよね。それまで19世紀、20世紀の初め頃までは社会や文化というのは人間だけの物だと言われていた。
でもそこに私の師匠のそのまた師匠の今西錦司という先生が、1950年代に戦後すぐですね、サルの研究を始めた。で、その最初の目標というのはサルを知ることは人間を知ることだ、ということなんですね。つまりサルも人間も近い過去に共通の祖先を持っている。そこからサルはサルになり人間の人間になったわけだ。そうすると人間というのは昔から人間の社会や文化を持っていたわけではない。どこかで文化的なもの・社会的なものというのを進化させてきたと考えられるわけね。それを調べるためにはサルをどんと鉄砲で撃ってその死体を調べるとかいう話じゃなくて、実際にサルの群れの中に入ってみて、サルの社会を経験して、ああこれがサルの社会なんだってことを実感しなければならない。で、そのためにこれは日本独自の方法なんだけども、個体識別といって一頭一頭のサルに名前を付けてそのサルの行動を群れの中に入って内側から記録をするということを始めたわけですよ。餌をやって、これ餌付けって言うんですけどね、で、人間に短時間で慣れさせて、そして自分がその群れの中でサルを観察しようという方法を始めたわけだ。これは日本独自の方法なんですよ。だからJapanese methodと言われているわけですね。
で、それが成功して欧米の同じようなことを考えていた人よりも10年早く霊長類学を始めたわけです。だから日本の霊長類学というのは霊長類の社会学だったわけですね。私もまずはニホンザルの研究を1970年代にやりましてね、日本列島を北から南まで、ニホンザルは青森の下北半島から鹿児島県の屋久島までビッシリ日本列島に暮らしてますから、それを訪ね歩いて、地域によってニホンザルの暮らしがどう違うのかニホンザルはいったいどういう社会を持っているのかということを、この目で見ながらやってきて、で、ドクターではアフリカへ行って人間に系統的に近いゴリラをやろうと。人間に系統的に近い霊長類を類人猿と言うんですけどね、英語ではグレートエイプスと言います。これは尻尾がなくて、で、系統的には一千二百万年ぐらい前からこうそれぞれに分化してきた非常に遺伝的にも人間に近い類人猿なんですね。その中でオランウータン、ゴリラ、チンパンジーっていうのがいるんだけど、全部個性や社会が違っているわけですよ。例えばオランウータンは単独生活をしていて、ほとんど社会というような目に見える群れを作らない。ゴリラは一頭の雄と複数の雌が家族的な集団をつくっている。チンパンジーは家族は作らずにもっと大きな群れ、五十頭とか百頭ぐらいの群れで複数の雄と複数の雌が入り乱れ入り乱れて乱交・乱婚の社会を作ってるわけですよ。全然社会が違う。
その中で私は家族の起源というのを非常にこう関心があったもんですからね、人間の社会に似ていながら人間ではない社会を見ることによって、人間の祖先型の社会がわかるんじゃないか。人間の社会が普遍的に持っているのが家族だとすれば、家族の原型を未だに持っていそうなゴリラの社会を調べることが多分一番近い道だろうと私は考えて、それでアフリカのゴリラの社会を研究しに行ったわけです。そこでいろいろなことがわかりましたけどね。とりあえず、そのくらいにしときますか。
伊藤穰一: ゴリラを研究して人間社会について例えばどういうことがわかるんですかね。 山極寿一: あのー、社会というのは目に見えないんです。あるいは関係というのは目に見えないですね。それは人間同士にしたってゴリラ同士にしたってそうです。人間は言葉でそれを解釈するんだけれど、我々はお互い同士の関係を言葉だけで作っているわけではありません。それはさまざまなものとか、あるいはお互いがあったときにどう感じるかという気持ちだとか、好意だとか、そういったいろいろなものによって社会というものを感じているわけだよね。それを昔に戻してみれば、言葉のない社会から人間の社会は出来てきたわけだから、最初に言葉ありきじゃないんですよ。人間がチンパンジーとの共通祖先から分かれたのは約七百万年前。ところが今我々がしゃべっている言葉が出てきたのはたぶんたった7万年ぐらい前だろうと言われているわけですね。ってことは、九十九%は言葉なしで進化してきたわけです。
しかも人間の脳がゴリラの脳よりも大きくなり始めたのは200万年前なんです。ずっと前です、言葉が出てくるよりもね。ということは、言葉が出てくる前に人間の社会の原型ができたと考えるのがおそらく正当だろうと思う。そうすると、人間の社会の原型というのは言葉なしで作られた。ということは、今我々が言葉で説明してるようなその社会感というのはなかったわけですね。じゃあ違う感じはどこで作られたのか。それはゴリラを見てみれば、ゴリラは言葉をしゃべれませんから、ゴリラ同士が作っている社会というものを俺を我々は実感すればいいわけですね。たとえば私は最初にニホンザルの社会をやりました。ニホンザルというのはお互いの強い・弱いでもって認知をしてるわけですね。彼らの集合というのはそういう強い・弱い、誰と誰が強いか弱いかという認知で成り立っている社会なんですね。ところが一方、ゴリラの場合にはそういう認知で結びついているわけじゃないんですよ。
それはね、ニホンザルがメスという集団があって、メスは子供を産みますよね。で、その子どもとその子どもを産みますよね。雌だけで子どもを産むということでつながってる。だからおばあちゃん・お母さん・娘というその身体的に生まれたときから継がっている雌同士のその強い紐帯があるわけですね。それが家系というんですけど、だからメスは生涯その集団を離れないんです。ところがゴリラというのは、あのメスが思春期に達するとお母さんのもとを離れて別の群れに移籍していくんですよ。そうするとメスは繁殖する前に自分の群れを去ってしまうから、自分が新しく選択したオスやメスとの間で新たに仲間をつくって、自分の子供を産んでいくわけですね。だからオスとメスのその絆というのが非常に強いわけです。
しかもメス同士はお互い血縁関係がないから疎遠なんですね。そして子供を産むとオスとメスの絆がさらに強くなる。それが子育てを通じて、あの母親が子供をオスに預けるからです。ゴリラの家族的な集団というのは、子育てのバトンタッチによってオスとメスが子育てを分担しあうことによって成り立っているわけですよ。で、メス同士は互いに疎遠だからオスを通して付き合ってるわけですね。で、そういう社会の作り方はまるで違う。母親は子育てのバトンタッチをするから、そのニホンザルの群れのように母親がずっと自分の子どもというのを守るという姿勢をつくらずに、母親は乳離れをした子供を全く構わなくなるわけですね。だからある場合には子供を捨てて母親は他の群れに移籍してしまう。そういう自由度を持ってるわけです。その中でオスのメスも体の大きさに関係なく対等に付き合おうとするわけです。
そうするとね、ニホンザルの社会とゴリラの社会の大きな違いというのは、何かコンフリクトがあって対立したときにゴリラは勝ち負けをつけないから、互いに対立しちゃうわけですね。それがエスカレートするとお互い傷ついてしまう。必ずといっていいほど仲裁に入るんですよ。忠誠者が両方をなだめるから、互いにメンツを保ちながら対等な関係を維持して、その場で共存できるわけです。仲裁者がいるからこそ対立点というのをそのまま温存しながら、お互いに抑制し合って共存できるということになる。そういう社会なんですね。そういうことができるからこそ、彼らは群れの中にいるということを自覚している、あるいはアイデンティティーというのを持ってる。まったく違う社会なんですね。で、人間の社会がどっちどっちから出てきたかということを考えるとゴリラだなと思うんですよね、それは。
ゴリラの場合はかなり複雑でやっかいだし、だけどそれは発展性があります。つまり関係を変えられるってことですね。で、人間の社会というのは我々非常に複雑な社会を持っているけれども、それは関係を変えられるからこそ様々な集団を渡り歩くことができて、自分はその集団によって自分のアイデンティティを変え、なおかつ人間関係を変えながら付き合うことができるわけでしょう。そうすると、ゴリラの方に近いんだろうと思うんですね。で、そういうことがニホンザルとゴリラの社会を比較するとわかってきた。簡単に言うとそういうことですね。 伊藤穰一: ちょうど昨日、私年上の人と対談をした映像がネットに乗ってて、誰か書き込みで「伊藤は年上のこの人に対してタメ口をしててなんなんだ」、ちょっとするニホンザルっぽいかなと聞いていて思いましたけど(笑)。でも、そういう、じゃあゴリラの方に似てるっていうと、われわれ日本社会に住んでいる我々として、その学びをどういう風に何か役に立つっていうとちょっと応用っぽ過ぎるかもしれないですけど。 山極寿一: 僕らはゴリラの世界にとどまっているわけではなく、てもうずっととんじゃっているわけですよ。現代の社会を見てみるとね。だけど社会の本質ということを見つめてみると、例えば親子の関係あるいは兄弟同士の関係、オスとメス、男と女の関係というものを見ていると、おそらく我々の社会の原型というのは女性が移動する社会だったんじゃないかと思うんですね。それは例えば欧米の社会だと、あのあるときから男性社会になって、女性の動きを封じるようになりましたよね。人間、まあ日本の武家社会もそうなんだけどね、もともとはゴリラやチンパンジーも実はそうなんだけど、メスが産まれ育った親元を離れて移籍していく社会なんですよ。
メスが、つまり女性がパートナーを選ぶ、で、女性がパートナーを選ぶことに社会の原型があるんだと思うんですね。男性はどうするかというと、その子育ての単位を作らなくちゃいけないわけです。つまり子育てに参入しなければ女性を自分の下に引き留めておけなくなる。例えば哺乳類の社会ってほとんどメスだけの集団なんですよ。ゾウもそうだしシマウマもそうだしね。オスというのは短期的にそこに入ってきて種付けをして出てくわけですね。だけど類人猿の社会ってのはそれを変えたわけですよ。雌の移動性を高めたからこそ、そのオスが子育てに参入しなくちゃならなかった。だけどオスが連合するとそれがまたまた違う戦略になっていくわけですよね。で、そういうものを原型にしながら我々は今の非常にバリエーションに富んだ社会を文化によって作っただろうと思うんですね。 伊藤穰一: なるほど。で。それと今やってらっしゃる総合地球学研究所ってどういうふうに繋がっているんですか。 山極寿一: また飛ぶなあ。あのね、そうなんです。総合地球環境学研究所とのちょうど今年で二十一年目、去年二十年目を迎えたんですね。二〇〇一年にできました。で、二〇〇一年というのは実は非常に面白い年で、ユネスコのパリ総会で文化の多様性に関する世界宣言というのが締結されているんですね。文化の多様性というのは、その自然にとって多様性が重要であるのと同じように人間の社会にとって重要なものだと。人間の社会の創造性というのは文化が接触することによって生まれるんだってことが書いてあるわけですね。で、総合地球環境研究所っていうのはその初代の所長が日高敏隆さんという動物行動学の大家だったんですけどね、彼は環境問題、地球環境の問題の根幹は人間の文化の問題であるという前提でやりましょうと宣言したわけですね。
それまで環境問題というと環境研、環境研がもともと公害研だったんですけどもね、まあまさに科学汚染とか空の汚染とかそういうことを中心に研究してきた。それはまさに自然科学の分野ですよ。だけどそれを人間の文化の問題にしてとしてやろう、ということは何かというと、人間と環境とのこう接触の仕方っていうのは双方向的なんだと。で、文化っていうものをフィルターにして環境というものをどう意識するかということによって大きく変わるんだ、ということです。例えばね、戦後私が子供の頃はプレハブ住宅というのが流行ったんですよ。でもがらっと変わりましたよね。その10年後、20年後ぐらいにむしろ日本の伝統的な家屋や調度品やらね、古いものが美しいというようなことになって、それもまさに文化の問題だと思うんですね。環境に対する意識というものはそういう建築というものに関する文化の意識が変わっただけでがらっと変わるわけですよね。60年代・70年代に日本中に道路が張り巡らされて自然景観もがらっと変わったわけです。
で、それによって実はサルは車が通る道路を通って里谷・里山に出没し始めたわけです。それまでは奥山にいたサルたちがね。ところがそれを見て美しい森だと思うような日本文化が当時あったわけです。まさにそれは文化の問題ですよ。環境というのは人間の意識の問題だという風に言えば、今我々が抱えている地球環境問題、その最たる問題は気候変動問題ですけどね、それは人間の意識によって暮らしや環境を変えることによって、大きく改善できるんじゃないかっていう話ですよね。それを今私たちはやってるわけで、うんそれはまさに松井さんが言っている分野を越境して、ある学問分野だけでは考えることができないような広い知識を新たに組み合わせながら作り上げていかなくちゃならない道でもあるわけです。我々は超学際研究と言ってますけどね、学者だけではなくて科学技術だけではなくて、伝統知や在来知、そういった人々が身体の中に埋め込んでいる知恵というものも掘り出しながらその地域の自然や文化の多様性に合った生活設計を作り出していきましょう、とそういう話なんです。だからいろんな知恵を総合しなければならない。つまり総合知が必要なんですよ。私がやってきたのは人間とは何かって話ですよ、人間の社会とは何かという話です。で、そういう核心がなければその未来の人間にとってどういう社会が、どういう環境が幸福に思えるのかってことも浮かんでこないわけじゃないですか。人間の過去を知らなければ人間の未来は見えない。だからやっとね、私のやっていることが少しは役に立ちそうだなっていう気がしてきたということです。
伊藤穰一: ちょっと僕も思い出してるのは、アメリカでNia Teroという財団の立ち上げを手伝いしたんですけども、これはもともと僕が理事をやってたマッカーサー財団もずっと環境保護にお金を出していて、で、何十年前まではそのそこにいる原住民をのかして、運で、兵隊を置いて守ってた。すごいお金がかかって、そして人権とこう環境こう対立してたんですけども、ただいろいろ分析してこのconservation internationalっていう団体が分析すると、彼らの数字だったらその地球の九十九パーセントのbiodiverdityは原住民が保護してる25パーセントの土地にあるっていう。原住民を保護した方が合理的に環境保護ができるっていうので、プロジェクトでその原住民の権利を保護するっていうのをやりだしてすごくうまくいって、で、確かね、ブラジルのレインフォレストのカヤポのインディアンたちがやっぱりマイニングする色んな人達をもうすごいリソースの無い中でものすごい面積を守ってて、運で、彼らをサポートしたらすごく効率良かったっていうので、でそればっかりやる団体が出来て、そこと僕も付き合いしてたんですけど、彼らがだから面白かったのはそれをまたこう分析していくと、その原住民というのはその土地のことをよく理解して、で、文化がそこにちゃんとあってるのでものすごくそこの密着した文化ができて、人間らしく生活しててもサステイナブルだっていうので。で、そこから面白いのがそこが今度日本を見ると、伊勢神宮とかももうすごい長い間京都もそうですけどずっと同じ土地にいて、文化はそことちゃんと進化してるんじゃないかと。うんで、そういう原住民みたいな長い歴史の中の宗教がちゃんと国として残ってるのって、先進国で日本は特徴があるっていうので、でアメリカとかは日本の神道とか仏教から何か学べないかなとか日本の密着した、まあ日本ってサバンナよりは熱帯雨林みたいなので もう少しゴリラみたいなかもしれないんですけど。 山極寿一: おっしゃる通りなんですよ。というのは社会というのは目に見えない。文化っていうのは目に見えないっていったけど、その文化の多様性宣言と同じように、自然と非常に密着しているようです。その土地・気候そのそういった自然の成り立ちと日本には四季があって春夏秋冬に色合いを変えますよね、で、食べ物も変わります。そういう中で暮らしっていうのは作ってきた。それが文化であり社会なんですね、文化と社会と一体としてる。でも西洋的な考えだと人間が環境と距離を置いて、人間の意思にしたがって環境を作りかえて、つまり社会というのはモデルとして初めからあるわけですよね。神様が与えた社会、あるいは文化というものがあってね、で、そこに環境を改変して合わせるという形でやってきた。環境と必ずしも密着しているわけじゃない。で、おっしゃるように地球上のあらゆる人々の文化というのは自然に立脚しています。なおかつ原生の自然というのはないんですよ。あらゆるところに人の手が入り込んでいるわけです。そういう中で自然というのは人と共に生きてきた。人ばかりじゃなくてそこの動物や植物、いろんな関係があるわけですよね。で、そのその関係をドラスティックに乱してしまったことがこの気候変動につながってるし、あるいは新型コロナのパンデミックにもつながってるわけですよね。で、それが二十一世紀になって加速度的に我々人間の生活に迫ってきたわけですよ。そこで人新世っていうanthoropoceneって言葉も生まれたし、で、今度の新型コロナでもこれ以上その生物の多様性、あるいはその熱帯雨林の生態系というものを破壊してしまうととんでもないしっぺ返しがくるぞってことを思い知り始めた。それが今の我々の生活を考え直すきっかけになっているわけですよね。
あのバタフライエフェクトっていうのがあって、ちょっとした変化が連鎖しながらどんどんその影響力を大きくして、とてつもなく大きな気候変動や自然災害に繋がるという話。で、それを我々は笑い話にしてきたんだけども、それが実際に起こっているわけですね。あの要するに一つの変化っていうのは要するにサステイナブルでなければ、どんどんどんどん悪くなっていくわけですよ。加速度的にそれが連鎖して影響力が増してしまう。それが今地球で起こっている現象なんですよ。今地球を支えているのは人間以外の生物やウイルスたちなんだから、そういう定常状態を守るために人間自身が意識を変えなければいけない、人間の暮らしの方法というものを変えなくちゃいけないという転換期にきてるわけですよ。それを過去に遡って、いったいどこでドラスティックな変動が起こったのかということを調べて、今未来に向かってどういうことをしたらを地球全体の安定性が守れるかということを見定めなければならなくなっているということだと思うんですね。技術だけではできないんです。 伊藤穰一: 松井さんこないだ話してた地球学とトルコでやってる歴史の話と地球の進化の本を書いていらっしゃると思いますが、これ何かすごく近い話になってきたような。 松井孝典: だから今山極さんが話した話はそれでいいんだけど、私はもっと大きいスケールで時間も環境も考えているから、ホメオスタシスなんてないわけですよ。地球環境はもうたえず変動に次ぐ変動を遂げていて、それが生物進化を逆にもたらしたわけね。 山極寿一: 全球凍結なんてありましたからね。 松井孝典: 全球凍結なんてとんでもない現象ですよ。赤道まで凍りついちゃうわけだから。それで要するに一掃されるわけでしょう、その当時生きてた生物が。そうすると生き残ったものがこれを適応放散っていうんだけど、バーッと広がって新しい新機軸ね、それを作り出すわけですよ。それが哺乳動物で起こっているのが今ね。だけどそれ以前は爬虫類、だから恐竜みたいな。それぞれの時代でみんな違うことが起こっているわけ。で、私はそういうスパンでものを考えているから、今の時代を私がどうとらえるかといったら、やっぱりそれはホモサピエンスなんですよ。農耕牧畜という生き方を始めたのがすべての元にあるわけ。っていうのは農耕牧畜で今山際さんが話しているのはそれ以降の話が多いんだけど、農耕牧畜以前はの狩猟採集で、まさに我々も類人猿も同じように生きていたわけですよね。
ところが農耕牧畜の時に何が変わったかっていうと、それこそ森林を伐採して畑に変える。そうすると雨が降ったときに土壌が流れる。これは地球の物質循環を変えてるわけ。あるいは太陽から入ってくるエネルギーの流れを変えているわけ。要するに森林と更地では熱反射率違うわけでしょう。だから地球という星の全体の物やエネルギーの流れを変えているっていうことが、ホモサピエンスの始めたことなわけですよ。私はそういう観点で物事を今分析しようとしていて、そうするとその1万年ぐらい前のね、それの農耕牧畜が始まった時以降、社会性の起源でも人間とは何かという問題でもいいんだけど、やっぱり決定的にそれ以前とは変わったはずなんですよ。私は地球スケールで見ているから、人間圏という言い方をしているわけね。地球システムの中に新たに構成要素として生物圏から人間圏が分かれましたと。人間とは何かとかさ、歴史を解釈しようとしているのがそういう山極さんの今の話と、私の歴史だとか進化っていう考えとの違いになってるんだけどね。でもそれはタイムスケールを縮めたりすればそれはいくらでも適用可能なんだけど、私はあえてやってる分野がさ、宇宙の誕生からその現在に至るまでの歴史をやってるから、そんなに焦点を1万年以降だけとかって限定的にやれないしね。あの類人猿1千万年以降とか、これだったら手にとって短いわけね。 伊藤穰一: でもさっき山極さんが言ったanthropoceneていう言葉、結構英語で環境系のアクティビスト特に言っていて、初めて人間がこう地球環境を変えてると。さっき多分あの農家とかでっていう話でもあると思うんですけど、でも松井さんのレベルで言うと、今までの生物の中でこのホモサピエンスっていうのはもう完全にそのカテゴリーとしてその今までなんだ、環境の進化の話とか書いていらっしゃると思うんですけど、これ初めてですかそういう生物学的に影響を与えているっていうのは。 松井孝典: ホモサピエンスは、そのいわゆる人類の歴史をとったときに人類かという問題ですよ。さっき人間とは何かって山際さんが問題提起したけどさ。私はホモサピエンスは生物というカテゴリーからもう外れてると思っているわけ。だから生物1・0っていうのが生物の進化で普通語られていることだとするとホモサピエンスが誕生した時に生物2・0になっているんですよ。だから人間圏なんていうね、要するに生物圏の中の種の一つとして、そのモノの流れ・エネルギーの流れを利用するっていう存在からさ、地球という星のモノ・エネルギーの流れを利用してその人間圏という自らが作り出した構成要素を維持すると、そういうふうに生き方を変えたわけ。で、それはなぜそういうことが可能になったかっていうと、それは明らかにこの脳の中のニューロンの接続の仕方が変わったんですよね、あるとき。その結果、外界を投影して脳の中に内部モデルを作れるようになったわけです。脳の中の内部モデルって何かっていうと、外界を投影して、外界そのものじゃないわけだよね、あるなんていうのか、自分の頭の中にそれを投影するある方法があって、投影した世界で判断をするようになったわけです。それが人間圏なわけですよ。 山極寿一: それをもうちょっと詳しく説明すると、最初に僕はほら、社会と文化って目に見えないっていったでしょう。で、文化のあり方が変わったんです。ホモサピエンスの文化っていうのは蓄積する文化なんですよ。変化の上に変化を積み重ねていく。でもそれまでのネアンデルタール人までは変化は蓄積していかないんです。ずっと停滞してるんですよ。石器は作れる、ね、あの毛皮も着る、だけどそれはずっと同じままなんですよね。ときどき変化が起こって、でもその変化は次の変化を生み出さない。でもホモサピエンスはどんどんその変化を積み重ねていって、加速度的に新しいものを作り出してしまうわけですよね。それが今松井さんがおっしゃった脳内の配線が変わったせいなのかもしれません、それは確かめようがないからわからないんだけどね。それが一つ。
それから言葉を生み出した、これが認知ルールが2段階あるんですよ。つまり言葉っていうのは入れ子構造になっていて、ある例えばAさんが何をした、で終わらないんです。Aさんが何をしたことをBさんが見ていて、Cさんがそれを、というふうにどんどん入れ子構造になっていて、頭の中に蓄積するんですね。で、それをやりとりできる。認知構造で人間と類人猿がまったく違うのは、化石人類と比べることができないから言ってるわけですけどね、現代人とチンパンジー・ゴリラを比べて何が違うかといったら、映画を観れないってこと、類人猿はね。それから劇を観れないんですよ。つまり自分が参加していないと認知できない。でも我々は他者同士がやってることを、他者の思惑まで頭の中で感じることができる、認知レベルが2段階上がってるわけですね。で、そのために先を見通すことができる。それを松井さんの頭の中のモデルとおっしゃったなと思うんだけど、そういうことが言語上可能なんですよね。言語と我々の視覚・聴覚・五感というのは常に対応関係を持っていて、それを翻訳しながら頭の中に蓄積し、それをまた再現することができる。これは大きな変化ですよね。