この本の初めには僧侶とみかんを食べてる男とのやり取りがでてくる。僧侶は男に対して次に食べるみかんよりも、今、男の口の中に入っているみかんに注目するように勧める。この未来よりも現在に意識をフォーカスさせるっていう意味は現代を生きている僕達の「苦悩」に通じるものがあるね。僕が前にブログした事に、たくさんの物に少しずつ継続して注目するっていうのがあるんだけど、これはその場に無いものを追い求めるっていう良い例だね。
こういう事を考えると僕が良くみんなに話す内容を思い出させるよ。前に太極拳のレッスンに行ったんだけど、道場に着くと生徒はみんな急いで準備をしてた。そこで僕の太極拳の先生が説明してくれたんだけど、「終了する」っていう事とか「私たちのゴール」っていう事は死ぬことを意味するんだって。だからどんどん効率的になろうとしたり、速く物事をやろうとするのは意味がなくて、一番効率がいいのは今死ぬことだっていうんだ。ほとんどの人が今死にたくないだろうから、死ぬまでの道はとても効率が悪いことになるね。
現代の僕らの生活は効率をよくすることだけに意識がフォーカスされていて、人生のほとんどをYak Shaving(ヤクの毛刈り:ある事を達成するために次から次へと回り道をすること)に費やしているんだ。僕が思うには、効率化を追求するよりも、もっと物事の意味を見つけることを追求する必要があると思うんだ。ただそれとは逆にもしあなたがヤクの毛刈りをすることとか、コードをハックする事に十分に幸せを感じているんなら、それは意味のある事だと思うよ。唯一問題があるとすれば、現状に満足してなくてもっともっと完璧になるまで効率化を進めようっていう人だろうね。いつもちょっとした事とか、ちょっとしたイベントとか、ちょっとした事によって私たちの生活は簡単に乱されてしまうからね。 毎日がただの面倒な出来事をこなすだけで終わってしまうんだ。
瞑想の状態になるとこういう面倒で楽しくない出来事とかが、ただ単に面白く見えてしまうように変わって行くんだ。
今朝は本当に素晴らしい朝で、朝靄の中にツグミが鳴いていたんだ。 いつものように2匹の犬達が僕の瞑想状態を邪魔しようとしてやってきた。Mizukaのお母さんがやってきて小声で犬たちを呼んで僕のところから犬を離そうとしてくれたんだけど、彼女の小声が余計に気になったんだ。
ふとした瞬間、僕を不快感が襲った。僕は瞑想がうまくいかないことに対して誰かのせいにしようとしてることに気づいた。これはちょっとしたDisplaced Agression(置換された攻撃)なんだ。どういう事かっていうと霊長類が持っている行動の一種なんだけど、痛みを感じると痛みの原因とは違う、ただ近くにあるものを噛んだり攻撃してしまうっていう性質。でも、僕は自分自身に対してこの行動をしていることがわかったから、笑って済ませたよ。
僧侶によると瞑想は家でする方が、瞑想用に作られた塔でやるよりも簡単なんだって。瞑想をする上でのチャレンジはいかに自己の意識を外の世界の邪魔な出来事から隔離してフォーカスするかなんだ。特に一番チャレンジしなきゃいけないのは自分自身。
僕が瞑想をしてる間に、瞑想の本の事をまた思い出したり、ブログに書いた事を思い出したりした。それから、僕はネットにいる友達の事を考えたりした。その後、ブログにこの記事を書こうって自分自身に約束したり、できなかった仕事の事をやろうと自己に約束した。そしてその約束をした時から考えることをやめて、僕は良い空間に行くことができたんだ。
さ、約束どおりこの記事も書いたよ。僕はちょっとニューエイジのヒッピーみたいになってるね。ごめん。いつも僕が記事を書く内容よりも変に感じるだろうね。でもスピリットに対して尊敬しなきゃいけないし、僕自身に対して課した瞑想をする約束を果たさないといけない。僕はこれからも継続して自分自身のリクエストを信じてヤクの毛刈りをする事にするよ。
2007/4/12 Joiの英語版ブログより
訳:Taiichi Fox
コメント:僕も瞑想に興味がでてきたな。