1998年8月 Archives

ケネス・J ・アロウの『組織の限界』に関するコメント
1974年(Fels Center of Government)
この本の中でアロウはまず、価格システムが、競争を介し全ての物事を公正にする
仕組みとしては十分ではないことを主張している。企業や政府といった組織は、誰
もが最大の利益が得られるような決定をし、資源配分をするといい、なぜ組織がよ
り効率的なのかを説いている。権威は組織が権力を行使するために、なくてはなら
ないものであり、過ちを最小限にくいとめるために必要なのは責任である。権威と
責任の均衡が重要だ。
彼が言うには、「単純に論ずることはできない。収入の妥当な分配を可能にする単
純な理論があるはずだというような主張をくりかえす素人ばかりで、本当に経済を
語れる経済学者は皆無だ。それでは、価格システムはそれ自体弁護できるような収
入の分配のしくみがないことが主たる欠陥だ、ということになる」これは私と妹の
ミミのCEO の報酬についての議論と似ている。価格のメカニズムだけでは不十分
で、軽量しがたい価値は数多く存在する。アロウは、続いて信頼に言及する。「い
ま、信頼には、非常に重要で有用な価値がひとつだけある。それは信頼が社会制度
の重要な潤滑油だということだ。信用は、他人の言葉がある程度信用できれば問題
の多くが回避されるという意味で、社会の効率を極めて高くする。不幸にして、こ
れは簡単に購入することができない品物だ」組織の権威とそれに対する信用があれ
ば、信頼が築かれ、システムの効率は高まる。
この信頼の概念は、日銀の人たちが彼らの貨幣の保証になっているという常識に似
ている。組織は信頼を管理でき、権利と責任の均衡が組織の能率をあげる重要な要
素ならば、権威と責任の均衡が社会の信頼度を示し、ひいては貨幣への信頼度を保
証するものになるとも言える。
アロウは組織の中で人が情報交換し、意思決定をすることを可能にする「コード」
にもふれている。組織は情報処理の効率を最大限にし、より多くの「経路」を作る
ことでよりよい決定が下せる。組織の内部にいる人々は、「コード」を使って情報
を交換し、内外に通じる経路を保っている。アロウはこれらの経路が発達し、維持
され、意思決定に利用される情報の収集に使われる方法も解説している。また、
「この情報の定義は質に関わるものだ」とし、かつ、「A が真実かどうかを知るこ
との価値は、B の真実の価値をしる価値よりもはるかに大きいこともありうる」と
も述べている。
従って、活力のある組織には、権威と、責任と、質のよい情報を最大限活用したよ
い決定を促す手段が必要である。組織は、どのように価値の高い情報を集め、組織
内での交換を促せばいいのか。アロウは、資本投資と経路の偏向にもふれている。
つまり、個人も組織も、ある特定の経路に固執しがちだということだ。急速な変化
が必要な環境では、これらの経路を立て直し、情報の質を見直し、かつ権威を保つ
ような何らかの手段を講じる必要がある。

Translated by Yuki Watanabe

今また妹と話したところだ。ビリヤードができ、これまでになく粋な小皿料理が饗
され、造りは工業アート風、すべてじつに「お洒落」でよくはやりそうな新しいタ
パス・レストランの話をきいた。ただし見栄えはいいものの、そこには独創的な本
物のよさがなく、フランチャイズ色が濃すぎたということだ。チェーン店はサンフ
ランシスコの地域性をなくしてしまうというので、フランチャイズを禁止しようと
いう動きも一部でてきているらしい。妹も、こうした傾向を文化の商品化と呼び、
なんとか阻止するべきだと考えている。
1998年8月26日、國領先生のeコマース研究会では、服飾のワールド社の人
の発表があった。ワールド社では、流行に対応するためPOS データを使って回転率
をあげているということだ。現在、POS データをうけとってから二週間程度で店舗
に新しいデザインの洋服を並べることができる。これで大成功したブランドがある
らしい。私の感想と懸念は、それらが、流行が文化を消耗する速度を上げてはいま
いかということだ。流行のもろさと、基盤がしっかりとした文化、または、ミド
ル・アメリカの多様性のようなものの欠如が文化の軽視につながり、経済的な誘因
ばかりで内容の方向性が決められるようになってしまうのではないか。
京都造形大学の武邑先生は、京都の染物職人について話をされた。彼らはヨーロッ
パの有名ブランドと定期的に交流しているという。ヨーロッパ人が京都の染物文化
を吸収し、それがオートクチュールのデザインの決定要因になっている。そこから
世界中のブランドが流行を感じとり、その文化が世界に広まっていく。染物を通じ
て京都の染物師達は、周期的なものとはいえ流行の決定に貢献しているのだ。
エコロジストが大気汚染のコストを論じるときと似た議論は、文化の商業化や消耗
についても使えるのではないか。文化資本を厳格に評価する経済、組織のモデルが
考案できれば、資本組織の中での価値交換とその経済との関係が文化を保護する枠
組みを作っていける可能性はある。そうすれば徐々に、無秩序になりつつあった市
場や流行を安定させることができるかもしれない。文化は情報経済のもっとも重要
な安定剤となりうる。
(いわば、ぬかみそのようなものかな……;-P)

Translated by Yuki Watanabe

1998 年8 月26 日のノートから
コースは、組織としての「企業」を、雇用主と従業員、主人と従者の関係を決定する
ものと定義づけている。いわゆる「簡素派」の人々の解釈だ。そして、企業の雇用
の必要性は企業の取引コストの最適化で説明できると説く。
興味深い主題で、他の理論も厳密で有益だが、コースの結論と論理は彼が論破しよ
うとしている理論と同じ意味で限界がある。
まず、企業が数種類の製品分野に進出していても企業の規模が適正であるかどうか
をあらわす曲線があるはずだという考え方は、多少短絡的だ。また、企業内に存在
し、企業の体力や価値をきめる知識や競争力についての彼の分析にはあまり深みが
ない。無論、彼が論文を発表した1937 年当時はシリコン・ヴァレーもネット企業
も存在しなかったが、あの時代に企業に生命を与えた規模の拡大と取引コストの減
少を可能にする技術革新が、既存の枠組みを超えるネット企業やコミュニティーを
生み出したのだ。
企業の定義をと評価基準をきめる論文としては面白かった。
1999 年2 月16 日
あと知恵だが、岩村さんと話してみるととくに、コースは企業を市場を超えたもの
として捉えていたようだ。私がコースに言及すると、岩村さんは、コースがはじめ
にそれを考え付いたわけではないとおっしゃっていた。どちらにしても、岩村さん
のような人たちは、すべて市場の延長だと言うのだろうけれど。

Translated by Yuki Watanabe

チャンドラーについての走り書き
「目に見える手:アメリカのビジネス界における経営革命」
1998 年8 月23 日
大量生産 対 ニッチ
鉄道の先行権 対 個別の技術層
資産ピラミッドの底辺
保険?
縦型の統合
計量可能な資本集約型の製品への依存
規模 + ビジネスの類似型 (サイモン + 複雑さ)
7の法則?
株価市場査定…
情報条件 対 財務条件
情報資産
SWT、信頼、文化的調和 (コスト?)
レイヤーの統合、SWT リンク + 隣接レイヤー
ストック・オプションにつられて転勤する管理職
リナックス

Translated by Yuki Watanabe

ハーバード・A・サイモン著『システムの科学第3 版』に関するノート
サイモンが展開する思考と表現のモデルは実に面白い。彼自身の言葉を借りれば、
「状態」と「過程」の描写が秀逸なのだ。
サイモンは、あらゆる物事は一見複雑に思えるが、いったん考え方と視点を定めれ
ば言葉で表現できないものはない、と結論づけているようだ。
一般に構成要素(まとまり)内の相互のつながりの方が、構成要素間のつながりよ
りも強いという意味で「分解可能な」階層の仕組みを、彼は説明している。(1)ある
いは……高周波のものには低周波のものとは異なる力学がある。このため、進化は
階層レベルで進むことが多い。また、分解可能な階層は概念としてより単純にする
ことができる。全体の内部のデザインとそれぞれの構成部分の機能や「効率」のデ
ザインとを分けて観察できるからだ。従って、DNA鎖の適応機能も、それぞれの
器官機能の内部の状態よりも、器官どうしの配置に決定づけられる、というのだ。
このモデルはどうかと思う。それぞれの構成要素のデザインが、ある階層には影響
を与えなくても、別の階層には関わっているとうことも考えられる。それは直線的
ではなく、数値化してみても「効率的」だとは考えにくい。例えば、器官や皮膚の
色は一定の変数に直接影響しないかもしれないが、適応という観点からすると、特
定の状況下でのみ重要な影響をもちうるかもしれない。特に情報や文化が関わるよ
うな複雑な階層システムに組み込まれた「無秩序」は無視できない。この無秩序
を、サイモンは、階層の複雑さと分けて考えている。彼が説く他のモデルも同様の
ようだ。しかし、このモデル自体がかなり制約されているように思う。私には、無
秩序な組織が「表現」できる「勘」のようなものがある。言葉につくせる論理では
ないが、還元法的に物理的な世界と関わる一方、別の形で情報に基づく無秩序に関
与し、その両方が調和する世界を見つけて結論をだせるようにしてくれるもの。直
線的なロジックではなく、自然なものとより深く関わりあう美術、人間学、社会学
の命題への答えは、しばしばこの感情に近いものの中にみつかる……
類似のものを分解し、階層をまとめて数を減らしたり、一定のやり方で整理しなお
したりして新しい視点を組み立てることで、彼は複雑なものを単純化していく。実
に面白く、おそらく有効でもあるやり方だが、事象の保存や操作を効率的にする
様々な方法ではあっても、それぞれの方法はすべからくある一定の方向、あるいは
解決策に偏りがちである。 (2) サイモンは、実利機能を最大にする最適市場のモデ
ルのばかばかしさについても言及している。的確な解決策を見つけることはできる
が、唯一絶対の最適な解決策というものはない、と。この考え方は、複雑なものを
説明する方法についてもあてはまるのではないかと思う。
彼のスタイル、アプローチ、方法は良いが、ゆるいつながり、文化、および直線的
ではない相互関係の影響をを過小評価するあやうさがあるのではないか。一方で、
複雑なことも厳格に考えていくという実に知的刺激に満ちたことが可能になること
も確かだ。思考回路が直線的であるとする彼の考え方は使える。(非論理的な意思
決定過程、夢想、感情などについては触れられていないが。)実利機能で全てを説
2
明するのは単純すぎ、向上心、または最低限の状態の維持も人間の動機づけにな
り、最適化という考え方のみを用いることによる問題にある程度の解決策をしめし
てくれるという彼の見方は役に立つ。他方、信頼ネットワーク、コミュニティー、
SWT、常識、文化などは、向上心や必要最低条件の計算では説明しきれない複雑な
ものであるとも思う。
組織の役割について、市場のそれと対比させた彼の論述も興味深い。これはチャン
ドラーにつながるのでそれまでおいておこう。
1.これはゆるいつながりのもつ力についてだ。サイモンは、SWTについて
考えるにあたって非常に有用な科学的研究法を使って、いくつかの例をあげ
ている。マクロレベルでは重力が電気導力より重要であるという考え方は、
SWT の好例だろう。周波数について考えてみてもいい。
2.ホールは『文化を超えて』の中で、他人も自分と同じような考え方しかし
ないものだと思いこむことの危険性にふれている。サイモンの表現を文字通
りに解釈することは、文化的な溝をより広げてしまうことになりかねない。
例えば、一般に認められた会計原則であるGAAPは構成要素を整理するの
にはよいが、ある種の資産を見えにくくし、たとえ「市場」がそれを現実と
みなしているとしても、特定の見解に基づいていることには変わりない。
メモ:
以下、サイモンが「まとまり」ととらえているものに関する引用を並べてある……
読み進むうち、そして最終章にたどり着くころには、彼が、後に階級・複雑な構
造・分解の可能性についての結論に導くための伏線を張っているのだということに
気づいた。とりあえず引用だけ書き留めておき、後でゆっくり消化し、彼の結論を
まとめよう。
引用
メモ
ものごとは対称的にみることができる。人工物は、それ自体の内容と組織である
「内部」環境とそれが機能する周囲の「外部」環境の合流点、今日的な言葉で言え
ば「インターフェイス」だといえる。(6 頁)
我々は、人工の科学をよりどころとすることで、抽象化と一般化の主たる道具であ
るインターフェイスの相対的な平易さに依存することになる。(9 頁)
3
良好な環境におかれているとき、人は原動機から本来の役割のみを学ぶが、苦痛を
強いられているときは、その性能を制限する主たる要因となっている内部構造に注
目しがちだ。(12 頁)
コンピューターは象徴組織、厳密にいえば、物理的象徴組織と呼ばれる種類の人工
物のなかでも重要なものだ。同じ種類に属する象徴組織は……人間の心と頭である。
(21 頁)
計算機能としての知能(インテリジェンス)……知能は象徴組織の機能だ……物理的
徴組織……総合的な知能行為のための必要にして十分な手段がある……(23 頁)
第二章:経済的合理性:適応性のある脳のはたらき……経済学は、内外の環境がどの
ように相互作用をおこし、特に、ある知能組織の外部環境への適応(本質的な合理
性)が、知識と計算による、的確な適応行動(過程の合理性)を見極める能力にど
のように制限されるかを明らかにする。(25 頁)
今日では幾分野にもわたる応用科学によって、企業は過程の合理性を極められる。
そのひとつが複雑な資料を数理学的に分析するオペレーションズリサーチ(O
R)、もうひとつが人口知能(AI)だ。(27 頁)
ORは直線的で、AIは帰納的……
人間の選択が、実利主義に基づく一貫した推移的なものでないことを示す実例は、
枚挙にいとまがない。(29 頁)
こうした現象を扱うにあたり、心理学では願望レベルの概念を用いている……この手
法を適用した選択の理論は、人間の計算能力には限りがあるとし、我々の人間の意
思決定について、実利最大化の理論よりも余程、我々の経験的な観察と合致する。
(30 頁)
4
通常「市場」経済の縮図にたとえられるアメリカ経済において、人間の経済活動の
うちおよそ80 パーセントは市場における独立した組織間にではなく、事業体やその
他の組織などの内部的な環境のなかで行われる。誤解を避けるためには、そうした
社会を組織市場経済と呼ぶのが適当だろう。より正確に現実を把握するためには、
市場と同様に組織にも注目しなければならないからだ。(31-32 頁)
新制度経済(NIE)を語るにあたって焦点となる問題は、何が組織と市場の境界
をきめるのか、それはどちらが、どのような場面で、経済活動を組織する決定要因
となるのかということだ。(40 頁)

1998 年8 月16 日
今妹のミミと話したところだ。彼女は文化の商品化について考えているということ
だ。興味をそそられたのは、それが同じ現象について私が理論化しようとしている
経済の文化指向の別の表現で、視点が逆だったからだ……いつものことだが。
マルクスの、商品の盲目的崇拝の概念、労働者の疎外感について、また物事には利
用価値と交換価値があるという考え方について、彼女は語った。物事の価値はしば
しば価格に基づき、生産に関わった労働は考慮されないという考え方だ。マルクス
が労働に拘泥しすぎているという点では意見が一致したが、利用価値と交換価値が
あるという考え方は面白い。
読んだばかりのサイモンについて考えている:
我々は市場の発達の第三段階にいる…
1. 市場は商品の価値を管理し、安定し、また制御されていた。
2. その後、大企業、そして組織や経営者が経済を牛耳るようになり、彼らの決
定と商品の評価が市場に反映された。指導者の行動が予測不可能でより広範
囲に渡るようになると、市場は次第に不安定になっていった。
3. いまでは、市場は、ファッション、ブランド、技術革新、文化、そしてその
他のまったく非物理的な、理解しがたい要素が複雑に絡み合った相互作用の
混沌とした副産物にすぎない。市場はもはや管理されてはいない。有形資産
はその企業の価値とほとんど関係がなくなってしまった。実際、標準の企業
価値評価モデルで計算した現実的な価値とさえ一致していない。
従って、文化を商品化しようとするというのは時代の流れに逆らうようなものだ。
我々は商品化できない情報の効率的な交換を促す枠組みを作り、情報交換を支援
し、管理していく方法を考えなければならない。これはコミュニティーを発展させ
るという考えにもつながる。

Translated by Yuki Watanabe