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ブログ用のDOIが使用可能に »

ブログ用のDOIが使用可能に» MIT Pressとの共同作業でKnowledge Futures Groupを開発するにあたって、学術出版というものをちゃんと理解しようと勉強中。いろんなプロトコルやプラットフォームを調べる中で、特に興味深かったのがデジタル・オブジェクト識別子(Digital Object Identifier(DOI))だ。DOIを管理し、登録機関の連盟をまとめている組織がある。DOIには様々な用途があるが、主な目的はデータセットや出版物などのデジタル・オブジェクトに永続的な識別子を割り当て、メタレベルでURLを管理することだ。URLは、学術論文が起草されてから発表されるまでの間、あるいは映画がサプライチェーンを通る過程で変更する場合があるため、DOIが役に立つのだ。 Crossrefという登録機関は、学術出版物やそれらに含まれる引用データを専門に扱っていて、このサービスによりDOIは引用データを効率よく管理・把握する便利な方法として普及した。学者たちが所属機関情報や出版物を管理するために使うORCIDなど多くのサービスでは、DOIは出版物を取り込み、管理する手段として利用されている。 DOIには様々な用途があるものの、その取得と設定にはある程度手続きが必要であることと、学術関連のパブリッシャーのためのサービスであるCrossrefが成功したことにより、DOIには「権威」、「信頼」、そして「正式な出版」といったイメージが定着した。CrossrefのGeoffrey Bilderは「実際は違う」と警告しており、DOIを上記のように捉えるべきではない、と発言しているものの、僕は今のところは、この認識で問題無いと思っている。 学者が自分のプロフィールや引用データを管理するために利用できるいろいろなツールを使ってみた。僕の場合、査読された論文はこれまでひとつしか発表していないけれど(査読してくれたKarthik、Chelsea、Madars、ありがとう!)、管理してみて気づいたのは、ブログ投稿がインデックスされないこと。また、博士論文を書くために調べものをしていて気づいたのは、ブログが引用されることはあまりないこと。僕は職権を利用し、研究という名目でMIT PressのAmy Brand所長にあるお願いをしてみた。彼女は以前Crossrefに所属していた頃、DOIの採用に携わった人物で、そんな彼女に僕のブログ投稿にDOIをつけてもらえないか聞いてみたのだ。 思ったより手間のかかるプロセスだった。まず、登録プロバイダにて登録されたDOIプレフィックス(ドメインのようなもの)が必要なのだ。これは、AmyがCrossrefを経由してMIT Press名義で取得してくれた。BorisがDOIサフィックス形式を定義し、サブミッション・ジェネレータを用意し、僕のブログに必要なものをすべて組み入れてくれた。MIT PressのAlexaが僕のブログのDOIをCrossrefに登録する手続きを取ってくれた。次に問題となったのは、DOIの世界には「ブログ」というカテゴリーは存在しないこと。専門家に相談したら、一番近いのは「データセット」ということだったので、僕が今書いている文章は、以前まではブログと呼ばれるものだったけれど、DOIの観点から、そして学術界的には、データセットという名称となるのだ。いつかどこかで誰かが引用するかもしれないものとして、この投稿には意義があると思っているので、DOIをつけてもらったことは問題ないと判断している。Crossrefがブログ投稿の「creationType」を増設するか、あるいは、引用されるウェブ資料をより広く扱うスキーマに拡張してくれれば、と思う。 また、APAのブログ引用書式がURLだけでなく、ブログの名前も含まれるように更新されることを希望する。僕は滅多にルールを破ることはしないけれど、このブログAPA引用テンプレートでは、正式なガイドラインから逸脱してブログの名前を付け足した。この投稿のAPA引用は厳密に言うと「Ito, J. (2018, August 22). ブログ用のDOIが使用可能に. [Blog post]. https://doi.org/10.31859/20180829.1929」となるけれど、僕は「Ito, J. (2018, August 22). ブログ用のDOIが使用可能に [Blog post]. https://doi.org/10.31859/20180829.1929」とした。この変更した書式を使って提出した論文が減点されても責任は取れないので、ご承知願いたい。 ブログ投稿が引用されない傾向についてツイートした際、ブログは査読されないため、引用されれば問題が生じる可能性があるという反応があった。それはもっともな意見だし、考慮しなければいけない課題だけれど、引用されるものをすべて査読する必要は無い、と僕は思う。一方で、他者の文章を明確に引用し、ブログ投稿に貢献した人たちやその内容を明記し、査読が行われるべき場合は行うようにしたほうがいい、とは思っている。 「ブログ」という名称にこだわりがあるわけではないけれど、これはブログだと思っている。ブログが可能にしてくれたように、迅速に何かを発表し、学術文献の世界に繋げられるようにしておくことは価値があることだと思う。 最近では、学術プレプリント・サーバの人気が高まり、学会誌への寄稿をしなくなった学者が増えている。論文は学会誌に提出せず、アーカイブ・サーバに掲載し、学会でプレゼンテーションを行う、という流れだ。 僕の印象では、学術出版側による調整、ブロガー側の慣行の調整、そして両方のカルチャーの調整が行われれば、ブログはこの環境で相当な役割を果たせるはずだ。Geoffreyは「引用する価値のあるものには何でもDOIをつけるべきだ」と提言していて、僕も賛成だ。さらに言うと、ブログは引用する価値のあるデータの塊であるだけでなく、非公式の出版物のような存在であってもいいと僕は思う。 こういったことを考える時のパートナーであり、僕のブログのデザインや管理を15年も続けてくれているBoris Anthonyは、セマンティック・ウェブや知識の創造について深く考えており、このブログを整理するにあたってかけがえのない働きをしてくれた。また、僕のブログ投稿すべてにDOIをつけるのではなく、学術的な価値があるものに限定すべきだと説得してくれたのも彼だ。(^_^) 追伸 ワードプレス用のDOIプラグインがあるようだ。デベロッパーが登録したプレフィックスを使用したものらしい。...

DAEMON »

数週間前にStewart BrandからあるEメールが来た。僕がまだWorld of Warcraftをプレイしているか、そして小説「DAEMON」は読んだかを尋ねる内容だった。僕はWorld of Warcraftはまだやっていたものの「DAEMON」は読んでいなかった。これども、アマゾンのおかげで数日後にはもう読んでいた。 何年も前に、MUD(マルチ・ユーザー・ダンジョン)と、それが現実世界の人々に対して与える強い影響力について考えていたことを思い出した。MUDは最初のMMORPG(多人数参加型のオンラインのロール・プレイング・ゲーム)で、僕はそれにハマッている人を何人か知っていた。そして、僕もハマッた。(僕の名前がWiredに初めて登場したのも、1993年にHoward RheingoldがKevin Kellyと書いたMUDに関する記事で、僕の熱中ぶりに言及した時だったと思う。)人々はMUDの世界で結婚したり、離婚したり、仕事をクビになったり、アイディアを共有しあったりしていた。僕がプレイしたいくつかのMUDは、ゲーム内で出会う人々を介して、現実世界とつながっていた。 MUDというものはWorld of WarcraftよりもSecond Lifeに近く、プレイヤーは部屋やモンスターやオブジェクトを作り出すことができた。MUDに参加するということは、そのゲームをプレイしている人々の知性の凝集体に足を踏み入れるようなものだった。そこには参加者各自が現実世界の知識を駆使して作り出すクエストがあった。そうした彼らの世界でプレイすることは、彼らの脳内を歩きまわるようなものだった。いろいろなところから来た人々が、多種多様なテーマと目的を掲げたMUDを共作していく中で、これらの世界は融合しあい、衝突しあっていた。 MUDはその後MMORPGの進化経路上のどこかの時点で分岐し、オブジェクトや世界を創出することを好む人はほとんど、ゲームも作り出すことはできるものの主には世界の創出がその活動となるSecond Lifeのような場に移っていった。これに対して、いわゆるゲーマー層は、ゲームのプレイ面が高度に洗練される一方でプレイヤーによるコンテンツ作成がまったくできないWorld of Warcraftのようなゲームに移行した。(後者の開発陣は元熱狂的MUDプレイヤーだらけだったりするけれど。) 僕は今よりもMUDを活発にプレイしたり解析したりしていた頃に、次のようなイメージを抱いていた―。MUDの世界をちょいと裏返し、自分自身がそのMUDだと想像してみると、ゲームのプレイヤーたちは現実世界における自分の手駒やインターフェースのようなものにあたる。彼らはコンテンツを入力し、世界を創出し、現実世界を自分に教えてくれる。そして自分のことを友人たちに宣伝してくれる。彼らがゲームの経験値を稼ぐことに熱中し、よりのめり込んでくれることで、彼らは自分に糧となるものを提供し続け、生かし続けてくれる。彼らは彼ら自身ののめり込み先として、あるいはこれまでの投資を無駄にしないようにするために、サーバーを用意したり使用料を払ってくれたりもする。そしてMUDである自分が爆発的な人気を得ることができれば、プレイヤーの中には自分のDNAコードを使った新しいMUDを派生させる者が出てくる。自分の複製ともいえる存在が誕生するわけだ。 コアなプレイヤーたちはオープンソースである自分のソースコードを解析して、進化させ続けてくれる。コードの魔術師たちが自分のコードを使った個々のMUDを教育し、それぞれに個性を持たせてくれる。そしてそれをプレイするプレイヤーたちが、現実世界における自分の存在証明になるのだ。 ゲーマー層のほとんどが、企業の管理下にある開発チームによってデザインされたクローズドソースのゲームに移行した時、僕はこのような夢を見るのをやめてしまった。このように進化するだろうと僕が想像していた「生きた」状態ではなくなってしまったからだ。 ところが「DAEMON」を読んだことで、その夢が舞い戻ってきた。著者Leinad Zeraus氏の描く物語では天才MMOデザイナーの死後、彼の作り出した巨大なコンピュータデーモンが世界を乗っ取っていくことになる。これはいろいろな意味で僕が想像していた構図に似ているけれど、著者は恐ろしげなひねりを加えたうえで、スケールを遥かに遥かに大きなものにしている。これだけ感銘を受けた本は久しぶりに読んだ気がする。著者は「Fortune 100社と取引のある独立系システムコンサルタントで、防衛、金融、エンターテイメントの各業界向けの企業用ソフトウェアのデザイン実績をもつ」そうだ。その経験を活かして著作に抜群のリアル感と説得力を持たせつつ、なおかつ強烈なインパクトを与えてくれる。 読んでいて非常に楽しめた本なので、ネットやゲームが好きな人なら誰にでもオススメしたい。でもって、それらが好きじゃない人たちにもオススメしたい。これを読めば、こういったことのすべてを理解しておくことが重要であるということがわかる。手遅れになる前にね。...