Fancy ceiling above Starbuck's at Ibn Battuta mall

もう少し実地体験を積むまでブログに投稿するのは待とうと思っていたんだけど、最大140文字のTwitterレスで言えることの限界に達してしまった。多くの方々から、ドバイにおける労働者の待遇に関するGuardian紙の記事とThe Independent紙の記事へのリンクが僕の手元に届いている。ドバイをバッシングする記事は増加傾向にあり、これらの記事はその流れの延長線上にある。この扇情的な大きな流れを最初に作ったとも言えるのが、New York Timesの記事だろう。Desert Blogger同様、僕は蛇口からゴキブリが出てくるのなんて見たことはない。 ;-P Desert Bloggerがこれらの記事に対して的確な返答をしている

僕はまだこの地域に来て日が浅いので、地元の住民のように確かな発言はできないけれど、描かれている絵がかなりバイアスのかかったものであり、「バッシング」と呼ぶにふさわしいものであるということは十分わかる。その僕がわかる範囲で言うと、他のどこもそうであるように、ここドバイでは今、収縮が進行中であり、政府と企業は何を維持し、何を終わらせるかを見極めようとしているようだ。ドバイには堅実な企業も企業人もたくさん存在するが、今は、どの国でも同じだが、整理統合および規模縮小の余波が押し寄せている。

かといって、駐車場にホームレスの外国人や捨てられた車が溢れているわけではない。ここの雰囲気は、米国や日本と同様かむしろ若干明るいくらいである。市内を横切るのにこれまでの1時間半ではなく1時間ですむようになったし、The Addressのラウンジ/バーの予約も3日前ではなく2日前でも大丈夫だし、いいレストランでも1時間待たずにテーブルがとれる。大抵は、の話しだが。ドバイの不動産と不動産開発は最も深刻な打撃を受けているようだが、運輸、ならびに「中東のハブ」としての側面に関して言えば大丈夫そうだ。

他者の人権侵害をしている連中を擁護しようとしている、などとは思われたくはない。実際僕は、Global VoicesおよびWITNESSの理事会の一員として、また複数の人権団体を支持する身として、人権問題に取り組むために多大な時間を割いている。人権について、我々は話し合う必要が大いにある。ただし、人権問題の解決というものは、誰に対してどのような圧力をかけることで変化を起こすか、ということを理解することに他ならない。人権というものを広く理解するのは大事なことだが、その見解を記事の上に、ネガティブ・プレスによる波状攻撃の一環として、スパイスのごとくふりかけるのが、比較の観点から言って、そんなに生産的だとは思えない。

The Independent紙の記事の執筆者は、自分の意見を弁護し、記事を批判している人々は「すり替えたがり傾向」に陥っていると言っている。悪い反論ではないんだけど、かといって元の記事が抑圧された労働者たちの状況を本当に改善しようと意図したものかどうかは、わからない。今の風潮に合わせてドバイを叩きたいだけではなかったのか。「こうすれば彼らの力になれる」といった示唆や言及は記事内には見当たらなかった。ひたすら非難しているばかりに思えた。

これと対照的且つ好例なのが(この例示も「すり替えたがり傾向」の現れだと指摘してくる人もきっといるんだろうけど)、ブラジルの地方における奴隷問題に関するWITNESSの報道だ。読めばこの人権侵害に対して行動を起こすように呼びかけている記事だとわかるだろう。

人権侵害を是正するには、その国に対して影響力をもつ国や国々の人々が声を挙げる必要がある。どうせ聞く耳をもっていない相手に直接怒鳴りかけても、大して役に立たないどころか逆効果にさえなりうる。だからこそ、日本がビルマについて、中国がアフリカについて、アメリカがグアンタナモ・ベイなどについて声を挙げる必要があるんだ。

繰り返しになるけれど、僕は検閲を支持しているわけではないし、人権侵害を看過すべきだと思っているわけでもない。僕は単に、「今流行ってるから一緒に叩いておこう」といった、生産的とはいえないジャーナリズムを、あまりいいと思わないだけだ。本当に何とかしたいと思っているならば、問題を解決しようと努力している人たちについて書くべきだろう。

僕が最近イスラエルとパレスチナに行って最も感銘を受けたのは、パレスチナ内に変化を起こそうとしているパレスチナ側の人々と、イスラエル人たちの考え方を変えていこうとしているイスラエル側の人々にであった。中国での反日デモを話題にした2005年のスレッドで最も印象的だったのは、討論後、相手側を批判するのではなく、自分たちの社会の問題について自省する姿勢を見せていた人々だった。

ドバイと中東全般に関して、過度に擁護しているように思われたくはないけれど、日が浅いとはいえ僕がここに来てから学んだことの一つは、一見したよりも遥かに事情は複雑であるということだ。ムスリム式の法と統治を「中世的」だと言って見限るのは無知の表れだ。実際のところはまったく違っていて、我々の多くが「公正である」と考えているものと同調していない。彼らは小切手の不渡りや麻薬の密輸をとても深刻な問題として扱っている。気軽な気持ちで中東に引っ越して、何もかもが自分のいた所と同じだろうと決めつけるのは危険で、お勧めきない。とはいえ、僕は現地を訪ねる前にすでに麻薬に関することは知っていたし、「小切手が不渡りになると投獄される」ことは到着初日に聞いた。

最後に考えをまとめると、手っ取り早い儲け話しや一獲千金の夢を追うつもりであれば、ドバイに行くのは思いとどまるべきだと思う。一方、中東での機会や文化を求めつつ、安全な滞在地を探しているのであれば、少なくとも現時点では、ドバイは候補地として問題ないはずだ。食べ物はおいしいし、素晴らしい人々がいるし、文化は多様だし、インフラのほとんどが機能しているし、法は比較的外国人に親切なものだと言える。それこそが僕がここに引っ越してきた理由であり、今のところその決断を後悔してはいない。

Leave a comment

About this Archive

This page is an archive of recent entries in the 学術的なお話 category.

国際政治 is the previous category.

日本のニュース is the next category.

Find recent content on the main index.

Monthly Archives