Yossi Vardi
Yossi Vardi

イスラエル旅行のFlickrセット

イスラエルを訪問したのは2003年の初訪問以来、生まれて2度目だ。どちらの訪問もYossi Vardiの招待で実現した。Yossiは僕が知っている中でも最もユニークな人物の一人で、はかりしれないユーモア、思いやり、起業家精神、気前の良さ、創造性、影響力を併せもっている。僕はYossiに勧められたことは、何でも実行しようと心がけている。彼が主催するイベント「Kinnernet」に何年も前から誘われていたんだけど、今年になってようやく足を運ぶことができた。

前回イスラエルを訪れるまで、僕は中東に一度も足を踏み入れたことがなかった。今回は中東に関する経験が少し増えていて、ガザ地区の件が主たる話題となったカタールでのアルジャジーラの年次フォーラムにも参加したばかりだったので、それまでの状況をより理解した状態でイスラエルを体験することができた。

KinnernetはKinnernetキブツ(農場)で開催された。KinnernetはTim O'ReillyのFOOキャンプの非会議方式に着想を得ていて、ロボットや、火を操るジャグラー、数々の電動工具、そして仮装ダンス大会があることを除けば、FOOキャンプに似ている。非常に興味深いセッションが行われ、素晴らしい面々が参加していて、とても楽しめた。Yossiのあらゆる要素を具現化したかのようなイベントだった。

YossiとGarage Geeksの主催で、クリエイティブ・コモンズの夕べを、Garage Geeksの手作りっぽくてかっこいい「屋外公会堂」で催してくれた。イスラエルのクリエイティブ・コモンズチームや、大勢のコミュニティの面々に会うことができた。主催してくれたYossi、Garage Geeks、クリエイティブ・コモンズのイスラエル・チームに大いに感謝したい。

僕をイスラエルとパレスチナのOne Voiceチームに引き合わせてくれたのはDaniel Lubetzky(旅行中で不在)だった。One Voiceはボランティアや若者の啓発を通じて、イスラエル側、パレスチナ側双方の声なき大衆である穏健派の声を拡大して発信しようと試みている。両チームの人材の質と思慮深さに感心させられたとともに、両コミュニティ間でコンテキストが根本的に異なっているという問題点が印象的だった。どちらのグループも主に自コミュニティ内の活動に焦点を絞っていて、それは賢明な判断だと思った。他の人々を変えようとするよりも、自らが変わっていくほうがはるかに容易だからだ。中国と日本の間の諸問題を議論している時は、いつもこのことを再確認させられる。

パレスチナのOne Voiceチームに会うため、ヨルダン川西岸の街、ラマラを訪問した。旅行エージェントやイスラエル人の友人たちなど大勢の人々に、現地入りするのは難しいか、危険かもしれないと指摘されていた。しかし実際はチェックポイントも問題なく通過でき、このような情勢下でも、ラマラ市は活気ある面白そうな場所に思えた。これまで食べた中で最もおいしいファラフェル・サンドイッチもごちそうになったしね。 :-)

ラマラ訪問はとても短かったものの、Nisreen率いるパレスチナのOne Voiceチームとは有意義な話ができ、短時間ながらラマラ市内も見て回れた。

どうやら僕が訪問するほんの一週間前、Googleがラマラでワークショップを開催して好評を得ていたようだ。ラマラのギークな面々はとても意欲的で、パレスチナ側とイスラエル側の両方と話す機会を何度か得た中で、パレスチナを地盤とするかパレスチナ人が参加するインターネット系の企業を興すことが、ヨルダン川西岸とガザ地区の人たちを力づけ、パレスチナ人とイスラエル人の間の対話を増やす素晴らしい方法になるのではないかという考え方が話題にあがっていた。まったくもって同感だ。パレスチナ側の面々は、現状、指定区域の外に彼らが旅行したり、多くのアラブ系諸国を含め、米国他多くの国々へのビサを取得したりすることが、不可能ないし非常に難しいのだと説明していた。自由に旅行をさせてもらえないなんて、想像を絶するほど不満な状態じゃないだろうか。しかし幸いなことに、パレスチナではインターネットに対するフィルタリングやブロックは行われていない。

パレスチナ人の新しい友人たちとヤセル・アラファトのお墓を訪問した時は、皆さんの彼に対する敬意の深さが印象的だった。墓碑には、パレスチナ人一人一人の中にヤセル・アラファトがいる、という詩が刻まれていた。パレスチナ人による独立国家の設立という功績を残したヤセル・アラファトは神格化されているかのような印象すらあった。(もしこの説明内容に誤りがあるなら申し訳ない。)

イスラエルを出国する際、テル・アビブ空港で僕は、個室での全身マッサージを含む徹底的なセキュリティチェックを受けながら、どうすればこの地域の状況を改善できるかと考えずにはいられなかった。どちらのコミュニティで知り合った人々もとても温かく、友好的で、平和を願ってやまない印象だった。それなのに、それぞれが最終的な解決方法と信じている内容に、ほぼ和解不能と思われる根本的な差異があるように思えた。極論を口にする人はごく一部だったものの、そういった人々がそれぞれのコミュニティにおいて強い影響力を持ち続けているようだった。

2002年にアスペンで開催されたBrainstorm会議でShimon Peres
が口にした言葉を思い出し、あのような人物が平和を実現させるだけの影響力を手にできる日が来るのだろうかと自問自答してしまった。僕がどのように貢献できるかはわからないけれど、この地域には今後も足を運び続け、イスラエル側、パレスチナ側双方との繋がりを増やしていき、何らかの方法で平和に貢献できないか模索していこうと思う。

以下は僕が、2002年のShimon Peresの話を聞きとったメモの一部だ。イスラエルの大学でまたしても爆破事件が発生した直後の講話だった。

「私の心中に、パレスチナの人々に対する憎しみはない」

「我々は、2つの悲劇が同じ場所で鉢合わせてしまっているに過ぎない。これが3つめの悲劇に発展しないことを願っている」

「歴史は何を教えてくれるのか?多くのことは学べない。なぜなら歴史は流血という名の赤いインクで書かれているからだ。我々は子供たちに、過去を忘れない方法ではなく、未来を想像する方法を教えるべきなのだ」