Bioluminescence 2
写真: Jed Sundwall - クリエイティブ・コモンズ BY-SA

デンマークのジャーナリスト協会主催で、コペンハーゲンの北にある小さなオーデンセという町で開催されたDanish Media Festival(デンマーク語の名称があいにくの「fagfestival '10」)にスピーカーとして招待された。僕の初期の投資先であるStoryplanetのCEOで、親しい友人でもあるBjarkeが運営に関与していて、旧友のHenrik Føhnsがセッションの責任者だった。

僕は2008年にNew Media Daysに参加するために初めてコペンハーゲンを訪れており、その経験があまりにも楽しかったため、基本的には参加する会議の数を減らそうとしているのだけれども、スピーカー参加に応じることにした。

7月以降、なるべく毎週スキューバダイビングをするようにしているので、冷たいバルト海に挑戦できるように、友達何人かにコペンハーゲンのいいダイビングショップを紹介してほしいと頼んだ。その結果Kingfish Dive & Travelに辿り着き、バルト海での夜間ダイビングを段取りしてくれるとの回答をもらえた。

僕の親友たちはなぜだかジャーナリストの占める割合が多く、ジャーナリストとの交流は本当に楽しい。彼らは社会において、探究心をもち、常に疑問を抱き、大胆かつ勇敢で、かつ表現豊かであり続けるという重要な役回りを担っている。だが近年、この筋金入り教養人たちからなる精鋭部隊を支えてきた業界が足元から崩れ始めていることで、ジャーナリストの友人たちがいささか暗めの雰囲気になってしまっているのが忍びない。インターネットとアマチュア革命の支持者として、またその進歩に寄与する者として、どこか責任を感じてしまう。

また、興味深いことに、ジャーナリストはプロとしての仕事においては僕の知っている中でも最もリスクをいとわず、思慮深く、何事にもおもねらない人種なのだけど、ビジネスモデルや配給の話となると最もリスクを厭い、保守的な考えを抱く人たちでもあったりするのだ。

どんな法則にも例外があるのはわかるし、僕自ら選んだ、僕に似たような考え方をしがちなジャーナリストたちのネットワークであるということもおそらく幸いして、今回の会議と、Bjarkeと一緒にやった「修士クラス」の小規模ワークショップで出会ったジャーナリストの面々は、未来について考えるにあたっても思慮深く、とても頭が柔らかい印象だった。

一方で、頭の柔らかさは前進への不可欠な第一歩であるものの、それはほんの一歩目に過ぎないのであって、インターネットの仕組みを直感的に理解することや、「ボンネットの中身をのぞいてみる」ことはこのメディアの未来を考える際の重要な要素だと思う。

メディアのスケールが大きくなり、人々が専門化していく流れのどこかの段階から、ジャーナリスト、およびその他の大勢のプロフェッショナルが、自分たちの仕事道具について理解することからじわじわとかけ離れていってしまった。使っている道具がブラックボックス化してしまった。ブラックボックスは物事のスケールを拡大させることには寄与するが、根本的な変化を起こすためにはブラックボックスを開く必要がある。

メディア業界の問題点の一つは、ブラックボックスの鍵を持っている人たちはジャーナリズムに対する理解が深くなく、ジャーナリストたちはブラックボックスへの鍵を持っていないということだ。

概して、オープンソースソフトウェアやシリコンバレーの成功の秘訣は、開発者が市場と道具の両方を理解していたことだ。

しかし、傾向としては道具が理解されやすくなりつつあり、オープンな改革がハードウェア、ネットワーク、コンテンツ管理システム、そして今やデザインおよびコンテンツそのものへと、階層構造の上へ上へと進んでいくにつれて、ジャーナリストたちが改革のプロセスに参加し始める大きな機会が訪れているように思える。

もう一つ重要なのは、インターネットの最も偉大な成功譚は過去として振り返った時にしか明らかではなく、多くの場合革新は、必ずしも目立つ存在ではない担い手によって、米国以外の国で行なわれることが増えていった点だ。例を挙げればLinuxはフィンランド、Skypeはエストニア、ICQはイスラエル、Last.fmは英国、Ruby on Railsは日本とデンマークで生まれた。

既得権益が居座るハリウッド的な傾向がないことや大国のような巨大な国内市場がないということは、デンマークなどの比較的小さな国にとって、大きめの市場であれば革新を阻害していたであろう障壁や思い込みなどに影響されずに革新できるという利点になっているのだと思う。また、コミュニティが比較的小さめであることにより、僕がデンマークで接したあらゆる層に浸透していたような、平等で協力的な雰囲気ができ上がる余地があるのだろう。

昨晩、片方の手で股間を守り、もう片方の手で装備を固定しつつ、水面から4メートルのLynettenの埠頭の上から、真っ暗な水温5℃の水中へと飛び込んだ。フード内が浸水するにつれ、脳が凍りそうな頭痛をおぼえ、バルト海の底へと沈むにつれて自分が闇にのまれ、風車や港の灯りが薄れ消えていくのを見送った。ダイビングバディのZachと僕とで真っ暗な海底に座り、ライトを消し、目をならした。

目が暗闇に慣れてくると、発光性のプランクトンが無数の光点として視界に現れて海底を照らし、我々を渦巻き輝く光の膜で覆った。僕はライトをしまい、深めに呼吸をした。体が水に慣れてきて、心拍と呼吸数が落ち着き、バルト海の壮大さ、賑やかさそして美しさを、自然なそして真新しい形で目にして満喫することができた。

僕は、メディア業界とジャーナリズムが急速に沈み込もうとする先にあるで冷たい闇に思いをめぐらせた。もしかすると、これまで案内役を担っていたバッテリー式のライトを消すことでこそ、無数の、小さな、明るい、自然で無秩序な光点たちが新たな地平を照らす道標になってくれたのかもしれない。そしてこれは、活躍するジャーナリストたちが未来を渡っていく様子の象徴になるのかもしれないと。