この記事は以前発表したものの別バージョン。以前のバージョンはWIRED Ideas: The Next Great (Digital) Extinction on October 8, 2018
今から20億年から30億年前の間に、科学者が大酸化イベント(GOE)と呼ぶ出来事が起こり、当時の主要な生命体だった嫌気性細菌が大量絶滅した。シアノバクテリアという新しい細菌が出現し、この細菌には太陽の力を利用して二酸化炭素と水からブドウ糖と酸素を生成する光合成能力を持っていた。酸素は多くの嫌気性細菌にとって有害であり、それらのほとんどは絶滅した。地球の酸素化は、大量絶滅という出来事と同時に、多細胞生物の進化(6億2000万年から5億5000万年前)、新種が増えたカンブリア紀の大爆発(5億4000万年前)、そして恐竜と多くの冷血種の絶滅をもたらした氷河期を引き起こした。結果として、哺乳類が生物界の頂点に立ち(6600万年前)、最終的には社会的洗練と複雑さに特徴づけられるホモサピエンスが出現した(31万5000年前)。
ぼくは最近、GOE、カンブリア紀の大爆発、そして哺乳類の出現について思いを巡らせている。なぜなら、ぼくたちが生きている今日も、同様に破壊的な転換期だと思うからだ。グレートデジタル化イベント(Great Digitization Event)またはGDEと呼ぶことにしている。現在の使われ方におけるインターネットは、GOEでいうところの酸素に例えることができ、新しい種類の組織の出現を可能にしながら、多くのシステムを急速かつ無関心に絶滅させている。
WIREDが25周年、Whole Earth Catalogが50周年、そしてBauhausが100周年を迎える今は、現代のカンブリア紀とも言え、インターネットが可能にした様々なテクノロジーの爆発的な誕生は、約5億年前に出現した驚くべきほど多様な生物の進化に相当する。多様な生物の爆発的な誕生を可能にした条件を整えた古代生物たちが絶滅したり、海底の土の中へ移り住んだりすることを余儀なくされた大酸化イベントと同じように、爆発的な成長を遂げるデジタル時代のきっかけを作った複数の存在は、より強固な新しい生命体に取って代わられている。『From Counterculture to Cyberculture』でFred Turnerが書いたように、すべては1960年代、1970年代にサンフランシスコで活動したヒッピーたちから始まった。彼らが進化し、ストーンマン・ダグラス高校銃乱射事件の余波にみることができる高度な生命体が誕生したとも言える。ヒッピーたちがどのようにGDEを引き起こしたか、ぼくの目撃談を紹介する。
当初から、その運動のメンバーたちは、起こりつつある技術的な変化を受け入れていた。メリー・プランクスターズの一員であるStewart Brandは、1968年にWhole Earth Catalogを刊行した。これにより、生態学的に健全で社会的に公正な社会のビジョンを奨励する出版物が数多く生まれた。また、Whole Earth Catalogから派生する形で、オンラインコミュニティの草分けWhole Earth 'Lectronic Link(WELL)が1985年に誕生した。
その頃、R.U. SiriusとMark FrostはHigh Frontiersを刊行した。この雑誌は後にQueen Muらが参加し、Mondo 2000としてリニューアル刊行された。急成長するサイバーパンク運動が社会的に受け入れられるようになったのは、この雑誌の貢献もあったからだ。サイバーパンク運動は、増えつつあるパソコン・ユーザーたちやオンライン・コミュニティの参加者たちに、80年代版のヒッピーの感性と価値観を植え付けた。これに、William GibsonのNeuromancerに代表されるSFの新しい波によって、パンクロックやディストピア的な切れ味が加わった。
ヒッピー運動とニューエイジ・スピリチュアリティの"大祭司"だったTimothy Learyとは、彼が1990年に日本を訪れた際に出会った。彼は僕にとって父親代わりのような存在となった。Timothyは僕にMondo 2000のコミュニティを紹介してくれ、貴重な仲間たちとの出会いのきっかけを作ってくれた。Mondo 2000は当時、文化とテクノロジーの革新の場だった。"無料VR"や、新興のシリコンバレー・シーンのハッカーたちとヘイト・アシュベリーのヒッピーたちをつなぐSurvival Research Labsなどのアーティストグループを宣伝する当時のレイブは、素晴らしい思い出だ。
ぼくは日本のテクノシーンとサンフランシスコのレイブシーンの架け橋の一人となった。サンフランシスコのレイブの多くは、当時荒々しかったマーケットストリートの南の地区(タウンセンドやサウスパークの近く)で行われていた。レイブプロデューサーのToonTownがこの地区にオフィス(と住居)を開いたのをきっかけに、英国のBMX'er兼デザイナーNick Philipなど、レイブ業界で働くデザイナーなどの人たちが集まった。コピー機とコラージュを使ってレイブのチラシを作ることから活動を始めたNickは、Anarchic Adjustmentというアパレルブランドを立ち上げた。William Gibson、Dee-Lite、Timothy Leary等も着たこのブランドを、ぼくは日本での流通を手掛けてサポートした。Nickは、Silicon Graphicsなどの会社のコンピューターグラフィックスツールを使用して、Tシャツやポスターをデザインするようになった。
1992年8月、Jane MetcalfeとLouis RossettoはSouth Park地区でロフトを借りた。目的は、カウンターカルチャーから進化し、ヒッピーの価値観、テクノロジー、そしてリバタリアニズムという新しい運動を中心とした力強な新しい文化となった現象の記録を残すことだった。(1971年に、LouisはStan Lehrと共著した『Libertarianism, The New Right Credo』の共著者としてThe New York Times Magazineの表紙を飾った。)ぼくが彼らと出会ったとき、彼らの持ち物と言えば、机と、後にWIRED誌となるラミネート加工した120ページのプロトタイプだった。1985年にMIT Media Labを共同設立したNicholas NegroponteがJaneとLouisに資金支援を提供していた。WIRED刊行時の編集長は、Whole Earth Catalogの元編集者Kevin Kellyだった。ぼくも寄稿編集者として参加した。当時はまだ記事を書いていなかったが、ぼくはWIRED第3号に掲載されたHoward Rheingoldの記事に登場するMMORPG中毒の若者としてメディア・デビューを果たした。サンフランシスコのレイブシーンを紹介するSFRavesメーリングリストの運営者Brian Behlendorfは、ウェブという新しい媒体を画期的な形で探求するHotWiredのウェブマスターとなった。
WIREDが登場したのは、ちょうどインターネットとその周辺のテクノロジーがSF的な空想からそれよりも遥かに大きなものへと変身する頃、つまりGDEの幕開けと同じタイミングだった。この雑誌はSouth Park周辺の優秀なデザイナーたちの才能を活用し、同じ建物内でデザインと開発を行う会社のCyborganicとは、イーサネットケーブルでつながり、T1回線を共有していた。レイブコミュニティを際立たせたポストサイケデリックなデザインとコンピューターグラフィックスを取り入れて確立させた独特なスタイルは、掲載広告にも影響を与えた。例えば、Nick PhilipがデザインしたAbsolutの広告のように。このスタイルを確立させた立役者はBarbara KuhrとErik Adigardだった。
Credits
翻訳:永田 医