インターネットは、高速で安価なグローバル・ネットワークによって、コンピュー
ター、人、センサー、乗り物、電話機など、ありとあらゆるものを結びつける。こ
れらの相互の接続関係をコンテクストと呼ぶが、コンテクストは、具体的には節点
(ノード)が接続される方法とタイミングをさす。情報のコンテンツ(内容)を名
詞とすれば、コンテクストは動詞であるといえる。
メディアと通信の新しい形態が生まれると、はじめは既存の媒体の模倣に終始する
傾向がある。カール・マラマッドは、テレビの創成期、番組ではしばしばラジオの
アナウンサーとマイクばかりが映っていたことをひきあいにだす。インターネット
は、よくオンライン出版、またはオンライン放送の手段と言われる。雑誌の出版に
携わる人は、端末のスクリーンに映るインターネット広告は、雑誌の良質な全面広
告には及ばないと言う。テレビの関係者は、インターネットの粗野な映像の質を、
できのいいテレビのコマーシャルのそれと比較することがよくある。インターネッ
トは媒体として、同じ大量の情報を大勢に届けるには適さない。現在、インターネ
ットは、低価格で、狭いバンド幅を使って人々をつなげるものである。インターネ
ットが提供するのはコンテクストであり、インターネットの未来を築いていくにあ
たっては、このことを念頭におかねばならない。
今日、世界にあるインターネット上の情報は、ときをおかず鮮度を失ってしまうも
のがほとんどだ。現在の株式相場に関する情報は有料だが、十五分後には無料にな
っている。今日(または明日)の新聞を買うにはお金がいるが、昨日の新聞はイン
ターネットでは無料公開されている。ここで古い記事のデータベースよりも重視さ
れているのは、新聞と記者の関係なのだ。ネットスケープのブラウザは数週間で古
くなるから、パソコンショップから古いネットスケープのディスクを盗んだところ
でほとんど意味はない。大量のソフトウェアをダウンロードするかわりに、人々
は、必要な情報をインターネット上のどこで探すか、あるいは上級のユーザーであ
れば、誰に尋ね、どこでみつけるかという知識を蓄えておこうとする。それは、情
報についての情報についての情報……金融制度が物理的実体をなくしたために貨幣
が抽象的でつかみどころのないものになってしまったように、インターネット上の
ほとんどの情報はコンテンツではなく、コンテクストに関係している。インターネ
ット上の情報というのは、本にまとめられ、倉庫に集められてトラックで運ばれる
ような過去の確実なデータそのものにではなく、必要なとき、一定の場所で、ライ
ヴで接続されているということに意味があるのだ。
ネット上のコミュニティーは討論、ゲーム、あるいは、その他なんらかの双方向的
な接続形態で繋がる人々のグループで構成されている。人々はこうしたコミュニテ
ィーに時間と精力を注ぎ、これらのコミュニティーは技術とコンテクストを媒体と
して複雑な関係をもつ集団に発展していく。そして、コミュニティー特有の場所と
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なっていく。コミュニティーはそれを支える技術をもとに発展するが、技術を通り
こして成長してしまう。技術というのは、新しい有機組織の成長を促進する遺伝的
な基礎だが、生まれた組織は、参加者を通じ、環境からインプットを得ていく。
進歩の緩やかな物理的世界における静物的な芸術作品である文章、またはほかの形
のコンテンツが、インターネットの流動的な、高速のコンテクストによって生き返
ることもありうる。魅力的なアイデアやデザインはたちまち人気を博し、試作、編
集、再配布の対象となる。芸術家は、彼らが生んだ作品が、あっという間に始めの
意図とはまったく異なるものに発展していくのを観察することができる。オリジナ
ル作品の芸術家は親のようなものだが、みなし子とは違い、作品はインターネット
上で教育を受け、よしにつけあしにつけ、環境と社会の産物として形成されてい
く。従って、インターネットに作品を載せることは、変化しないものを創るという
よりも、子を生むようなものである。
コミュニティー、マルチユーザーゲームのしくみ、市場、検索エンジン、ルーター
の設定などは、すべて新しいコンテクストが端緒となっている。コンテクストの美
学は、コンテクストを中心とする優れた意匠であるといえるだろう。コンテクスト
志向の優れたシステムは、ライヴで繋がるネットワークの収斂、相互作用、成長を
促す。そのことがネットワークの価値を高め、さらに多くのユーザーと接続先をひ
きつける。
インターネットは、自ら変化に対応できる適応機能を備えている。昨年、アルス・
エレクトロニカでのシンポジウムでサンタフェ研究所のジョン・キャスティが指摘
したとおり、複雑な適応機能が働く過程を完全に理解することは可能だが、それが
何をなしうるかを予測することは不可能だ。インターネットは、完全な混沌と秩序
のはざまの微妙な領域でそれ自身を律していくのである。エリック・ヒューズの言
葉を借りれば、それは「機能的な無秩序」といえる。厳格なプロトコールや単一汎
用のオペレーティング・システムといった秩序をインターネットに強いれば、それ
が適用される層は非常にもろくなり、システムに与えた衝撃が甚大な損傷を引き起
こすという災害理論どおりの結果をまねく。ウィルスやバグがひとつ現れれば、す
べてのシステムが麻痺してしまうことにもなりかねない。現在集積されている仕様
やソフトウェアが非能率的で多様であるために、リスクは少しずつ広まるにとどま
っている。多くの小さな地震が壊滅的な地震を防ぐのに役立つように、非効率と小
さな過ちの積み重ねで、インターネットは内部崩壊や爆発にみまわれることなく適
応し、成長していく。
秩序が整った効率的なシステムは、変動の増幅に非常に影響されやすい。見当違い
のフィードバックによって、経済、政治、交通、見解の些細な変動が並外れて効率
的なネットワークにより増幅され、システムの崩壊や破滅をまねいてしまうおそれ
もある。自然は、エネルギーを調整し、システムの均衡を保つ高度なフィードバッ
クの作用で変動を制御している。この直線的ではない均衡を保っていくことが、シ
ステムをより速く、より効率的にすることよりもよほど重要になりつつある。この
均衡こそが、コンテクストの美学であるといえる。
インターネット上の雑然としたコンテンツと人々の数をみると、秩序などほとんど
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ないかのようだ。こうした無秩序は、コンテンツと人々を有益なコミュニティーと
ネットワークの分類を可能にするコンテクストを加えるだけで、実はより一層有意
義なものに変えていくことができるのだ。
ゆえに、完全なる秩序からもまったくの無秩序からも、情報、価値、活力はほとん
ど生まれないと私は結論づけたい。有用なのは混沌として無秩序なものに秩序を与
えていくシステムである。さらに、この秩序と無秩序の中間にあるシステムを実現
させるためには、可能な限り活力を維持し、作りつづける一方、フィードバックシ
ステムが、増幅効果による破滅や無力化をもたらさないよう留意しなければならな
い。そのためには、人、コンテンツ、交通、資金といった形の活力源をひきつけ、
コンテンツを価値あるものに育てるための一連の規則、あるいは模倣によって伝え
られる習慣や作法、いわゆるミームが必要である。一種のミーム工学といってよ
い。
ミームのエンジニアやインターネットの芸術家は、ネット上で育ち、発展していく
アイデア、ソフトウェアのプロトコール、画像をうみだすのにやぶさかでない。静
物を作るのではなく、作品に息吹を与えるのだ。伝統的な芸術家は作品を守ろうと
するが、ミームのエンジニアは、自らが生んだミームが模倣され複製されるべく努
める。ミームに力と審美的な価値を与えるのは、利用頻度、知名度、そして、再生
産なのだから。インターネットを舞台とする芸術家もミームそのものも、コンテン
ツよりはむしろコンテクストの媒体において活動することになる。

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