宛先: 伊藤穰一様
差出人: 伊藤瑞子
題名: Re: Bcc: NPO 買収
いただいたエッセイに対するコメントです:
「……教育用のソフトウェア市場には十分な評価基準がなく、母親たちは結局、た
またま店にあるものを購入することになる、と妹は言う。最も価値が高いソフトウ
ェアが店頭に並ぶとは限らず、広告と営業戦略で陳列がきまることが多い、と。市
場を評価し、発展させるコミュニティーを作ることは可能かもしれない。コミュニ
ティーは、営利主義の広告主導で必ずしも最上のサービスを提供できるわけではな
いはずだ……」
消費者が十分なサービスを受けていないというだけではありません。開発者もまた
不利益を被っています。実際、業界の資源の大部分を囲い込み、コンテンツを一定
の仕様にしむけようとする流通と営業の密な層があるのです。例えば現在、ディズ
ニー、ルーカス、バービーやシンプソンのようにライセンスされるブランドの力な
しには子供向けのソフトは売れないという業界の不文律があります。それではそう
したブランドに属さない開発者がやっていくことも、新たなキャラクターを開発す
ることもできない。教育用のソフトウェア産業が「成熟している」ということは、
利害規模がより大きくなり、影響力をもち続けていくには強力な後ろ盾が必要だと
いうことです。さらに、近頃の予算の大方は営業と流通にまわされるため、質のい
い製品を開発し、創造していくお金はそれだけ少なくなります。
「単一の市場が全てを決定するという考え方は古典経済学派の社会観の産物だ。し
かし、小規模のコミュニティーにおいては、大規模な市場よりも新しい型の価値と
交換が適当であるという可能性もある。」
おっしゃるとおりです。そして、全体論的な視点から、市場経済のみによらない交
換のしくみをみてみると、現実には狭義の経済的な意味での「実利主義」に基づく
需要と供給ではないあらゆる類の「経済」で人々が行動していることがわかりま
す。贈与に関わる経済がそのひとつですが、ほかにもあらゆる種類の「価値様式」
に基づいて人は日々行動しています。男女間の交渉、家族の「家庭」経済、専門職
のコミュニティーの地位経済、出版業界の引用経済、など、あらゆる種類の文化資
産は、つい最近になってから評価され始め、貨幣制度の支配下におさめられたもの
です。子供のソフトウェアに関して言えば、勿論、両親も子供もより「価値が高
い」ものを欲しがりますが、もっと気になるのは、よその子供が何で遊んでいるの
か、学校の履修科目と関係があるのはどれか、ということですし、十五分しか買物
の時間がないときウォルマートにたまたま並んでいるもので済ませてしまうという
こともあります。商品の選択は、そうした身の回りの状況に左右されてしまうのが
現状です。一方、開発に費やされた労力がそのまま製品の価格につながることはも
はやありません。価値も価格も、ものの交換を促すある種の集合的な社会制度が生
み出す結果で、投入された労働力や価値によって定められるものではないことのほ
うが多い。文化的な商品の価値は容易に還元できるものではなく、様々な要素が複
雑に絡み合っているのです。
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「中村隆夫氏によれば、官僚的な統治機構をもつNPOは職場としては退屈かもし
れない。オースティン・ヒルも、ISPが協同組合によって運営される体制では、
委員会は退屈な人の巣になり、決断は遅れるだろうと警告している。組織がヴィジ
ョンあるリーダーに導かれて迅速に取引し行動をおこせるような、活力と刺激にあ
ふれた統治モデルを考案しなければならない。」
この例はあるのでしょうか。これは統治モデルだけでなく、実際に関わる人たちの
人格の問題もあると思います。離れた場所から、何人でもプログラムにログインで
きるMUD(Multi-user Domain)などは、その縮図といえるかもしれません。
「政治的にはこのNPOは国家に似ている。そこには強い信念、政治、思考、知性
ある人々と、ヴィジョンが存在しなければならない。現在の広告と市場を極上とす
る消費者市場以外に興味のない人々は関わるべきではない」
おそらく、参加形態が異なるいくつかの層ができるでしょう。繰り返しますが、M
UDを見る限りでは、統括者、ウィザード、一般の参加者まで様々です。子育ての
支援組織、二文化間の交流を目的としたサイトなど身近な要求を満たしてくれる特
定のコミュニティーを通じてより広いコミュニティーに参加する人がほとんどじゃ
ないかと思います。より大きな枠組みや統治モデルはえてして一般のユーザーには
見えにくい不透明なこともあるかもしれませんが、参加を通じて組織は支持される
ことになります。当然、ウィザードは大儀を掲げ、コミュニティーがうまく機能す
るようにヴィジョンにそって仕事をしていかなければなりませんが、ユーザーにと
っては機能しさえすればいいのですから。そこをある特定のニーズを満たす最上の
場所とすることが第一です。大雑把な言い方をすれば、インターネットが全体とし
て機能するのは、様々な事柄について大勢の人間が大儀を掲げて活動しているけれ
ども、そうした活動家や彼らのミッションには無関心なユーザーもまた大勢存在す
るからなのです。ですから、文字通りの共同体モデルというよりも、ある種の中間
的なモデルを考えたほうがいいのかもしれません。
「寄付のほか、インフラと商品の直接購入で浮いたお金を資金源にすることもでき
る。組織基盤を所有するのはユーザーとなる。ネットイヤーの磯崎氏は主要なイン
ターネット企業のほとんどはユーザーが所有しているとおっしゃっていた。私の考
えでは、大きな違いは株主が安易に退出することがなく、ただ投票権があるだけだ
ということ。このため、投機目的の資本家は締め出され、歳入の成長からユーザー
の満足度に経営の中心が移るだろう」
ええ、市場競争ではなく、社会的な人気投票のようなものですね。下でおっしゃっ
ているように、政治経済的に雑多な立場が混在するということ。
「若く聡明な官僚と、説明責任の欠如に関する学会の論争に、私は耳を傾けてき
た。彼らの大勢が、社会変革のための具体的な政策は無視されるか実行されないか
のどちらかだと感じている。オプション価値のようなもののために仕事をすること
に慣れているからだ。的確に組織さえすれば、学会や政府の仕事に従事する人々の
コミュニティーから統治モデルを作ってゆく人材資源を確保することは可能かもし
れないと私は感じている。地球ネットワークの政策立案者がコミュニティーとネッ
トを活用して、経済的にも世界的な視点で見ても確実な技術研究と提案に行ったと
すれば、そうした提案は疑いもなく「正当な」ものとして、その政策との距離が、
従順な政治家の政治力につながる可能性もある。そうした団体は、「ヴィジョン」
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について世間的に高い評価と世界的な認知を得ることができる。これは、共同購入
と主要な資産の買収とあいまって、コミュニティーが国家的な規模に成長すること
につながるかもしれない」
いまの営業と流通システムは、ネットならば回避することのできる多くの物理的地
理的な制限を受けていた時代に形成されたものです。在庫の問題、書類の配布、店
頭のスペースの確保など。いまは、ネットが商業化されはじめたばかりでまともな
ネット上の流通システムが存在しませんが、私たちにとっては好機だと思います。
つまり、古いシステムはネット上でまだうまく再現されていないということ。そろ
そろ新しいモデルが必要になるでしょう。おっしゃるとおり、学界にはこういうこ
とを考えている輩が沢山います。社会的責任を考えるコンピュータ専門家が集まる
CPSRのように。

Translated by Yuki Watanabe

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