Shibuya Center gai
渋谷センター街

僕は、高校時代を日本で過ごした。その当時は渋谷に住んでいて、調布にあるアメリカンスクールに通っていたんだ。

僕は渋谷で育った。その当時は80年代初め、渋谷は東京のホットスポットだった。Van JacketやDomon、Junといったブランドや、「渋谷カジュアル」、いわゆる「渋カジ」は、多くの人の注目を集めていた。渋谷にはバーやクラブ、レストランや洋服店がいっぱいあって、ただストリートをぶらぶらするだけの場所がたくさんあった。

10代の頃、僕は自販機で酒を買ったり、ネズミを追いかけたり、ゲームセンターやクラブに行ったりして、長いこと「ストリート」で過ごした。当時、未成年かどうかはまったくどうでもよくて、ディスコには中学生くらいの子供がたくさんいた。アメリカンスクールの9年生のとき、僕は初めてナイトクラブへ行った。その頃はサントリー・ホワイトのボトルを自販機で買えたんだ。

夏の間、僕はファッションビルに出入りしていた。たまにお店の手伝いをして、仕事が終わると、いつもファッションデザイナーや店員や美容師と一緒に店を出た。そのとき、まさに日本のバブルの最中で、何もかもが終わりのない宴会のように見え、消費ブランドや過剰消費にあふれている感じだった。

その後、最初の大学を中退した僕はまた渋谷に戻ってきて、渋谷センター街の外れでアフターアワーのクラブを経営していた。僕はそこで、ハイパーデリック・ビデオや僕の「仲間」に出会ったんだ。そのときに出会った多くの仲間とは今でも一緒に仕事をしている。また、当時タワーレコードを経営していたKeithともそこで出会った。Keithの店には僕のクラブのチラシをよく貼らせてもらった。たぶん、彼にとって僕は、威勢のいいガキんちょみたいなものだったんじゃないかな。

僕の家族が最初に渋谷に引っ越してきたとき、僕たちは母の雇い主が家賃を出してくれた高級な家に住んでいた。でもその後、ラブホテルを改造したみすぼらしい二間のアパートに引っ越さなくちゃならなくなった。僕がコーネリアスの小山田圭吾と一番多く過ごしたのはそのときだった。彼は母親と一緒に、僕と同じアパートに住んでいた。

朝の7時に渋谷を歩いていると、徹夜して馬鹿騒ぎしていた東京時代の10代の頃の記憶がよみがえる。何枚か写真を撮って、Flickrにアップロードしておいた

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