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AI時代の仕事の未来 »

The library at the Minerva Priory, Rome, Italy. 訳:Hiroo Yamagata 最近、技術研究者、経済学者、ヨーロッパの哲学者や進学者たちとの会合に参加した。参加者は他に、アンドリュー・マカフィー、エリック・ブリニョルフソン、リード・ホフマン、サム・アルトマン、エリック・サロビル神父だ。ぼくにとってこの会合が特におもしろかったのは、会話に神学的(この場合キリスト教的)な視点があったことだった。話題の中に出てきたのが、人工知能と仕事の未来だった。 機械が人間にとってかわり、多くの人々を失業させるのではという問題は、何度も繰り返されてはいるけれど、未だに重要であり続けている。サム・アルトマンらは、生産性の激増は経済的な過剰を作り出して、失業者にはユニバーサルな「ベーシックインカム」を支払えるようになると論じた。ブリニョルフソンとマカフィーは「負の所得税」を提唱している――低所得労働者に課税ではなく補助金をあげて、仕事という実践が生み出す他の重要な影響を阻害することなく、金銭的な再分配を助けようというものだ。 負の所得税を支持する人々は、仕事の重要性が単にそこから得られる所得だけでなく、それが社会的にも心理的にも与えてくれる安定感なのだということを認識している。仕事は社会的な地位を得る方法だし、また目的意識も与えてくれる。職場は社交の機会でもあるし、多くの人々が生産的で幸せでいるための構造も提供してくれる。 するとAI などの技術がいつの日か生産性の過剰をもたらして、金銭的には働く必要がなくなったとしても、人は相変わらず社会的地位を獲得し、仕事から得ている意味ある目的を得るための方法を見つけなくてはならない。この社会では、働いているのに給与のない人もいる。その最大のグループは、在宅の男女で、家や子供の世話をするのが仕事だという人々だ。その労働は現在はGDPに計上されないし、そういう人々はあるべき社会的地位や価値も得られないことが多い。なんとか文化を変えて、お金を稼がない人にも尊厳と社会的地位を与えるような仕組みや制度を作り出せるだろうか?ある意味では学術界や宗教機関や非営利サービス組織がそうした構造をある程度は持っている。つまり、お金を主体とせずに動く社会的地位や尊厳が得られる。この価値構造をもっと広く拡張する方法はないものだろうか? そうしてクリエイティブなコミュニティはどうだろう?どうしてアマチュア作家やダンサーや歌い手が、金銭的な収益以外の形で成功を定義できるような組織原理を構築できないんだろうか?それでマスメディアによる流通と消費で支えられない少数のプロ以外にも、社会の中でクリエイティブな役割を開放できるんじゃないだろうか?「食うに困るアーティスト」という表現を、過去の風変わりな比喩表現にできないか?仕事の概念を、これまで一般に理解され受け入れられてきた生産性概念と切り離せないだろうか? 活動性とユーダイモニアの観点からすると「内面の仕事」というのがもっと有意義なものと捕らえられないものだろうか? ペリクレス時代のアテナイは、人々が活躍して生産的になるために働く必要がなかった道徳的社会の好例に思える*。自尊心と共有された社会的価値観が、金銭的な成功やいまのような仕事と関連していないような新しい時代を想像できるだろうか?エリック神父は「活動性というのはどういうことだろう?」と尋ねる。現代のユーダイモニアとは何だろう?わからない。でもそれがなんであれ、根本的な文化の変化を必要とするのはわかる。その変化はむずかしいけれど、不可能ではない。その第一歩としてふさわしいのは、技術や金融イノベーションと並行して、文化についての作業を始めることだ。それにより未来は何もすることがない無関心なガキどもの世界よりは、ペリクレス時代のアテナイと似たものになる。もしそれがペリクレス時代のアテナイを動かす道徳的価値と美徳だったとするなら、いまあるような形の仕事がなくなった世界に間に合うようにそれを開発するにはどうしたらいいだろうか? * ペリクレス時代のアテナイには奴隷がたくさんいた。将来の機械時代には、機械の権利について心配する必要があるだろうか?ロボット奴隷の新しい階級を作り出すことになるだろうか?...

フィンテック・バブル »

Photo by Martin Thomas via Flickr - CC-BY 訳:Shin'ichiro Matsuo 2015年のブログポストで、ビットコインがいろんな点でインターネットに似ていると思っている話を書いた。そこで使ったメタファーは、ビットコインは電子メール――最初のキラーアプリ――みたいなものであり、ビットコインに使われているブロックチェーンはインターネットのようなものだ――つまり電子メールをサポートするために普及したけれど、その他の実に多くの目的にも使えるインフラ――というものだった。ぼくは、インターネットがメディアや広告に対して果たしてきたものと同じ役割を、The Blockchain(訳注:ビットコインのブロックチェーン)が金融や法律に果たすのではないかと示唆した。 今でもぼくはこれが正しいと思っているけれども、産業界は舞い上がりすぎている。10億ドル以上のお金がビットコインとフィンテックのスタートアップにすでに投資されていて、これは1996年におけるインターネットへの投資額に追いつき追い越す勢いだ。現在のフィンテックビジネスの多くは、当時のスタートアップに似ていて、当時のpets.com(訳注:当時大失敗したドットコム企業)が、XXXのためのブロックチェーンになっただけだ。今のブロックチェーンは1996年のインターネットほどは成熟していないと思う――たぶん1990年か80年代末というところだろう――まだIPプロトコルについての合意もなく、CiscoもPSINetもなかった時代だ。多くのアプリケーションレイヤの企業が、安定性やスケーラビリティから見て準備ができていないインフラの上に構築されているし、その発想もダメなものか、良いアイデアにしても早すぎるかのどちらかだ。また、これらのシステムの設計に必要となる、暗号学、セキュリティ、金融、コンピュータ科学の組み合わせを本当に理解している人はとても少ない。理解している人々は、非常に小さなコミュニティの一部でしかなく、この未成熟なインフラの上に建てつつある10億ドルの大建築を支えられるほどたくさんはいない。最後に、インターネット上のコンテンツと違い、ブロックチェーン上で行き交う資産や、多くの要素の不可逆性のため、ブロックチェーン技術に、WebアプリやWebサービスでやっているのと同じレベルのソフトウエアのアジャイル開発――やってみて、成功したものだけ採用――は適用できない。 これらの基盤的なレイヤに取り組んでいるスタートアップや学者はいるけれど、まだまだ足りない。すでにちょっとバブルになりつつあるんじゃないかと思うし、そのバブルは弾けたり修正が入ったりするかもしれない。それでも長期的には、インフラをどうすべきか理解して、願わくは非中央集権的でオープンな何かを作れると思いたい。バブルが弾ければ、最初のドットコムバブルの崩壊でインターネットに起きたような、システムからのノイズ除去が起きて、みんな意識を集中できるようになるかもしれない。一方で、ダメなアーキテクチャしかできずに、多くのフィンテックアプリは既存のものをちょっと効率的にするくらいのもので終わることもあり得る。ぼくたちは、皆が本当に非中央集権的なシステムを信頼するか、無責任な導入が人々を遠ざけてしまうかを決めるような決定を下すべき重要な時期にいる。コミュニティとしてコラボレーションを増やし、イノベーションと研究開発をスローダウンさせることなく、たんねんにバグと悪いデザインを取り除く必要があるだろう。 アプリケーションを作るより、インフラを構築する必要がある。あるバージョンのビットコインが「インターネット」になるのか、Ethereumのような他のプロジェクトが単一標準になるのかはわからない。もしかしたら、いろいろちがったシステムが、何か互換運用性を持つ形になる可能性もある。最悪の事態は、アプリケーションばかりに気をとられてインフラを無視してしまい、真に非中央集権的なシステムの構築機会を見逃し、有線のインターネットよりモバイルインターネットに似たシステムにおちついてしまうことだ――有線のインターネットはおおむね定額制だしそんなに高価ではないのに対し、モバイルインターネットは独占企業にコントロールされて従量課金とありえないほど高額なローミング料金の世界だ。 インフラとしてデザインとテストが必要な部分はたくさんある。合意アルゴリズム――個別のブロックチェーンが公開台帳を改ざんできないようにしてセキュアにする方法――についてはいろいろなアイデアがある。また、ブロックチェーン本体をどの程度スクリプト記述可能にするか、それともその上のレイヤで実装すべきかについての議論もある――どっちの主張にも一理ある。また、「プライバシと匿名性」対「アイデンティティと規制」をめぐる問題もある。 Bitcoin Coreデベロッパチームは、Segregated Witnessについて実績をあげつつあるようで、これはみんなのスケーラビリティに関する懸念の一部など多くの懸念を解決できるはずだ。一方で、歴史が浅いがパワフルで、もっと使いやすいスクリプティングやプログラミングの仕組みを持つEthereumは、ブロックチェーン上で新しい用途を設計しようとする人々からかなりの勢いと関心を集めている。他にHyperledgerなどのプロジェクトは、独自のブロックチェーンシステムとブロックチェーンにとらわれないコードをデザインしている。 インターネットは、オープンな標準に基づく明確なレイヤを持っていたからこそうまく行った。実際、TCP/IPがATM(訳注:Asynchronous Transfer Mode 非同期転送モード)――標準としての対抗馬――に勝てた理由は、ネットワークのコアが非常にシンプルで「バカ」だったエンド・ツー・エンド原則のおかげで、ネットワークの末端が非常にイノベーティブになれたからだ。この二つの標準がしばらくしのぎを削ったあげくに、TCP/IPが明白な勝者だと判明した。ATMを核とした技術への投資の多くは無駄になった。ブロックチェーンでの問題は、そもそもレイヤがどこにあるかすらわからないし、標準への合意のプロセスをどう仕切るべきかさえわかっていないということだ。 (Ethereum) Decentralized Autonomous Organizationプロジェクト、「The DAO」は、現在ぼくが見ている中でも心配しているプロジェクトだ。発想としては、Ethereum上に、コードとして書かれた「エンティティ」を作るというものだ。そのエンティティは会社の株に似たユニットを売り、投資したりお金を使ったりもできて、ファンドや会社とまったく同じように活動できる。投資家はそのコードを見て、そのエンティティが納得できるものかを判断して、トークンを買ってその投資の収益を期待する。なんだかSF小説みたいで、90年代前半のサイファーパンクだったぼくたちは、メーリングリストやハッカー集会で途方もないことを夢見ようとしていた頃に、みんなこの手の妄想は抱いたものだ。問題は、The DAO*がすでに1.5億ドルを投資家から集めていて、「リアル」なのに、それがビットコインほど検証されていないEthereumの上に構築されていることだ。そしていまだに合意プロトコルも固まっておらず、次期バージョンではまったく新しい合意アルゴリズムへの切り替えすら考えているという。 どうやらThe DAOはまだ法的に完全に記述されておらず、投資家たちにパートナーシップ上のパートナーとして損害賠償責任を負わせかねない。英語を使って弁護士たちが書いた契約とはちがい、DAOのコードでヘマをしたら、どこまで簡単にそれを変えられるかははっきりしない。契約書の言葉上のミスなら、裁判所がその意図を見極めようとすることで対応できるけれど、分散した合意ルールにより強制されるコードには、そんな仕組みが存在しない。また、コード自体が悪意を持ったコードで攻撃されかねないし、バグが脆弱性を引きおこす可能性もある。最近、 Dino Mark, Vlad Zamfir, Emin Gün Sirer――中核開発者と研究者たち――が、「The DAOに一時的なモラトリアムを」 (A Call for a Temporary Moratorium on The DAO) という、The DAOの脆弱性を指摘した論文を公開した。それにThe DAOは多分、この時点ではまだあれこれ口を出してほしくない様々な規制当局の人に対し、危険信号を発してしまうんじゃないだろうか。The DAOはEthereumにおけるMt. Gox――つまり、プロジェクトの失敗が多くの人に損をさせ、一般の人や規制当局がブロックチェーンの発展に急ブレーキをかけるきっかけ――になりかねない。 ぼくがこんな冷や水を浴びせたところで、この分野のスタートアップと投資家は猪突猛進を続けるのはまちがいないだろう。でもぼくは、できるだけ多くの人が専念すべきなのはインフラであり、構築しようとしているスタックのいちばん低いレイヤに存在する機会だと思っている。合意プロトコルをきちんと構築し、物事を非中央集権的なかたちにとどめ、過剰な規制を避けつつプライバシ問題を扱い、お金と会計を根底から再発明する方法を見つること――これこそがぼくにとってはエキサイティングで大事のことだ。 企業が研究を始め、実用的なアプリケーションを見つけるべきエキサイティングな分野はいくつかあると思う――発展途上国のソーラーパネルなど市場の失敗に直面している分野の証券化や、貿易金融など信頼の欠如がとても非効率的な市場を作り出すために標準化された仕組みが存在するような部分のアプリケーションなどだ。 中央銀行や政府も、すでにイノベーションを探し始めている。シンガポール政府はブロックチェーン上での国債発行を考えている。幾つかの論文では、中央銀行が個人の預金を直接受け入れて、デジタルキャッシュを発行する可能性が検討されている。一部の規制当局も、人々がイノベーションとアイデアのテストを規制上の安全領域で行えるようなSand Boxの構築を計画しはじめた。もともとのビットコインのデザインが政府を避けよう、というところから始まっているのに、面白いイノベーションの一部は政府の実験から登場するという皮肉な可能性もあり得る。そうは言っても、政府は、堅牢な非中央集権的アーキテクチャの開発を助けるよりも、その邪魔をする可能性の方が高いだろうけれど。 * このポストのわずか3日後に、The DAOはぼくが恐れていた通りに「攻撃」された。ここに、攻撃者を名乗る人物からの興味深いポストがある。Reddit上ではすぐに、このポストにつけられた電子署名は無効であると判断された。そして、その自称攻撃者からの別のポストでは、彼らは(Ethereumの)マイナーたちに、フォーク(訳注:攻撃によって得た利益を無効にするEthereumのブロックチェーンの変更)に賛同しないように賄賂を送ろうとしている。これが本当の攻撃者なのか、あるいは壮大な釣りなのかはわからないが、非常に興味を惹く主張だ。...

簿記と会計の再発明 (確実性を求めて) »

会計は金融、ビジネスの根底にあり、軍隊を作ったり都市を建設したり、大規模なリソース管理したりといった活動を可能にする。実際、会計こそまさに世界が価値あるもののほとんどを追跡管理する手法だ。 会計はお金より昔からあり、もともと古代コミュニティが限られたリソースの追跡と管理に使っていた。7,000年以上も前のメソポタミアに会計記録があって、物々交換を記録している。時代とともに、会計は取引の言語となり、情報インフラとなった。会計と監査は、エジプトやローマのような大帝国の建設も可能にした。 会計が拡大するにつれて、羊だの穀物の山だの材木の束だのを数えるだけでなく、リソースの計算と管理にあたって、その交換価値を使いお金という抽象的な単位に基づいて計算するほうが、筋が通るようになった。交換だけでなく、お金は支払い義務の記録や管理も可能にした。だから初期の簿記は、個人同士の約束や取引を記録しただけだったけれど(アリスはボブに某月某日に羊を貸しました)、お金はアカウントの管理を大幅に簡略化し、市場、企業、政府のスケーリングを可能にすることで、新しい会計の世界を切り拓いたのだった。でも、何世紀も経るうちに、かつては強力だったこの簡略化が、驚くような欠点をもたらすことになった----そしてこの欠点は、現代のデジタル接続世界で拍車がかかっている。 ### 価値を定義する 今日の企業は、ERPシステム(企業リソース計画システム)を使って、各種のモノや契約や従業員を追跡する。でも会計システム----そしてそれを要求する法律----は、とにかくあらゆるものを金銭価値に変換するように要求し、それを[700年前の複式簿記手法](https://en.wikipedia.org/wiki/Double-entry_bookkeeping_system) ([日本語版](https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A4%87%E5%BC%8F%E7%B0%BF%E8%A8%98))に基づく簿記システムに入力させる。これは13世紀のフィレンツェ商人たちが使ったのとまったく同じ方式で、「会計学の父」ルカ・パチョーリが1494年の著書 *Summa de Arithmetica, Geometria, Proportioni et Proportionalità* (算術・幾何・比及び比例全書) で説明したものでもある。 たとえば、明日雨が降ったら100万ドルもらう契約を結んで、それを帳簿につけるとする。この場合、明日雨が降る確率を推測する----まあ50パーセントとでもしようか----そしてこの資産の価額を、50万ドルとかで評価する。この契約は、実際には50万ドルを支払ったりすることは絶対にない。最終的には、それは価値ゼロ(雨が降らない)か、100万ドルか(雨が降る)のどっちかだ。でもこの契約をどうしても今日売ることになったら、たぶん50万ドルに近い金額で売るだろう。だから課税と管理のために、この契約の価値を50万ドルで「評価」することになる。一方、買い手がいなくてこれを売れない場合、規制当局はこれを価値ゼロと評価することもある。でも、明日雨が降れば、それがいきなり100万ドルの評価額となってしまう。 基本的に、企業の会計は各種帳簿のセルの総和で、そのセルには何らかの通貨----円、ドル、ユーロ等----をもとにした何らかの数値が入っている。そしてその数字が足し上げられ、まとめられ、それがバランスシート(貸借対照表)とPL(損益計算書)に入り、それが経営陣や投資家に対してその企業の健全性を示す。また利潤の計算と、政府に支払うべき税額の計算にも使われる。このバランスシートは資産と負債の一覧だ。資産側を見ると、印刷機や各種ソフトのコード、知的財産、他人への貸し(その人たちがきちんと払ってくれるかどうかは神のみぞ知る)、各国通貨建ての現金、商品の将来価値だの別の会社の価値だのに関する精一杯の推測なあど、価値があるとされる報告対象が、一覧になっている。 監査人、投資家、取引相手としては、いろいろ突っ込みを入れて、その企業がどんな想定をしているのか、その想定が計上時点でまちがっていたらどうなるか、あるいは将来のどこかで想定がずれてきたらどうなるかを調べたいこともある。また他の会社を買ったら、自分の支払い義務や賭けが、買おうとしている会社の支払い義務や賭けとどういう具合に相互作用するかを理解したいだろう。あれやこれやの想定の「根っこにたどりつく」ためには、監査人に何百万ドルも支払うはめになるかもしれない。その方法は、各種の法的契約を手で調べ、あらゆるスプレッドシートのあらゆるセルに入っている想定を見直すというこのだ。というのも標準的な会計は、とても「ロスの多い」やり方で、複雑で文脈に依存する関数を還元し、あらゆる段階ごとに静的な数字に変えてしまうからだ。その根底にある情報はどこかにはある。でもそれを掘り出すには、手作業が大量にかかる。 現代の複雑な金融システムは、投資家や当の企業が、まちがった想定をやったのを推測する方法を考案した企業だらけだ。こうした企業は、不正確な値づけをされた企業の逆張りをしたり、情報ギャップを利用して、それを自分たちの金銭的な儲けに変える。こうしたまちがいがシステムの至るところで繰り返されると、それは変動の増幅を引き起こし、市場が上がるときだけでなく下がる時にも、そうした変動をうまく予想できれば企業が儲けられるようになる。実際、このシステムがすべて崩壊しなければ、賢いトレーダーたちは安定性よりは変動で大儲けするわけだ。 ネズミ駆除業者たちは、ネズミが完全に根絶されるのをありがたいとは思わない。そうなったら自分たちが失業してしまうからだ。それと同じで、「システムをもっと効率的にして無駄をなくす」ことで儲けている金融機関は、本当は無駄のない安定したシステムなんか求めていない。 いまの金融システムの技術は、紙とペンしかなかった時代に設計された、お金と価値に関する考え方に基づいている。その時代には、システムを機能的に効率の高いものとするためには、依存関係や約束の網の目が持つ複雑性を還元するしか方法がなかった。複雑製を還元する方法は、共通の値づけ手法を使い、要素を分類して、それを足し上げることだ。これは700年前の材料をもとにしたもので、システムを「改善」というのもパターンや情報についての高度な分析をしつつ、その根っこにあるロスの多い、単純化しすぎた世界観という問題には手をつけようとしない。その世界観では、「価値」あるものはすべて、即座に数字として計上されるべきだとされる。 「価値」の標準的な発想は、還元主義的な世界の見方だ。これは、多くの人々にとってだいたい同じ価値を持つ、商品取引のスケーリングには有益な見方だ。でも実は、ほとんどのものは人と場合によって、価値が大きく変動する。ぼくとしては、価値あるものの多く----いやほとんど----はスプレッドシートの数字には還元できないし、また還元すべきでもないと言いたい。金融的な「価値」はとても限られた意味を持つ。家は、人がそこに住めるし、役に立つので、明らかに「価値」を持つ。でも、だれもその家を買いたがらず、市場に出ている似たような家をだれも買っていないなら、それに値段をつけられない。流動性がなうその「公正な市場価値」を決めるのは不可能だ。一部の契約や金融商品は譲渡禁止で、「公正な市場価値」など持たず、**今すぐ**お金 (またはリンゴ)が必要になったときにはまったく無価値かもしれない。混乱の一部は、法的・数学的な考え方を日常言語で説明するのがむずかしいせいもあるし、また文脈とタイミングの果たす役割もある。 その一例が為替レートだ。妻は日本からボストンに引っ越してもう数年たつけれど、いまでも値段を円に換算して考える。ときどき、円の価値が下落したせいで何かがずいぶん値上がりした、と述べる。我が家の収入も支出もほとんどがドル建てだから、もう円建ての「価値」は関係ないんだよ、というのをぼくはしょっちゅう忠告するはめになる。もちろんそれは、日本にいる義理の母にとっては関係なくはないけれど。 人々は、物事には「値段」があってその「値段」は「価値」と同じだという発想に慣れてしまった。でもぼくたちの会話についてどう感じたかをあなたがメールで送ってくれたら、それはある時点ではぼくにとって価値があるだろうけれど、おそらく他の人には無価値だ。リンゴ1つは、リンゴの果樹園の持ち主よりはお腹の空いた人にとってずっと大きな価値を持つ。すべては文脈次第だ。 "Can't Buy Me Love" - The Beatles 消費者たちが金融判断をするとき、幸福の一種の代理指標として「効用」を最大化するという経済学的な発想も、普遍的な「価値」の仕組みがその複雑性を単純化しすぎる例だ----それがあまりにひどいので、人間が市場で「経済的に合理的な」アクターだと想定するモデルはまるで機能しない。このモデルのいちばん単純なバージョンでは、持っているお金が多ければ多いほど幸せになるはずだ。ダニエル・カーネマンとアンガス・ディートンによれば、これは年収7,500ドルくらいまでしか当てはまらないそうだ[1]。 今日では、現在のシステムが回避するように設計された多くの複雑性を維持し、扱えるような会計システムを構築するだけの技術と計算力がある。たとえば、帳簿に計上されるのがすべて数字でなくてもいいはずだ。それぞれのセルは、それが表す支払い義務や依存関係のアルゴリズム的な表現であってもいい。実際、機械学習を使えば、アカウントは周辺の状況が変わるにつれて起こることに関する、高度な確率モデルにもできるはずだ。するとあらゆるシステムの「価値」は、だれが尋ねているのか、その居場所、時間パラメータ次第で変わることになる。 いまだと銀行規制当局がストレステストを実施するとき、銀行に対して債券市場の変化や一部のものの価格変動といった、シナリオを渡す。すると銀行は、そのシナリオで破綻するか、支払い能力が維持できるかについて報告を出すことになっている。アカウントをあれこれ調べてシミュレーションをするので、これはずいぶん人手がかかる。でももしアカウントがすべてアルゴリズム的になっていたらどうだろう。即座にプログラムを走らせて、この問題への答が得られる。もっと重要な問題、つまり「この銀行を本当に破綻させるには、どんな市場の変化群が必要だろうか、そしてその理由は?」というものに答えられる学習モデルがあったらどうだろう。ぼくたちが本当に知りたいのはそういうことだ。これを1つの銀行についてだけでなく、銀行システムすべて、投資家も含め、相互作用するすべてについて知りたい。 どこかの会社から何かを買うとき----たとえば [あなたの会社AIGからクレジット・デフォルト・スワップ](http://www.reuters.com/article/us-how-aig-fell-apart-idUSMAR85972720080918)を買うなら----知りたいのは、その支払い義務額を支払う期日がやってきたとき、ぼくが逆張りしていたAA格の住宅ローン債券がデフォルトしたとして、あなたの会社がちゃんと支払えるか、ということだ。現時点では、これを調べるのは容易なことではない。でも、もしすべての支払い義務や契約が、紙に書かれて数字として記録される代わりに、実際に計算できて「目に見える」ものだったらどうだろう?あなたがぼくに支払わなければならないこのシナリオの場合、実はあなたは似たような契約をあまりに多くの人を相手にかわしているので、破産して支払い能力なんかなくなることがわかる。現時点では、当の銀行自身ですら内部監査人が事前に探ろうと思わない限り、これが自分でわかっていないのだ。 ### 会計の根本を考え直す ゼロ知識証明やセキュアマルチパーティ計算といった最新の暗号学を使えば、事業や個人のプライバシーを犠牲にしなくてもこうしたアカウントを公開しておける。巨大なアカウントの集合で、あらゆる契約をセルにしておいて、だれかが何かを尋ねたらそれを全部計算しなおすというのは、今日の計算能力さえ超えてしまうかもしれない。でも機械学習とモデル構築で、変動のすさまじい増幅は、安定化はできなくても、それを抑えることはできるかもしれない。こうしたバブルとその崩壊が今日起きるのは、ぼくたちがシステム全体を単純化しすぎた砂上の楼閣の上に構築しているからで、しかもそれを扱う人々は、後で利用して私腹を肥やすために非効率性を導入するため、不安定で不透明にしておくインセンティブがある。 現在のビットコインや分散帳簿に関する興奮は、その柔軟性を再プログラミング可能な性質の活用につながる大きな機会を作り出していると思う。これにより、会計の根本的な仕組みを見直せる。ぼくは、銀行向けアプリだの、[金融](https://en.wikipedia.org/wiki/Finance)の新しい考え方だのよりは、おこっちのほうにずっと興味がある。銀行や金融向けの応用は、いくつかの症状に対処はしても、13世紀フィレンツェ商人たちが使っていたのとまったく同じ、[700年前の複式簿記手法](https://en.wikipedia.org/wiki/Double-entry_bookkeeping_system)の上に構築した、とんでもなく複雑で古くさい仕組みという根本原因の一つを解消する試みはまったく行わないからだ。虚数を使うべきところで整数しか使っていないような感じだ。会計の再発明は、アルゴリズムのちょっとしたテコ入れ(過去数百年にぼくたちがやってきたのはそれだと思う)なんかではなく、新しい数論の発見のようであるべきだと思うのだ。 -- [1]Daniel Kahneman and Angus Deaton. "High Income Improves Evaluation of Life But Not Emotional Well-Being". Proceedings of the National Academy of Sciences. (2010) -- *[Originally posted on PubPub.ito.com. Please read and post comments there.](http://pubpub.ito.com/pub/jp-reinventing-bookkeeping-and-accounting)*...

日本とそのGDPについて »

僕自身を含めた日本人は「日本のGDPは世界第2位」という文言を掲げることで、この国への興味をすっかり失ってしまっている世界に対して日本をアピールしたがる傾向にあるみたいだ。このことについて親しい友人であるマネックス証券 代表取締役社長CEOの松本大氏と話をした。ますます薄れつつある日本の存在意義について彼が慶応大学で行った講演の話を聞かせてくれた。以下のスライドは彼に見せてもらったもので、本人の許可を得てここに転載している。 上の1枚目のスライドは2004年度の世界各国のGDP、および2050年度の予測GDPを表したものだ。左端の米国は2004年には38.3%であり、2050年には減少してはいるものの20.3%と高い値を維持している。ところが日本は2004年の15.4%に対し2050年にはわずか4%にまで下がってしまっている。それでもイタリアの2倍ではあるが、我々が不動のものと考えがちな大国の印象とはかけ離れている。黄色で示されている国々の中では、1位が中国、2位がインドとなっている。この予測上、両国が大きな成長市場であることは明らかだ。 これを聞いて、そうは言うけれど2050年じゃだいぶ先の話だ、と反論する人がいるかもしれない。 2枚目の画像は1980年から2006年までの日本のGDPを表したものだ。かつて18%を誇った我が国のGDPは、2006年には9.1%という控えめな数値に下がっているのがわかる。さらに右側の注釈によれば、国民1人当たりのGDPはかつて世界第1位であったが、18位まで下がってしまっていることがわかる。 これでは正直、世界の目を日本に向けさせるのに我々が四苦八苦するのは不思議じゃない。老齢化する人口と、競争力不足の経済を抱えている以上、相応の身の振り方もあるには違いないが、事実に目を背けて日本の素晴らしさを声高に自慢しているだけじゃダメだろうと僕は思う。...
Whiplash by Joi Ito and Jeff Howe
Freesouls by Joi Ito

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