2003年11月 Archives

最近、米国の対外政策が議題に上るようなコンファレンスにいくつか出ていて、あらためて衝撃を受けたんだけど、外国人がアメリカの政策に外から影響を与えるのは、ほとんど不可能に近いんだよね。国連にしてもそうだし、意見の違うよその国は原則的に無視するという姿勢になってしまっているようだ。

つまりこういうことだ。アメリカは、世界の警察官になって、悪者に爆弾を落として民主化する。で、アメリカはますます豊かでパワフルな国になるので、誰もアメリカを嫌ったりしなくなり、戦争が起きることもなくなる。アメリカはすべてを統べ、すべてをアメリカ文化につなぎとめる、と(※)。

このシナリオだとアメリカは、なんていうか、“超”管理人みたいな国なわけだけど、その為政者に対する投票権をもっているのはアメリカ国民だけなんだよね? アメリカ人だけに権利がある。それってつまり、どういうことよ?

自分たち以外の世界を疎外して、アメリカ国民は世界市民の中でも管理職クラスなんだと気負うなら、この辺で他国や他の文化に対する態度をビシッとあらためることを真剣に考えなきゃいけないだろう。僕らは統合された世界に生きている。経済的にも、文化的にも、ましてや軍事的にも、孤立して生きていくことはできない。

僕は(今のところは)アメリカの選挙権をよこせと言ってるんじゃない。ただ、そろそろ“ご近所とうまくやってく”ことの大切さってやつをアメリカが認識しないとヤバいんじゃないかと思う。人とうまく付き合うには、相手を理解すること、話をすることが唯一の方法だ。悲しいことに人間って、自分たちとは異なる文化や、知らない人のことは自然に気にかけなくなるものだけど、もうそれではいけないんだと思う。

今やアメリカは「世界で一番憎まれている国」に向かって、転落の一途をたどっている。自分たち以外の国や文化、人の話を聞き、敬意を払い、理解しさえすれば、世界で一番愛される国になることもまだ不可能ではないというのに。

僕が言いたいのはつまり、すべての人を内包し、異なる価値観を許容する、ある種のグローバルな民主主義が必要だということだ。ちょっと問題を単純化しすぎちゃったかもしれないけど、ここ2、3日静かにしてたんで、ちょっと饒舌な気分なんですよ。 ;-)

※訳注:『指輪物語』の「ひとつの指輪はすべてを統べ……」のパロですな。

「オフレコで」という約束で記者に話をしたことを掲載されてしまった、という人と最近話をした。僕にもそういうことがある。信頼できるジャーナリスト/記者と、自分の知見を共有できるような方法があれば面白いのにな、と思う。ダン・ギルモアの本にヒントがあったんだけど、国防総省では、ウェブサイトにインタビューのテープ起こし全文を掲載して、どういう文脈でなされた発言なのかがわかるようにしているという。僕たちのウェブログからも、記事だけではなく全文に対するリンクも張れるようになるということなんだろう。こういうシステムがあれば、記者たちももっと正直になるし、正直なジャーナリストがもっと評価されるようになるんだろう、というのが僕の希望的観測だ。個人的にそういう主旨のWikiページを作ってみた。でもこの先の状況次第で、もっとしっかりした構造のものにアップグレードしていかなきゃいけないだろう。あと、ジャーナリストへのポジティブな評価もちゃんと追跡記録できるようにしないといけないね。

カナダとシリア、両方の市民権をもつマヘル・アラーさんという男性が、ニューヨークのJFK空港で乗り継ぎの際に逮捕され、米国政府によってシリアに強制送還された。彼がどういう基準で「テロリストとして疑わしい人物」と判断されたのかは定かではないが、シリアで1年近くも投獄されることになり、延々と拷問を受けたあげく、ようやくカナダに戻れることになった。
日本人にくらべればシリア人の方が明らかにその手の“リスト”に載ってしまう確率は高いんだろうけど、これってほんとに怖いことだよね。米国政府の発表によれば、シリアで投獄中の別のテロ容疑者と交友関係があったということなんだけど、アラーさん自身はその男のことはほとんど知らないという。

この事件は、僕たちにとってどういう意味があるんだろう? 「この人はテロ容疑者ではない」とハッキリするまでは、誰に会っても仲良くしちゃいけないってことだろうか。それってつまり、その人の知り合いにもテロ容疑者がいないことを確かめなきゃいけないってこと? 「知り合いの知り合いをたどっていけば、6ステップ以内で世界中のすべての人間にたどりつく」というSix Digrees理論が正しければ、僕らはみんな、ある意味テロリストの容疑者ってことになる。

FriendsterやLinkedInみたいな知らない人どうしをつなぐサービスを使うときは充分気をつけた方がよさそうだ。もちろんメールも。コミュニケーションの内容だけじゃなく、誰と接触しているのかという情報(sigingまたはsignals intelligence)についても、プライバシーが守られていることにすごく慎重になる必要がある。

いや、これは冗談抜きで、よく知らない人と会ったり、電話で話したり、メールやその他の手段で「接触する」だけで、テロ容疑者のリストに載ってしまうようなとんでもない結果になることもあり得るってことだ。

マヘル・アラーさんの事件については、カナダに戻ってからメディアに対して発言したときの発言全文を読むことができる。

今月ちょっと忙しすぎたせいだと思うんだけど、僕のメールボックスが完全に溢れてしまいました。メールをくれた人にはなんとか返事をしようと頑張ってるんだけど、なかなか追いつかなくて、フォローできなかった件がけっこうあると思います。もし、メールを送ったのにまだ返事が来ないという人がいたら、僕の公開To Doリストに追加するか、もう1回送ってくれませんか? 失礼なお願いだとはわかってるんですが、返事をしないのはもっと失礼ですからね。頂いたメールには全部ちゃんと返事をするように気をつけているので、もし無視されたと思った人がいたら、故意ではないんです。ごめんなさい。

明日選挙に行こう勢!今日瑞佳と一緒に明日選挙に行こう勢!チームと銀座の街頭でビラを配って少しスピーチをしました。田中康夫知事、三枝成彰、眞木準、河口洋一郎など来てました。

住基ネットの反対活動の時よりは皆さんビラを受け取っていただいたので少し楽でした。

瑞佳と一緒にビラを配ってる11.3MB Quicktime Movieです。

Junjiro Hara
BLOGを始めたわけ

私は一新聞記者です。しかも定年まであとわずかの。
伊藤穣一君に勧められてBLOGを開設したのはもうだいぶ前になりますが、使い方も分からず、放置していました。
しかし、定年まで残すところ1年を切り、そろそろ準備体操を始めないと、間に合わなくなる、と考え、一大決心をして、BLOGを試みることにしました。
決心といってもそんな大それたことではありません。定年になれば、新聞には書けなくなります。しかし、年をとったからといって、書きたいことが減るわけではありません。
既存メディアは依然大きな影響力を持ち続けています。情報をある意味で押し売りしているからです。押し売りする材料はメディアが決めます。その枠にはまらない情報はくずかごに直行し、世間の目に触れることはありません。
年をとるにつれ、書きたい記事は既存メディアの枠からはみ出すことがなぜか、多くなります。既存メディアのしがらみが疎ましくさえなります。
BLOGなら老年記者のわがままを通してくれるのではないか、と考え、老骨と老眼にむち打ってBLOGを始めた理由(わけ)です。
足腰は弱くなりましたが、原稿を書く早さだけはまだ健在です。
junhara

ブロッグの世界へようこそ。一緒に日本を変えましょう!

唐津くんちを見に行ってきました。ご飯もすごくおいしくて、幻の魚と言われてる「くえ」を食べることができました(食事の写真)。食事してた料亭のそばを山車が14台も通っていったんで、その映像もアップしてあります(2MBのmovファイル)。

The Associated Press
U.S. Unveils ID System

WASHINGTON (AP) -- The public got its first look Tuesday at fingerprinting and photo equipment that will be installed at 115 airports and 14 seaports to check identities of millions of foreign visitors.

The equipment, which goes into use Jan. 5, will allow inspectors to check identities of visitors against those on terrorist watch lists.
[...]
The system consists of a small box that digitally scans fingerprints and a spherical computer camera that snaps pictures. It will be used for the estimated 24 million foreigners traveling on tourist, business and student visas who enter through an airport or seaport.

記事の抄訳:ワシントン(AP)──火曜日、米国内の115の空港と14の港に設置が計画されている外国人の身元確認用の指紋および写真登録装置が初めて一般公開されました。来年1月からの運用が決まっており、検査官が警戒を要するテロリストのリストと照会するために使われます。この装置は指紋をデジタルデータとしてスキャンする小さな箱と球形のデジタルカメラで構成されています。この装置の使用対象となる外国人は2400万人にも及ぶと見込まれています。

こんなデータを集めていったい何に使うんだろ? 他国の政府と「共有」したりするんだろうか。こんなものがアメリカ中に設置されたら、入国の際に嫌がらせを受けるだけじゃなく、もののはずみで何かの「リスト」に載せられてしまうリスクも増大するだろうな。

ダライ=ラマの来日支援団体のボードメンバーをやっていたりするおかげで、今日は夕食会でダライラマのスピーチを聴くことができた。これで彼のスピーチを聴くのは2回目だ。1度目の時は来日が困難だった分、すごく印象に残っている。今回の来日は、前回に比べればかなり支援者が増えたおかげでだいぶ楽になった。夕食会に参加していたゲストも、日本の政界、財界、学界、宗教界、それに芸能界と、多岐にわたる分野の面白い人がたくさんいた。スピーチは前回に劣らず、茶目っ気とインスピレーションに溢れるすばらしい内容だった。

今回の来日で、彼は伊勢神宮を訪問するつもりらしい。単なる訪問ではなく、正式に参拝する予定だということだ。スピーチの中で彼は、「人間の価値」や「宗教間の調和」そして「感情の通った宗教的な人間関係」について説いていた。神道の聖地を表敬訪問するというのも、彼の言う「宗教間の調和」を推進するためのものなのだろう。印象的だったのは、「Global Responsibility」──地球市民としての責任感をもつことの大切さを強調しながら「私たちはみな肉体的にも精神的にも同じ人間なんだということに気づかなければいけない」と彼が述べたくだりだ。その後すぐに「いやいや、たしかに肉体的にはちょっとばかり違うようですが」と続けながらも、人や民族、宗教観の「違い」にばかり注目しがちだけど、実はほんの少ししかない相違点さえ除けば同じ人間として共通している点が莫大にあるんだってこと、その事実を理解することがどんなに大切かということを繰り返し強調していた。

スピーチの最後に、質疑応答のコーナーがあった。日本人の若い男性が、自分がいかに世界を変えようと日々奮闘しているか、宗教と科学および東洋と西洋の調和に日本は重要な役割を果たすべきだというようなことを滔々と述べた後で、彼が参加している社会運動を推進するために、ダライ・ラマの日本における転生をテーマに映画を作ってもよいかという質問をした。
ダライ・ラマは静かに笑って、魂が不滅である限り、自分は世界の人類の救済に献身を続ける誓いを立てたのだと言った。もし何らかの理由でチベットの民にとってダライ・ラマが必要でなくなる日が来れば、転生して日本でふさわしい両親を見つけることもあるかもしれない、人類の救済のための仕事を続けるために日本に生まれ変わる可能性もあるとだけ答えた。

ダライ・ラマが会場を去る時間が来た。裏口に案内しようとしていたのに、意に反して群衆の中を通って帰っていったのには、セキュリティーチームもホテル側も閉口していたみたいだ。集まった人たちに握手を求められると、一人ひとりの手を心を込めて握り替えしていた。今までに政治家が握手に応えるのを見たことは何度もあるけど、あんなに心のこもった握手は見たことない(比べるなって? でも光景的にはよく似てたんだよ)。握手してもらった人はみんなその後一瞬ボーっと固まってた。

ひとつ面白かったんだけど、彼はずっとチベット語で話して、通訳者が日本語に訳していたのに、興奮してくるとなぜか英語になっちゃってた ;-)

同じテーブルに座っていた高野山の松長有慶大僧正と、こないだ高野山に行ったときの話ができてすごく楽しかった。松長大僧正によれば、ダライ・ラマは彼を訪ねて高野山に来たこともあるそうだ。