最近、米国の対外政策が議題に上るようなコンファレンスにいくつか出ていて、あらためて衝撃を受けたんだけど、外国人がアメリカの政策に外から影響を与えるのは、ほとんど不可能に近いんだよね。国連にしてもそうだし、意見の違うよその国は原則的に無視するという姿勢になってしまっているようだ。
つまりこういうことだ。アメリカは、世界の警察官になって、悪者に爆弾を落として民主化する。で、アメリカはますます豊かでパワフルな国になるので、誰もアメリカを嫌ったりしなくなり、戦争が起きることもなくなる。アメリカはすべてを統べ、すべてをアメリカ文化につなぎとめる、と(※)。
このシナリオだとアメリカは、なんていうか、“超”管理人みたいな国なわけだけど、その為政者に対する投票権をもっているのはアメリカ国民だけなんだよね? アメリカ人だけに権利がある。それってつまり、どういうことよ?
自分たち以外の世界を疎外して、アメリカ国民は世界市民の中でも管理職クラスなんだと気負うなら、この辺で他国や他の文化に対する態度をビシッとあらためることを真剣に考えなきゃいけないだろう。僕らは統合された世界に生きている。経済的にも、文化的にも、ましてや軍事的にも、孤立して生きていくことはできない。
僕は(今のところは)アメリカの選挙権をよこせと言ってるんじゃない。ただ、そろそろ“ご近所とうまくやってく”ことの大切さってやつをアメリカが認識しないとヤバいんじゃないかと思う。人とうまく付き合うには、相手を理解すること、話をすることが唯一の方法だ。悲しいことに人間って、自分たちとは異なる文化や、知らない人のことは自然に気にかけなくなるものだけど、もうそれではいけないんだと思う。
今やアメリカは「世界で一番憎まれている国」に向かって、転落の一途をたどっている。自分たち以外の国や文化、人の話を聞き、敬意を払い、理解しさえすれば、世界で一番愛される国になることもまだ不可能ではないというのに。
僕が言いたいのはつまり、すべての人を内包し、異なる価値観を許容する、ある種のグローバルな民主主義が必要だということだ。ちょっと問題を単純化しすぎちゃったかもしれないけど、ここ2、3日静かにしてたんで、ちょっと饒舌な気分なんですよ。 ;-)